《停念堂閑記》128

《停念堂閑記》128

 

「停念堂寄席」75

 

「お願い致します!」

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、間抜けな話です。いくぶん具体的に申しますと、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない、間抜けな話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

打倒、閑、暇、ひま、ヒマーッ!

A A O  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

 早い話が、いつもの半惚ジジーのボヤキですだよー。

 

  

さて、間抜けな話の開始です。今日は、「お願い致します!」と言う事をネタにして、暫しの間、ヒマ潰しをしようと言う魂胆ですわ。

 

日常、お願いしたり、お願いされたりと言う事は、しばしば御座いますなー。

まー、日常茶飯事ですなー。

特に、家族や親しい知合いの間では、頼みごと、頼まれごとは、頻繁に生じますなー。

ごく当たり前の事で、取り上げるに値しない事ですよ。

ところが、つい先日、都知事が都民に向けて、「お願い致します。」とやったのですよ。選挙運動ではなくてですよ。

 

あのー、私ごとで甚だ恐縮で御座いますが、私は、申す迄もなく、都知事と家族では御座いませんし、親戚筋でも御座いません。また、親しい知人の関係でも御座いません。一度も面会した事はなく、会話を交わしたことなど全く御座いませんよ。

私は、都知事さんの顔は存じ上げておりますが、知事さんの方は、小生の存在など、サラサラご存知御座いませんよ。

だから、当然、何かを、お願いされたりすることは、まー、起こり得ない状況ですよ。

 

都知事との関係はと言いますと、私は一応都民ですので、都知事と都民と言う関係が発生してますなー。これ以外の関係は、一切御座いませんよ。

この関係を頼りになされたのでしょうか。

都知事から「お願い致します」とやられちゃったのですだよ。ただし、テレビを通してですがね。お願いされたのは、私だけでは御座いませんよ。都民全体です。当たり前です。

ただし、弱ったねー。どうも。いきなり、お願いされちゃって。

 

何かと言いますと、もうお察しがついていますよね。

「不要不急」の外出を自粛するように、お願いされちゃったのですよ。新型コロナウイルスの感染を防止するためにですだよ。

 

こんなお願いをされてしまったら、どうすれば良いのでしょう。

要するに、無闇に、出歩くな、ちゅー、おねげーだよ。

お言葉ですが、私ゃー、出歩くことはメッタに御座いませんよ。だから、おねげーされる謂れは、元よりさらさら御座いませんよ。私に、そんな事願っても、なんの意味も御座いませんから。キッパリ、断言!

 

とにかく、毎日、家に引き篭もってますだよ。まー、自分で言うのはなんですが、引き篭もりのプロですだよ。

引き篭もって、何してるんだ ? って、ですか。

決まってるでは御座いませんか。PCのキーを叩いているのですだよ。蛇足ながら、PCが肩を凝らしているから、その解消のために叩いてあげているのでは御座いませんよ。肩凝りで、叩いて欲しいのは、こっちの方ですから。引き篭もって、毎日毎日、「停念堂閑記」を書いているのですよ。これで、結構、根気が必要なのですだよ。まー、頼まれてしている訳ではありませんが、他に、適当なヒマ潰しがないもので。芸がないねー。トホホホホー。

 

さて、お願いされてもですよ。何が「不要」で、何が「不急」なのかが、ハッキリとしねーだよ。

他人にとっては、「不要不急」かもしれねーだが、私にとっては、「有要緊急」かもしれねーだよ。誰が、これを決めるだよ。いちいち、都庁へ伺いを立てるのケー。こう言うのを、世に屁理屈と申します。

 

要するに、これは、都知事から都民へ発せられた要請ですから、指令でも、命令でもなく、まー、お願いと言うようなこと、となるだよな。

となると、「不要不急」は、要請された都民、各個々の判断を待つよりない、と言うことになるだよ。

そうすると、桜の花見はどーなる?  桜の花見、まさに今がその時で、これを逃すと、来年まで1年間も待たなくてはならないのですだよ。

 

ところで、以下には、新型コロナウイルスを「新コロ」と略称することにします。半ボケジジーの我儘です。PCのキーを叩くのに、間違えてばかりいる実情です。それで、少しでも叩く数が少ない方が楽なのですよ。と言う次第で、甚だ横着で申し訳御座いませんが、どうぞご了解下さいませ。

「新コロ」は、新型コロナウイルスの省略形です。

 

しかも、来年の今頃、まだ、「新コロ」が蔓延っていて、またまた、「不要不急」の外出の自粛をお願いされちゃうかも知れないのですだよ。

そんなことになったら、桜の花見は、再来年を待たなければならなくなっちゃうのですだよ。

私ゃー、何を隠そう、れっきとした後期高齢者の認定を受けている存在ですだよ。

まー、そのザクッバランに言っちゃえば、何時、お迎えが来ても、拒絶できない年頃にあるのですだよ。

このような事情にあるだが、再来年まで、誰がお迎えを拒絶してくれるのですかい。

都知事さん、貴方が矢面に立って、お迎えを拒絶してくれると言うのですかえ。聞く耳持たねーでやんしょ。

何の保証も、御座いませんだよ。

ここにおいて、桜の花見は「不要不急」の存在ですかっちゅーの。蛇足ながら、屁理屈の続きであります。

ひょっとして、こっちとらー、人生の締めくくりとなる最後の花見となるかも知れないのですだよ。

ダイゴの花見ではねーだよ。サイゴの花見だよ。

エッ、突然、意味不明のこと、言うなって、ですか。

意味はありますよ。単なるダジャレですだよ。ヒマ潰しのダジャレで御座います。

どこが、ダジャレなのか、わからねーってですか。

あたしゃー、かなりヒマを持て余してはおりますだが、このダジャレの解説をするほど、ヒマじゃー御座いませんよ。

悪しからず。自分で、調べて下さいね。

 

とにかく、今時、桜の花見をしたくて、したくてたまらない人たちが、ワンサカいらっしゃいますよ。

これは、桜の花見に限ったことでは御座いませんよ。

今の日本人は、何が何でも多くの人が大勢集まるイベントに参加するのが、大好きですから。もう、ちょっとやそっとでは、止まりませんよ。病気、しかも重症ですだよ。

これが、日本の実情ではねーかなー、と感ずる今日この頃ですだよ。

 

さて、このような現実のところに、「不要不急」の外出自粛を、都知事から、お願い致します、と言われちゃったのですが。どうしたもんだベー。

まー、せっかくのおねげーだから、土・日の二日は、とりあえず自粛してみるベーか。

と言ったあたりが、標準ではねーだろうかーね、ちゅうところでねーだべか。

 

さて、問題は、「新コロ」の感染防止のために、都知事が、何で不要不急の外出自粛を、都民におねげーしなければならないのか、ちゅーことだよ。

そんな事は、おねげーして、やって貰うべきものではねーのでは、ちゅーことさ。

 

分かり良く言えば、「新コロ」の流行で困るのは、日本的に言えば、国民一人一人、東京都的に言えば、都民一人一人、と言うことではねーの。

だから、感染防止のために、不要不急の外出自粛は、国民や都民一人一人が自覚してやらなくてはならないことなのですだよ。ここが、最も大事なところですだよ。

それを、都知事がいちいちお願いして、やってもらおうなんて言うのは、おかしいことですだよ。

だから、都が「新コロ」感染防止を積極的に行いたいと言うのならば、「不要不急」の外出自粛を都民にお願いすると言うのではなく、自粛の励行を都民に訴えれば良いのですだよ。

頼み、お願いしてやって頂くと言う性格のものではないのですだよ。

 

都民の皆さん、「新コロ」の感染防止のために、不要不急の外出を自粛するように。出歩くことをしないように。

 

と強く訴えれば良いのですだよ。

 

これは、本来、都知事がお願いしなければならない性格のものではないし、都民の方だって、お願いされたから、しぶしぶやると言う性格のものでもないのだから。

人と言うものは、往々にして、お願いされると、仕方ない、やってやるかなどと、本来自分からやらなければならないことをも、他人事に協力てやるような積りになるところがあるのではないでしょうか。

 

これでは、「新コロ」の流行を抑えることなどできませんよ。

都民個々人が自覚して、自発的に防止する行為をとるようにならなければ。あるいは、させなければ。

だから、都は、都民を自覚させるように仕向けていく必要があるけれど、お願いしながら「新コロ」の流行を防止しよう、なんてことはやり方が間違ってますだよ。

お願いするのではなく、都民に実行を訴えて、自発的に行う方向へ導かなくてはなりませんよ。自発的にするように、指導しなくてはならないのですだよ。

「新コロ」の感染を拡大するのも、抑制するのも、都民の自覚に関わるところが、大きいのですだよ。

 

言っちゃー何ですが、これに類する事柄が、何時も気に掛かっているのですだよ。

と言うのはですね、行政の仕方と言いますか、手法と言いますかか、何でも、お願いする手法をとりがちでは御座いませんか、と言うことですよ。

下手に出た方が、行政の目的とすることを達成しやすいと思っているのではないのかなー。

これは、姑息な計らいと言うものですよ。行政が、やるべきことをやるのに、分かり良く言えば、オベッカ使うことはないのですよ。やるべきことは、粛々と、きちんとやればいいのですよ。

 

「新コロ」の対策は、都民の顔色を伺って、お願いしていたりすると、目的を達成なんぞできませんぞよ。

本当は、命令して半ば強制しなければ、目的に近づくことも、できないのではないか、と思われますだよ。

現行法のもとでは、命令して、強制することが、難しい状態にあるのでしょうが、これはあくまでも、法制の仕組みであって、事と次第によっては、都民の生命に関わる場合、行政はその責任によって、その場における最上の方法を実行すべきですよ。

後の責任を意識してばかりでは、助かる命も助けることができないのは自明です。

行政の立場は、平常時は、法制どおりにやっていれば、こと済むのでしょうが、場合によっては、緊急を要する時は、ただただ法制通りでは、救える生命を救えない場合もあるわけですだよ。

行政には、そのような緊急時の適切な判断が必要とされますね。

例えば、もう堤防が破壊しかけているのに、それに気づかない近隣の住人に、避難をお願いしますでは、もう手遅れになるのですよ。

消防に頼んで、ちゃっちゃと避難させなくては、生命を救うことが、できないのですだよ。

これは、緊急事がやって来てしまってからでは、間に合いませんので、平常時から危機意識を持って、あらかじめ準備しておく必要がありますね。

要するに、緊急時の行政の心構え、覚悟が必要とされるのですよ。

どうしても、法制が必要ならば、法律を用意しておかなくてはなりませんね。

しかし、日本の行政は、転ばぬ先の杖を用意することは、まず、御座いませんね。転んだ後の、すがり付きたい杖探しをするばかりですなー。

 

東京都が、「不要不急」の外出の自粛をお願い致します、なんて言う、手ぬるい、のんびりした施策をとっているならば、「新コロ」は、ときならず、爆発的流行の事態となりかねませんなー、と心配されますのだよ。

だいたい「不要不急」なんて、生ぬるいことで、都民個々の判断に任せるような手法では、「新コロ」は防げませんよ。

「不要不急」の外出自粛なんて、おねげーしていないで、率直に、外出してはダメですと、訴え、諭さなくてはならないのですよ。

所詮、お願いでは、聞いてもらえないことが、絶えませんよ。

分かり良く、極端な例を出しますと、例え法律があっても、人殺しはダメですと、ずーっと叫ばれてきていますが、人殺しは絶えないでしょ。

例え法律があったって、守らない人はいるのですよ。

 

だから、ギリギリの瀬戸際なんです、お願いします、なんてお題目的に唱えていても、およそ埒は開かないのでは、と思いますだよ。

 

 

今が、ギリギリの瀬戸際だ、と判断しているのならば、今、思い切った施策を出さなければ、手遅れなのですだよ。

ギリギリの瀬戸際を過ぎてから、何か手をうとうとしても、最早津波は止められないだよ。

 

今すぐ、時期を切って、断固たる思い切った手法を断行しなければ、だらだらとしていては、今の事態を悪化させるばかりのように思えますだよ。この状況を、続けられるのは、たまったものでは御座いませんよ。

 

一方、都民側は、何時も行政のお客様の気分でいては、緊急の時には、自己の生命を守れない場合があることをきつく自覚する必要が御座いますね。基本的には、自己の生命は、自己で守らなくては、どうにもならない場合があるわけです。

なんでもかでも、事あるごとに、行政に負んぶに抱っこを期待しても、うまくはいきませんよ。自分のことは、自分でしなくては。これが基本ですだよ。

以前、商売をしている側の姿勢として、お客様は神様です、と言う流行語がありましたね。

都民は、ひょっとしたら、この神様側の存在と思い込んでいる人が多いのではないのでしょうか。

都は、都民を神様だなどとは全く思っていませんから。

命令調では、上から目線でと、たちまち反発されてしまう現状なので、表現としては、下からお願いします、という手法を取っているだけのことですよ。きっと。

 

こんなことをやっていたのでは、「新コロ」を退治することは、極めて難しい状況ですね。

 

問題は、国の施策ですが、これは常に後手後手手法ですから、ドロペッタに転んでドロドロになってからの、すがり付きたい杖探しですから、どうにもならないのですよ。

ところが、都知事は、北海道知事や大阪府知事とは違い、国と共に、てなコトを公言してしまいましたから、これでは、もー・・・・・ですね。

 

ところが、このような政府が良くて、国民有権者は、このような政府を形成する代議士先生を、国政選挙で選出し続けているのですから、まー、なんとも、どーも、と言う他ないのですが。

 

本当に、何とか、お願い致しますよ。

 

半惚ジジーの小言は、止まらなくなってしまうのですよ。

本日も、すっかり、お疲れ気味で、ウンザリなされた事でしょうね。

しかし、申すまでもなく、ここでの半惚ジジーの小言が、全てでは御座いません。ほんの社会の狭い一側面であることは、言うまでも御座いません。

 

現代人の好きなもっともっと面白い、楽しい側面もいっぱいあることでしょう。

 

本日は、これで止めにします。

 

最後に、なお、しつこく、

 

本当に、何とか、お願い致しますよ。

 

懲りず、またのお越しを

 

お願い致します。

 

お後がよろしいようで。