《停念堂閑記》132

《停念堂閑記》132

 

「停念堂寄席」80

 

「もう既に崩壊ですか ?

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、間抜けな話です。いくぶん具体的に申しますと、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない、間抜けな話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

打倒、閑、暇、ひま、ヒマーッ!

A A O  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

 早い話が、いつもの半惚ジジーのボヤキですだよー。

  

さて、間抜けな話で、暫しの間、ヒマ潰しをしようと言う魂胆ですわ。

 

と言うのが、平和時における「停念堂閑記」の本筋なのですが、今の世界中が「新コロ」(ここでは、「新型コロナウイルス」の略称とし、使用します。)と戦っている状態では、そんな事している場合では御座いませんので、幾分、真面目にやりたいと思います。

と構えましても、大したことをできる訳では毛頭御座いません。ただ、ほんのちょっとでも、と言う程度のことで御座います。

もとより、他人様に、アレコレ指図出来る立場では、毛頭御座いませんが、状況が状況で御座いますので、いらざるお世話ですが、思うところをほんの僅か書かせて頂く次第でございます。

どうぞ、表現に不快を感じられるところが多々あるか、と思われますが、なるべく分かり易くと言う愚かな配慮からですので、どうぞご海容のほどをお願い申し上げます。

 

 

さて、みなさん。

今日も、「新コロ」と戦ってますか ?

予想だにしていなかった、とんでもない強敵が突然出現して、今や、世界中が国を挙げて、この目に見にくい敵と戦わなくては、ならなくなってしまいましたね。

地域的な規模においては、もはや第二次世界大戦の比ではなくなってしまいましたね。

世界各地で、この目に見えにくい敵と、一人一人が戦わなくてはならなくなってしまいましたね。

言ってしまえば、人類皆兵となって、「新コロ」と戦っている状況です。

 

 

ところで、日本は、果敢に戦ってますでしょうか。

今や、「新コロ」の総攻撃を受けている真っ最中です。

「新コロ」弾が、時・所構わず、飛び交っていて、国民は家防空壕に閉じこもって、必死に耐え忍ばなくてはならない状況です。

国民皆兵」となって、「新コロ」と戦っているでしょうか。

「新コロ」との戦いは、まさに、国民一人一人と「新コロ」の戦いが基本となっています。

政府や地方自治体からお願いされて、頼まれたからやると言う性質のものでは御座いません。

国民一人一人が、「新コロ」に立ち向かわなければならないのです。

国民一人一人が、この事態をよくよく自覚しなければ、「新コロ」に勝つことは難しい状況にあります。

国民一人一人の行動にかかっている、と言うことですね。

心して、臨まなくてはなりませんね。

 

前回は、概ね上記の様なことを述べた積りでいます。

今回は、その続きで、行政に物申したいと思うのですよ。

 

 

次は、行政ですよ。

はてさて、「新コロ」との戦いに関して、国 = 政府は、適切な作戦を展開してますでしょうか。

結論的には、もはや言うに忍び御座いませんが、「新コロ」の泥沼にはまって、ご臨終。否、自分が既に「新コロ」肺炎で、息絶えているのさえ気がついていない状態のように見えますね。

要所、要所の対策が、悉く失敗。常々長期にあぐらをかいて、すっかり、何もかも見えなくなっている政権に見えてますが、これほどヒドイとはね。

まずは、「新コロ」に対する政府の本気度が、全く伝わってきません。

本当に、真面目に取り組んでいるのか、と言う姿勢が見えてこないのです。

唐突に、教育現場の状況を知らないまま、全国小・中・高・支援学校一斉臨時休校を発出したり、防菌の性能の低いマスクを配ってみたり、いわば、熟慮が全くされていない思い付きの中途半端な事をやっている、と言う様にしか見えない、およそ真剣に取り組んでいると言う姿が見えてこないのです。

これは、「新コロ」から国民の生命を守ることが第一、と言う点に基軸が据えられていない為と思われますなー。口ではそのようにいうのですがね。全く、実行が伴わないのですよ。

国民の生命第一の対策を推し進めると、経済状態に支障が出る。こちらの方が心配、と言うことになり、国民の生命を守ることに専念できなくなるのでしょうな。

これまで築いてきた金儲け体制に支障が発生しては一大事、と言う判断が、先行するのでしょうな。

要するに、国民の生命と金儲け体制を天秤に掛けて、様子を見つつ、どっちつかずのまま、金儲け対策優先を進めてしまう。

すなわち、「新コロ」の感染防止をしなくてはならないと言う緊急を要する事態に、取り敢えず目先の安直な対策を出してみる。しかし、感染は止まらず、また、別の厄介な事態が発生する。そこで、また、目先の事態に対する取り敢えずの半端な手を打つ。またまたと、この繰り返しをやるより仕方がない。万事、後手後手の効果のない対策しか出てこない、という状態ですなー。

これで、金儲け体制が万全か、と言うと、指摘するまでもなく、世界的に経済状態は、もーガタガタ。日本だけ中途半端な事をしたって、どーにもならない事態と化している。

が、しかし、これまで経済重視ばかり続けてきた政府は、その惰性を止めることができず、結局、どっちつかずのズブスブの泥沼状態、と言ったところですな。

要するに、政府の基本が定まっていないから、「新コロ」対策にせよ、経済対策にせよ、目先に起こる火事の消火に奔走するより無い事態となっていると言うことでしょうな。

これが、これがですよ。もはや、目先の火事さえ、手出しできない状態となってしまっている様に見えて来ているのですよ。

要するに、政府は医療崩壊を心配しておいでの様ですが、分かり易く言ってしまえば、行政崩壊の方が、よっぽど深刻な事態になってしまっているのでは ?

 

「新コロ」対策について、幾分具体的に見ますと、

まずは、初動に失敗。これは大失敗ですなー。悪影響が大き過ぎましたね。

「新コロ」国内侵入を防ぐ、水際作戦とか称していたかに記憶していますが、武漢湖北省からの来日者しか、検疫をせず、他の中国、その他外国からの来日者は、入国自由。ザルだね。

この様な判断しか出来なかった政府の責任は、実に重大と言う他御座いませんな。その政治的センスの無さ、洞察力の欠如が、以後、ずーっと失敗、失敗を続けることになりますね。

 

次いで、国内の検疫体制の御粗末。

武漢湖北省からの来日者と接触した者以外は、検疫せず。

いまだに、国民全体を対象とする検疫体制を作らない。

国民は、自分が感染者なのか非感染者なのかの判断ができない。この判断が付けば、各自の為すべき方向が、決まってくるのですよ。

それをしないで、外出自粛を叫んでも、効果的とは言えませんなー。

検疫実施に関しては、そのキャパに問題があるのはわかります。しかし、そのキャパの現状に合わせた検疫しかしない、この方針が理解不能なのですよ。

万全を尽くして、キャパを広げんかい、と言うことです。キャパを広げるのが先決でしょうが。

誰が見たって、そうですよ。

今まで、国家予算が足りない。では、赤字国債を発行しよう。累積赤字の増大に拘らず、躊躇せずやって来ているでは御座いませんか。

検疫のキャパ拡大は、票に繋がらないと言う判断でしょうか。

とにかく、検疫に必要な機器と人員の増整備が急務です。分かりきったことです。それには、金がかかるでしょう。しかし、ここでケチって、どうするのです。

「新コロ」感染防止のスタートを切らないのだから、始末が悪い。

なんでやらないのか、なんとも不思議な政府ですなー。

 

いくら金がかかっても、やらなければならないことは、やらなくてはならないのです。万全を期して、検疫をやるべきなのに。

何考えてるの。

なに ?  

 何も考えてない! 思考停止状態

だろうね。

政府は、やらなきゃー、と言う情熱と、実施に当たっての基盤を持っていないからね。もはや崩壊です。

 

次いで、僅かにやっている検疫の悲惨な実情。

体温37.5度以上が、4日以上続かなければ、検疫しないと言う基本姿勢。

その上、保健所を通さなければ、検疫しない。

早い話が、分かり良く言えば、死にそうになってなければ、検疫はしないと言う体制の形成。

ナンジャ、これ

もー、この段階で、既に、医療崩壊

 

何考えてるの。

なに ?  

 何も考えてない! 思考停止状態

だろうね。

政府は、やらなきゃー、と言う情熱と、実施に当たっての基盤を持っていないからね。もはや崩壊です。

 

 

次いで、検疫結果後の処置。

陰性者と陽性者の隔離不十分。

陽性者の隔離施設の増設進めず。

ここでも上と同様。陽性者の収容施設のキャパの問題。

キャパを拡大すべきでしょう。

こう言う所に国民の血税を使っても、国民は怒りはしないよ。桜を見る会では、予算の3倍も無駄遣いしたくせに。ホンマに、ナンヤネン。

必要な所に税金を投入せず、あり合わせの現状キャパに合わせた収容しかしない体制の形成。

検疫結果の陽性者の内、重傷者しか治療に当たらせず。

軽症者の帰宅奨励。どうぞ、帰宅して、家族、近隣に感染させて下さい。と言う愚行。ホンマにアホか。

とっとと、陽性者の隔離設備を増やさんかい。

早く、やんなきゃダメだっちゅーの。

とっくに、医療は崩壊しているチューの。行政も。

 

何考えてるの。

なに ?  

 何も考えてない! 思考停止状態

だろうね。

政府は、やらなきゃー、と言う情熱と、実施に当たっての基盤を持っていないからね。もはや崩壊です。

 

次いで、クラスターだけを追っかけている感染防止策。
クラスターの調査は、かなり有効であることは確かでしょう。

しかし、クラスターだけ追っかけているのでは、ダメでしょう。

初期に、武漢湖北省からの来日者だけマークしていた対策と同手法ですね。結局、大失敗だったでしょう。

クラスター外の感染ルートの不明者が厄介なのですよ。

次第に、こちらの感染者数が増大してきましたね。今後は、こちらが感染拡大の主体となるのでしょうね。

既に、保健所は、クラスターの調査をできない状況に陥って、いますねー。

今となっては、クラスター対策重視では、対処できない事態に陥っているのですよ。

 

クラスターの調査自体、最初から限界が存在してましたよね。

大体において、何時、何処で、誰から感染したかは、明らかにしづらい側面があるでしょう。

例え、感染者自身は、ある程度心当たりがある場合でも、当人や関係者の手前、事実を言うことが憚れる場合が御座いますよね。そんな事言ってしまつたなら、会社や家庭でどうなるか、そりゃー、末恐ろしい事ですよ。そんな場合は、絶対に言いません。断言。

ものすごく分かり良く言えば、知人と居酒屋で一杯ひっかけて、勢いでキャバクラへ繰り出し、なお勢いがついて、馴染みのキャバ嬢とラブホへなどとは、誰が白状しますかっちゅーの。決して口を割らないですよ。社会的に地位の有る無しに関わらず、ひた隠ししますよ。この様な事情は、決して、日の目を見ることは、御座いません。

だから、クラスターを追っかけるのは、初めから限界がある側面が存在したのですよ。

しかし、政府はただただクラスターを追っかける事にこだわっている様に見えましたよ。

そして、また、クラスーが数多く見出されてしまうと、これまた、手の施しようがなくなってしまうのですよ。

今は、既に、この状態になってしまっているのではないのでしょうか。

 

そこで、感染の巣窟的存在として、「三密」(密閉、密集、密接)作戦を取らなくては、ならなくなったのでしょうかね ?

「三密」を避けましょう、と言う呼びかけは、確かに分かり良い利点があります。

しかし、この様に「三」と限定すると、これまた、「三密セット」でなければ良いのだ、と言う解釈をするお方がおいでになられるのですよ。

なんとか、規制の目をくぐって、都合の良い理由を見つけ出だし、快楽に走ろうと言う人は、走ることに、とにかく努力するのですから。

一密だって、二密だってダメなのですよ。

だから、「三密」とやるのは、必ずしもベターとも言えないところがあるのですよ。

このあたりは、具体的に、分かり良く適切な説明が必要となるご時世なのですよ。分かろうとしない人を、分からせることは、中々めんどくさいけれどね。

この部分を解決しないと、接触防止80パーセントなど達成する事はできないのですよ。

 

そこで、疑惑を感じられる感染者にいきなりキャバクラへ行ったのか、どこのキャバクラで、キャバ嬢は誰だった、なんて具体的には切り出しにくいから、一般的には「夜の飲食」なんて言う表現になるのでしょうかねー。

「夜の飲食」と言っても、キャバクラとか、クラブとか、バーとかと、具体的に指定されないと、分からないお方はおりますよ。メイド喫茶は指定されてなかったから、ソープランドは名指しされていなかったから、行ってもなんら構わない、とか理屈を言うお方ですよ。

「三密」とか「夜の飲食」自粛の要請だけでは、なかなか手の施しようが困難な部分が、どうしても残ってしまう現実がありますね。法的に禁止できないとね。まー、法的に禁止されていても、違反する人は後を絶たない現実がありますから、自粛では相手にされない現実も存在しますよ。

と言ってしまえば、御終いですが。

 

要するに、「三密」・「夜の飲食」対策では、徹底できない事態へ突入してしまった感が御座いますなー。

結局は、幅広い検疫の徹底的実施、と言う所に戻ってしまうのですよ。

 

次いで、政府と東京都との基本的な認識の違いに面白い側面があり、政府の姿勢に、実に不可解なところが見受けられましたよね。

総理の緊急事態宣言発令に伴い、都は営業自粛の業種について幾つか具体的にあげましたが、それについて、政府が是としない部分が御座いましたね。

すなわち、都は、営業自粛の候補に理美容院とパチンコ店を含めましたね。

政府も都も、原則として、社会生活を維持する上で、必要とされる業種は、特に、きつい自粛は求めない。すなわち、別の言い方をすれば、社会生活を維持する上で、特に必要とされない業種について、営業の自粛を強く要請する、と言う原則の下に、あれは良い、これはダメと言う店の選択を始めたのですね。

まず、社会生活を維持する上で、必要とされるか否か、と言う線引きが、実に、注目されますなー。

この社会生活上、必要、不必要の線引き基準に、営業店舗の業種を持って来た発想が、実にユニークでしたね。

「新コロ」感染防止なら、せめて、「三密」の基準に照らして、感染の恐れが懸念される店舗の業種を選定したい、と言うのであれば、そんなに違和感がないのですが、これが、社会生活上、必要か不必要かの線引きとなると、なかなかユニークですよ。

この集約された具体例が、理美容院とパチンコ店政争になって現れたのですよね。

都は、営業自粛候補として、理美容院とパチンコ店を含めたのですね。

これに横槍を入れたのが、政府ですね。

理美容院とパチンコ店は、社会生活上、必要な店舗と位置づけ、営業自粛に含めない、と言うのですよ。

笑えますねー。実に、「新コロ」実弾が飛び交う戦火の下での議論に相応しい、一時の笑点ですな。

 

この勝負は、政府に上がり、理美容院とパチンコ店は社会生活上必要な業種としての位置を認定され、営業の自粛は求められない、と言う結果に落ち着いたのですよ。

どうです、このフザケっぷりは。理美容院はともかくとして、パチンコ店は、社会生活の維持上、必要である、と位置づけられたのですよ。

何も、パチンコ店の存在を否定し、イジメようと言うのでは御座いませんよ。平時なら、パチンコを楽しむ人がおられても、一向に差し支え御座いませんよ。

しかし、「新コロ」感染防止の「三密」防止作戦展開時において、政府が何故この様なパチンコに対するお墨付けを出すのか、と言う事ですよ。

また、都が大して抵抗した風もなく、政府の主張を容れたのか、府に落ちない事態でしたね。

多分、何か、のっ引きならない事情があっての事と思うより御座いませんな。

その点については、あれこれと詮索されるでしょうが、明らかな証拠を握っている訳では御座いませんので、これ以上踏み込む訳に参りませんが。

 

次いで、ばら撒き作戦の御粗末。

国民一人一人に対する現ナマ、戸別へのマスクのばら撒き。

政府の全く定まらない姿勢は、コメントのしようが御座いません。

 

「御粗末」君。

 

赤塚不二夫さんの「イヤミ」さんに登場してもらうよりありませんな。

 

「シェー !」

 

マスク 2枚もらって、どーうなる。

これで「新コロ」と戦えってですか。

感染防止、完璧やー! アホかー!

ばら撒き現ナマ、30万円かと思いきや、いきなり10万円かよ。

全国民、11人に配るとか。

外国へ、行って居住している人にも配るのかねー。

配るのでは無いの ?  どうやって ?  サーネ ?

住所を持たない、いわゆるホームレスにも、配って回るの ?

どうやって届けるの ?

サーネー ?

いわゆる孤児院で暮らしている人達にも、ちゃんと配るのでしょうな。 

生まれたばかりの赤ちゃんももらえるのかなー。

何日までに生まれれば、セーフなのかな ?

反対に、死亡した場合、何日まで、生きていれば、セーフなのかなー ?

禁固刑中の犯罪者にも、配るのかねー。

執行猶予中の人にも ?

死刑囚にも ?  まさかね。

大金持ちにも配るのか ?    配るんだよねー。意味あるの ?

国会議員先生にも ?

当たり前でしょーって ?

 

ナンや ナンや。いい加減にせーや。

国民をおちょくるのも、限度というものがあるよ。

 

また、横槍が入ったら、気変わりするのかヤー ?

気変わりしない内に、決めたんだったら、さっさと、郵便局に頼んで、10万円札束、バイクで配れば。スピードが問題なのでしょう。

マスクと一緒の方が、効率がいいよー。

 

とにかく、この様な政府のどこに基準が据えられているのか分からない、むしろフザケタ対応に見えるやり方が、いくら総理が連日記者会見して、虚しい出まかせの言葉を並べても、なお一層信用ならなくなっていくのですよ。弁解とウソが多いから、国民の不安・不満が一層拡大していくのですよ。

安倍総理、事態を混乱させたのは、全部、自分に責任がある。国民に謝罪したいと、思っている。と記者会見で、又々、おっしゃいましたよね。

過去にも、問題が発覚するたびに、同様のことを、何度もお聞きした記憶が、幾つも御座いますよ。

どのような責任をお取りになられてのでしょう。通常、その職に伴うことで失敗した場合は、まずは、その職を辞する事が不可欠です。それが、数々の無責任の上に乗っかっていても、その職から離れない、この無責任さは、一体なんなんでしょうか。

責任を取るというのは、カメラとマイクの前だけの詭弁ですよね。

なんら反省も、行動も御座いませんよ。これまで、見た事がありません。

謝罪したいと思っている、とすぐに口走りますよね。

常に、ここで終わってしまうのですよ。

思っているのなら、潔く、直ちに謝罪しなさいよ。土下座とは言いませんが、最敬礼の一つもしてさ。思っていると言う、意思表示だけでは、謝罪したわけでは御座いませんチューの。今は、直ちに、謝罪して、もう無能でできない職を退くしか、手は御座いませんよ。1日も早く、お願いしたいものです。

このまま、ダラダラとやられたのでは、国民はたまったものでは御座いません。限界です。

 

勘違いしないで下さい。何も、総理・政府を揶揄しようと言うのが、目的では御座いません。

もー、余りにもやることなすこと、心の無さが、度を越してしまっているからなのですよ。

 

専門家、特に総理や政府の都合で選んだいわゆる御用専門家だけでは無く、広く真面目な専門家の意見に積極的に耳を傾けてもらいたい、と強く要望しますね。もー、総理・政府に的確な判断力のないことが、明白になってしまったのだから、しっかりした専門家の意見に従って欲しいと思うのですよ。

それから、何につけても現場の実情をしっかりと見とって欲しいのですよ。

例えば、「新コロ」との戦いの最前線は、「新コロ」の実弾が飛び交う中で、医師、看護師、機器の技術者さんら多くのスタッフが、まさに命をかけて奮戦しているのですよ。冷えたカップラーメンをすすりながら、寸時を惜しんで、戦っているのですよ。

「新コロ」の実弾に倒れる医療関係者は、どんどん増えている現実なのですよ。

なんとかしなさいよ。口だけでなく。いっ時も早く、手当をしなさいよ。

金を投入して、設備、人員の増加、手当の充実に、専念しなさいよ。

愛犬と戯れて、お茶してる場合かよ!

ここまで、能天気とはね。

もはや、行政崩壊は、ただ事ではこざいませんよ。

よほど、心を入れ替えて貰わないと。

この「新コロ」騒動の最中、解散、総選挙とは行かないだろうと、のんびり高を括るっている場合ではないでしょう。

直ちに、内閣総取っ替え、真面目な新総理の下で、組閣し直しに着手ましょう。

と言っても、大臣候補のタマはもうとっくに払底、尽きてますから、ここは、民間から総理以下、各大臣にいたるまで、総刷新と行かなくては、この難局を乗り切れませんわ。

「新コロ」には、絶対勝てません。断言 !

冗談では御座いませんよ。本当に、頼みますよ!

 

国民も、ただただ家防空壕に閉じ籠っているだけでは無く、日本の未来、自身国民の将来について、どうなれば良いのか、考えましょう。

残念ながら、現政府を成立させたのは、国民有権者なのだから、その責任が、ダイレクトに国民に今降りかかっている状態なのですから。それが、民主主義日本国の現実です。

 

とは言え、10万円は欲しいですよね。

しかし、それは一度徴収された税金が戻ってくるだけで、安倍総理の財布が痛むわけでは御座いませんよ。その税金でやられるはずだった、社会福祉などの諸事業が、取り止められるか、遅延されるか、赤字国債の額が増加するだけのことなのですよ。

今は、ひたすら我慢の時代です。

でも、目先の10万円は、欲しいよね。

取られた税金を、取り戻すチャンスだから。

 

無理か ?  嗚呼!

 

ついつい、また、総理・政府批判に向かってしまうのですよ。

 

もうすっかり、疲れました。「新コロ」といっしょで、終息が見えないので、中途半端ですが、今日はここで止めます。

 

気に触る表現が多々散見した事でしょう。少しでも、分かり易く伝えようとした愚行です。

どうぞ、半惚ジジーのたわ言と、ご海容の程を、節にお願い申し上げます。

 

お付き合いいただきまして、大変お疲れの事と存じます。

懲りずに、またどうぞ。お待ち申し上げます。

 

お後がよろしいようで

《停念堂閑記》131

《停念堂閑記》131

 

「停念堂寄席」78

 

国民皆兵  ?

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、間抜けな話です。いくぶん具体的に申しますと、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリの実にアホくさい、実にバカバカしい、実にクダラない、実に間抜けな話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

打倒、閑、暇、ひま、ヒマーッ!

A A O  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

 早い話が、いつもの半惚ジジーのボヤキですだよー。

  

さて、間抜けな話の開始です。今日は、「国民皆兵 ?」と言う事をネタにして、暫しの間、ヒマ潰しをしようと言う魂胆ですわ。

 

と言うのが、平和時における「停念堂閑記」の本筋なのですが、今時、世界中が「新コロ」(ここでは、「新型コロナウイルス」の略称とし、使用します。)と戦っている状態では、そんな事している場合では御座いませんので、幾分、真面目にやりたいと思います。

と構えましても、毛頭大したことをできる訳では御座いません。ただ、ほんのちょっとでも、と言う程度のことで御座います。

もとより、他人様に、アレコレ指図出来る立場では、毛頭御座いませんが、状況が状況で御座いますので、いらざるお世話ですが、思うところをほんの僅か書かせて頂く次第でございます。

どうぞ、表現に不快を感じられるところが多々あるか、と思われますが、なるべく分かり易くと言う愚かな配慮からですので、どうぞご海容のほどをお願い申し上げます。

 

 

さて、みなさん。

今日も、「新コロ」と戦ってますか ?

予想だにしていなかった、とんでもない強敵が突然出現して、今や、世界中が国を挙げて、この目に見にくい敵と戦わなくては、ならなくなってしまいましたね。

地域的な規模においては、もはや第二次世界大戦の比ではなくなってしまいましたね。

世界各地で、この目に見えにくい敵と、一人一人が戦わなくてはならなくなってしまいましたね。

言ってしまえば、人類皆兵となって、「新コロ」と戦っている状況です。

 

 

ところで、日本は、果敢に戦ってますでしょうか。

今や、「新コロ」の総攻撃を受けている真っ最中です。

「新コロ」爆弾が、時・所構わず、飛び交っています。国民は家防空壕に閉じこもって、被弾を避けようと、必死に耐え忍のばなくてはならない状況です。

国民皆兵」となって、得体の知れない「新コロ」と戦っているでしょうか。

「新コロ」との戦いは、まさに、国民一人一人と「新コロ」の戦いが基本となっています。

政府や地方自治体からお願いされて、頼まれたからやると言う性質のものでは御座いません。

国民一人一人が、「新コロ」に立ち向かわなければならないのです。

戦法の第一は、他人と接触しない事です。接触の場を作らない、と言う事です。

「新コロ」に感染するか、感染させるかを防ぐのは、他人と接触するか、しないかにかかっています。

 

ところで、「新コロ」と直接対決出来るのは、医療と治療薬です。

一般の兵士は、実は、各自が持つ自己の外出したいと言う欲求と、いや、ここは外出をしてはならないと言う抑制の心の対決と言う事なのですよ。

外出したいと言う欲求は、色々な弁解がましい論理でやって来ます。

例えば、自分一人ぐらい外出したからといって、大勢に影響を及ぼす訳ではないよ。とか、ちょっとだけだから、とか、これに類する自己に都合の良い理由を探す訳です。このホンの僅かの心の動きとの戦いなのです。

 

このホンの僅かの行動判断で、天地の大差が発生する事態もあります。

例えば、駅のホームに電車が入って来た時、前にいた人が、フラッとしたのを見て、咄嗟に10センチほど引っ張って、ホームに落ちるのを防いだ、となれば、人命救助の表彰状ものです。

これが、ホームですれ違いざまに、迂闊に10センチ程押してしまったために、押された人がホームに落ちて死亡してしまった。となると、こちらは殺人の扱いとなるのですよ。行為としては、ホンの10センチの差なのです。この差の判断で、天地の違いが出るのですよ。

だから、ここは一番、是非とも、ちょっとなら外出しても大丈夫と言う判断と、果敢に戦って勝たなくてはならない状況と認識した方が、良いと思うのですよ。

お釈迦様がおしゃったかどうかは、直接聞いたことは御座いませんが、ここ当面は、欲望を捨て去る事に最大の努力をしましょう。ここ一ヶ月ほどが、勝負です。

僅かの欲求に負けて、ダラダラと長期にわたって、「新コロ」の攻撃を受けるのはたまりませんから。短期決戦の方が、断然好結果が得られると信じるほか御座いませんね。

まー、分かり良く言えば、いわゆる不要不急の場合は、外出しない様に、とする行政のあまい呼び掛けとの戦いです。要するに、有要緊急の事態をいかに無くするかが、勝敗の分かれ目となっているのです。

国民一人一人が、この事態をよくよく自覚しなければ、「新コロ」に勝つことは難しい状況にあります。

国民一人一人の僅か10センチの行動判断にかかっている、と言うことですね。心して、臨まなくてはなりませんね。

 

よもや、戦いを逃れて、脱走兵になろうとしてはいませんよね。

エッ、脱走して、パチンコへ行くってですか?

エッ、脱走して、居酒屋で一杯ってですか?

エッ、仲よし知人とレストランで食事して、桜の花見ですか?

エッ、「新コロ」対策会議をサボって、選挙区の人との会合ですって。

 

これでは、「新コロ」と戦えませんな。

しっかりと、自覚してもらわなくては。

しつっこく繰り返し訴えます。

 

「新コロ」との戦いは、まさに、国民一人一人と「新コロ」の戦いが基本となっています。

政府や地方自治体からお願いされて、頼まれてやると言う性質のものでは御座いません。

国民一人一人が、「新コロ」に立ち向かわなければならないのです。

国民一人一人が、この事態をよくよく自覚しなければ、「新コロ」に勝つことは難しい状況にあります。

国民一人一人の行動にかかっている、と言うことですね。心して、臨まなくてはなりませんね。

 

各人色々と事情がおありでしょうが、当面、個人の事情をとやかく言ってないで、今はとにかく控えに控えて、他人との接触を避けましょう。

これが、個人レベルでできる最強の戦法です。

アレコレ理由を探して、責任・事情を他人のせいにして、出歩るいていては、「新コロ」に勝てない事態なのですよ。

未来永劫にと言う訳では御座いません。取り敢えず、このひと月の間、頑張ってみましょう。脱走しないで。

それから、万が一止むを得ない事情で外出する場合は、マスクを着用し、無闇にあれこれに触れず、帰宅したならば、まず、手洗い、ウガイをきちんとしましょう。戦法の基本中の基本です。

そして、家から出ないように、外から施錠しましょう。

 

?  これは無茶か。

まー、これくらい頑張ってみようと言う事ですよ。

 

とにかく、パチンコであろうと、雀荘であろうと、居酒屋であろうと、理美容院であろうと、クラブであろうと、メイド喫茶であろうと、キャバクラであろうと、あれは良い、これはダメなんぞと、そんな業種選別は、どっちかと言うと、どうでもいいのですよ。

要は、他人と接触するな、させるな、と言うことなのですよ。

また、「三密」を守ることは、それはそれで大事なことですが、「三密」遵守だけでは、もはや手ぬるい事態です。

要は、万難を廃して、他人との接触を避ける、と言うことが、「新コロ」をうつしたり、うつされたりすることを防ぐ、最も大事な戦い方です。

こうなれば、もー、当分の間、家から一歩も出ないから、覚悟しとけよ!

 

エッ、誰に言っているのかって。

決まっているでしょう。敵の「新コロ」ですよ。

なかばヤケクソですよ。

ヤケクソでも、なんでも良いから、家から出ないぞー。

防空壕に閉じこもって、「新コロ」と戦うぞ。

もー、一歩たりとも、出てやらないから。

見ておれよ。「新コロ」め。

うつれるものなら、うつってみろってんだ。

 

ってなものですなー。

庶民にできることは、残念ながら、こんくらいなものです。

 

国民の皆さん、「国民皆兵」の時です。一人一人が自覚して、戦う時です。

とにかく、辛抱、我慢の時のようです。

ヤケクソでもいいので、家防空壕に閉じ籠って、辛抱、我慢をしましょう。

 

その時、辛抱、我慢が限界に来たら、あとは、しょうがないから、「停念堂閑記」で、ヒマ潰しをしましょう。

こんな時に、役立つ? とは、想定外でした。

 

それでは、本日は、これで止めといたします。

お粗末様で御座いました。

またのお越しをお待ち申し上げます。

 

お後がよろしいようで

《停念堂閑記》130

《停念堂閑記》130

 

「停念堂寄席」76

 

「キュウコウ」

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、間抜けな話です。いくぶん具体的に申しますと、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない、間抜けな話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

打倒、閑、暇、ひま、ヒマーッ!

A A O  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

 早い話が、いつもの半惚ジジーのボヤキですだよー。

 

  

さて、間抜けな話の開始です。今日は、「キュウコウ」と言う事をネタにして、暫しの間、ヒマ潰しをしようと言う魂胆ですわ。

 

みなさん。

「キュウコウ」と聞いて、一番に、何を思い起こしますか。

私ゃーですね。やっぱり、鉄道の「急行列車」ですかね。

私ゃー、自慢じゃー御座んせんが、北海道ののどかな農村で生まれやしたよ。

第二次世界大戦の真っ只中だったようですよ。

全然、自己の記憶に御座いませんが。

日本の分が相当悪くなって来た最中だったようです。

全然、自己の記憶に御座いませんが。

 

家から旧国鉄の一番最寄りの、後に駅と呼ばれる所まで、およそ1里、4キロの距離でしたよ。

何時の事か、記憶に御座いませんが、一番最寄りの後に駅と呼ばれるようになる所は、小さい頃は、信号所とか、停車場と呼ばれていたようです。

 

ご存知のように、鉄道路線で分岐器(ポイント)や信号設備が設けられていて、運転扱いは行われますが、旅客や貨物の取扱いを行わない所が、信号所とか停車場と呼ばれている所ですね。

 

小さい頃、最寄りの駅が、信号所とか停車場と呼ばれていたことは、記憶に御座いますよ。

とは言うものの、明確なものでは御座いません。

と申しますのは、大人達が、そのように呼んでいたのを時々聞いたことがある、と言う程度の記憶です。

多分、昭和256年頃かなー、と言う気がしますが、定かでは御座いません。

何時、信号所・停車場と呼ばれていた所が、駅と呼ばれる事になったのかは、はっきりした記憶は御座いませんが、戦後間もない頃かなー、と勝手に推測しています。要するに、それ以前のことは、記憶にはっきりしないのですよ。

ようやく、記憶があるのは、その頃以後のことなのですよ。

と言いますのは、駅と呼ばれるようになっても、それまでの習慣で、旅客の乗り降りが行われる場所になっても、信号所とか停車場と言う呼称は、近所の人々の間には、しばらく残っていたのではなかろうかと推測されるのですよ。

 

それでどうした、と来られますと、これはちょっと弱るのですよ。

何が、と言うと、信号所・停車場と呼ばれていたからどうなのだ、と言われても、そのー、それだけの事でしてね。

まー、前との関連を模索すれば、そんな田舎に育ったよー、と言うことぐらいで、要は、私の育った最寄りの旧国鉄駅のある鉄道には、急行は走っていなかった、と言うことですだよ。

だから、子供の頃は、急行とか特急なんて知りませんでしたよ。そうそう、準急と言うのがありましたね。

これが、オラー東京の大学さ行くってんで、18の時に東京さ出て来ただよ。

この時、生まれて初めて特急というのに乗っただよ。

特急はつかり常磐線経由で上野駅行き。

とにかく東京さやって来ましただ。

そのうち、用事ができて、京王帝都電鉄に乗る羽目になっただよ。新宿駅で乗り換えて、京王線のホームへ行くと、なんと、特急と言う看板を掲げた電車がやって来ただよ。これは、てっきり、特急券を買わなくては、乗れないと思っただよ。

ところが、特急料金を払わなくても、乗れると言うだよ。びっくりこいたねー。さすが、東京だなー、とおったまげただよ。

 

それで、どうした、と来られると、これがまた、弱るのですだよ。どうしてか、と言うと、ただこれだけの話だからですだよ。特記するとすれば、特急に乗ったはいいだが、降りる予定の駅に停車せず、通過。幾つか先きの駅まで行かなくてはならない羽目になっただよ。

要するに、行かなくても良い先きの駅まで行っちまって、戻らなくてはならなくなっちまっただよ。そこで、また、特急に乗っちまったら、またまた、目的の駅に止まらないだよ。通過。一日中やっても、埒が開かねーだよ。

 

慣れない、特急に乗ると、かえって、時間がかかることを覚えただよ。しかし、これは特急の話で、急行ではねーですだよ。後で、急行というのも走っていることを知っただよ。これも、急行料金は、不要。

京王電鉄では、ここの話に関わる、「キュウコウ」急行も、走っております。もちろん、各駅停車もあるよー。

以上、「キュウコウ」に関わり、思いついたことであります。ご粗末様。

 

まー、このように「キュウコウ」と聞いて、鉄道の「急行列車」を思い出した方もおられるかとも思いますが、以上は、ヒマ潰しの間抜け話で御座います。

 

「キュウコウ」と聞けば、こっちの「休講」も思いつきますなー。

東京の大学さやって来まして、まず、初めの大学説明会(この頃は、ガイダンスと言っていましたが、いつの頃にか、オリエンテーションと言われる事が多くなってましたよ。)で、なんたって大学と言う所は、授業と言うものがありますから、休みの日以外は、まずは大学に出かけて行くわけですわ。そしたら、大学に着いたなら、まず一番最初に、掲示板を見るように、と教わりましたね。大学から、学生に連絡がある場合、掲示を出すので、とにかく大学に来たら、掲示板を見るように、とのことでしたね。誰々君、至急学費を納めるように、なんて、掲示が出るのですよ。

そのような掲示の中で、頻繁に出るのが、「休講」の掲示でしたよ。先生も色々とご都合があのでしょうね。〇〇先生、〇〇日、〇〇曜日、〇〇時限、〇〇授業休講、なんて掲示が出るのですよ。

担当の先生が、予め休まなくてはならない事情のある場合は、前の週の授業の終わり、来週は休講にします、と言ってくれるのですが、緊急の事情が生じた時などには、休講の掲示が出されるのですよ。

私ゃー、この掲示、好きでしたよ。歓迎でしたね。やったー、「急行」に乗って、どこかへ行こうか。

「休講」は、なんだか儲かった気がしましたね。よっしゃー、パチンコへ、とはならなかったけれど、大抵は、神田の古本屋街をぶらついたりする事が多かったですね。

たまに、「自主休講」がありましたね。ただし、これは掲示されませんでしたよ。勝手にサボっただけですから。

そうそう、「休講」で、忘れられない事がありますよ。

誰とは書きませんが、とある先生は、担当の最初の授業時に、この授業は、確か10回以上出席しないと、単位を出しません、と断言されましたね。

よし、では10回確保すれば、後はテストで60点以上取れば、単位はゲット。と言う事で、計画を立てまして、なんとか10回以上の出席は可能としてあったのですが、色々事情が御座いまして、ちょうど10回ギリギリで、出席は大丈夫、と言う状況になっていたのですよ。

そしたら、世の中、何が起こるかわかりませんよ。なんとなんと、彼の先生、予告なしに、最後の授業を休講にしちゃったでは御座いませんか。この「休講」の掲示で、この科目の単位は、パー、と言う事で、次年に、もう一度履修し直しましたね。大学時代に、単位を落っことしたのは、この1科目だけでしたので、五十数年後の今でも、良く記憶してますだよ。

 

ところで、「キュウコウ」の「休講」がどうかしたのかと、言われますと、面目次第も御座いません。ただ、こんな間抜けたことを思い出しただけ、と言う事で御座います。失敬。

 

次の「キュウコウ」は、「休校」ですよ。

そうです。目下、話題の「休校」で御座います。
この「休校」も、私ゃー好きでしたね。

休校の時は、とりあえず、学校が休みなんだから「急行」に乗って、旅へ行こう。失礼。これはさっきやりましたよね。

よく、ウイークデーなのに、小学生や中学生や高校生が、街中に出歩いてたりすると、メディアの人が、カメラとマイクを持って、駆けつけて、今日は、ウイークデーなのに、学校へ行かないの、なんて持ちかけたりしますよね。

この応対で、最も多いのは、決まって、今日は開校記念日で、休校なの、と来ますなー。

開校記念日は良いですよね。

私の子供の頃は、休校になっても、田舎の事ゆえ、公園も、遊園地も、なーんにね御座いませんでしたし、はたまた、コンビニはあるわけ有りませんでしたから、コンビニの前で、タムロすることなど、できっこ有りませんでしたよ。

休校だからと言って、家にいようものなら、たちまち農作業の手伝いをさせられますから、その前にさっさと逃げなくては、と言う状況でして、結局のところ、行き着けるところは、学校でしたね。

そんな事情で、行く所のない連中が、何となく学校に集まって来るのですよ。

今と違って、当時の我が方の学校は、管理がさほど厳しくなかったので、どっからでも、校舎の中に入れましたね。

だから、こっそりとではなく、ごく当たり前のように、体育館に入り込んで、バスケをしたり、校庭で、ソフトボールをしたりしてましたね。

休日出勤の先生も、特に、注意をすることもなく、一緒に楽しむ事が、多かったと思いますね。

田舎の学校は、そうした機能も持っていたのでしょうね。

田舎は、のんびりしていましたよ。

さて、いま話題の「休校」は、「新コロ」(ここでは、新型コロナウイルスの略で使います。)対策の一つとして、学校を休みにしている、と言うやつですだよ。

東京都では、高校はゴールデンウィーク明けまで、休校となるとすか。エライことですねー。

休校の時は、やっぱり、「急行」で、どっかへ・・・。これはもう前でやったっちゅーの。失敬。

この休講の良し悪しは、半惚ジジーは、到底判断がつきませんが、影響は大きいでしょうね。

大前提としては、「新コロ」から、都民の生命を守らなくてはならない、と言う目的がありますからね。こちらが最優先ですよね。何が何でも、行政の都合で塩梅されることなく、最優先して貰わなくてはなりませんよ。

それとは別に、「休校」するとなると、どうなるのですかね。

生徒が、学校に行かないと言うことですよね。

となりますと、例えば、一月間、学校を休んだ、と言う事と同じ扱いになるのでしょうかね。

例えば、学校で学習して、高校の場合、一般的には3年間で卒業と言う建前ですよね。聞き及んでいるところでは、数字ははっきりと覚えていませんが、長期にわたって、出席しなかった場合は、進級・卒業できないようですね。所定の時間を出席しなくてはならない、と言う規定があるはずですよね。

この「新コロ」関係の「休校」は、どのように処置されるのでしょうかね。

まさか、この際は、止むを得ないで、終わるのではないでしょうね。

何らかの事情で休校が発生した場合は、多くの場合は、夏休みを短縮したりして、現場では対処していますね。

しかし、23日ならばともかくとして、この度の「新コロ」休校は、結構、長期間ですよ。夏休みに、振替たりしたら、夏休み無くなってしまいますよ。

中には、授業をオンラインで行なっている学校もあるとか。この場合の授業は、通常の場合の授業と同等の扱いになるのでしょうかね。

オンライン授業をしていない学校もありますから、この扱いはどうなるのでしょうね。

文科省は、何もかも、地方自治体に丸投げして、全国統一的な指示を出すつもりはないのでしょうかね。

医療も崩壊なら、教育もと言う事でしょうか。

医療の崩壊は生命に関わるし、教育の崩壊は、日本の将来に重大な不安を残すし、どうするつもりですか ?

安倍内閣総理大臣。

 

つまらぬ事を言っているうちに、緊急事態宣言が発出されました。

が、しかし、救命と経済混乱を天秤に掛けて、ウダウダ長期戦に持ち込もうと言う魂胆でしょうか ?

安倍内閣総理大臣。

政府が、経済重視政策で、ダラダラしている限り、国民の外出の足は止まりません。

と言う事は、新型コロナウイルスの感染は、止まらないと言う事です。

こんなどっちつかずをやっている限り、国民の覚悟は固まりませんね。

ここは、何が何でも、新型コロナウイルス撃退に専念すべきでしょ。

混乱した経済は、後で努力して復興する手立ては御座いますが、国民の命を奪ってしまっては、一貫のお終いです。

救命と経済混乱を天秤に掛けて、ダラダラと言うのは、間違ってますよ。

安倍総理大臣。

新型コロナウイルス撃退に、あらゆる手を絞り出しましょう。

 

エッ、もう打つ手なしですか?

投了でしょうか。

 

 

本日も、ダラダラとつまらぬことに、お付き合いさせてしまいまして、申し訳ございません。

緊急事態宣言には、何にも取り立てた協力も自粛もしておりません。

この時期は、毎年、花粉に悩まされております。

よって、外出をしないと言うのが常日頃の普通の状態ですから。

でも今年は、一層外出を自粛しています。

 

 

少しは、ヒマ潰しになったでしょうか。

お疲れ様で御座いました。

それでは、またのお越しをお待ちいたしております。

 

お後がよろしいようで

《停念堂閑記》129

《停念堂閑記》129

 

「日比憐休独偏記」38

 

「緊急提言!」

 

本日は、四の五の申しません。

他人に対して、とやかく言える立場でない事は、重々心得ていると思っている半惚のジジーですが、甚だ勝手では御座いますが、敢えて緊急の提言をさせて頂きます。

 

新型コロナウイルス対策について

 

1      国民の皆さん、新型コロナウイルス流行を防止するのは、国民の皆さん個々肩に掛かっています。まずは、このことを、キッチリと自覚しましょう

他人事ではなく、自分自身の事と認識しましょう。

 

2     国民の皆さん、今は健康でも、すでに自分は保菌者である可能性、 すぐ に保者となる存在である、と言うことをキッチリと、自覚しましょう。

健康者は、とかく自分が保菌者・患者になる事を、実感しずらいものです。どんな健康な人でも、明日は我が身、と言う自覚を持ちましょう。 

 

3     上記12の自覚の元に、自分で新型コロナウイルス感染防止に役立つ事を徹底しましょう。 

例えば、

外出をしないようにしましょう。不要不急の意味を拡大解釈せずに、とにかく、感染が治るまで、外出を極力しないようにしましょう。

手洗いを徹底しましょう。

マスクを使用するようにしましょう。ただし、マスクをしていれば、万OK ないことを自覚しましょう。

とやかく条件をつけず、人に接触したり、接近することを、極力しないようにしましょう。

各人、それぞれの事情がおありの事と思いますが、極力努力しましょう。

 

4     行政に携わる皆さん、その他、社会のリーダー的存在にある方々、新型コロナウイルス関係のことは、本当に、大変な事態となっている事を、キッチリと覚しましょう。自覚したら、それぞれ出来得る事を考え出して、直ちに実行しましよう。

 

5     行政は、直ちに、新型コロナウイルス対策についての基本姿勢を糺しましょう。

国民の生命の保証に、基本を据えましょう。

国民の生命と、行政の都合を天秤にかける手法を、直ちに改めましょう。

 

6     行政は、医療の崩壊が危機的だと叫んでいますが、実情は、既に崩壊してしまっている実情を自覚しましょう。

行政の失敗が、病人が、既に病院に行けない事にしてしまった実情を、率直に自覚しましょう。

体調を崩しても、今は、病院で受け付けてくれない事態なのですよ。この一事から見ても、日本の医療は、政府の失敗によって、既に、基本的な部分から、崩壊してしまっている現実を自覚しましょう。

 

7      行政は、国民全員を対象に、新型コロナウイルスの検疫を受けられる体制を整えましょう。

 

8      行政は、非保菌者と保菌者の区別ができて、初めて、感染対策が、始められる、と言う論理を早く認識しましょう。

行政は、ここが、新型コロナウイルス対策のスタート点である事を、直ちに認 識しましょう。

 

9     行政は、 保菌者が、非保菌者に新型コロナウイルス菌を感染させない対策を、直ちに実施しましょう。

まずは、検疫を実施して、両者を隔離することが、基本である事を認識しましょう。

 

10    検疫で陽性か陰性か判明したら、まず、隔離する対策を実施しましょう。

すぐに、陽性者を収容する設備を整えましょう。現状の設備で間に合わせることに固執せず、直ちに、収容設備の拡張を実施しましょう。

 

11   陽性者を症状により、3段階に区分して、個別に隔離して、収容しましょう。

A    軽傷  すぐに、自宅に帰したりせず、しばらく、専用の施設に収容し、子を見ましょう。陰性に転じてから、なお、一定期間を置いてから、隔離を解きましょう。 

B    中傷  隔離施設に収容し、症状を見て、いつでも、入院治療に入れる態勢を維持しょう。

C    重症  専門の病院に入院させて、全力で、治療に当たりましょう。

 

12     政府行政は、直ちに、治療のための人員(医師等医療スタッフ)、場所、器具等を整備・確保しましょう。

 

13    政府行政は、直ちに、予防薬、治療薬の開発に全力を投入しましょう。

 

14    行政に携わる方、本気度が、あまり伝わってきません。熱意を持って、本気で取り組みましょう。

行政は、各方面の研究者・専門家、感染防止・治療の最前線で戦っている方々の意見を、直ちに聞き入れましょう。机上の空論では、間に合わない事態である事を、早く認識しましょう。

 

15   政府は、国会議員の報酬を減じ、国庫の支出を少しでも食い止める対策に、直ちに着手しよう。

 

まだまだ御座いますが、さしずめ、思いつきざまの事柄を、緊急提言いたします。トウシロウが、全く余計なことをとお思いでしょうが、どうぞ、ご海容の程を、お願いいたします。以上

 

  追伸  

安倍総理は、各戸にマスクを2枚ずつ配って、新型コロナウイルスの感染を防げると、本当に思っているのでしょうか。政治的センスを疑うよりほか御座いません。

だったら、せめて、マスクとその配布の経費は、国会議員の報酬を減じて充当してはどうでしょうか。

そもそも、新型コロナウイルス対策を、西村経済再生相の併任、要するに片手間にやらせようと言うのは、安倍総理は、一体どう言う感覚の持ち主なのでしょうか。国民の生命より、経済政策優先になるのは、火を見るより明らかですね。

国民を愚弄するのも、いい加減にして欲しい。もう、愚策の限界を超えています。

既に、政権は、末期を通り越して、機能崩壊の状態に見えます。

今後、幅広く各方面に発生する様々な困難な事態に対して、適切に対処できるのでしょうか。早急に、対策を講じておかなくては、今年の後半期は、真っ暗闇です。

おそらく、経済大混乱に加え、大きな自然災害も発生するでしょうし・・・・。

ただただ目先のことだけ、と言うのではなく、広い視野から対策を講じて欲しいものです。蛇足ながら。

 

《停念堂閑記》128

《停念堂閑記》128

 

「停念堂寄席」75

 

「お願い致します!」

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、間抜けな話です。いくぶん具体的に申しますと、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない、間抜けな話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

打倒、閑、暇、ひま、ヒマーッ!

A A O  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

 早い話が、いつもの半惚ジジーのボヤキですだよー。

 

  

さて、間抜けな話の開始です。今日は、「お願い致します!」と言う事をネタにして、暫しの間、ヒマ潰しをしようと言う魂胆ですわ。

 

日常、お願いしたり、お願いされたりと言う事は、しばしば御座いますなー。

まー、日常茶飯事ですなー。

特に、家族や親しい知合いの間では、頼みごと、頼まれごとは、頻繁に生じますなー。

ごく当たり前の事で、取り上げるに値しない事ですよ。

ところが、つい先日、都知事が都民に向けて、「お願い致します。」とやったのですよ。選挙運動ではなくてですよ。

 

あのー、私ごとで甚だ恐縮で御座いますが、私は、申す迄もなく、都知事と家族では御座いませんし、親戚筋でも御座いません。また、親しい知人の関係でも御座いません。一度も面会した事はなく、会話を交わしたことなど全く御座いませんよ。

私は、都知事さんの顔は存じ上げておりますが、知事さんの方は、小生の存在など、サラサラご存知御座いませんよ。

だから、当然、何かを、お願いされたりすることは、まー、起こり得ない状況ですよ。

 

都知事との関係はと言いますと、私は一応都民ですので、都知事と都民と言う関係が発生してますなー。これ以外の関係は、一切御座いませんよ。

この関係を頼りになされたのでしょうか。

都知事から「お願い致します」とやられちゃったのですだよ。ただし、テレビを通してですがね。お願いされたのは、私だけでは御座いませんよ。都民全体です。当たり前です。

ただし、弱ったねー。どうも。いきなり、お願いされちゃって。

 

何かと言いますと、もうお察しがついていますよね。

「不要不急」の外出を自粛するように、お願いされちゃったのですよ。新型コロナウイルスの感染を防止するためにですだよ。

 

こんなお願いをされてしまったら、どうすれば良いのでしょう。

要するに、無闇に、出歩くな、ちゅー、おねげーだよ。

お言葉ですが、私ゃー、出歩くことはメッタに御座いませんよ。だから、おねげーされる謂れは、元よりさらさら御座いませんよ。私に、そんな事願っても、なんの意味も御座いませんから。キッパリ、断言!

 

とにかく、毎日、家に引き篭もってますだよ。まー、自分で言うのはなんですが、引き篭もりのプロですだよ。

引き篭もって、何してるんだ ? って、ですか。

決まってるでは御座いませんか。PCのキーを叩いているのですだよ。蛇足ながら、PCが肩を凝らしているから、その解消のために叩いてあげているのでは御座いませんよ。肩凝りで、叩いて欲しいのは、こっちの方ですから。引き篭もって、毎日毎日、「停念堂閑記」を書いているのですよ。これで、結構、根気が必要なのですだよ。まー、頼まれてしている訳ではありませんが、他に、適当なヒマ潰しがないもので。芸がないねー。トホホホホー。

 

さて、お願いされてもですよ。何が「不要」で、何が「不急」なのかが、ハッキリとしねーだよ。

他人にとっては、「不要不急」かもしれねーだが、私にとっては、「有要緊急」かもしれねーだよ。誰が、これを決めるだよ。いちいち、都庁へ伺いを立てるのケー。こう言うのを、世に屁理屈と申します。

 

要するに、これは、都知事から都民へ発せられた要請ですから、指令でも、命令でもなく、まー、お願いと言うようなこと、となるだよな。

となると、「不要不急」は、要請された都民、各個々の判断を待つよりない、と言うことになるだよ。

そうすると、桜の花見はどーなる?  桜の花見、まさに今がその時で、これを逃すと、来年まで1年間も待たなくてはならないのですだよ。

 

ところで、以下には、新型コロナウイルスを「新コロ」と略称することにします。半ボケジジーの我儘です。PCのキーを叩くのに、間違えてばかりいる実情です。それで、少しでも叩く数が少ない方が楽なのですよ。と言う次第で、甚だ横着で申し訳御座いませんが、どうぞご了解下さいませ。

「新コロ」は、新型コロナウイルスの省略形です。

 

しかも、来年の今頃、まだ、「新コロ」が蔓延っていて、またまた、「不要不急」の外出の自粛をお願いされちゃうかも知れないのですだよ。

そんなことになったら、桜の花見は、再来年を待たなければならなくなっちゃうのですだよ。

私ゃー、何を隠そう、れっきとした後期高齢者の認定を受けている存在ですだよ。

まー、そのザクッバランに言っちゃえば、何時、お迎えが来ても、拒絶できない年頃にあるのですだよ。

このような事情にあるだが、再来年まで、誰がお迎えを拒絶してくれるのですかい。

都知事さん、貴方が矢面に立って、お迎えを拒絶してくれると言うのですかえ。聞く耳持たねーでやんしょ。

何の保証も、御座いませんだよ。

ここにおいて、桜の花見は「不要不急」の存在ですかっちゅーの。蛇足ながら、屁理屈の続きであります。

ひょっとして、こっちとらー、人生の締めくくりとなる最後の花見となるかも知れないのですだよ。

ダイゴの花見ではねーだよ。サイゴの花見だよ。

エッ、突然、意味不明のこと、言うなって、ですか。

意味はありますよ。単なるダジャレですだよ。ヒマ潰しのダジャレで御座います。

どこが、ダジャレなのか、わからねーってですか。

あたしゃー、かなりヒマを持て余してはおりますだが、このダジャレの解説をするほど、ヒマじゃー御座いませんよ。

悪しからず。自分で、調べて下さいね。

 

とにかく、今時、桜の花見をしたくて、したくてたまらない人たちが、ワンサカいらっしゃいますよ。

これは、桜の花見に限ったことでは御座いませんよ。

今の日本人は、何が何でも多くの人が大勢集まるイベントに参加するのが、大好きですから。もう、ちょっとやそっとでは、止まりませんよ。病気、しかも重症ですだよ。

これが、日本の実情ではねーかなー、と感ずる今日この頃ですだよ。

 

さて、このような現実のところに、「不要不急」の外出自粛を、都知事から、お願い致します、と言われちゃったのですが。どうしたもんだベー。

まー、せっかくのおねげーだから、土・日の二日は、とりあえず自粛してみるベーか。

と言ったあたりが、標準ではねーだろうかーね、ちゅうところでねーだべか。

 

さて、問題は、「新コロ」の感染防止のために、都知事が、何で不要不急の外出自粛を、都民におねげーしなければならないのか、ちゅーことだよ。

そんな事は、おねげーして、やって貰うべきものではねーのでは、ちゅーことさ。

 

分かり良く言えば、「新コロ」の流行で困るのは、日本的に言えば、国民一人一人、東京都的に言えば、都民一人一人、と言うことではねーの。

だから、感染防止のために、不要不急の外出自粛は、国民や都民一人一人が自覚してやらなくてはならないことなのですだよ。ここが、最も大事なところですだよ。

それを、都知事がいちいちお願いして、やってもらおうなんて言うのは、おかしいことですだよ。

だから、都が「新コロ」感染防止を積極的に行いたいと言うのならば、「不要不急」の外出自粛を都民にお願いすると言うのではなく、自粛の励行を都民に訴えれば良いのですだよ。

頼み、お願いしてやって頂くと言う性格のものではないのですだよ。

 

都民の皆さん、「新コロ」の感染防止のために、不要不急の外出を自粛するように。出歩くことをしないように。

 

と強く訴えれば良いのですだよ。

 

これは、本来、都知事がお願いしなければならない性格のものではないし、都民の方だって、お願いされたから、しぶしぶやると言う性格のものでもないのだから。

人と言うものは、往々にして、お願いされると、仕方ない、やってやるかなどと、本来自分からやらなければならないことをも、他人事に協力てやるような積りになるところがあるのではないでしょうか。

 

これでは、「新コロ」の流行を抑えることなどできませんよ。

都民個々人が自覚して、自発的に防止する行為をとるようにならなければ。あるいは、させなければ。

だから、都は、都民を自覚させるように仕向けていく必要があるけれど、お願いしながら「新コロ」の流行を防止しよう、なんてことはやり方が間違ってますだよ。

お願いするのではなく、都民に実行を訴えて、自発的に行う方向へ導かなくてはなりませんよ。自発的にするように、指導しなくてはならないのですだよ。

「新コロ」の感染を拡大するのも、抑制するのも、都民の自覚に関わるところが、大きいのですだよ。

 

言っちゃー何ですが、これに類する事柄が、何時も気に掛かっているのですだよ。

と言うのはですね、行政の仕方と言いますか、手法と言いますかか、何でも、お願いする手法をとりがちでは御座いませんか、と言うことですよ。

下手に出た方が、行政の目的とすることを達成しやすいと思っているのではないのかなー。

これは、姑息な計らいと言うものですよ。行政が、やるべきことをやるのに、分かり良く言えば、オベッカ使うことはないのですよ。やるべきことは、粛々と、きちんとやればいいのですよ。

 

「新コロ」の対策は、都民の顔色を伺って、お願いしていたりすると、目的を達成なんぞできませんぞよ。

本当は、命令して半ば強制しなければ、目的に近づくことも、できないのではないか、と思われますだよ。

現行法のもとでは、命令して、強制することが、難しい状態にあるのでしょうが、これはあくまでも、法制の仕組みであって、事と次第によっては、都民の生命に関わる場合、行政はその責任によって、その場における最上の方法を実行すべきですよ。

後の責任を意識してばかりでは、助かる命も助けることができないのは自明です。

行政の立場は、平常時は、法制どおりにやっていれば、こと済むのでしょうが、場合によっては、緊急を要する時は、ただただ法制通りでは、救える生命を救えない場合もあるわけですだよ。

行政には、そのような緊急時の適切な判断が必要とされますね。

例えば、もう堤防が破壊しかけているのに、それに気づかない近隣の住人に、避難をお願いしますでは、もう手遅れになるのですよ。

消防に頼んで、ちゃっちゃと避難させなくては、生命を救うことが、できないのですだよ。

これは、緊急事がやって来てしまってからでは、間に合いませんので、平常時から危機意識を持って、あらかじめ準備しておく必要がありますね。

要するに、緊急時の行政の心構え、覚悟が必要とされるのですよ。

どうしても、法制が必要ならば、法律を用意しておかなくてはなりませんね。

しかし、日本の行政は、転ばぬ先の杖を用意することは、まず、御座いませんね。転んだ後の、すがり付きたい杖探しをするばかりですなー。

 

東京都が、「不要不急」の外出の自粛をお願い致します、なんて言う、手ぬるい、のんびりした施策をとっているならば、「新コロ」は、ときならず、爆発的流行の事態となりかねませんなー、と心配されますのだよ。

だいたい「不要不急」なんて、生ぬるいことで、都民個々の判断に任せるような手法では、「新コロ」は防げませんよ。

「不要不急」の外出自粛なんて、おねげーしていないで、率直に、外出してはダメですと、訴え、諭さなくてはならないのですよ。

所詮、お願いでは、聞いてもらえないことが、絶えませんよ。

分かり良く、極端な例を出しますと、例え法律があっても、人殺しはダメですと、ずーっと叫ばれてきていますが、人殺しは絶えないでしょ。

例え法律があったって、守らない人はいるのですよ。

 

だから、ギリギリの瀬戸際なんです、お願いします、なんてお題目的に唱えていても、およそ埒は開かないのでは、と思いますだよ。

 

 

今が、ギリギリの瀬戸際だ、と判断しているのならば、今、思い切った施策を出さなければ、手遅れなのですだよ。

ギリギリの瀬戸際を過ぎてから、何か手をうとうとしても、最早津波は止められないだよ。

 

今すぐ、時期を切って、断固たる思い切った手法を断行しなければ、だらだらとしていては、今の事態を悪化させるばかりのように思えますだよ。この状況を、続けられるのは、たまったものでは御座いませんよ。

 

一方、都民側は、何時も行政のお客様の気分でいては、緊急の時には、自己の生命を守れない場合があることをきつく自覚する必要が御座いますね。基本的には、自己の生命は、自己で守らなくては、どうにもならない場合があるわけです。

なんでもかでも、事あるごとに、行政に負んぶに抱っこを期待しても、うまくはいきませんよ。自分のことは、自分でしなくては。これが基本ですだよ。

以前、商売をしている側の姿勢として、お客様は神様です、と言う流行語がありましたね。

都民は、ひょっとしたら、この神様側の存在と思い込んでいる人が多いのではないのでしょうか。

都は、都民を神様だなどとは全く思っていませんから。

命令調では、上から目線でと、たちまち反発されてしまう現状なので、表現としては、下からお願いします、という手法を取っているだけのことですよ。きっと。

 

こんなことをやっていたのでは、「新コロ」を退治することは、極めて難しい状況ですね。

 

問題は、国の施策ですが、これは常に後手後手手法ですから、ドロペッタに転んでドロドロになってからの、すがり付きたい杖探しですから、どうにもならないのですよ。

ところが、都知事は、北海道知事や大阪府知事とは違い、国と共に、てなコトを公言してしまいましたから、これでは、もー・・・・・ですね。

 

ところが、このような政府が良くて、国民有権者は、このような政府を形成する代議士先生を、国政選挙で選出し続けているのですから、まー、なんとも、どーも、と言う他ないのですが。

 

本当に、何とか、お願い致しますよ。

 

半惚ジジーの小言は、止まらなくなってしまうのですよ。

本日も、すっかり、お疲れ気味で、ウンザリなされた事でしょうね。

しかし、申すまでもなく、ここでの半惚ジジーの小言が、全てでは御座いません。ほんの社会の狭い一側面であることは、言うまでも御座いません。

 

現代人の好きなもっともっと面白い、楽しい側面もいっぱいあることでしょう。

 

本日は、これで止めにします。

 

最後に、なお、しつこく、

 

本当に、何とか、お願い致しますよ。

 

懲りず、またのお越しを

 

お願い致します。

 

お後がよろしいようで。

《停念堂閑記》127

《停念堂閑記》127

 

「日比憐休独偏記」36

 

「不要不急」

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、間抜けな話です。いくぶん具体的に申しますと、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない、間抜けな話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

打倒、閑、暇、ひま、ヒマーッ!

A A O  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

 早い話が、いつもの半ボケジジーのボヤキですよー。

 

  

さて、間抜けな話の開始です。今日は、「不要不急」と言う事をネタにして、暫しの間、ヒマ潰しをしようと言う魂胆ですわ。

 

さて、昨年暮れからずーっと世の話題のトップに君臨しているのが、言わずと知れた新型コロナウイルスのことですね。得体の知れない菌との戦いは、今や世界的となり、ニッチモサッチモ行かない、事態となってしまいましたね。

最早、世界各国、各地域で、ひたすら、予防薬と治療薬の1日も早い出現を待つ状況と言って良いでしょうね。

とにかく、全く終点が見えていない現状ですから、新薬の出現による終息を待つ以外にどうしようにも、どうにもできない、最悪の事態に陥ってしまいましたね。

 

日本では、政府、行政の対策は、後手後手になりながらも、色々と手を打って、なんとかしようと苦慮している状況ですね。

しかし、東京での爆発的流行が、間近に見え出して、目下この対策に懸命ですね。

東京は、とにかく、何についても、極めて複雑な大都会ですから、打つ手が大変困難な状況と言うより御座いませんな。

特に、2020東京オリバラを間近に控えていましたので、これとの絡みで、新型コロナウイルス対策が、大きく遅れをとってしまった感は歪めませんな。

ようやく、オリバラが1年程延期と言うところに落ち着いたので、漸く新型コロナ対策が活発な様相がみられる様になりましたね。

日本政府、東京都、東京2020オリパラ組織委員会などのオリパラピックと新型コロナウイルスに対する基本的な姿勢に曖昧なところがあって、対策がイマイチもたついていた感が拭い去れませんね。

分かり易く言えば、新型コロナウイルス対策に関わる人命救助と2020東京オリパラピックの開催に関わる問題の解決を天秤に載っけて、さあどうする、と言う事態で、取るべき判断が、人命救助最優先に踏み切れなかった、と言う事ですね。

これが、オリパラが1年程延期と言う結論を得て後、漸く人命救助が、本格的に始動しはじめた感が御座いますな。

都知事からの「不要不急」の外出自粛の要請が、しきりとなってますね。

また、安倍総理の会見では、新型コロナウイルス対策は、長期戦とする見通しが明らかにされましたね。

すなわち、これは「不要不急」外出自粛の要請作戦を、だらだら長々とやる、と言う事ですなー。

一国民としては、こりゃー、参ったね。の一言ですね。

出口、終点を設定しない、ダラダラの「不要不急」外出自粛要請の展開声明は、こりゃー、参りましたよ。

言うまでもなく、「不要不急」の外出自粛を以って、これからの日常とせよ、と言う事でしょうから、今の日本国民にとって、この状況の維持が可能でしようかね。

会社に出かけての仕事はどうなる?   

子供の学校はどうなる? 

 幼児の保育所に預けるのはどうなる? 

 病人の入院・通院はどうなる?  

年寄の介護はどうなる? 

旅行はどうなる?  

会合はどうなる? 

等々、皆んな日々「不要不急」外出自粛の連日と言う ことになるのですか?

半ボケジジーの直感では、この長期作戦は、善悪の評価は別として、現実的には、長くは持たないのではないかなー、と感じたのですが。

皆さんはどう感じましたか。

エッ、何にも感じなかった? 

 それはそれでヤバイのではないのかなー?

 

そもそも、新型コロナウイルスの感染拡大防止のための「不要不急」の外出自粛の要請は、要請であって、強制、命令ではないのですよ。

要するに、自粛をお願いします。と言う事なのですから、何が何でも従わなければならない性格のものでは御座いませんね。

根本的には、ここが最も難しいところなのですね。

精々23日なら我慢しよう、となるかも知れませんが、安倍総理のおっしゃる「長期」と言うのが、どれほどの期間を想定しているのかは、全く伝わってきませんが、終息を前提としている場合は、何年か先と言うことに他なりませんね。

とすれば、その間ズーッと「不要不急」の外出自粛と言う事でしょうか。気が遠くなってしまいますね。

これでは、誰も守らなくなってしまいますよ。

と言うことは、ウイルスの拡散が止まらない、と言うことですよ。

よしんば、守っって「不要不急」の外出を自粛して、家に閉じこもっていたとすると、どうなります?

例えば、経済事情は、極度に、極度に、落ち込んできますよね。

たとえば、10万円の支給を受けて、何日もちます。

終息する迄だとするのならば、それまで10万円を支給し続けてくれるのですか?  まさかね。

おそらく、「不要不急」の外出自粛などと言うことは、長期にわたって可能な政策では御座いませんね。

最初から、無理ですよ。

だいたい、今の日本人は、人が大勢集まるイベントに、参加することが、断然、大好きなのですから。長期にわたるその自粛なんて言うことは、無理、無理の無理ですよ。

さらに、このような自粛の要請は、結局のところ、国民個人に対する要請ですね。

だから、分かり良く言ってしまえば、「不要不急」の内容は、個人の判断に任されているわけです。

この個人の判断は、当然のこととして、個々人により別々です。

例えば、長屋の熊さんは、桜の花見が大好きで、例年何があろうと、桜見物最優先で過ごしてきた経緯が御座います。これが、熊さんも年をとって、来年の桜まで持つか、となると、今年の桜が最後か、てなことになりますと、これは、桜見物に、行かないわけには参らないのですよ。

これに類する事情は、至る所、至る事で発生します。

だから「「不要不急」の外出自粛なんと言うことは、最初から限界があると思われます。

政府が、自粛を要請すれば、国民がすぐに、いつまでもそれに従うと思っているのであれば、それは、相当なノーテンキと言われても仕方ございませんね。

国民は、すぐに飽きてしまいますよ。1回外出して、特に問題が発生しなければ、すぐに、また、外出するようになりますよ。間違い御座いませんね。

そして、そもそも、要請という仕組みは、国、地方行政体が要請するというもので、その成果はこの要請を受けた個々人が、どうしたかによりますね。

と言うことは、国、地方行政体は要請するだけで、その結果は要請を受けた個人の責任ということなのです。

すなわち、この要請に対する結果の責任は、国、地方行政体にはないのです。これの要請を受けた個々人がその結果の責任を問われる、と言うことなのですね。国、地方行政体にとって、都合の良いやり方なのですよ。言ってしまえば、ちょっと、ずるくは御座いませんか、と言いたくなったりするのですよ。

 

そして、よもや「不要不急」の外出自粛要請だけで、新型コロナウイルスの拡散が防止できるとは、お思いでは御座いませんでしょうね、と言いたいのですよ。

今となっては、東京都の場合は、多分手の施しようがないのでしょうね。

東京を封鎖し、新型コロナウイルスの出入りをシャットアウト出来るとは、なかなか想像ができませんね。

 

すでに、誰が保菌者で誰が非保菌者か区別がつかない状態でしょうからね。自分が保菌者で、他人にうつす可能性があるのかどうかも分からないのですから。

この状態では、感染の拡大は止まりませんよね。結局、終息は見えず、いつまで続くのか分からない状況が続くのですよね。

新薬が出来て、終息に向かえば、そんな良いことは御座いませんね。今は、それを願うばかりですね。

それまでは、出口の見えない、何とも暗い状況が続くのでしょうか。

だとすると、情勢としては、最悪の場合は、都民の大半の人が、もはや保菌者であり、非保菌者との区別がつかない状況が、平常という事態になるのでしょうか。

このようになってしまえば、「不要不急」の外出自粛なんて、意味がなくなってしますますね。

早い話が、日常生活を普通にやるほか御座いませんね。

だとすれば、あとは、重症者をいかに救出するかにかかってきますね。これに全力で取り組むより御座いませんね。

十分な入院設備を整えること、十分な医師、看護師など医療スタッフを確保することが、最大の問題ですね。

政府は、こんなストーリを描けているでしょうか。

最悪は、このようになると予測されますからね。

すなわち、新型コロナウイルスも風邪のような存在で、重症化すれば、入院して治療を受ける、と言うことが、平時の出来事となるのでしょうね。

 

とにかく、今は、特効薬の出現に期待するより御座いませんね。

 

と言うことで、本日の半ボケジジーの間抜けなボヤキは、これで止めることにします。

 

相も変わらぬ間抜けな馬鹿馬鹿しい話で、申し訳ございません。が、幾分のヒマ潰しにはなったでしょうか。

 

それでは、どうもお疲れ様で御座いました。

どうぞ、またのお越しをお待ち申しあげます。

 

お後がよろしいようで。

《停念堂閑記》126

《停念堂閑記》126

 

「日比憐休独偏記」35

 

「到来! 我慢の時代 ?

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、間抜けな話です。いくぶん具体的に申しますと、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない、間抜けな話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

打倒、閑、暇、ひま、ヒマーッ!

A A O  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

 早い話が、いつもの半ボケジジーのボヤキですよー。

 

  

さて、間抜けな話の開始です。今日は、「到来! 我慢の時代 ?」と言う事をネタにして、暫しの間、ヒマ潰しをしようと言う魂胆ですわ。

 

今や世界的な問題と化した新型コロナウイルスの流行は、得体の知れない菌との戦いで、ニッチモサッチモ行かない、事態となっていますね。

世界各国、各地域では、それぞれのやれる範囲で、精一杯流行を食い止める対策に懸命ですね。

また、患者さんの救命に懸命ですが、なかなか流行を止める事態とはならない現実ですね。

ひたすら、予防薬と治療薬の1日も早い出現を待つ状況でしょうか。

とにかく、影響が大きすぎて、どうなるのか、近未来が見えなくなっている状況で、人々は、不安と不満に悩まされている状況ですね。

なんと言っても、終点が全く見えていない現状ですから、どうしようにも、どうにもできない、最悪の事態に陥ってしまいましたね。

 

日本では、この新型コロナウイルスの流行によって、色々各方面に思わしく無い事態が既に発生したり、発生する予測がしきりですね。

その一つに、2020東京オリパラピックの開催に関わる問題が、色々と取りざたされていますね。

新型コロナウイルス対策だけで、目一杯と言うところに、オリパラピック問題が重なって、もー、重篤ですね。どの様に切り抜けるのか、半ボケジジーには、とんと見当すらつき兼ねますなー。

 

コロナウイルスにつては、第一の課題は、国民の生命を新型コロナウイルスからどう守るか、と言うことですね。

対策は、感染者をいち早く見出し、治療の必要な場合は、入院させて、現在出来うる治療をする、という他は無いのでしょうね。

このためには、まずは、検疫を徹底することでしょうね。これで、感染者を把握する事が、治療への第一歩ですからね。

しかし、ここに、異論が入りますね。

すなわち、(a)検疫の態勢が整っていない。希望者が全て検疫できる態勢が整っていない。検疫器具が足りない。検疫に関わる人員が足りない。

あるいは、検疫は症状の出ている人だけやればよく、疑わしいと言う様な人には、やる必要がない。

そして、(b)行政的判断がこれに加わっている。すなわち、検疫を広範囲に広めれば、患者数が増加する。また、要治療者数も増加する。そうすると、入院させる設備が不足する。治療にあたる医師が不足する。これが進むと、医療崩壊の事態となる。

この事態を防ぐには、検疫を適度に抑える必要がある。

と言う様な事情があって、現時点では、検疫が抑えられている状況の様に見えますね。

と言う事で、最も基本的な感染者の把握が、適切に行われていないのが、現状ですね。

 

しかし、建前的には、(1)感染者を的確に把握する。(2)要治療者は入院させて、治療する。これ以外に、国民の生命を守る適切な方法はないのですよ。

だから、(a)については、検疫器具、検疫員を増加させる事が、まず、行われなくてはなりませんね。

(b)については、診察の場所、入院させる設備、診療にあたる医師・看護師等を増加させるより適切な方法は御座いませんね。

だから、行政は、この方向に最大限の努力をしなくてはならないと思いますね。

これが、行政の本筋の様に、半ボケジジーは、思うのですが、行政のは違いますね。

医療の現場に混乱を生じさせては、医療崩壊につながるとして、医療の現状況、すなわち、現在において、確保された病床数に見合わせた検疫しか行わない方向の施策をとっている様に見えますね。

病床数の増加に向けた施策をとるべきの様に思われるのですが。どうでしょうか。

まー、分かり良く言えば、病院での混乱を心配して、患者さんの来院を制限している、と言う様に見えるのですよ。

これは、医療の本筋では、御座いませんね。

行政は、より多数の検疫を実施し、感染者の実態を把握し、より多数の病床、より多数の医師・看護師等の医療スタッフの確保に向かって、全力を投入してほしい、と思うのですよ。医療の設備に合わせた検疫しかしない、と言うのではなくてね。

 

特に、今となっては、より多数の検疫を実施し、感染者の実態を把握することを徹底して欲しいと思うのですよ。国民の生命を守ると言う最も基本的な目的を達成させるたるには、感染者の実態を把握する事が、欠くべからざることと思うのですよ。

現在、最も心配されることは、検疫がキチンと行われていないために、自分が感染者なのか非感染者なのかさえ、分からないのですよ。

感染者でありながら自覚できていない場合は、通常、健常者として振る舞いますから、これによる感染の拡大が止められないのですよ。だから、感染者が自分は保菌者であり、他者を感染させる存在なのだ、と言う自覚をキチンとしてもらわないと、感染の拡大は止まりませんよね。

ここが、感染拡大抑制のスタート点ですよ。これを徹底しない限り、感染を止めることはできない、と思うのですよ。

しかし、政府、行政は、これをやろうとはしませんね。これをやらない限り、ダラダラと何時迄も、感染は続く可能性が高いですよね。ポイントとなるケジメを的確にしないと、終息は見えませんよね。

この度の新型コロナウイルスの対策に限らず、森友学園問題にしても、加計学園問題にしても、桜を見る会の問題にしても、総理、政府のやり方は、ポイントとなる点を解決せず、ただただ、あれこれ訳の分からないことをして、あやふやの内に幕引きとする手法ばかり重ねてきているわけでですよ。

しかし、新型コロナウイルスの問題は、国民の生命に直結している問題ですので、やってもらわなければならないことは、徹底的にやってもらわなくてはならないのですよ。手抜きは許されませんよね。

 

とにかく、政府は、検疫の実施を徹底させ、感染者を的確に把握し、診察、入院、治療に向けての態勢を確保することに、全力を尽くすべきです。

 

これまでの様な中途半端な誤魔化しでは、国民の生命を守ることはできませんよ。
オリパラピックだって、例え1年程延期したとて、今の様な状態では、開催できる保障は何もございませんよ。来年の今頃までに、新型コロナウイルスの流行がおさまり、世界各国のアスリート達が、皆体調が整い、また、世界中の人たちが皆健康になって、東京へオリパラを観に来れる状況を想像できますか???

例えば、来年の今頃迄に、その状況が整ってない場合、今の事態と変わり御座いませんよ。とすると、来年の夏の開催だってできる見込みは御座いませんよ。

某テレビ番組の聞き齧りでは、ワクチンだって、完成まで、1年半は必要とか。今年の1月を起点とした場合でも、ワクチンの完成は、来年の6月を待たなくてはならない計算となりますよ。それが、世界各国で使用可能になるには、各国の事情に応じた時間が必要とされますから、ワクチンが行き渡るのは、何時になるのでしょうね。

ワクチンだけではダメですね。治療薬の開発だって、何時のことになるのでしょうか。トウシロウのお粗末な推測では、目下、マウスを実験台に、新薬の開発中でしょうか。これが、うまいこと特効薬が見つかって、人体実験を経て、人々の治療に使われる様になるまで、1年ほど待てば可能なのでしょうか ?

目下のところ、朗報は私の様なトウシロウのところには、全く伝わってはきませんなー。

この様な状態では、来年のオリパラピックの開催だって、何の保証もありませんよね。

夏の高校野球大会だって、プロ野球だって、Jリーグのサッカーだって、その他諸々、まともな形で、安倍総理の好きな表現を借りれば、完全な形でやれる日は、何時のことか、全く見当がつきませんよ。

すでに、国民は、ただただ、自然終息を待たなくてはならないのでしょうか。まさに、「我慢の時代」到来と言うことですね。

もうかなりの手遅れでしょうが、丁寧な検疫を実施して、感染者の実態を把握し、速やかに適切な治療を実施できる態勢を、1日も早く手当てして貰いたいものですね。

 

次に、新型コロナウイルスの大流行による経済の落ち込みが恐ろしい状況を見せ始めていますね。

半ボケジジーの脳みそでは、この先の見当がトント立ちませんね。

兎に角、現在、生産の部門が止まり気味である。伴って、運輸の部門が止まってしまう。伴って、販売の部門も不振に陥ってしまう。結局、国民の収入の減退、そして、生活苦が否応なしに訪れる、見通しを回避できない状況になってきましたね。

こう言った経済活動全般の不振につながる心配が、本格的に現実化の一途を辿り始めていますね。

これは、間違いなく「 我慢の時代 」の到来と言うことでしょうね。

例えば、

会社の経営が不振に陥る。

社員の給与が減額される。

生活が苦しくなる。

最悪の場合は、倒産する。

職を失うことになる。

収入がなくなる。

たちまち、生活ができなくなる。
国による援助も期待できなくなってくる。

結局は、国民の「我慢の時代」がやって来る、と言う道筋が、明白になって来た気がするのですよ。

 

加えて、国民の大多数は、我慢することに、全く慣れていない。我慢は、ひたすら苦痛以外の何物でもない、国民の大多数は、その様な人達だと思われます。

結局、国民の多くは、どうすべきかを判断できない状態に陥ってしまうのではないか。

と言う悲観的な見方が、どうしても、支配的になってしまうのですよ。

 

すなわち、経済状態は極めて悪化する可能性が高いですよね。

とういことは、国民は、否応なしに、日常生活にも、不便が発生することになるわけですね。結果、何かにつけて、我慢を強いられる事態となりますね。

この事態に、国民は、耐えられますか、と言う事ですね。

ここが、最大の問題ですね。

不肖の独偏(独断と偏見)ですが、結論的な事を言ってしまえば、今の人は、我慢が大嫌いですよね。

それは、独偏では、現在に直結している近過去における教育の結果であろうと、勝手に思っているのですよ。

すなわち、私どもが経験した極度の我慢は、先の大戦後、1950年代になり経済が上向きになるまでの期間でしたね。

兎に角、望み起こらば、まずは我慢の時代でしたな。我慢すれば、エライと褒められた、我慢は美徳の時代でしたな。

この時期に育った、大雑把に言って、現在70歳より上の方々は、概ね「我慢の時代」を経験していますので、我慢の仕方も知ってはいるのですよ。

しかし、近年の贅沢にすっかり慣れてしまって、我慢の頑張りが効くかどうかは、幾分疑わしくなってますがね・・・・。

 

戦後の国民のひたすらの努力により、1950年代に入り、「神武景気」(195412月から19576月)を経て、さらに「岩戸景気」(19587月から196112月)を迎え、消費は美徳などと、我慢とは程遠い、浮かれた好景気に見舞われましたな。

この時期に生まれた方々は、概ね現在60歳代ですね。

まー、景気の良い時代にお生まれになられて、日常生活で、それ以前の様に、我慢が第一と言う状況ではなくなっていたのですね。

すでに、我慢は、美徳の時代では無くなっていた訳で、何かにつけて、自由が最優先と言う時代になっていたのですね。

だから、社会の傾向としては、我慢せずに、自分のしたいことに向かって、伸び伸びと活動する、と言う方向になっていたのですね。

と言うことは、今60歳代のお方々は、決して全部とは申しませんが、どちらかと言うと、我慢が苦手と言う傾向がお強いと思われるのですよ。半ボケジジーの独偏としてはですね。

 

そして、この様な時代には、教育観も随分変化を遂げ、我慢を教えることは、すっかり姿を消し、もっぱら、子供には、したい事をさせ、制約を加えず、自由に伸び伸びとやらせ、その才能を伸ばす、と言う方向へ、大きく進展して行きましたね。

この様な方々のお子さんが、概ね多くは現在30歳代以下と言う年齢でしょうか。

ですから、もーすっかり我慢からは脱出して、中には、自分のしたい放題へと歩んでする方々が、随分多くなっているのでは、と思われますね。

と言うことは、現在社会の中心で活動しておられる方々は、我慢から遠い存在の方々かと想像されるのですね。

ですから、この様な方々は、我慢がまー大嫌いと言う傾向が強いのでは、と半ボケジジーは想像するのですよ。

だから、いくら都知事が連日、不要不急の場合を除いて、出歩かず家にいて下さいと言ってみても、一向に出歩く人は減少しませんね。

家に、じっとしていることなんて、我慢できないのですよ。

兎に角、いまの人たちは、人の大勢集まるイベントが大好きですから、桜の花見なども大好きで、それへの参加の自粛なんか、苦痛で、苦痛で仕方ないのですよ。

我慢と言う育てられ方、教育を受けてませんから、急に我慢を強いられても受け入れることが、基本的に無理なのですよ。

 

これから、新型コロナウイルスの流行は、予防薬、治療薬が開発されて、広く各地に供給されて、その効果が現れるまで、現状の様なだらだらとした我慢の状態が継続するよりないのでしょうね。

結局、経済が大きく落ち込み、社会生活は、我慢を強いられる事態となりそうですね。落ち込みますなー。

すなわち、「 我慢の時代」が否応なしに到来しますなー。

ところが、ほとんどの日本人は、我慢なんて大嫌いな、苦手な人々なのですよ。

耐えるよりないのですが、どうなって、しまうのですかね。相当やばいよ!

 

と半ボケジジーは、取り越し苦労?をしているのですよ。

と言うことで、半ボケジジーの小言、愚痴は終わりがありませんので、ここらで、本日のボヤキを止めにいたします。どうも、毎度、お粗末様でした。

お疲れ様でした。また、どうぞ。

 

お後がよろしい様で。