《停念堂閑記》126

《停念堂閑記》126

 

「日比憐休独偏記」35

 

「到来! 我慢の時代 ?

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、間抜けな話です。いくぶん具体的に申しますと、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない、間抜けな話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

打倒、閑、暇、ひま、ヒマーッ!

A A O  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

 早い話が、いつもの半ボケジジーのボヤキですよー。

 

  

さて、間抜けな話の開始です。今日は、「到来! 我慢の時代 ?」と言う事をネタにして、暫しの間、ヒマ潰しをしようと言う魂胆ですわ。

 

今や世界的な問題と化した新型コロナウイルスの流行は、得体の知れない菌との戦いで、ニッチモサッチモ行かない、事態となっていますね。

世界各国、各地域では、それぞれのやれる範囲で、精一杯流行を食い止める対策に懸命ですね。

また、患者さんの救命に懸命ですが、なかなか流行を止める事態とはならない現実ですね。

ひたすら、予防薬と治療薬の1日も早い出現を待つ状況でしょうか。

とにかく、影響が大きすぎて、どうなるのか、近未来が見えなくなっている状況で、人々は、不安と不満に悩まされている状況ですね。

なんと言っても、終点が全く見えていない現状ですから、どうしようにも、どうにもできない、最悪の事態に陥ってしまいましたね。

 

日本では、この新型コロナウイルスの流行によって、色々各方面に思わしく無い事態が既に発生したり、発生する予測がしきりですね。

その一つに、2020東京オリパラピックの開催に関わる問題が、色々と取りざたされていますね。

新型コロナウイルス対策だけで、目一杯と言うところに、オリパラピック問題が重なって、もー、重篤ですね。どの様に切り抜けるのか、半ボケジジーには、とんと見当すらつき兼ねますなー。

 

コロナウイルスにつては、第一の課題は、国民の生命を新型コロナウイルスからどう守るか、と言うことですね。

対策は、感染者をいち早く見出し、治療の必要な場合は、入院させて、現在出来うる治療をする、という他は無いのでしょうね。

このためには、まずは、検疫を徹底することでしょうね。これで、感染者を把握する事が、治療への第一歩ですからね。

しかし、ここに、異論が入りますね。

すなわち、(a)検疫の態勢が整っていない。希望者が全て検疫できる態勢が整っていない。検疫器具が足りない。検疫に関わる人員が足りない。

あるいは、検疫は症状の出ている人だけやればよく、疑わしいと言う様な人には、やる必要がない。

そして、(b)行政的判断がこれに加わっている。すなわち、検疫を広範囲に広めれば、患者数が増加する。また、要治療者数も増加する。そうすると、入院させる設備が不足する。治療にあたる医師が不足する。これが進むと、医療崩壊の事態となる。

この事態を防ぐには、検疫を適度に抑える必要がある。

と言う様な事情があって、現時点では、検疫が抑えられている状況の様に見えますね。

と言う事で、最も基本的な感染者の把握が、適切に行われていないのが、現状ですね。

 

しかし、建前的には、(1)感染者を的確に把握する。(2)要治療者は入院させて、治療する。これ以外に、国民の生命を守る適切な方法はないのですよ。

だから、(a)については、検疫器具、検疫員を増加させる事が、まず、行われなくてはなりませんね。

(b)については、診察の場所、入院させる設備、診療にあたる医師・看護師等を増加させるより適切な方法は御座いませんね。

だから、行政は、この方向に最大限の努力をしなくてはならないと思いますね。

これが、行政の本筋の様に、半ボケジジーは、思うのですが、行政のは違いますね。

医療の現場に混乱を生じさせては、医療崩壊につながるとして、医療の現状況、すなわち、現在において、確保された病床数に見合わせた検疫しか行わない方向の施策をとっている様に見えますね。

病床数の増加に向けた施策をとるべきの様に思われるのですが。どうでしょうか。

まー、分かり良く言えば、病院での混乱を心配して、患者さんの来院を制限している、と言う様に見えるのですよ。

これは、医療の本筋では、御座いませんね。

行政は、より多数の検疫を実施し、感染者の実態を把握し、より多数の病床、より多数の医師・看護師等の医療スタッフの確保に向かって、全力を投入してほしい、と思うのですよ。医療の設備に合わせた検疫しかしない、と言うのではなくてね。

 

特に、今となっては、より多数の検疫を実施し、感染者の実態を把握することを徹底して欲しいと思うのですよ。国民の生命を守ると言う最も基本的な目的を達成させるたるには、感染者の実態を把握する事が、欠くべからざることと思うのですよ。

現在、最も心配されることは、検疫がキチンと行われていないために、自分が感染者なのか非感染者なのかさえ、分からないのですよ。

感染者でありながら自覚できていない場合は、通常、健常者として振る舞いますから、これによる感染の拡大が止められないのですよ。だから、感染者が自分は保菌者であり、他者を感染させる存在なのだ、と言う自覚をキチンとしてもらわないと、感染の拡大は止まりませんよね。

ここが、感染拡大抑制のスタート点ですよ。これを徹底しない限り、感染を止めることはできない、と思うのですよ。

しかし、政府、行政は、これをやろうとはしませんね。これをやらない限り、ダラダラと何時迄も、感染は続く可能性が高いですよね。ポイントとなるケジメを的確にしないと、終息は見えませんよね。

この度の新型コロナウイルスの対策に限らず、森友学園問題にしても、加計学園問題にしても、桜を見る会の問題にしても、総理、政府のやり方は、ポイントとなる点を解決せず、ただただ、あれこれ訳の分からないことをして、あやふやの内に幕引きとする手法ばかり重ねてきているわけでですよ。

しかし、新型コロナウイルスの問題は、国民の生命に直結している問題ですので、やってもらわなければならないことは、徹底的にやってもらわなくてはならないのですよ。手抜きは許されませんよね。

 

とにかく、政府は、検疫の実施を徹底させ、感染者を的確に把握し、診察、入院、治療に向けての態勢を確保することに、全力を尽くすべきです。

 

これまでの様な中途半端な誤魔化しでは、国民の生命を守ることはできませんよ。
オリパラピックだって、例え1年程延期したとて、今の様な状態では、開催できる保障は何もございませんよ。来年の今頃までに、新型コロナウイルスの流行がおさまり、世界各国のアスリート達が、皆体調が整い、また、世界中の人たちが皆健康になって、東京へオリパラを観に来れる状況を想像できますか???

例えば、来年の今頃迄に、その状況が整ってない場合、今の事態と変わり御座いませんよ。とすると、来年の夏の開催だってできる見込みは御座いませんよ。

某テレビ番組の聞き齧りでは、ワクチンだって、完成まで、1年半は必要とか。今年の1月を起点とした場合でも、ワクチンの完成は、来年の6月を待たなくてはならない計算となりますよ。それが、世界各国で使用可能になるには、各国の事情に応じた時間が必要とされますから、ワクチンが行き渡るのは、何時になるのでしょうね。

ワクチンだけではダメですね。治療薬の開発だって、何時のことになるのでしょうか。トウシロウのお粗末な推測では、目下、マウスを実験台に、新薬の開発中でしょうか。これが、うまいこと特効薬が見つかって、人体実験を経て、人々の治療に使われる様になるまで、1年ほど待てば可能なのでしょうか ?

目下のところ、朗報は私の様なトウシロウのところには、全く伝わってはきませんなー。

この様な状態では、来年のオリパラピックの開催だって、何の保証もありませんよね。

夏の高校野球大会だって、プロ野球だって、Jリーグのサッカーだって、その他諸々、まともな形で、安倍総理の好きな表現を借りれば、完全な形でやれる日は、何時のことか、全く見当がつきませんよ。

すでに、国民は、ただただ、自然終息を待たなくてはならないのでしょうか。まさに、「我慢の時代」到来と言うことですね。

もうかなりの手遅れでしょうが、丁寧な検疫を実施して、感染者の実態を把握し、速やかに適切な治療を実施できる態勢を、1日も早く手当てして貰いたいものですね。

 

次に、新型コロナウイルスの大流行による経済の落ち込みが恐ろしい状況を見せ始めていますね。

半ボケジジーの脳みそでは、この先の見当がトント立ちませんね。

兎に角、現在、生産の部門が止まり気味である。伴って、運輸の部門が止まってしまう。伴って、販売の部門も不振に陥ってしまう。結局、国民の収入の減退、そして、生活苦が否応なしに訪れる、見通しを回避できない状況になってきましたね。

こう言った経済活動全般の不振につながる心配が、本格的に現実化の一途を辿り始めていますね。

これは、間違いなく「 我慢の時代 」の到来と言うことでしょうね。

例えば、

会社の経営が不振に陥る。

社員の給与が減額される。

生活が苦しくなる。

最悪の場合は、倒産する。

職を失うことになる。

収入がなくなる。

たちまち、生活ができなくなる。
国による援助も期待できなくなってくる。

結局は、国民の「我慢の時代」がやって来る、と言う道筋が、明白になって来た気がするのですよ。

 

加えて、国民の大多数は、我慢することに、全く慣れていない。我慢は、ひたすら苦痛以外の何物でもない、国民の大多数は、その様な人達だと思われます。

結局、国民の多くは、どうすべきかを判断できない状態に陥ってしまうのではないか。

と言う悲観的な見方が、どうしても、支配的になってしまうのですよ。

 

すなわち、経済状態は極めて悪化する可能性が高いですよね。

とういことは、国民は、否応なしに、日常生活にも、不便が発生することになるわけですね。結果、何かにつけて、我慢を強いられる事態となりますね。

この事態に、国民は、耐えられますか、と言う事ですね。

ここが、最大の問題ですね。

不肖の独偏(独断と偏見)ですが、結論的な事を言ってしまえば、今の人は、我慢が大嫌いですよね。

それは、独偏では、現在に直結している近過去における教育の結果であろうと、勝手に思っているのですよ。

すなわち、私どもが経験した極度の我慢は、先の大戦後、1950年代になり経済が上向きになるまでの期間でしたね。

兎に角、望み起こらば、まずは我慢の時代でしたな。我慢すれば、エライと褒められた、我慢は美徳の時代でしたな。

この時期に育った、大雑把に言って、現在70歳より上の方々は、概ね「我慢の時代」を経験していますので、我慢の仕方も知ってはいるのですよ。

しかし、近年の贅沢にすっかり慣れてしまって、我慢の頑張りが効くかどうかは、幾分疑わしくなってますがね・・・・。

 

戦後の国民のひたすらの努力により、1950年代に入り、「神武景気」(195412月から19576月)を経て、さらに「岩戸景気」(19587月から196112月)を迎え、消費は美徳などと、我慢とは程遠い、浮かれた好景気に見舞われましたな。

この時期に生まれた方々は、概ね現在60歳代ですね。

まー、景気の良い時代にお生まれになられて、日常生活で、それ以前の様に、我慢が第一と言う状況ではなくなっていたのですね。

すでに、我慢は、美徳の時代では無くなっていた訳で、何かにつけて、自由が最優先と言う時代になっていたのですね。

だから、社会の傾向としては、我慢せずに、自分のしたいことに向かって、伸び伸びと活動する、と言う方向になっていたのですね。

と言うことは、今60歳代のお方々は、決して全部とは申しませんが、どちらかと言うと、我慢が苦手と言う傾向がお強いと思われるのですよ。半ボケジジーの独偏としてはですね。

 

そして、この様な時代には、教育観も随分変化を遂げ、我慢を教えることは、すっかり姿を消し、もっぱら、子供には、したい事をさせ、制約を加えず、自由に伸び伸びとやらせ、その才能を伸ばす、と言う方向へ、大きく進展して行きましたね。

この様な方々のお子さんが、概ね多くは現在30歳代以下と言う年齢でしょうか。

ですから、もーすっかり我慢からは脱出して、中には、自分のしたい放題へと歩んでする方々が、随分多くなっているのでは、と思われますね。

と言うことは、現在社会の中心で活動しておられる方々は、我慢から遠い存在の方々かと想像されるのですね。

ですから、この様な方々は、我慢がまー大嫌いと言う傾向が強いのでは、と半ボケジジーは想像するのですよ。

だから、いくら都知事が連日、不要不急の場合を除いて、出歩かず家にいて下さいと言ってみても、一向に出歩く人は減少しませんね。

家に、じっとしていることなんて、我慢できないのですよ。

兎に角、いまの人たちは、人の大勢集まるイベントが大好きですから、桜の花見なども大好きで、それへの参加の自粛なんか、苦痛で、苦痛で仕方ないのですよ。

我慢と言う育てられ方、教育を受けてませんから、急に我慢を強いられても受け入れることが、基本的に無理なのですよ。

 

これから、新型コロナウイルスの流行は、予防薬、治療薬が開発されて、広く各地に供給されて、その効果が現れるまで、現状の様なだらだらとした我慢の状態が継続するよりないのでしょうね。

結局、経済が大きく落ち込み、社会生活は、我慢を強いられる事態となりそうですね。落ち込みますなー。

すなわち、「 我慢の時代」が否応なしに到来しますなー。

ところが、ほとんどの日本人は、我慢なんて大嫌いな、苦手な人々なのですよ。

耐えるよりないのですが、どうなって、しまうのですかね。相当やばいよ!

 

と半ボケジジーは、取り越し苦労?をしているのですよ。

と言うことで、半ボケジジーの小言、愚痴は終わりがありませんので、ここらで、本日のボヤキを止めにいたします。どうも、毎度、お粗末様でした。

お疲れ様でした。また、どうぞ。

 

お後がよろしい様で。