《停念堂閑記》130

《停念堂閑記》130

 

「停念堂寄席」76

 

「キュウコウ」

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、間抜けな話です。いくぶん具体的に申しますと、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない、間抜けな話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

打倒、閑、暇、ひま、ヒマーッ!

A A O  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

 早い話が、いつもの半惚ジジーのボヤキですだよー。

 

  

さて、間抜けな話の開始です。今日は、「キュウコウ」と言う事をネタにして、暫しの間、ヒマ潰しをしようと言う魂胆ですわ。

 

みなさん。

「キュウコウ」と聞いて、一番に、何を思い起こしますか。

私ゃーですね。やっぱり、鉄道の「急行列車」ですかね。

私ゃー、自慢じゃー御座んせんが、北海道ののどかな農村で生まれやしたよ。

第二次世界大戦の真っ只中だったようですよ。

全然、自己の記憶に御座いませんが。

日本の分が相当悪くなって来た最中だったようです。

全然、自己の記憶に御座いませんが。

 

家から旧国鉄の一番最寄りの、後に駅と呼ばれる所まで、およそ1里、4キロの距離でしたよ。

何時の事か、記憶に御座いませんが、一番最寄りの後に駅と呼ばれるようになる所は、小さい頃は、信号所とか、停車場と呼ばれていたようです。

 

ご存知のように、鉄道路線で分岐器(ポイント)や信号設備が設けられていて、運転扱いは行われますが、旅客や貨物の取扱いを行わない所が、信号所とか停車場と呼ばれている所ですね。

 

小さい頃、最寄りの駅が、信号所とか停車場と呼ばれていたことは、記憶に御座いますよ。

とは言うものの、明確なものでは御座いません。

と申しますのは、大人達が、そのように呼んでいたのを時々聞いたことがある、と言う程度の記憶です。

多分、昭和256年頃かなー、と言う気がしますが、定かでは御座いません。

何時、信号所・停車場と呼ばれていた所が、駅と呼ばれる事になったのかは、はっきりした記憶は御座いませんが、戦後間もない頃かなー、と勝手に推測しています。要するに、それ以前のことは、記憶にはっきりしないのですよ。

ようやく、記憶があるのは、その頃以後のことなのですよ。

と言いますのは、駅と呼ばれるようになっても、それまでの習慣で、旅客の乗り降りが行われる場所になっても、信号所とか停車場と言う呼称は、近所の人々の間には、しばらく残っていたのではなかろうかと推測されるのですよ。

 

それでどうした、と来られますと、これはちょっと弱るのですよ。

何が、と言うと、信号所・停車場と呼ばれていたからどうなのだ、と言われても、そのー、それだけの事でしてね。

まー、前との関連を模索すれば、そんな田舎に育ったよー、と言うことぐらいで、要は、私の育った最寄りの旧国鉄駅のある鉄道には、急行は走っていなかった、と言うことですだよ。

だから、子供の頃は、急行とか特急なんて知りませんでしたよ。そうそう、準急と言うのがありましたね。

これが、オラー東京の大学さ行くってんで、18の時に東京さ出て来ただよ。

この時、生まれて初めて特急というのに乗っただよ。

特急はつかり常磐線経由で上野駅行き。

とにかく東京さやって来ましただ。

そのうち、用事ができて、京王帝都電鉄に乗る羽目になっただよ。新宿駅で乗り換えて、京王線のホームへ行くと、なんと、特急と言う看板を掲げた電車がやって来ただよ。これは、てっきり、特急券を買わなくては、乗れないと思っただよ。

ところが、特急料金を払わなくても、乗れると言うだよ。びっくりこいたねー。さすが、東京だなー、とおったまげただよ。

 

それで、どうした、と来られると、これがまた、弱るのですだよ。どうしてか、と言うと、ただこれだけの話だからですだよ。特記するとすれば、特急に乗ったはいいだが、降りる予定の駅に停車せず、通過。幾つか先きの駅まで行かなくてはならない羽目になっただよ。

要するに、行かなくても良い先きの駅まで行っちまって、戻らなくてはならなくなっちまっただよ。そこで、また、特急に乗っちまったら、またまた、目的の駅に止まらないだよ。通過。一日中やっても、埒が開かねーだよ。

 

慣れない、特急に乗ると、かえって、時間がかかることを覚えただよ。しかし、これは特急の話で、急行ではねーですだよ。後で、急行というのも走っていることを知っただよ。これも、急行料金は、不要。

京王電鉄では、ここの話に関わる、「キュウコウ」急行も、走っております。もちろん、各駅停車もあるよー。

以上、「キュウコウ」に関わり、思いついたことであります。ご粗末様。

 

まー、このように「キュウコウ」と聞いて、鉄道の「急行列車」を思い出した方もおられるかとも思いますが、以上は、ヒマ潰しの間抜け話で御座います。

 

「キュウコウ」と聞けば、こっちの「休講」も思いつきますなー。

東京の大学さやって来まして、まず、初めの大学説明会(この頃は、ガイダンスと言っていましたが、いつの頃にか、オリエンテーションと言われる事が多くなってましたよ。)で、なんたって大学と言う所は、授業と言うものがありますから、休みの日以外は、まずは大学に出かけて行くわけですわ。そしたら、大学に着いたなら、まず一番最初に、掲示板を見るように、と教わりましたね。大学から、学生に連絡がある場合、掲示を出すので、とにかく大学に来たら、掲示板を見るように、とのことでしたね。誰々君、至急学費を納めるように、なんて、掲示が出るのですよ。

そのような掲示の中で、頻繁に出るのが、「休講」の掲示でしたよ。先生も色々とご都合があのでしょうね。〇〇先生、〇〇日、〇〇曜日、〇〇時限、〇〇授業休講、なんて掲示が出るのですよ。

担当の先生が、予め休まなくてはならない事情のある場合は、前の週の授業の終わり、来週は休講にします、と言ってくれるのですが、緊急の事情が生じた時などには、休講の掲示が出されるのですよ。

私ゃー、この掲示、好きでしたよ。歓迎でしたね。やったー、「急行」に乗って、どこかへ行こうか。

「休講」は、なんだか儲かった気がしましたね。よっしゃー、パチンコへ、とはならなかったけれど、大抵は、神田の古本屋街をぶらついたりする事が多かったですね。

たまに、「自主休講」がありましたね。ただし、これは掲示されませんでしたよ。勝手にサボっただけですから。

そうそう、「休講」で、忘れられない事がありますよ。

誰とは書きませんが、とある先生は、担当の最初の授業時に、この授業は、確か10回以上出席しないと、単位を出しません、と断言されましたね。

よし、では10回確保すれば、後はテストで60点以上取れば、単位はゲット。と言う事で、計画を立てまして、なんとか10回以上の出席は可能としてあったのですが、色々事情が御座いまして、ちょうど10回ギリギリで、出席は大丈夫、と言う状況になっていたのですよ。

そしたら、世の中、何が起こるかわかりませんよ。なんとなんと、彼の先生、予告なしに、最後の授業を休講にしちゃったでは御座いませんか。この「休講」の掲示で、この科目の単位は、パー、と言う事で、次年に、もう一度履修し直しましたね。大学時代に、単位を落っことしたのは、この1科目だけでしたので、五十数年後の今でも、良く記憶してますだよ。

 

ところで、「キュウコウ」の「休講」がどうかしたのかと、言われますと、面目次第も御座いません。ただ、こんな間抜けたことを思い出しただけ、と言う事で御座います。失敬。

 

次の「キュウコウ」は、「休校」ですよ。

そうです。目下、話題の「休校」で御座います。
この「休校」も、私ゃー好きでしたね。

休校の時は、とりあえず、学校が休みなんだから「急行」に乗って、旅へ行こう。失礼。これはさっきやりましたよね。

よく、ウイークデーなのに、小学生や中学生や高校生が、街中に出歩いてたりすると、メディアの人が、カメラとマイクを持って、駆けつけて、今日は、ウイークデーなのに、学校へ行かないの、なんて持ちかけたりしますよね。

この応対で、最も多いのは、決まって、今日は開校記念日で、休校なの、と来ますなー。

開校記念日は良いですよね。

私の子供の頃は、休校になっても、田舎の事ゆえ、公園も、遊園地も、なーんにね御座いませんでしたし、はたまた、コンビニはあるわけ有りませんでしたから、コンビニの前で、タムロすることなど、できっこ有りませんでしたよ。

休校だからと言って、家にいようものなら、たちまち農作業の手伝いをさせられますから、その前にさっさと逃げなくては、と言う状況でして、結局のところ、行き着けるところは、学校でしたね。

そんな事情で、行く所のない連中が、何となく学校に集まって来るのですよ。

今と違って、当時の我が方の学校は、管理がさほど厳しくなかったので、どっからでも、校舎の中に入れましたね。

だから、こっそりとではなく、ごく当たり前のように、体育館に入り込んで、バスケをしたり、校庭で、ソフトボールをしたりしてましたね。

休日出勤の先生も、特に、注意をすることもなく、一緒に楽しむ事が、多かったと思いますね。

田舎の学校は、そうした機能も持っていたのでしょうね。

田舎は、のんびりしていましたよ。

さて、いま話題の「休校」は、「新コロ」(ここでは、新型コロナウイルスの略で使います。)対策の一つとして、学校を休みにしている、と言うやつですだよ。

東京都では、高校はゴールデンウィーク明けまで、休校となるとすか。エライことですねー。

休校の時は、やっぱり、「急行」で、どっかへ・・・。これはもう前でやったっちゅーの。失敬。

この休講の良し悪しは、半惚ジジーは、到底判断がつきませんが、影響は大きいでしょうね。

大前提としては、「新コロ」から、都民の生命を守らなくてはならない、と言う目的がありますからね。こちらが最優先ですよね。何が何でも、行政の都合で塩梅されることなく、最優先して貰わなくてはなりませんよ。

それとは別に、「休校」するとなると、どうなるのですかね。

生徒が、学校に行かないと言うことですよね。

となりますと、例えば、一月間、学校を休んだ、と言う事と同じ扱いになるのでしょうかね。

例えば、学校で学習して、高校の場合、一般的には3年間で卒業と言う建前ですよね。聞き及んでいるところでは、数字ははっきりと覚えていませんが、長期にわたって、出席しなかった場合は、進級・卒業できないようですね。所定の時間を出席しなくてはならない、と言う規定があるはずですよね。

この「新コロ」関係の「休校」は、どのように処置されるのでしょうかね。

まさか、この際は、止むを得ないで、終わるのではないでしょうね。

何らかの事情で休校が発生した場合は、多くの場合は、夏休みを短縮したりして、現場では対処していますね。

しかし、23日ならばともかくとして、この度の「新コロ」休校は、結構、長期間ですよ。夏休みに、振替たりしたら、夏休み無くなってしまいますよ。

中には、授業をオンラインで行なっている学校もあるとか。この場合の授業は、通常の場合の授業と同等の扱いになるのでしょうかね。

オンライン授業をしていない学校もありますから、この扱いはどうなるのでしょうね。

文科省は、何もかも、地方自治体に丸投げして、全国統一的な指示を出すつもりはないのでしょうかね。

医療も崩壊なら、教育もと言う事でしょうか。

医療の崩壊は生命に関わるし、教育の崩壊は、日本の将来に重大な不安を残すし、どうするつもりですか ?

安倍内閣総理大臣。

 

つまらぬ事を言っているうちに、緊急事態宣言が発出されました。

が、しかし、救命と経済混乱を天秤に掛けて、ウダウダ長期戦に持ち込もうと言う魂胆でしょうか ?

安倍内閣総理大臣。

政府が、経済重視政策で、ダラダラしている限り、国民の外出の足は止まりません。

と言う事は、新型コロナウイルスの感染は、止まらないと言う事です。

こんなどっちつかずをやっている限り、国民の覚悟は固まりませんね。

ここは、何が何でも、新型コロナウイルス撃退に専念すべきでしょ。

混乱した経済は、後で努力して復興する手立ては御座いますが、国民の命を奪ってしまっては、一貫のお終いです。

救命と経済混乱を天秤に掛けて、ダラダラと言うのは、間違ってますよ。

安倍総理大臣。

新型コロナウイルス撃退に、あらゆる手を絞り出しましょう。

 

エッ、もう打つ手なしですか?

投了でしょうか。

 

 

本日も、ダラダラとつまらぬことに、お付き合いさせてしまいまして、申し訳ございません。

緊急事態宣言には、何にも取り立てた協力も自粛もしておりません。

この時期は、毎年、花粉に悩まされております。

よって、外出をしないと言うのが常日頃の普通の状態ですから。

でも今年は、一層外出を自粛しています。

 

 

少しは、ヒマ潰しになったでしょうか。

お疲れ様で御座いました。

それでは、またのお越しをお待ちいたしております。

 

お後がよろしいようで