《停念堂閑記》125

《停念堂閑記》125

 

「停念堂寄席」74

 

「今風のリーダー達」

 

本日も、「停念堂閑記」にようこそお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、間抜けな話です。いくぶん具体的に申しますと、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない、間抜けな話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的が年寄りのヒマ潰しですからね。

定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

打倒、閑、暇、ひま、ヒマーッ!

A A O  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

 早い話が、いつもの半ボケジジーのボヤキですよー。

 

  

さて、間抜けな話の開始です。今日は、「今風のリーダー達」と言う事をネタにして、暫しの間、ヒマ潰しをしようと言う魂胆ですわ。

 

 

今日は、結論を先に言っておきたいと思います。

そうすると、あとは小生得意の思い付きざまを、ダラダラと書いて、ヒマ潰しになれば、大成功となりますので、今日はこれで行くことにします。

 

ここで言う、リーダー達とは、具体的に言えば、日本を牽引する役職についている人達を指しています。

内閣総理大臣をはじめ政府閣僚の面々、および与党、野党を含めた国会議員の先生、加えて、地方議員の先生、更に、国および地方の公務員のお偉方、経済界のお偉方、そして、テレビによく出演なさっておられる当該局の解説者とその筋の専門家の方々と言うあたりの方達であります。

概ね、このあたりの方々をリーダーと言わせてもらいます。

これらの方々全てとは申しませんが、これらの方々の行動は、例えば、テレビを通じて、しょっちゅう国民の前に現れますので、目に付く存在なのですよ。

そのような方々を「今風のリーダー達」と呼ばせていただきます。

 

このような人達、もちろん全員とは申しませんが、その特徴の一つは、物事についての根幹となる部分についての思慮が不足しているのではないか、と思われるところが感じられるのです。

別の表現をすれば、分かりやすく言えば、基礎をきちんと考慮せずに、目先の利益に飛び付く傾向が強く感じられる、と言うことです。これが、ここで言う「今風のリーダー達」の一特質と言えるのではないのか、と言うことです。

 

次には、目先の利益に飛びついて、失敗した場合に、その責任から、とにかく、逃げ去ることを以って、宗としているようだ、と言うことです。

最も顕著なのは、国会における質疑応答であります。旗色が悪くなると、噛み合わない答弁を繰り返すし、すぐに記憶をなくすし、想定外に逃げるし、他人のせいにするし、その責任逃れは、実に見苦しい限りですね。

責任を取らない、と言う事が、ここで言う「今風のリーダー達」の一特質と言えるでしょうね。

とにかく、自分の失策の責任をとると言うことは、まず、御座いませんな。のらりくらりと、逃げ回り、はぐらかす。稀に、どうにもならなくなったら、直ぐに前言を取り下げるし、謝罪めいたことを口走ったとしても、その失策についての反省はなく、同じ事をすぐに繰り返しますから、なんとも言いようが御座いませんね。

 

まずは、今日の結論は、物事において、根幹となる基礎の部分を考慮せず、目先の利益に飛び付く。それと、失策に対する責任から徹底的に逃げ去る傾向が強い、と言うことが、「今風のリーダー達」の目に付く特質と言えるのではないか、と言う事であります。

 

と言う事で、以下には、これに関わると思われることを、半ボケジジーのボヤキ風に、ダラダラと行きます。

 

さて、今や、世はあげて、世界的な流行の新型コロナウイルスの話題で持ちきりでんなー。

テレビでは、このところ連日、一日中、新型コロナウイルスの話題ばっかりで、そろそろ辟易している方々もおいではないでっしゃろーか。そろそろ勘弁してくだせー、っちゅうところではないでっしゃろーか。

何だか、これまでにない、訳の分からない、得体の知れないヤツが現れよって、あれよ、あれよと言う間に、ナンや、ナンやと、世界中が、大混乱になってしまいましたなー。

どこの国でも、目には見えない得体の知れないヤツには、常日頃大して危機感を持てず、備えが極めて不十分と言うことのようで、フイを突かれると、もー、どうにもならなくなるようですだな。

例えば、ミサイル、戦闘機、戦車、戦艦などは、形がハッキリとしていて、見た目に、これは兵器や、とすぐに認識できますわなー。こんなもの並べて、戦争する気かー、と心配になりますわなー。

これが、核兵器となると、ちょっと様子が変わりますぜー。核弾道弾、ミサイルに設備されたのを見せられると、こんなものどうするつもりや。まさか、・・・か。何をする気やー、と驚きますわなー。

核弾道弾の形を見せられただけで、その怖さが認識されますなー。

しかし、それが万が一使用された場合のいわゆる放射線については、全く目には見えまへんで。ただただ恐ろしい結果を生み出すだけの代物でんなー。こんな目に見えないオッカナイものはありませんで。

責任問題では、事済みませんから。

もはや誰も手出しできなくなってしまいますから。

また、化学兵器についても、日本ではオームによるサリン事件で、どのような事になるのかの具体的な被害の様子が分ったけれど、これも、サリンガスは、目に見えないから、一般人は、対処のしようも御座いませんよ。

さらに、いわゆる生物兵器となると、国際法(ジュネーブ議定書)で使用が禁止となっているとは言え、仮に使用された場合は、実際にその時の、その事態が目の当たりに現れるまで、その実態はとなると、全くチンプンカンプンでんな。とてつもなく、厄介な恐ろしいものであろうと言う想像がつくけれど、具体的にどうなるのか、と言うことについては、実感が持てない、弱さが御座いますな。

 

このような非常事態が、この度の新型コロナウイルスの流行と言う形で、我々の眼前に、突然、現れたわけですなー。

もー、世界中が、大混乱に陥った状態となってますね。

とにかく、今は、一日一刻も早く、予防薬と治療薬の開発を待っている状況です。

予防薬と治療薬の開発関係者の皆様は、まさに必死になって、取り組んでおられることとお察しいたします。この事態を救えるのは、あなた達しかおりませんので、厳しい日々をお送りの事と思われますが、兎に角、頑張って頂きたいと、願うより御座いません。

この謂わば、世界大戦のような状況を治めるには、予防薬と治療薬の開発に携わっておられる方々に期待する以外に無いようです。虫のいい事を言うばかりで、申し訳御座いませんが、どうぞ、頑張って下さいませ。

 

 

さて、この度の新型コロナウイルスとなりますと、どれほどの威力を持つものなのか、感染した場合、どうやったら治るのか、よくは分かっておりませんなー。

とにかく、今心配されている事は、驚くほど感染力の強いヤツだ、と言う事ですな。たちまち、全世界に広がってしまいましたからねー。

問題は、その人体に与える威力がどのようか、と言うことが関心の的ですな。感染の広がりに伴い、死亡者数も多く報道されるようになってきてますなー。

ウイルスに関する専門家と言われている方々が、毎日テレビに出演されて、それぞれの見解を述べておられますなー。

大まかに見ますと、かなり緩めに見る方と、そうではなく、かなり慎重に、厳しく見る方とに分かれているようですな。

例えば、新型コロナウイルスについて、感染したとしても約80%以上は自力免疫力で治る。従来のカゼ程度のものだ。死亡率を見ても、インフルエンザと比べると、随分と低い。大騒ぎしなくて良い。と言うような趣旨のことをおっしやっておられる方がおられますなー。

対して、軽く見てはいけない。未だ、未知の部分の多いウイルスだ。感染力が極めて強いし、体内の潜伏期間も、30日近くの例も見られるし、また、一度陰性の検疫結果を得ても、再燃と見られる事例も、報告されている。まだまだ、未知の部分が残されており、世界的な感染拡大の状態を見ても、決して油断ならない。と言う様な、見解を強調される方も見られますなー。

マスクの効用についても、新型コロナウイルスは、極めて微細であるために、市販の使い捨てマスクでは、防ぐのに何の役にも立たない。

と言うご意見の方と、いや、そうでもない。マスクの使用を勧めたい、とおっしゃられる方もおられますなー。

また、政府の対応は、成功しているとする立場の方もおられますが、政府の対応は、その初期から甚だまずかった、とおっしゃられる方もおられますなー。

テレビのワイドショーは、今のところ連日この話題で持つきりです。

このところ、流石に、飽きてきたのでは?  と感じられる場面もあるように思われますなー。関心は、関連するオリ・パラピックの開催の可否に関わる話題に、移って行ってるなー、と感じたりするのですよ。

また、関連して、経済の落込みが顕著となってきているので、この先どうなるのか、これをどう立て直すか、と言う問題が注目されて来ていますなー。

これからのワイドショーの話題は、専らこちらの方へ移っていくのであろーなー、と言う感じを受けますだよ。

穿った見方をすれば、テレビのワイドショーで、新型コロナウイルスの話題が、取り上げらなくなったら、その時期が新型コロナウイルスの収束の時期かなー、なんて思ったりしましてね。日本社会の関心は、専らテレビに誘導されがちですからなー。

 

とは言え、新型コロナウイルス症の大流行と言う大きな社会問題が発生した場合には、国民としては、その問題の解決のための政府をはじめ、医療関係者などによる対策が、適切であるか否かを、ちゃんと見ておかなくてはなりませんなー。

例えば、一般論として、大きな社会問題が発生した場合は、まずは、その問題の本質、実体を把握する必要がありますね。

次いで、その問題の解決すべき方向を的確に把握しなくてはなりませんね。

すなわち、当該問題の実体と、問題解決の目的を明確に設定すると言う事ですよ。

そして、この基本的な目的の達成のために、どのような手段、方法が有効かを対策する、と言う方向に進むことになりますね。

仮に、今般の新型コロナウイルスの問題についてみると、まずは、その問題の発生時に、その本質、実体を把握しなければならない事態だったのですね。

この点については、中国武漢で、新型のコロナウイルスに感染した患者の発生が明らかとなった。この新型コロナウイルスは、未だ得体の知れないものだ。従来使用されて来た抗生物質では、回復の効果が見られない、などと言う基本的な実体が、把握されましたね。

この事態に接して、例えば、日本政府は、この得体の知れない新型コロナウイルスが、日本にやって来た場合に、どう対処しなければならないか、と言う問題意識を明確にしなくてなりませんでしたね。

そして、その問題の解決すべき方向を的確に把握しなくてはなりませんでしたね。

この時の日本政府の対応は、まずは、この得体の知れない新型のウイルスから、日本国民の生命を守らなくてはならない、と言う明確な目的を設定する必要が生じましたよね。以後は、この基本的な目的をどのように達成するか、これが課題となるわけですね。

ここが、新型コロナウイルス対策の、出発点となるべき事だったと思われますね。

ところが、政府がとった最初の対策が、この新型コロナウイルスが、日本国内に入ることを食い止めなければならない、というところに基本を置いたものでしたね。いわゆる水際作戦であったのですよ。もちろん、政府が単独でこの対策に踏み切ったのではなく、いわゆるこの筋の事に詳しいウイルスの専門家の意見を聞いて、政府としての判断に踏み切った、と言う事なのでしょうね。

すなわち、対策の大元となる部分の議論が十分に行われない状況で、具体的な対策に乗り出してしまった、と言う事なのですね。

すなわち、根幹を見極めず、枝葉の対策に走った、と言う事で、日本の歴代の政府では、この手法が、何かにつけて、ごく一般的な手法とされて来た、経緯があるようで、今回の新型コロナウイルス対策も、この路線で行われ出した、と言う事でしょうね。

一つの結論としては、これが、今回の「停念堂閑記」のテーマに掲げた、「今風のリーダー達」の判断、と言うことになるのですね。

しつっこく言い足せば、根幹を見極めず、枝葉の対策に走る、要するに、目先の利益に飛びつく、と言うことです。

今回の新型コロナウイルス対策は、大流行している武漢湖北省からの渡来者を入国の段階で、チェックすれば事足りる、と踏んだわけですね。この水際の検疫が、この対策の基本に据えられて、これから他の対策へと派生する構図となったのですね。

ここでの判断が、「今風のリーダー達」、ここでは、すなわち総理、政府と相談を受けたウイルスの専門家達の判断が、ことの展開を左右する実に大切な判断であったのですよ。

ここで、慎重に熟考して、とるべき方向を見極め判断すべきだったのでは無いでしょうか。

ところが、「今風のリーダー達」は、見事に誤ってしまいましたなー。

すなわち、洞察力の欠如と言いますか、軽率といいますか、得体の知れない新型のウイルスについての判断が、極めて緩く、慎重を欠くものであった、と言うほか御座いませんな。

本来ならば、前に述べましたように、未知なるものに対面した時には、どのように対処すべきか熟考の上、根幹を見極めなくてはなりませんよね。

まず、この得体の知れない新型コロナウイルスから国民の生命を守らなくてはならない、と言うところに基本が置かれなくてはならないと思われますねー。

さすれば、どう対処しなければならないか、と言うことが次の課題となりますねー。

まずは、この新型コロナウイルスの正体を明らかにすべく、対策を講ずる必要がありますね。要するに、政府としては、この種の研究の専門機関に、このウイルスの正体解明に大至急取り組むべき要請を行うとともに、その人員と経費の措置をすぐに行うことが必要でしたね。

そして、一方で、この新型ウイルスが日本に入ってくる事を遮断しなくてはならない、と言うことが対策されなくてはなりませんね。

まず、海外から来日した人の入国に、どう対処するのかを考えなくてはなりませんな。

 

A 全面的に、入国を拒否する。

 → 出発地へ戻す。

B 出発地により、限定的に、入国を拒否する。

 → 限定地からの渡来者は、出発地へ戻す。

 → 限定地以外からの渡来者は、入国許可、検疫を行   

  ない、その結果により対処するなどの措置をとる。

C 入国のための検疫を、実施する。

 a 検疫の結果、陰性の場合

    (a) 入国を許可し、国内の移動を可とする。

    (b) 入国を許可するが、指定滞在所における、特定

   期間の待機を課する。

   →  特定期間待機中の再検疫の結果により対処す

    る。

   → 陰性の場合は、国内の移動を可とする。必要

    により、追跡調査の協力を願う。

   → 陽性の場合は、その症状により、対処する。    

   → 重篤の場合は、指定の医療機関で、治療す 

    る。

   → 重篤でない場合は、指定滞在所における、特

    定期間の待機を課し、待機中の再検疫の結果

    により対処する。

 b 検疫の結果、陽性の場合

    (a) 入国を拒否し、出発地へ戻す。

    (b) 指定滞在所における、特定期間の待機を課する。

   →  特定期間待機中の再検疫の結果により対処す

    る。

   → 陰性の場合は、更に、指定滞在所における特    

    定期間の待機を課する。   

   →  指定期間待機中の再検疫の結果により対処す

    る。

   → 陰性の場合は入国を許可し、国内の移動を可

    とする。

   → 陽性の場合は、その症状により、対処する。    

   → 重篤の場合は、指定の医療機関で治療する。 

   → 重篤でない場合は、指定滞在所における、特

    定期間の待機を課し、待機中の再検疫の結果

    により対処する。

 

例えば、以上が、新型コロナウイルス国内侵入を抑制する、いわゆる水際対策の基本と思われますね。問題は、外国、外域を全面的に対象とするか、特定外国、特定外域を対象とするかの見極めが、極めて重要となり、以後の展開に大きく影響することになりますね。

 

この点について、この度の政府の判断は、極めてまずかった、と言う結果が出ましたね。

すなわち、政府の施策は、中国武漢湖北省からの渡来者に限定して、入国の際、検疫を課する、と言う極めて緩いものであったのですね。

 

時に、中国では、旧正月春節にあたり、多数の中国人が既に来日しており、この内、武漢湖北省から来た人以外は、入国時の検疫チェックを免れていたのですよ。

武漢湖北省から来た人だけの入国時のチェックが、基本とされましたので、これ以外から来日した人達は、平時と同様の日本国内旅行をすることになったのですな。

このことによって、彼らを乗せた観光バスの運転手やタクシーの運転手、ガイドさんが手始めに感染し、その後も感染者の数が増加していったのですね。

それでも、しばらくの間、政府は武漢湖北省から来た人達だけのチェックにこだわりましたね。感染状況の悪化に対面しても、出発点の方針から脱する事が、できなかったのですな。

これが、「今風のリーダー達」なのですよ。危機管理意識が極めて希薄としか、評しようが御座いませんな。危機についての洞察力が、極めて欠如しているのですね。

 

それから、いつも感ずることは、責任に関することですね。誰しも、失敗した時には、なるべく責任を追及されたくないでしょうね。人間、誰しもそのように思いがちですよね。

しかし、日本全体を牽引していく立場の人は、その責任を強く持ち、国民のために尽くす覚悟が必要であろうと、思うのですよ。

そして、そのために最大の努力をしたが、結果的に、実をあげられなかった。そう言う場合もあるでしょう。このような時に、まずは、責任問題が浮上しますね。当然のことですね。

この問題に対する場合、事実に即して、率直な反省が必要であろうと思うのですよ。

ところが、「今風のリーダー達」は、この事態で、いかに責任を回避するかに、懸命になる傾向が、極めて強く感じられるのですね。

まずは、事実を有耶無耶にすることに努めますな。兎に角、事実についての動かぬ物証がない限り、その事実を一切認めようとしませんな。

事象は、様々な側面を持っていまして、物証がある場合と、物証が無い場合が御座いますな。

物証が無い場合とは、人間の心の内部に関わる事柄です。レントゲン検査をしても、身体の物的部分については、影が出たりしますが、心までは見ることができないのです。嘘発見器なるものを用いても、真の心の中を見とることはできせんな。

当たり前です。心は物では御座いませんので、物としての証拠を捉えることができませんな。

そこで、このような事柄が問題になると、その点については、そのような事実はない、それに関する記憶がない、そんな事を想定していなかった、と言うように、のらりくらりとはぐらかし、責任からひたすら遠ざかろうとすることになるのですねる。

近年では、森友学園加計学園の一件などに見られる関係者の多くの言い逃れが、未だ、記憶に新たですな。

その事態に関わりを持つ人が存在し、その事態が起きているのに、その関係者は、私は関係ない、関係した事を示す証拠はない、記憶がない、などと惚けてしまうのですね。

ここに、「今風のリーダー達」の一つの特質を見る事ができますねー。

 

今や、日本の将来は大変なことに直面しているのでは、と強く感じています。

この国を牽引している立場にある人の責任は、稀にない重大なものとなっていますね。

この局面に、どのように立ち向かうかは、目先のバラマキによる選挙対策をしている場合では御座いませんな。根幹をしっかりと見つめた、しっかりした熟考を重ねてしっかりした目的を据えて、責任を持って、進んでもらいたいものです。

 

今日は、このような事をボヤいて、半ボケジジーの暇つぶしをしてみました。

毎回代わり映えのし無い、分かりきったつまらない話を繰り返すばかりで、恐縮で御座います。

半ボケジジーの限界でんなー。

 

 

想像を絶する困窮する事態にならないように、半ボケジジーは願うばかりです。

 

どうもお疲れ様で、御座いました。

またのお越しを、お待ち申し上げます。

 

お後がよろしいようで。

《停念堂閑記》124

《停念堂閑記》124

 

「停念堂寄席」73

 

「転ばぬ先の杖

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

ヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

打倒、閑、暇、ひま、ヒマーッ!

A A O  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

 

  

さて、間抜けな話の開始です。今日は、「転ばぬ先の杖」と言う事をネタにして、暫しの間、ヒマ潰しをしようと言う魂胆です。

 

申すまでも御座いませんが、年老いて来ますと、足腰をはじめとして、とにかく衰えて来ますなー。あっちに来た、こっちに来た、と賑やかなものですわ。

老人が集まると、決まって、あっちに来た、こっちに来たの自慢話の花が咲くのですよ。オレの方が、いやいや私の方が重症だ、と威張るのですだよ。

 

他人様の事は、あれこれ言える立場には御座いませんが、これがですね、頭のネジが緩んできたせいでしようか、ついつい言いたくなってしまうのですだよ。

足腰、いやアチコチがスッカリでダメになっても、これが、口ばかりはでんなー、滑りが極めて良くなってしまうのですだよ。

まー、年寄りのグチは、半ボケジジーのボヤキは、始まったら最後、もー、止まりませんからね。

何であろうと、どうであろうと、言ったもの勝ちですからなー。

とりあえず、グチり倒すのが、ヒマ潰しのコツと言うものですわ。

さー、皆さんも、適当なネタを探して、グチりまくりましょう。

 

さて、足腰にきた場合は、とりあえず、用心のために、杖を使うのが、昔から一般的となってますな。

「転ばぬ先の杖」と言うやつですな。

たかだかあんな棒切れ一本が、老人にとっては、最も頼りになる存在なのですよ。

棒切れは、何にも言わないけれど、本当に頼りになる相棒なのですだよ。

気に入らねーヤツがいたら、間違えたフリして、ポン、コツンとやれるしね。

 

いやいや、それはいけませんよ。ポン、コツンは。

やる時は、手心を加えてはなりませんよ。バシッと行かなくては。バシッと。思いっきり。ポン、コツンなんて、生易しいのはいけませんよ。バシッとでなくては。

 

いやいや、そう言うことでは、御座いませんよ。杖を振り回して、バシッと言うのは、いけません。

うっかりやってしまって、折れてしまったりすると、また、大枚をはたいて、買わなくてはならなくなりますよ。思わぬ出費となり兼ねませんからね。

 

いやいや、そう言う意味では御座いませんよ。ランボーを振るってはいけません、と言う事ですよ。

 

いやいや、ランボーなど振るうなどと、誰も言っちゃーおりませんよ。

振るうのは、杖ですだよ。

 

だから、杖だって振るえば、単なるランボーと言うものですよ。

 

いや、杖は杖、ランボーランボー、本来別物でっせ。

 

またまた、ややこしくしないでくだせーよ。

話が、わからなく、なってしまったでは御座いませんか。

 

いやいや、話は、簡単ですだよ。

杖を振り回しては、いけませんよ。と言う事では御座いませんか。何か、わかりにくいところが御座いますか。

 

ハイハイ、その通りで御座います。

 

ハイは、一回でいーですよ。

 

ヘイヘイ、そーですかい。

 

ヘイも、一回でいーですよ。

 

分かりました。分かりました。以後気をつけます。

 

分かりましたも、一回でいーのですよ。

 

ハイ。

 

ハイ、良くなりましたね。やる気になれば、ちゃんとやれるではないですか。

 

ハイ。

 

良いですよ。ハイその調子で。どうぞ。

 

ところで、何の話でしたか。

 

杖の話ですよ。

 

あー、そうでした。杖の話ね。

で、杖がどーしました。

 

振り回しては、いけせん。と言う話ですよ。

ちゃんと、転ばぬ先の杖として、使わなければ、なりません。と言う事ですだよ。

 

ところで、今杖を一番必要としてるのは、どなただと思いますか。

 

そりゃー、どなたと言われると、特定の個人名を出さなくてはならないような気がしますが。

結構、候補者の名は、即座に浮かびますがねー。

となりますと、個人情報との関係で、色々とですね。まー、その、塩梅の良くない事態が発生するかも知れませんので、まー、ある程度、漠然とした対象の方が、無難のような気がしないでもありませんな。

 

しかし、漠然としたものですと、なかなか事態がはっきりしなくて、分かり難いのでは、御座いませんか。

 

いやいや、そーとも限りませんよ。

 

そんなに、引っ張らずに、とっとと、白状してはどうですかってですか。

 

その方、良い加減に、有り体に白状せい。

何もかも、この桃吹雪が、お見通しだ。

 

へへーっ。恐れ入りやした。お代官様。

それでは、恐れながら、申し上げますだ。

せ、せ、せーふで御座いますだ。お代官様。

 

何と、せーふとは、野球の試合関係のことか。

 

は、はーっ。左様で御座いますだ。

 

野球となれば、プロ野球か、それとも春の高校野球のことか。

 

へー、さしずめ高校野球の方でオネゲーしますだ。

 

高校野球の方か。では、有り体に申し述べてみよ。


へ、へーっ。今度の春の高校野球は、新型コロナウイルスの感染対策上、無観客でやるとかどうのと言う事でごぜーやすが。これでは、選手の諸君が、応援がなくて、淋しい思いをしますベー。

そこで、オラから一つ提案があるだよ。

 

ほー、提案とは、何じゃ。申してみよ。申してみよ。

 

へ、へーっ。恐れながら、無観客とは申せ、場内放送はやるだべ。

◯◯高校、3番、ファーストおー、とかさ。

 

左様。△△高校、4番、サードながしめ、とか。このようなウグイス嬢のアナウンスは、あるだろうな。としたら、どうだと言うのだ。

 

そこでですだ。◯◯高校、3番、ファーストおーが、例えば、ホームランを打った時には、過去の大会でホームランを打った時の、歓声の録音の一つや、二つはすぐに見つかると思うだよ。その録音を、タイミングよく、場内放送で盛大に流すだよ。このようにして、選手を盛り上げてやっては、どーですだべ。お代官様。

 

おー、なるほど。ヒット、2塁打、3塁打、などなど、空振り三振の時など、色々取り揃えて録音を流すと、盛り上がったり、盛り下がったりして、効果的かも知れぬなー。

 

よーし、心得た。三太夫、良きに計らえ。

これにて、一件落着。

 

となるはずだったのでごぜーやすが、今夕、結局、中止とすることが決定された、と言うことでこぜーやすだ。

と言うことで、オラの提案は、虚しく取り下げと言うことですだ。お代官様。

 

まー、そう言うことになるな。致し方あるまい。

これにて、一件落着。

 

ちょ、ちょ、ちょっと、お待ちくだせー。お代官様。

 

なんぞ、まだ、申したい事でもあるのか。

許す、何なりと申し述べてみよ。

 

へ、へーっ。おありがとー、ごぜーやす。

実は、先ほど、お代官様から有り体に白状せい、と命じられた時に、オラが、せーふと言っただが、これにお代官様から、春の高校野球のことか、と水を向けられちまったので、図らずも、そーでごぜーやすと、乗ってしまったのですだ。

しかし、あの時に言った、せーふと言うのは、野球関係の事ではなくて、本当は、政治をとる政府のことだったのでごぜーますだよ。

 

ほー、せーふは、政治を行う政府のことであったと申すのか。

と、言うことは、今、杖を一番必要としてるのは、政府と言う事であるか。

 

へー、左様でごぜーますだ。

もー、この度の新型コロナウイルスの感染問題で、政府は、すっかりヨレヨレのヘロヘロになっているように見えますだ。やることが、もー、後手後手で、総理・政府の基本を忘れた早計な施策の連続で、もはや日本中が、不安、不満のグタグタの状況でごぜーますだよ。

もはや、転ばぬ先なんて状態ではねーですだよ。ドロベッタの中に転んでしまった後の泥まみれ状態での、すがりつきたい杖探しの状況ですだよ。

長年にわたって、日本政府の施策は、もっぱら事件・事故・必要事項発生後の後始末政策に終始してきましたからなー。

要するに、転ばぬ先の杖的発想が、全く以って、貧弱ですだよ。

普段は、選挙対策の票獲得に都合の良い施策を打つばかりで、すわ一大事という事態には、普段からの備えが弱く、眼前の火消し、火事の後始末的施策に大わらわ、いわば転んだ後の泥んこ悪足掻きを、ずーっと、続けてきているように見えますだよ。

要するに、来るべき未来に備えて、と言う発想が極めて希薄と言うことですだよ。

要するに、的確な現状認識を欠き、そして、将来についての必要な目標について熟考する事なく、目先の選挙対策的施策に明け暮れてきたような印象が強いでがすよ。

例えば、大雨洪水で大被害が発生すると、早速特別予算措置を講じて、税金を注ぎ込んで、破壊された道路、橋を復旧しますだよ。

この間、与党の地元選出の代議士先生が、地元と政府の橋渡しで大活躍し、その功績で、次回の選挙に備えるだよ。地元民は、政府、与党の代議士先生のおかげで、立派に復旧したと感じるだよ。と、まー、大いに納得すると言うわけですだよ。

政府の施策は、大雨洪水による復旧にかかわらず、その他の事柄についても、すべからくこの構図で目先の問題に対処する、と言う具合ですだよ。

この度の新型コロナウイルスに関するような施策にも、転ばぬ先の杖的な対策は、極めて脆弱の体を、あからさまにしただよ。

要するに、得体の知れない病原体の出現に対する常日頃からの対策が、極めて不備であったことがあからさまになっただ。桜を見る会のようなことには、実に、小まめに対策し、予算の確保には怠りねーだよ。

得体の知れない病原体の出現なんと言うことは、全く政府の眼中には無かったのでっしゃろうな。

このような事態の時に、想定外でした、と言う弁明の決まり文句を何度聞かされたことでっしゃろう。

この度の新型コロナウイルスに関する施策にも、最初に行うべきは、的確な現状の認識と、それに備える施策の基本をしっかりと持つと言うことが、必要とされたと言う事ですだよ、なー。

しかし、これを怠り、武漢湖北省からの渡来者の検疫に基本をおくと言う、まさに目先の水際対策を講じたにすぎませんでしたなー。

時、まさに中国の春節、多数の中国人が既に来日していましたが、武漢湖北省以外から来た人たちの入国は、検疫なし。この対処法に、警報を鳴らしたウイルス研究の専門家が何人もおりましたが、政府は全く耳を傾けず、国内で、感染者が続出する事態になっても、検疫をなお武漢湖北省からの渡来者に限定すると言う、はじめに設定した方針から脱する事ができまへんでしたな。

要するに、新型コロナウイルスに接した時点で、この新顔のウイルスは、得体の知れないものだ、と言う認識を持てなかったのですだよ。

恥べき、危機意識の欠如だったのですだよ。

これは、得体の知れないものだ、と言うところに、危機意識が及んでいれば、この後の施策の展開が、大きく違っていたことでっしゃろうな。

加えて、この得体の知れないウイルスは、あまり強力ではなさそうだ、とする専門家がいましたな。

政府としては、大したことがない奴の方が、当然対処しやすいわけですわなー。

と言うことで、政府は、安易な方をとったわけで、これによって、目先の検疫策だけで乗り切れると判断したのでっしゃろうな。

どっこい現実はそうは行かなかったのですだよ。

ここに至って、政府はアタフタと施策を打ち出し始めただが、もはや、やる事が後手後手、転んでしまった後の杖探しは、全く、惨めと評したくなるばかりだっただよなー。

全国向けに、小学校、中学校、高等学校、特別支援学校向けの、一斉休校の要請に至っては、まさに、目先も目先、馬が鼻っ先にぶら下げられた人参に食らいつくがごとき有様だっただよ。何の下準備も用意されてなかったからねー、

このような多方面に影響の強い施策を講ずる場合は、それなりの備えが必要なことは申すに及場無いけれど、それなしに、いきなりのタマヤーの打ち上げ花火でだったからなー。

目も当てられない結果が発生しただな。

例えば、各方面に多大なる損失を与える結果となッただよ。ここで、全く予定もしていなかった、この多額の損失の補償をしなくてはならなくなり、国費から、莫大な金額を当てることになってしまっただな。このような時は、いつもの手で、慣れていますだなー。国費、すなわち、税金をどんどん注ぎ込むことにしただよ。お金持ちのなさることは、一味も、二味も違うだなー。

何だかわけの分からないのは、マスクの効用についてですだよ。

まー、ウイルスの専門家の論理は、新型コロナウイルスは、極めて微細なので、市販のマスクでは、吸引を食い止めることができない、と言うことのようでしたな。私は、そのあたりのことは、全くのトウシロウ故に、適切な判断は勿論できねーだよ。ただ、トウシロウとしては、ウイルスの中にも、トロイやつがいて、ひょっとして、マスクに引っかかりはしないか、と期待しただよ。

そんで、マスクをしないよりは、した方がマシのような気がしただよ。

しかし、テレビなどでは、マスクの有無が天地の違いのようにも、連日取り扱われているだなー。この判断は、どうなんだべかなー。

 

と言うことで、もし、ウイルスの専門家の新型コロナウイルスは、極めて微細なので、市販のマスクでは、吸引を食い止めることができない、と言うのが正解だとすると、政府のマスク生産者への助成金の支給、政府の買い上げ、そして、特定地域住民への戸別郵便による配達は、一体なんなのだべかねー? ? ? ? ?

郵送と言う手段の選択が、なんとも訳が分かり兼ねますだよ。とにかく緊急対策として、最も最短時間で、戸別に配達することができる手段として、郵便局が利用されたのかね。その辺の実情は、サッパリ分かりませんだよ。

どのような方法で、マスクが戸別に、届けられたのか、その配送の方法が、どのようだったのかねー。

例えば、

 

政府(厚労省?)製造会社へ配送の指示→マスク製造会社→配送業者(問屋?)郵便局→各戸

 

と言うルートで、届けられたのかねー。

一般的には、政府から最必要とされている地域へ物資を届けるのであれば、所轄の自治体へ一括して送り、地域の実情をより具体的に把握している自治体を通して、最も必要とされている地域へ配給すれば良いのでは、と思だよ。

多分どこの地域においても、各戸別の住民に直接関わる末端の組織として、各町内会が組織されているでっしゃろう。例えば、回覧板などは、この組織を通して、各戸に伝達されているだよ。

この各町内会を管轄するのは、市町村と言うことだな。そして、市町村を管轄するのは、都道府県と言うようになっているだな。

通常見られるこの既存のシステムによれば、郵便局は絡んでこないだよ。

まー、緊急を第一とした場合、都道府県経由をはしょるとして、

 

政府(厚労省?)製造会社へ配送の指示→マスク製造会社→配送業者(問屋?)市町村→各町内会→各戸

 

と言うような配送になるのではないかね。

これが、メディアによれば、「北見市では、北見郵便局で配送先別に仕分けられ、配達員がバイクで各戸を回って7枚入りの袋を郵便受けに入れていった。」と言うことで、都道府県、市町村の介入がなく、おそらく、

 

政府(厚労省?)製造会社へ配送の指示→マスク製造会社→配送業者(問屋?)地方郵便局→各戸

 

と言うルートで、各戸に届けられたようだなー。

郵便局では、送られてきたマスクの包装を解き、各7枚ずつ入りの戸別郵便物を作り、郵便配達員さんが、バイクでそれを戸別に配達した、と言うことでんなー。

郵便局では、突然のことで、手間が大変でしたでしょうなー。

郵便局へは、当然のこととして、代金を支払わなくてはならねーだよな。代金は、申すまでもなく、国民の税金から支払われた、と言うことだな。

この何とも、不可解なマスク戸別配達一件は、一体何だったのだ。

ウイルス研究の専門家は、新型コロナウイルスの感染防止にマスクの役割は低い、また、この新型コロナウイルスの威力は、あまり強いものではなく、感染者の約80パーセントは、個人の免疫力で治ると言っていた矢先の、このマスクの戸別配達は、本当に何だったのだ。政府、厚労省は、何を考えたのでっしゃろうな。

ドウだ。さすがの道知事も、マスクの戸別配達まではできなかったろう。政府の威力を見たか、と言うことだったのか。ヒェー。

 

まー、政府によるバラマキであることは、見ればすぐにわかりますだよ。感染予防の効果については、ともかくとして、マスクを支給された側からすれば、きっと、有難いことに違いないでっしゃろうな。と言っても、各戸7枚ではねー。これで、新型コロナウイルスの感染を止めろ、と言うだか。これで、対策は、万全と言うだか。そして、自分の収めた税金の一部が、効力のはっきりしないマスクとなって戻ってきた、と言う実情でんな。

このような施策が、来るべき国政選挙の時の得票に繋がる、と代議士先生らは判断されたのかねー。政府、代議士先生らの考えることは、よー分かりまへんなー。

 

とにかく、このマスク戸別配達一件に見られるように、政府、国の施策が、基本がないまま、ただただ目先の対策として打ち出されるだよ。

全国の学校の一斉臨時休校の要請など、その影響の後始末など、どうするのかねー。結局は、国税で負担するよりないのだから、たまったもので御座いませんぞ。基本の無い、効果不明の目先の応急手当の繰り返しでは、もー、あきまへんでー。

 

半ボケジジーのボヤキ、コゴトは尽きるところが御座いません。すっかり、くたびれちゃいましたので、本日は、これで止めにします。とにかく、

 

「転ばぬ先の杖」

 

と言う格言のあることを忘れて欲しく無いものですなー。

 

どうも、お疲れ様で御座いました。
おヒマを見て、また、どうぞ。

 

 

お後がよろしいようで。

《停念堂閑記》123

《停念堂閑記》123

 

「停念堂寄席」72

 

ジージのチョコマカ小言 」2

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。

厚く御礼申し上げます。

 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

ヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

と言うことで、張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

打倒、閑、暇、ひま、ヒマーッ!

A A O!  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

 

  

さて、前回に引き続き、本日も、ジジーの小言をネタにして、僅かの間、ヒマ潰しをしようと言う魂胆で御座います。

申すまでも御座いませんが、年老いて来ますと、足腰をはじめとして、とにかく衰えて来ますなー。あっちに来た、こっちに来た、と賑やかなものですわ。

老人が集まると、決まって、あっちに来た、こっちに来たの自慢話の花が咲くのですよ。オレの方が、重症だ、と威張るのですだよ。

他人様の事は、あれこれ言える立場には御座いませんが、これがですね、ついつい言いたくなってしまうのですよ。足腰、いやあちこちがスッカリでダメになっても、これが、口ばかりは、お元気そのものの場合が、多いのですだよ。

 

ところで、小生と同年の幼馴染のご老人がですね。先だって、お孫さんが立派な人に育ってもらいたいのだ、とおっしゃられるのですよ。

要するに、生活上、ちょっと注意しておいた方が、良いのでは、と思う機会が、あるのだけれど、どの様に対処すれば、良いか、と言う事ですわ。

ついては、アンタは、コゴトを言うのが得意らしいので、どの様な事を言ったら良いのか教えろ、と言うのですよ。それを真面目顔でですよ。

今時のジッちゃんで、孫に小言を言おうなんて言うムテッポーな豪傑がおられるとは、もう、ビックリですよ。いよいよ来ちゃったのか ? と、心配しましたよ。

今時のジッちゃんなんざー、孫のご機嫌伺いで、もー、大わらわ、大変でっせー。

もー、いージージになりたくて、いーバーバになりたくて、そりゃーもー必死ですよ。わずかの年金を遣り繰りして、何でも買ってやるは、小遣いをやるは、面白そうなところへ連れて行ってやるは、それはそれは、涙ぐましい努力をしている様ですよ。ホンマ。

因みに、私ゃー、ケチですら、そんな努力は、特別いたしません。もう、クソジジーで結構と、居直っていますから。この方が、よっぽど気楽ですからね。ホンマ。なんちゃって。

 

さて、孫が立派な人に、育ってもらうには、時に、小言の一つも言わなくては、と言う悩みの持ち主の幼馴染のご老人は、基本はお孫さんが可愛くてしょうがないのですよ。もー、たまーに、遠くのお孫さんが遊びに来ることが分かると、もー、待ち遠しくて、待ち遠しくて、会うたびにその話ばかり、3度でも、4度でも、毎回毎回会うたびに話題にしているのですよ。

立派な孫に成長して欲しいと願っているのですなー。

 

と言うことで、時に、立派でない方向の振る舞いが目についたりした時に、その時に、いわゆる小言の一つも、と言うことになる様ですよ。

しかし、意地悪爺さんには、もとよりなりたかーありませんからね。

そこで、上手な小言の言い方を相談に来る、と言うことになったらしいのですだよ。

 

どうしたものですかねー。

思うに、小言を言えば、まー、間違いなく煙たがられるでしょーなー。お孫さんが、遊びに来なくなっちゃったら、それはそれは大変でっせー。

 

一番の問題は、煙たがられてもいー、と言う覚悟ができるかどうかではないでしょうかねー。

なんでも、言う事を聞いてくれる、カッコいー、物分りのいージッちゃん、バッちゃんでいたいのなら、下手な手出しは禁物ですよね。キット。

となると、場合によっては、立派な人になって欲しいと言うことと、小うるさい小言ジジーとなることの、取り替えっことなるよりないのですかねー。

この覚悟ができるか、どうかにかかっているのではないでしょうかね。

なかなかキビシー、選択となりますなー。

 

それからですなー。もっと、手強い事がありまっせー。それはですなー、それはお孫さんの親御さんとの関係ですわ。

この関係は、個々で、色々と違うでしょうが、一般論で言いますと、親御さんは、親御さんの子育ての方向があるのですよ。その方向と、お祖父さん、お祖母さんの方向が同じ場合は、まだ、問題が少ないかもしれませんが、これがですね、一般的には世代の考え方は、大いに違いまっせー。

下手な小言を言って、お孫さんとトラブルになるよりも、昔から言われる、いわゆる嫁姑的問題の方が、よほど厄介ですだよ。キット。

だから、お孫さんとの関係の以前に、親御さんとの関係をちゃんと構築しておく事が、先決でしょうなー。これは、なかな大変ですぜ。

 

まー、その辺の事を色々考えましたところ、この辺りの対処の仕方は、波平さんと、タラちゃんの関係が、参考になりそうですなー。早速、「サザエさん」を買い込んで、この点に焦点を絞って、研究したらどうでしょうね。

 

てな事で、幼馴染のご老人には、「サザエさん」を読めば、と言う事で、一件落着と行きましょうかね。

 

そして、ヒマ潰しのために、小言を言う時の主たるポイントを、良い加減に羅列することにしましょう。

 

てんで、まず、気を付けなくてはならない事は、小言を言うタイミングですなー。

 

小言の内容は、その時々にマッチしたものでなくてはね。

概ねは、小さい子供に対しては、作法、マナーについての事が、多くなるでしょう。

どんな時、どんな事を、どの様に言うかは、やはり常日頃からの準備が必要ですよ。

行き当たりばったりでは、ドジル事がありますからね。日頃から、こっそりとトレーニングしておいて、ここぞ、と言う時に、タイミングよくやるわけですよ。

 

次にまた、小言の内容について、欠くべからざる事は、人間として、本来しなくてはならない事、してはならない事等については、しっかりと言い聞かせないといけませんな。

これはですね。言う立場の方が、相当勉強が必要ですよ。常日頃の、態度から問題になりますから。

 

まず、やっちゃならない事は、

1   人を殺してはならない。

2   人を傷つけてはならない。

7   人をオドシてはならない。

8   人をイジメてはならない。

6   人をブジョクしてはならない。

4   ウソをついてはならない。

5   人をダマしてはならない。

9   人の物を壊してはならな。

10 人の物を盗んではならない。

 

などなど、当たり前のこの様なことが、教えるべき基本的な事でしょうね。

この様な事が、ちゃんと身についている人は、かなり立派な人ですよ。

 

てな事を、前回述べた次第なのですよ。

 

しかし、コゴトジジーとしては、まだ、言い足りないことが残っちゃったのですだよ。

 

そこで、本日は、いわばその延長戦をやろうと言う魂胆なのですだよ。

ヒマを持て余しているジジーは、口だけは、結構しっこいですだよ。

 

さてと、今日もせっせと、小言に精を出さなくては。

 

さてさて、人間、・・・してはならない、と規制ばかりされると、ウンザリしますね。

子供といえども、それは同じで、あれはダメ、これはダメとダメダメばかり言っていたら、嫌がられ、逃げて行ってしまいますから、これらは、先に言いました様に、タイミングを見計らってやらなければ、成功しませんよ。

 

そして、ダメの反対、こうしたら良いよ、と言う事も、用意しておかなくてはなりませんなー。

良い事をした時には、褒める事が常道の様ですなー。褒めて伸ばすのが良い、とよく聞きますなー。

子供は、褒められると調子に乗って、褒められそうな事ばかりする傾向がありますから、乗っけてやらせるのが、上手い方法の様ですなー。

 

ところで、ここで言う褒められる良い事とは、具体的にどんな事ですかねー。

これが今の常識ではどうなっているのか、ジッちゃん、バッちゃんにとっては、幾分判断に困るところが御座いますよ。

ジッちゃん、バッちゃんの常識は、今や非常識に成り果てていたりしますからね。お孫さんの親御さんとの、調節が大事なのでしょうね。

 

まー、一般的には、次の様なことが、挙げられますなー。

 

A   しっかりした目的を持つこと。

B   ひとには、親切にするものだ。

C   真面目にやる。

D   コツコツと継続する。

E   責任を取れる人になる。

F   他人の為になる事をする。

G   弱い立場の人を助ける。

H   人助けをする。

I     他人の意見を尊重する。

J    他人の立場を理解する。

K   仲良くする。

L   規則を守る。

M   積極的になる。

N   働く。

O  良し悪しをわきまえる。

P   行儀をよくする。

etc

 

お断りしておきますが、これは思い付きざまを書き連ねただけですからね。

お前は、できるのか。なんて、野暮なこと、言い出さないで下さいよ。私ゃー、書き並べただけ。ここまでが、半ボケジジーの仕事でやんす。自慢ジャネーですが、半分もダメだね。

これから育って、未来の社会を背負っていく孫達だからね。期待して並べたのですよ。

くれぐれも、私がやろう、と言う事では御座いませんからね。私は、これ等のコゴトを言うだけですから。そこんところをご理解くださいませよ。

 

それから、これ等の事をお孫さんに言って聞かせるに当たって、その前提となる最も大事なことが御座いますよ。これだけは、何をさしおいても、とことん教えておかなくてはなりませんよ。

それは、「ジージ、バーバを尊敬し、いたわること。ジージ、バーバの言う事をよく聞くこと。」これですだよ。これをやっておかなくては、意味が御座いませんから。徹底的に、やっておかないと、全ての展開がムダになりますからね。

これさえやっておけば、あとは、まーね。ほどほどにですなー。気が向いたらね。気長に行きましょー。気長に。てな事ではいけませんよ。ちゃんとやらなくては。徹底的にね。

 

さて、並べ立てただけではいけませんな。真面目に、一つづつ吟味しなくては、なりませんね。

 

まず

 

A  しっかりした目的を持つこと。

 

これが、大事ですなー。何事でも、行うに当たっては、まず、しっかりとした目的を設定して、その事に取り組む事が肝心ですね。

これは、あれこれ説明の必要はないでしょうね。

でも、今日はヒマ潰しの為に (これが正に目的ですから)、特別、言わずもがなの事を、くどくどと申し述べさせて頂きます。悪しからず、ご辛抱下さいませよ。

たとえば、マラソン競技の時に、よもやゴールがどこか分からずに、とりあえず走り出す人はいないでしょう。

ちゃんと、ゴールが設定されていて、そこを目指して走るわけですよね。

何も、マラソンに限った事では御座いませんな。何かを行うに当たっては、目的を持って始めるものです。

この時に、当たっては、何となくボヤッとした目的ではなく、はっきりした目的を持つ事が、この目的を達成するには、大事な事ですね。

はっきりした目的を持っているか、どうかで、目的を達成できるか、達成できなくても、目的に近づく事ができるかのスピードが全く違いますから。

当たり前ですよね。目的地を決めてなければ、そこを目指す事すら出来ないのだから。適当に、その辺をフラっこ、フラっこしているだけでは、どうにもなりませんよ。だから、目的地をちゃんと設定して、そこにたどり着くのに、最善の道を歩む方が、断然いいのですよ。

要するに、何事も、目的を設定する時は、よくよく熟慮を重ねて、しっかりした目的を設定しなくてはなりませんよ。

熟慮せずに、目先の事だけで判断すると、とんでもないことになり兼ねませんからね。そー言えば、ちよど良い手本が目下目の前にありますなー。

言わずと知れた、新型コロナウイルスに対する総理、政府の対策ですよ。

 

2019年12月8日に、最初の新型肺炎患者を中国 湖北省武漢市で確認されましたね。

そして、明けて1月7日に、これが新型コロナウイルスと特定されました。

その後、1月16日に、日本で初の感染者が確認されましたな。

これから、日本における新型コロナウイルスとの戦いが始まりましたね。

政府は、1月28日に、新型肺炎を指定感染症閣議決定しました。

この後、武漢市内の在留日本国民を、チャーター 飛行便で、帰国させ出しましたな。

1月31日には、過去2週間以内に湖北省滞在歴のある外国人の入国を拒否しましたな。

2月3日になって日本政府は新型コロナウイルス感染症対策本部を設置。

そして、2月25日に至って、ようやく、ようやくですよ。ここに至って、日本政府は新型コロナウイルス感染症対策の基本方針案を決定するに至ったのですわ。

細かな動きは、まだまだございましたが、総理、政府の新型コロナウイルスについての主要対策は、このようでしたが、ここでなんか変だなー、と気付いた事が、御座いませんか?

 

何にも、御座いません。

となると、言い出しっぺとしては、ちょっと弱るのですが。御座いませんとおっしゃられれば、はいそれ迄ですな。

と言いながらも、総理、政府の対策の最も基本的と見られる部分に、ナンジャこれ、と疑問を挟んで欲しかったのですだよ。

分かり易く言いますと、とかく対策については、まず最初に基本が定められて、その基本を踏まえて、諸々の対策が展開されるのが、当たり前の事ですよね。

それが、総理、政府の新型コロナウイルス対策は、2月25日に至って、ようやく基本方針案を決定しているのですよ。

さんざ、目先対策をやってみて、言ってしまえば、手の打ちように窮した段階に至って、ようやく、基本方針を持たずに、目先の事にあれこれ対処していただけ、と言う事に気がついた、と言う事になるのですよ。

 

ここで、一言。

 

御粗末 !

 

以外には、言葉がないのですよ。

要するに、ここの話の本筋に戻すと、基本的な目的を設定せずに、熟慮せず、目先の事だけで判断すると、とんでもないことになり兼ねませんから、と言う事なのですよ。

 

2月27日に、北海道としては、もう、これは緊急事態だ、と言う事で、知事が、独自の責任においいて、道内の全公立小

中学校を27日以降の数日間程度、一斉臨時休校とするよう市町村側に要請しましたな。

ここで、打てる手を打っておかなければ、後で、後悔しても始まらない、という、道知事の決断が示されたのですね。

これは、申すまでもなく、何も道内の全公立小中学校を一斉臨時休校にする、と言うのが、目的ではないのですね。

要するに、道内の全公立小中学校の一斉臨時休校を要請すると言うことを通じて、学校や児童・生徒だけではなく、北海道民の全体に、新型コロナウイルスに対する危機感をより一層強める効果を狙ったものでしょうね。

だから、これと共に、知事から要請されたことは、この週末は、できるだけ、出歩かない、外出しないように、という事だけでしたね。

これが、メディアよって報じられると、物凄く、大慌てになった御仁がおられましたなー。

翌日に、なんと、なんと、総理は、3月1日月曜日から、日本全国の小学校、中学校、高等学校、特別支援学校の全てに対して、春休みまで、臨時休校にする要請を発してしまいましたね。何ら、予告無し、準備無し、具体策無しのドーン、タマヤーの打ち上げ花火ですわ。

まー、突然でしたね。以前に、北朝鮮からロケットが飛んでくる恐れがあるとして、国民に避難の警報を発した事が御座いましたな。

これは、どこかに着弾した場合には、そこだけ、命中したと言う事でしょうが、今度の総理の一斉休校要請は、見事、日本中の小学校、中学校、高等学校、特別支援学校の全てに命中しましたな。

命中しちゃったので、着弾の現場は、もー、大パニックに陥ってしまいましたな。予告なしの直撃でしたからね。

情けないのは、翌日早々に、文科大臣が、これについては、地方自治体の判断に委ねる、と言う訂正と言って良い、記者会見を行いましたね。

 

まー、ここでも、一言。

 

御粗末 !  見事な御粗末 !

 

嗚呼。故赤塚不二夫氏もビックリ仰天したであろう御粗末クンでんなー。

 

新型コロナウイルス菌の拡散防止対策としては、学校の臨時休校の処置は、止むを得ない側面を持ち合わせているとも思われますが、なにぶん共、唐突すぎましたな。要請を発する方は、手順はすこぶる容易でしょうが、この直撃を受けた、各方面は、もー、テンヤワンヤですわ。学期末、学年末、入試、卒業期ですからね。

なんの対策も示さず、いきなりの、臨時休校の要請ですからね。

この感覚には、何とも評しようが御座いませんな。要請を受ける現場の事情なんと言うものは、鼻っから眼中にないのですかね。無知加減も、ここまで来ているとは、お手上げで御座います。

ウイルスにやられちゃったのですかねー。○○○ウイルスと言う新種の菌かね ?

目先の思い付きを何の対策も無しに、打ち上げ花火でんな。

慌てて、翌日対策めいた事を会見で発表しましたが、もー、要点のまとまっていない事を、次から次へと並べ発するだけで、さっぱり心に残るところがなかった、ですなー。

思い付きを手当たり次第に、連射したのでしような。

子供の命を守るため、などと言えば、有権者に受けて、次期の選挙に有利と踏んだのですかね。もはや限界を過ぎちゃってますなー。

 

とにかく、物事を遂行しようと言う時には、まず基本的な目的を定めて、その実現のためにどのように対策するのか、2段、3段・・・・・と具体的な手を打ち出すのが、筋というものでは御座いませんでしょうか。

お孫さんには、まずは、

 

「しっかりした目的を持つこと」

 

をクドクドと言って聞かせましょう。クドクドやるのが、ジージの小言の真骨頂ですから。

 

次には、

 

B ひとには、親切にするものだ。

 

と言うことについてですが、これは、今の常識でも通る事でしょうね。

エッ! そーでも無いってですか ?

そーなんですよ。たとえば、「情けは人のためならず」なんて言われてきましたが、これは、他人に情けを掛ける、親切にしてあげると言う事は、いらざるお世話だ、その人のためにならないよ、と言うのが、今時の常識の様ですよ。

エッ、そんな事。今時の、だってですか。どこが違うってですか ? って。

ジッちゃん、バッちゃんらの理解は、他人に情をかける事、すなわち、親切にしてあげる事は、余計なお世話ではなく、その人の為にならない、と言う事ではないんだよ。

他人に親切にしておけば、それがいつの日か巡り巡って、いずれ自分が他人から親切にして貰えるのだよ。だから、人に情をかける事は、面倒な、バカバカしい、余計なお世話で、無駄な事だ、と言うのでは無いのだよ。結局は、自分のためにもなる事だから、他人には情けをかけた方が良いよ。と言う事なんだよ。

しかし、現実は、中々難しいものの様ですな。先日、テレビで、若者が嘆いていたのですよ。電車で、自分は座っていたところ、老人が乗り込んできた。席を譲ってやりたいのだけれど、それが、どうもうまくできない。と言うのですよ。

どうして、となると、周囲の目が気になるのだそうですよ。あの野郎、良い子ぶって、と見られるのが嫌なのだそうですだよ。これが、どうも今の若い子の常識の様ですなー。

今までの常識では、席を譲ってくれる方が、ずっとカッコ良いのにね。若い人には、若い人なりの事情と言うものがあるのでしょうな。

ジー側としてはね、若いくせに、席も譲ろうともしない、不親切な若者だ、どんな育てられ方をした子だ、きっとジージの小言を聞いたことのないやつだな。親の顔が見たいものだ、と思ったりしていたら、なんとなんと孫だったりしてね。

実に、ここがジージのコゴトのタイミング時ですだよ。でも、孫のメンツーもあるから、難しいところでんなー。

まー、他人には、親切にした方が良いよ。

たとえ見返りがなくともね。

いかに、時代が変わろうともね。親切にしてもらって、気分を害する人は、めったにいないだろうし。親切にした方だって、親切にしてやった。失敗した。オレは、なんて悪いことしちゃったのか、意地悪してやればよかったのに、と反省し、後悔する人は少いでしょー。

小ちゃな親切でもした時には、オレもちっとは良いところあるなー。なんて、少し良い気分になれたりするでしょー。

と言う様な方向で、お孫さんに、気になった時は、タイミングよく、コゴトを言ってやったら、良いのではないかのねー。

以前、ジッちゃんとお孫さんらしき人が、電車で並んで座っていたところ、お年寄りが乗り込んできたのですよ。そしたら、ジッちゃんが、孫に席を譲ってやれよ、と言ったのですよ。孫は、シブシブの様でしたが、立って、お年寄りに、席を譲っあげた光景を見たことが御座いますよ。

あのタイミングだね。

お孫さんは、きっと、後で褒められて、何かご褒美にありついたね。あれは。

 

さて、お次はと・・・。

 

おいおい、気まぐれに羅列したのを、一つずつ、やるつもりか ? ってですか。 

当然、当然ですよ。しばらくのご辛抱を。

 

なんて、野暮な事、言うと思いましたか。

こっちだって、新型コロナウイルスの感染の隙間を狙って、あれこれやらなくてはならないわけで、それは、それは、日々大変なのですから。半ボケジジーのヒマ潰しに、そー、そー、付き合っているヒマは御座いませんよ。

あれをやっちゃー ダメ、これをやっちやー ダメも、シンドイけれど、あれをやれー、これをしろーも、言われる方は、なかなかシンドイ事ですよ。

まー、ほどほどに、タイミングを計って、やるより御座いませんな。

 

てな事で、本日の行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話を止めにいたします。

どうも、お疲れ様で、御座いました。どうぞ、新型コロナウイルスに感染せぬように、手洗いに努めましょう。

ついでに、悪いことからは、足も洗いましょう。

 

お後がよろしいようで。

《停念堂閑記》122

《停念堂閑記》122

 

「停念堂寄席」71

 

ジージのチョコマカ小言 1

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。

厚く御礼申し上げます。

 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

と言うことで、張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

打倒、閑、暇、ひま、ヒマーッ!

A A O  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

 

  

さて、本日は、ジジーの小言をネタにして、僅かの間、ヒマ潰しをしようと言う魂胆です。

申すまでも御座いませんが、年老いて来ますと、足腰をはじめとして、とにかく衰えて来ますなー。あっちに来た、こっちに来た、と賑やかなものですわ。

老人が集まると、決まって、あっちに来た、こっちに来たの自慢話の花が咲くのですよ。オレの方が、重症だ、と威張るのですだよ。

老いても、なお元気に、活動しておられる方々もおいでで御座いますな。大変結構で御座います。

お他人様の事は、あれこれ言う立場には御座いませんが、これがですね、ついつい言いたくなってしまうのですよ。足腰、いやあちこちがスッカリでダメになっても、これが、口ばかりは、お元気そのものの場合が、多いのですだよ。

そしてですね、足腰ばかりではなく、特にオツムの方がね、結構来てるのですよ。

来るのは、行けませんわ。(ちょっとピンボケ気味ですなー。まー、こんな風にですなー。)ホンマ。

元来、私ゃーね、若い頃から、物覚えは悪いけれど、物忘れはいーよ、を売りに、これまで七十余年生きて来たのですよ。

これは、冗談では御座いませんよ。本当に、そーなのだから。当の本人が言うのだから、絶対に間違い御座いません。断言します。証明だって、キッチリできますよ。証明しなくても、長年付き合ってくれて来た御方々は、みんな知ってますから。証明の必要も御座いませんよ。公認で御座います。

最近は、この能力の方が、スッカリ元気付いてですね、本領発揮の事態に立ち至っているのですよ。

耳がダメ、目がダメ、当然オツムの方もね。

ダメ関係は、どうも頭部に多いですなー。

物覚えの悪さ、物忘れの良さ、抜群ですなー。

なのに、口だけはねー。これは別物の様ですなー。特に、コゴトだけは、年季が入って、いよいよ磨きがかかって来た感があるのですだよ。結構いけまっせー。

 

ところで、ノーミソとは、不思議な生き物ですなー。時々、本人の意思とは何ら関係なく、自分勝手に行動してますからね。特に本人が眠っているのにね。全く訳の分からない、夢など見せやがってですね。好き勝手してるのですだよ。

小生のは、No  Miso ですからね。

戦時中の物資不足の時に、北海道の田圃と畑しかない思いっきりのんびりした片田舎で製造されたせいでしょうかねー。どっちかと言うと、性能が悪いですなー。こう言うのを、最近はクオリティーが低い、と評されるのですかねー。

このクオリティーの低いお陰で、これまで、散々な目にあって来ましたよ。ホンマ、もー、苦労、苦労の連続でしたわ。

これは覚えておかなくては、と、一所懸命努力に努力を重ねて、これでよしと覚えたはずの事を、ここぞと言う時に、ケロッと忘れちゃっているですよ。あんなに、これは覚えておかなくては、と何度も何度も、繰り返し繰り返し、必死で覚えたはずなのに、これが肝心な時に限って、思い出せないのですだよ。

それが、大して必要のない時に、ヒョッコリと顔を出したりするのですよ。役たたずでんなー。若い時から。

ところが一方では、クッダラネーどーでも良いことを、克明に記憶していたりするのですよ。

覚えておかなくては、なんて、何にも努力もしていないのにねー。

びっくりしますなー。なんだこれー、ですだよ。栃木県民でもないのに。

(蛇足ながら、栃木県の人は、何だこれ、とおっしゃられるお方々が多い様なのですよ。気づいてませんか ?  気付いておられない御方は、今度、栃木県出身のU字工事さんの漫才の時に、注意を払ってみて下さいませ。ひょっとしたら、なんだこれ、をやってくれるかも知れませんよ。こう言った、事は、すぐに記憶しちゃってるのですよ。)

きっと、製造の過程で、どっか具合の良くないところを見落としたのでしょうなー。

これで、七十余年、よくぞ生きながらえたものですなー。不良品も、騙し騙し使えば、何とかなる様で。

しかし、ですねー、今や、残念ながら、流石に来てますからねー。

今となっては、老体に鞭打たないで、できる事は、小言を言う事ぐらいですわ。

 

ところで、小生と同年の幼馴染のご老人がですね。先だって、お孫さんが立派な人に育ってもらいたいのだ、とおっしゃられるのですよ。

要するに、生活上、ちょっと注意しておいた方が、良いのでは、と思う事が時に、あるのだけれど、どの様に対処すれば、良いか、と言う事ですわ。

ついては、あんたは、小言を言うのが得意らしいので、どの様な事を言ったら良いのか教えろ、と言うのですよ。それを真面目顔でですよ。

今時のジッちゃんで、孫に小言を言おうなんて言うムテッポーな豪傑がおられるとは、もう、ビックリですよ。いよいよ来ちゃったのか ? と、心配しましたよ。

今時のジッちゃんなんざー、孫のご機嫌伺いで、もー、精一杯、大変でっせー。

もー、いージージになりたくて、いーバーバになりたくて、そりゃーもー必死ですよ。何でも買ってやるは、小遣いをやるは、面白そうなところへ連れて行ってやるは、それはそれは、涙ぐましい努力をしている様ですよ。ホンマ。因みに、私ゃー別ですが。

昔から、孫は目に入れても痛くない、と良くおっしゃられるご老人が、おられる様ですが・・・。

ホントかね。

1ミリに満たないゴミが目に入っても、救急車呼ぼうかと、大騒ぎするご時世ですよ。

私ゃー、自慢じゃねーですが、見聞の狭い人間ですからねー、何とも言えないところが御座いますが、生まれてこの方七十余年経つけれど、孫を目に入れたジッちゃんも、バッちゃんも見たことがないですよ。

例えば、孫、曽孫合わせて10人以上と言う、ジッちゃん、バッちゃんを数多く知っていますが、孫を目に入れた現場を、見た事はありませんよ。

10人だとすると、片目に5人ずつでっせー。目が足りなければ、耳も使うかね。孫の耳センですわ。

これはえらい事ですぜー。そんな事しようものなら、救急車1台、2台、3台では、役に立たないよ。きっと。

目に入れるジッちゃん、バッちゃんも大変でしょうが、入れられる孫はどうなります。

もー、狭くて狭くて、場所が場所だけに、目も当てらんないですよ。キット。

 

さて、孫が立派な人に、育ってもらうには、時に、小言の一つも言わなくては、と言う悩みの持ち主の幼馴染のご老人は、基本はお孫さんが可愛くてしょうがないのですよ。もー、たまーに、遠くのお孫さんが遊びに来ることが分かると、もー、待ち遠しくて、待ち遠しくて、会うたびにその話ばかり、3度でも、4度でも、毎回毎回会うたびに話題にしているのですよ。

立派な孫に成長して欲しいと願っているのですなー。

 

と言うことで、時に、立派でない方向の振る舞いが目についたりした時に、その時に、いわゆる小言の一つも、と言うことになる様ですよ。

しかし、意地悪爺さんには、もとよりなりたかーありませんからね。

そこで、上手な小言の言い方を相談に来る、と言うことになったらしいのですだよ。

 

どうしたものですかねー。

思うに、小言を言えば、まー、間違いなく煙たがられるでしょーなー。遊びに来なくなっちゃったら、それはそれは大変でっせー。

 

一番の問題は、煙たがられてもいー、と言う覚悟ができるかどうかではないでしょうかねー。

なんでも、言う事を聞いてくれる、カッコいー、物分りのいージッちゃん、バッちゃんでいたいのなら、下手な手出しは禁物ですよね。キット。

となると、場合によっては、立派な人になって欲しいと言うことと、小うるさい小言ジジーとなることの、取り替えっことなるよりないのですかねー。

この覚悟ができるか、どうかにかかっているのではないでしょうかね。

なかなかキビシー、選択となりますなー。

 

それからですなー。もっと、手強い事がありまっせー。それはですなー、それはお孫さんの親御さんとの関係ですわ。

この関係は、個々で、色々と違うでしょうが、一般論で言いますと、親御さんは、親御さんの子育ての方向があるのですよ。その方向と、お祖父さん、お祖母さんの方向が同じ場合は、まだ、問題が少ないかもしれませんが、これがですね、一般的には世代の考え方は、大いに違いまっせー。

下手な小言を言って、お孫さんとトラブルになるよりも、昔から言われる、いわゆる嫁姑的問題の方が、よほど厄介ですだよ。キット。

だから、お孫さんとの関係の以前に、親御さんとの関係をちゃんと構築しておく事が、先決でしょうなー。これは、なかな大変ですぜ。

 

まー、その辺の事を色々考えましたところ、この辺りの対処の仕方は、波平さんと、タラちゃんの関係が、参考になりそうですなー。早速、「サザエさん」を買い込んで、この点に焦点を絞って、研究したらどうでしょうね。

しかし、波平さん一家の様な環境は、今時、なかなか御座いませんからね。ダイレクトに、参考になるかどうかの心配が御座いますね。

波平さんの他、サザエさんをはじめフネさん、マスオさん、カツオくん、ワカメちゃんら、それぞれの役割を持って存在してますから、その中での波平さんとタラちゃんの関係ですからね。

そうそう、ネコのタマだって、大きな役割を果たしていますからね。

タマに、肝心な場面で、タマが活躍していますよ。

オマエ、このダジャレのために、サザエさんを引っ張り出したのか、ってですか。

違いますよ。違いますよ。

タマ タマそうなっただけですよ。タマ タマです。

しっこいってですか ?  

タマには、良いでは御座いませんか。タマには。

それから、偶然といいますか、奇遇といいますか、カツオ君の友達にナカジマ君がいましたね。

ナカジマ君の存在も見落とせませんよ。

やっぱ、友達は、ナカジマ君に限るね。

ナカジマ君は、実に良いやつだよ。

聞くところでは、カツオ君とナカジマ君は、どーも、イトコ同士の様だね。

これは知る人ぞ知る個人情報と言うやつだね。

 

と言う事ですが、サザエさん一家の研究が、参考にはなるのではないでしょうか。

 

てな事で、幼馴染のご老人には、「サザエさん」を読めば、と言う事で、一件落着と行きましょうかね。

 

ダメ ?  

ダメですか ?

もっと、ちゃんと、真面目にやれって、ですか。

それなら、1日の生活の順を追って、検討していきますか。少々長くなりますよ。

 

まず、朝寝坊をさせてはいけませんよ。毎日、きちんとした生活のリズムを身に付けさせる事が大事ですね。

これを身に付けさせるには、決まった時刻に起こさなくてはなりませんよ。

と言う事は、お祖父さんは、お孫さんよりも、先に起きてなくてはなりませんよ。

それは問題ない。朝は、3時過ぎれば、いつも目が覚めている。年寄りは、朝早いのは、ぜんぜん気にならないから。

4時には、起こすことにしよう、ってですか。

4時に、たたき起こすのですか。

それは、ちょっと、早すぎゃーしませんか。

せめて、せめて4時半までは、待ってあげましょうよ。

私だって、遅くも4時には、目覚めてますからね。

これから、6時に起床するまでが、退屈なのですよ。

仕方がないので、今日のヒマ潰しのネタでも考えることになるのですよ。朝の早よから、ご苦労さんなことでしょう。これが、年中毎日ですからね。

これでいて、なかなか苦労が絶えないのですよ・・・

 

何の話でしたっけ。

そうそう、朝、孫を起こす時刻ね。

まー、4時半なんて、半端をつけず、思い切って、5時にしますか。

まだ、明けやらずで暗いってですか。

それなら、譲るに、譲って、5時半ではどうです。

 

キリがないですね。

全く、ジジーは暇だから、考える事がね。タップリと時間を使わなくてはね。

これ、夜、寝るまでを、こと細かにやりますか ?

箸の上げ下ろしまで。

流石に、飽きるでしょうな。

 

結論。それぞれの家庭の事情がおありでしょうから、各家庭で相応しい時間を設定しましょう。

注意。年寄り時刻に合わせると、どえらいことになりますよ。蛇足ながら。

 

ヒマ潰しのために、小言を言う時の主たるポイントを、思いつきざま、良い加減に羅列することにしましょう。

 

まず、気を付けなくてはならない事は、小言を言うタイミングですなー。

人は、関心の無い事を、突然言われても、関心を示さない事が多いですよ。特に、子供はね。

コツは、ここぞ、という時を捉えて、その子がまさに関わっている事について、アレコレ言う事ですよ。

すなわち、例えば、食事中に、味噌汁をひっくり返さない様に、とやらなくてはダメ。キャッチボールをしている最中に、いきなり味噌汁をひっくり返してはダメよ。なんてと言ったって、なかなか通じませんから。

タイミングが大事です。タイミングが。

 

小言の内容は、その時々にマッチしたものでなくてはね。

概ねは、小さい子供に対しては、作法、マナーについての事が、多くなるでしょう。

どんな時、どんな事を、どの様に言うかは、やはり常日頃からの準備が必要ですよ。

行き当たりばったりでは、ドジル事がありますからね。日頃から、こっそりとトレーニングしておいて、ここぞ、と言う時に、タイミングよくやるわけですよ。上手くいくとヒットになったりしますから。

ドジルと、ダブルプレーを食ってしまいますよ。

どの様な態度でいくか。顔の表情はどう作るか。言葉の表現は、どうするか。

これで、色々と準備が大変なのですよ。ヘマすると、やらなきゃ良かった、と言う事になりかねませんからね。結果、取り返しが難しくなったりしますから。

とにかく、日頃からの訓練が、いざと言う時に、物を言いますからね。いや、小言を言いますからね。

訓練は、他人に見られない様に気をつけましょう。警察に通報されたりすると、後始末がね、手間かかりますから。

 

次にまた、小言の内容について、欠くべからざる事は、人間として、本来しなくてはならない事、してはならない事については、しっかりと言い聞かせないといけませんな。

これはですね。言う立場の方が、相当勉強が必要ですよ。常日頃の、態度から問題になりますから。

 

まず、やっちゃならない事は、

1   人を殺してはならない。

2   人を傷つけてはならない。

この2点を取り合えず、教えなくてはなりませんなー。これについては、口を酢酸、レモン、梅干しにして、スッパクして、とことん言い聞かせて、身に付けさせなければなりませんよ。

何で、この様な時に、口をスツパクして、と言うのですかね。ショッパイ、ニガイ、カライではダメかね。流石に、甘いはねー、効果がなさそうでんなー。

そして、

4   ウソをついてはならない。

5   人をダマしてはならない。

6   人をブジョクしてはならない。

7  人をオドシてはならない。

8   他人をイジメてはならない。

9   他人の物を壊してはならな。

10  他人の物を盗んではならない。

 

などなど、当たり前のこの様なことが、教えるべき基本的な事でしょうね。

 

これらについては、日常の色々な機会をとらえて、何回も何回も、分かるまで言い聞かせないといけませんなー。小うるさい、クソジジーと言われても、これくらいの事は、最低限身に付けさせて置かなくてはなりませんよ。

これは、ジジーの責務ですよ。

 

と言っても、風呂で冷たいシャワーを浴びせながら、躾と称して、折檻してはなりませんよ。

今、裁判中ですが、自分の子供を死に至るまで、折檻するとは、驚きですな。これは、表沙汰になった例ですが、明るみに出ていない例も多々あるのでしょうね。ジジーの効果的な小言が無いまま育って、大人になってしまったのでは無いでしょうか。

現在は、核家族が一般的でしょうから、ジッちゃん、バッちゃんの小言は通常は、ございませんな。もっぱら、親御さんの役割とされるより無いのでしょうが、親御さんにとっては、中々骨の折れる事では御座いますなー。

たまーに会った、ジッちゃん、バッちゃんは、とにかく、お孫さんには、メチャクチャ甘いですからなー。

わがまま放題になりますなー。

親がきつく躾けると、とかく親子関係がギクシャクの方向へ進みかねないし。その様になってしまっては、困りますからねー。親も子も、取りつく島がなくなっちゃいますから。引き篭もり状態になっちゃったら、対処が難しいですなー。

「父ちゃん、引き篭もって無いで、いーかげんに、部屋から出てきてくれよ。」なんてことになったら、子供も苦労するハメに陥ったりしますから。

引き篭もりを無くする、とっておきの対策をお教えします。

家の間取りを一部屋っきりにすべし。これで引き篭もりはできません。

 

小さい頃から、親子仲良しの関係を維持し、その中で、躾もしなければならないから、親御さんのストレスもね。子育ては、大変骨が折れますなー。

サザエさん一家の様になってほしいものですなー。

 

とにかく、一人格を育てるのですから、そう簡単では御座いませんよ。骨の折れるのは、当たり前のことですから、そこんところの覚悟が必要ですなー。

 

幾分成長した子には、テレビの国会中継が、最も良い教材となりますよ。

ウソばっかし答弁している人がいますからね。ああ言うウソつきになってはいけない、話をはぐらかしてはいけない、人を騙してはならない、 責任回避をしてはいけない、税金の無駄遣いをする人になってはいけない、人として、やってはならない標本が、幾らでも見られますからね。

ジッちゃんの様に、真正直に生きていかなくてはならない事を、ジッちゃん自身が、本当に真剣になって、何回も何回も言い聞かせなくては、なりませんなー。ここが、孫が立派な人になるかどうかの勝負どころですからね。

 

と言いながら、例のごとく、分かりきった事をダラダラとやっていたら、結構長引いてしまった様ですので、本日は、中途半端ですが、ここで、一先ず止めとします。続きは、追って、と言う事で。

 

 

終わりに、一言。

ジーも、孫からコゴトを言われない様に、気をつけましょう。やつらも、スキを伺ってますからね。

 

どうもお疲れ様でございました。

 

お後がよろしい様で。

《停念堂閑記》121

《停念堂閑記》121



「日比憐休独偏記」34
 


「責任 嗚呼 無責任! 」2
 


本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。
厚く御礼申し上げます。
 
せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話で御座います。
深刻にならないところが、取り得で御座います。
夜、眠れなくなったりしませんから。
もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いません。
 
なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。
定年退職後は、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。
しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。
手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか ?
至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。
と言うことで、張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。


打倒 !    閑、暇、ひま、ヒマーッ!


A A O!  エイエイ、オー!


ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。
 
 

 

 
さて、本日は、昨今、よく気に掛かる「責任」と「無責任」と言うことを、ヒマ潰しのネタとしたいと思うのですが。どうでしょう。
ちょっと、堅苦しいネタでしょうかね。
でも、半ボケジジーのボヤキ、所詮はヒマ潰しで御座いますから、お気軽にお付き合い頂けますならば、幸甚で御座います。



前回は、安倍総理の主催で行われて来た、2019年度の「桜を見る会」では、予算の約3倍の経費が使われている。当然、国費すなわち税金がその様に使われた。この税金の使用の仕方に問題はないのか。問題があれば責任をどうとるのか、と言った点について、半ボケジジーのボヤキを述べさせて頂いた次第です。
さらにまた、その招待客が誰であったのか、その名簿を明らかにして欲しい、と言った事柄について野党議員から、国会で質問が行われましたが、安倍総理の答弁は、名簿は既に廃棄した、この点については、今後調査するつもりはない、と言う事でありました。
すなわち、この点についての責任は、取らない、と言う趣旨に聞こえるのですが、これで幕引きとなって良いのか、と言った愚見を、半ボケジジーがボヤキ的に述べさせて頂いたつもりでおります。
そして、この様な政府を支えているのは、結局は、国民有権者と言う事ですから、国民有権者には、もっと責任ある判断が必要ではないのか、と言う愚見も、半ボケジジーのボヤキとして述べさせて頂いた積もりでおります。


と言う事なのですが、やっぱり、半ボケジジーのボヤキとして、もう少し言い足りないことがありまして、本日追加したいと言う思いにたち至りまして、目下、間違いながらもPCのキーを叩いているところなのですよ。
結局は、毎度のボヤキの延長で、誰しも分かっているだろう事の繰り返しに他ならない事は、重々分かっているのですが、こちらにも、とにかくヒマ潰しをしなくてはならないと言う事情が御座いまして、PCのキー叩きをしなくてはならないのですよ。
その主な事情は、申すまでもなく、年中、日々、連休状態のヒマ潰しをしなくてはならないと言う事ですだよ。
そんな事に、お付き合いさせてしまって、誠に申し訳次第も御座いません。何卒ご海容の程を、お願い申し上げます。
ご一緒に、ヒマ潰しをして頂けますならば、幸甚で御座います。



では、参ります。


本日最も話題となっている事は、このところ連日の最大の関心事となっている新型コロナウイルスに関わる事ですね。
もはや、何処で、誰から感染したかも分からない、死亡者も出始めた、ワクチンは未だ開発されていないし、当然、治療の良薬もない、と言う手の打ちようの無い事態になってしまいましたな。
言える事は、この話の視点からすると、この国のリーダー達の、この様な事態に関する危機管理意識の希薄さ、責任感の無さが、最早どうにも手の施し様が無い事態になっている、と言う事ですね。


蛇足ですが、ここで言う「この国のリーダー達」とは、具体的に言えば、総理、政府、国会議員、省庁のお役人、医療関係者等の事です。お役人は、主として厚生労働省の御偉いさん達であります。


これらの人達が、この度の新型コロナウイルスの発生の初期に、ちゃんとした危機管理意識を持って、対処していたならば、現在の様な深刻な事態には、陥らずに済んだかも知れませんね。


兎に角、真の目的を的確に認識できていないまま、目先の事態の処理にバタバタすることしか出来ていない、という所に、問題があるのですね。洞察力の乏しさには、ほとほと感心するより御座いませんな。


真の目的は、安倍総理が事あるごとに口癖の様におっしゃる「日本国民の生命は、絶対に守る」と言う所にあるのでは無いのでしょうか。
蛇足ながら、総理のこの口癖セリフを心から信じている人が、どれだけおられますかねー。さー、ねー、どーでしょうね、いますかねー ?
北朝鮮がロケットを発射した、と言う情報に接し、日本に飛んでくる可能性があると判断された時に、国民に注意しろ、と言う内容の警告を発した事が御座いましたなー。これで、日本国民の生命は、絶対に守れるとお思いだったのでしょうかねー。


途端に、どんなロケットが何時、何処に飛んでくるかも知らされずに、国民はそんな警告を受けた所で、対処のしようがない、と言う意見が噴出しましたな。


そうしたら、政府は、すぐに、その様な警告を発するのを取りやめる、と言う処置をとりましたね。
政府の危機管理意識なんて、せいぜいこんなものなのですよ。きっと。
イージス艦も地対空迎撃ミサイルも、多額の税金を注ぎ込み、結構買い込んで、準備していたと思うのですが。備えをしているから、国民の生命は安全、国民の皆様ご安心下さいとは、少しも言いませんでしたね。あの代物は何ぞ役に立った、あるいは将来的に役に立つのですかねー。
この様な事態から見えて来る安倍総理の口癖の「日本国民の生命は、絶対に守る」と言うのは、せいぜいこの程度のもの、と言う事が良くわかりますね。
同総理の手法は、批判的意見が出る度に、俗っぽく表現すれば、いわゆる嘘っぽい弁解を並べ立て、責任逃れに専念しているかに見えたりしませんか?
この度の新型コロナウイルス感染者の到来に対して、安倍総理は、また、例の口癖を発していましたね。今回も、何時もと同程度、と言うことになるのでしょうかね。
よもや、この度の新型コロナウイルスの場合でも、同じ手法で・・・、と言う事ではないでしょうね。
事態の悪化が、心配されますねー。
 
新型コロナウイルスの到来に当たっては、これは正に「「日本国民の生命は、絶対に守る」と言うのが、申すまでもなく、真の目的ですよね。
新型コロナウイルスに関する対策は、全てこの目的から出発しなくては、なりませんね。これは、まったく当然中の当然のことですよね。
然るに、出て来る国の対策は、どうでしょう。
武漢震源地で、ひどい状態の様だから、とりあえずは武漢から来た関係者達だけチェックする事にしょう、なんて安直極まりない判断、対処ですよね。
武漢以外の中国からの到来者は、なんぼでもいたのですよ。その人達はノーチェックです。素通り状態にされていましたね。国内観光も、従来通り。たちまち、バスの運転手もタクシーの運転手も感染しましたね。
この当初の国の対処を見て、こりゃーまずい、と直感された方々は、沢山のおられたと思いますね。ウイルス研究の専門的な方々、医療に従事されている方々にも、最初からこれはまずいと、おっしゃられた方は何人もおられましたよ。
国のこの対処は、どう見ても、普通におかしいのですよね。一般人の常識から、相当離れてはいませんか ?
専門家の意見に耳を傾けようとしないのは、どうした神経なのでしょうね。
本来の目的を忘れ、目先の対処しかできない、この危機管理意識の低さが最大の問題なのですよ。

国の対策は、あとは、もー、こうなっちゃったから、こう対処するより手が無い、進む現実に押し捲られて、後手後手ばかりですなー。


要するに、最初の基本がなく、進む目先の事態に、応急手当て的対策が、追いつけない事態と言う事ですね。
最も基礎的な本来の目的に沿った対処方がなってなかったと言うべきでしょうね。


どう言うことか、と言いますと、新型コロナウイルスが、その名の示す通り、新型であって、これまでのものとは違う、得体の知れないウイルスだ、と言う事を知りながら、その対処方がこれまで同様の、旧来の型にはまった実に融通の効かない方式で対処している事ですよ。

新型には、それに対応する新方式で臨まなくては、対処できないのですよ。当たり前のことですよね。
わかりよく言えば、経験したことのない未曾有の凄い大津波が到来しそうだ、と言う事態に際して、従来の防波堤で対処しよう、と言う判断をしてるのと同じなのですよ。色々な場面で、何時も、この様な対処が目につきますね。学習能力0か? と言いたくなるのですよ。

特に、厚労省の判断が、兎に角、融通が効かないものなのですよ。


例えば、体調を崩し、新型コロナウイルスの感染が心配されるので、検査をしてもらいたいと希望しても、高熱などの症状、武漢への渡航武漢から来た人との直接的な濃厚接触という条件が整わなくては、検査さえしてもらえない、と言うのは、どうした事なのでしょうね。そんな事を言っている間に、感染ルートが分からない陽性患者さんが出現してしまっているでは御座いませんか。
大型クルーズ船についても、この様な環境では、船中、感染者だらけになるのは、誰しも想像難き事では御座いませんでしたでしょう。菌の培養ボックスの様なものですよね。
総理、政府、国会議員、厚労省などの頭さえ融通が効けば、初期の段階で、陽性者と陰性者の隔離を速やかに徹底すれば、今の様な事態は免れたと思われますね。


例えば、症状の出ている人は、まず、隔離し、症状の出ていない人は、さっさと、別の所に隔離して、手間はかかっても、全員次から次へと検査して、陰性の人をさらに別の施設へ移す処置をとれば、感染者の増加はかなり防げたのでは無いでしょうか。


収容する施設が、陸上では具合が良くないと言う事情があると言うのなら、例えば、船会社と交渉して、大型のフェリーを何艘でも、借り上げて、そちらに一時的にでも、隔離する処置をとれば、感染を少なく出来たのでは無いのか。
同じ船中に長期間留めておいたのでは、感染が止まらない事くらいは、いくら頭の固い総理、政府、国会議員、厚労省の面々だって、最初から分かっていた事でしょう。
たとえ、船内では各客室で隔離しているとは言え、所詮は、同じ船中にいるのですから、これは感染しない方がむしろ奇蹟ですよ。
今現在に至っては、これまでより一層の感染を防止する対策を徹底することと、1日も早く有効な治療薬を開発することですな。
よしんば、新薬が作られても、やはり、厚労省は、その新薬の効能が厚労省として、納得がいく迄は、少なくとも数ヶ月間は、使用を認めないのでしょうね。
後で、早く、新薬を使用していれば、沢山の命を守ることができたのに、と言う反省の声を聞きたく無いものですねー。


こと、この手の判断については、今回の新型コロナウイルスに限った事ではなく、色々様々な場面で起こっていますね。
例えば、原発についてですよ。東日本大震災時に起きた福島原発の事故は、誰しも忘れてはいませんよね。


振り返って、最初、原発設置に関する事が世間に明らかにされた時、賛否両論がありましたね。結局、原発の事故はあるはずは無い、絶対に無いとする当時の政府、与党の賛成で国会で設置が可決されましたね。
しかし、人間の造った物が、故障したり、壊れたりする事故は、決して無いはずは無いのですよ。少なくとも、絶対に、古くなり、何時かは寿命がくる事は必然です。これは、誰にだって分かっている事です。


しかし、この点に関する危惧は、原発の設置を決めた政府、与党には、微塵も無かったのでは ?


要するに、最も基本的なこの様な判断が、当時の政府、与党国会議員先生には、出来なかったのですよ。
ただただ、安い電気が多量に供給できるのではないのか、そうすれば、経済的に儲かる、と言う目先の儲けに突っ走ったのですよね。


造るに作ったり、50基を超す、原発を造りまくったのですよ。これを取り壊す時の対策を一切解決せずにね。その終末の後始末を考慮すれば、安い電気が供給できる何ぞという判断が、出てくるはずが無いでは御座いませんか。


そして、福島原発事故で、原発の無事故伝説が、木っ端微塵に打ち砕かれた、なんて言ったところで、原発の設置を可決した、当時の政府、与党の代議士先生達は、なんぞ責任を取りましたかね。

あの時の
代議士先生達は、その任期を終えると、責任なんてどこ吹く風、自分達の行ったことは、野となれ、山となれ、知ったこっちゃ無い、と言わんばかりに見えたりしませんか ? 

責任を感ずることはないのでしょうかねー。



そもそもは、核に関わる様な重大な事故が発生してしまうと、誰しもが真の責任なんぞは、所詮取る事は出来無いのですよ。たとえ関係者が、その要職を解かれたとしても、飛散した放射線の後始末にはなっていないのですよ。


この様な、責任の取りようの無い性格を有する重大な事柄に対して、多くのいわゆる代議士先生達は、その責任と言う事について、自覚が希薄極まりない様に見えませんか? 目先の利益以外には、目が向かないらしいですね。


責任の取りようが無い重大事項は、最初から終結に至るまで、一応見通しを立てて、全ての問題点を洗い出して、それに関わる対策が万全に出来きている事を確認して、その上で、決行すべきか否かを決断しなくてはならないのですよ。


それを新たに行おうとする儲け部分だけを夢見て、負となりうる部分には、目を向けようとしないのでは無いの。

原発だって、使用後の核廃棄物が発生する事は、初めから分かっていた事では御座いませんか。その対策は0のまま、原発設置を可決してしまうのです。このツケがどうにも出来ない困難事として存在し続けているのですよ。取り壊す、としても、その残骸をどこへ持って行くのです。
貯め続けている汚染水の大きなタンクは、どうする積りなのでしょうね。

そのうち、古くなって来て、あちこち壊れだすのは、必然ですよ。先のことを検討せず、取り敢えず、タンクに入れておこう、と言う判断だったのでしょうね。

これが、今になって、途轍もない数量と化し、処置なし状態となってしまってますね。ますます、どんどん数が増えていきますよ。大災害が襲来して、破壊されでもしたら、例の如く、想定外でしたで済ませるお積りなのでしょうかね。

この様になってしまった後では、もうどうにもならないのですよ。
この様な厄介な原発の廃棄物を、引き受ける所は、おそらく御座いませんよ。と言うか、処理しょうがないのですよ。

一体この責任をどう取るのですかねー。


と半ボケジジーは、ボヤきたくなるのですよ。
 
なんでこの様な国会議員代議士先生が存在するのか、はたまた、なんで国民有権者はこの様な代議士先生を選挙で当選させたか、この点が大問題なのでは無いのでしょうかね。


何が悪かったのかと問われれば、答えはハッキリしてますね。


それは、難題に対して、適切な判断を下すことができない人を作り上げた教育にある訳ですよ。
今、社会のリーダーとして存在している方々は、どの様な教育の結果として、存在しているのでしょうか。


世間では、教育と言えば、取り敢えず学校教育を想起するのでしょうが、そうではなく、人間生まれたならば、まさにその時点より、親から、家族から、近隣の方々から、広く社会から色々なことを教わる訳ですよ。学校教育は、その中の一つに過ぎません。
人は、時を選ばず、色々なことから物事を見聞きして、多くの事を身に付けていく訳で、それらの平均的な知識や判断などが、いわゆる常識と言われているものなのでしょうね。


現在人のこの常識が、大きく問題視される事態が到来しているのでは無いのでしょうか。


そして、今は、取り分けマスメディアの影響が、大なる存在である事は、誰しも存じてますよね。多くの場合、テレビを見て、自己の常識を形成したり、確認したりしているところがあるのでは無いのでしょうかね。
テレビで流されている判断は、平均的な常識たり得ているのでしょうか。


半ボケジジーの独偏(独断と偏見)では、現在人の一つの特徴は、自己中心、いわゆる自己チューと言う事では無いのでしょうか。自分のしたい様にする人生が一番と考える人が多いのでは無いのか、とお見受け致しますなー。
自分のしたい様にすると言うのは、悪いことでは無いと思われますが、そうする時には、やはり責任をも一緒に背負わなくてはならない事を、常に自覚する必要があるのでは無いのでしょうか。したい事のやりっ放し、と言うのは、まずくは御座いませんか。
特に、社会の牽引的立場のお方々におかれましては、これが強く要求されるのでは無いでしょうか。


例えば、今話題の「桜を見る会」の一件に関しても、総理大臣、政府の面々は、野党の代議士先生から不具合を突き上げられると、いとも簡単に、では、来年度はやらないことにする、と言い放ちましたね。
それくらいの存在のものなら、今まで、何のために回を重ねてきたのです。ただただ国民から巻き上げた税金で、自分らの都合で、飲み食いして来ただけ、と言う事だったのでしょうかね。
その様にすることに、特に疑問を持たないのが、総理、政府の面々の常識と言うものなのでしょうかね。
しかし、現実には、それに近いものの様にしか見えないわけで、その無責任さを痛感させられるのですよ。まったく、少しは責任というものを感じないのかねー。


半ボケジジーは、ボヤかずにはいられない心境なのですだよ。


また、昨日は野党議員の毎度のエゲツない発言に対して、総理が同レベルのヤジめいた言葉を発すると言う、愚劣極まりない事態を引き起こし、物議を醸していますなー。
国会の場の品位は、何処へ行っちゃったのかねー。そんな品位は、すでに毛頭ないか。


ここで一句。
 
 腐った鯛が 生き腐れの鯖に おちょくられ  

                      よつお(日比憐休のその場凌ぎの名前)
 
野党の当該議員の手法は、決まって何時ものことですが、実に品格がございませんなー。否、品格は確保されている、とすれば、例えば 上 中 下 に格付けすれば、正にその定位置は、最下位のものでっしゃろうなー。下品きわまり御座いませんな。
これに同等のレベルで対応する総理も、似た者同士。何時ものジャレ合いでしょうか。
国会の基本を忘れてはいませんか。
いやいや、目標となる基本を持たず、選挙対策と目先の儲けで右往左往するのが、代議士先生の本性でしたっけ。


真面目にやって頂戴よ。 嗚呼!


一体この低レベルのやり取りは、どうしたものでっしゃろうなー。国会のテレビ中継で流れている最中でっせ。最早、手の施しようがない、アホ臭い事態ですなー。
総理も、政府も、与党も、野党も、長らく同じ面々では、もー、澱みの汚れが酷く、どうにもならない事態では無いのか、と思いませんか?
繰り返しますが、生き腐れの鯖と、腐っても鯛の悪口合戦ですなー。

これが、今の政界の実態ですよ。
いい加減にしてくれよ。神様に言いつけるぞ。


と半ボケジジーは、ボヤかずにはいられないのですだよ。


本来、腐った鯛云々てなことは、ヒマ潰しの行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話の中でやるもので、国会の議論の対象となる高尚 ? なものではないでしょう。
もー、ホトホト嫌になっちゃいますなー。
政治家さんと言われている人達は、責任というものを感じないのかねー。
きっと、国民が期待する様な存在ではないのでしょうなー。
とっ言っても、国民有権者が選んだ人たちだから。嗚呼!
 
と言うことで、何とも後味の悪さが残るのですが、あまりにも馬鹿馬鹿しいので、本日のボヤキは、これで止めにします。


どうもお疲れ様で御座いました。 
最後に、頼まれもしないのに、ソウリの代弁で、一言。
 
アイアム ソーリー !


 
お後がよろしい様で。

 

《停念堂閑記》120

《停念堂閑記》120

 

 

「日比憐休独偏記」33

 

 

「責任 嗚呼 無責任!」1

 

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。

厚く御礼申し上げます。

 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

と言うことで、張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

打倒、閑、ひま、ヒマーッ!

A A O!  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

 

  

では、参ります。 

 

さて、本日は、昨今、何時も気に掛かる「責任」と「無責任」と言うことを、ヒマ潰しのネタとしたいと思うのですが。どうでしょう。

 

どうでしょう、なんてイキナリ言われたってね。

それでは、こうしましょう、ああしましょう、なんて気軽にね、やってのけられれば、良いですが、なかなかそうも行かないところがありますよね。

単なるその場の思いつきで、気ままにやろうとすると、すぐに、そんな無責任な、なんて言われてしまうのがオチですからね。大体、そんな無責任な、なんて突っかかってくる方だって、それほど、責任を持って言っているようにも見えなかったりしますから。どっちもどっちかねー。

 

 

そもそも責任とは?   なんて改まって、真面目に問われると、概ねチャランポランな日々を送っている小生にとっては、これはすこぶる煩わしいことですよ。

責任どうのこうのを前提する事柄は、どうも気が重くなる事柄が多いですよね。

 

思い起こせば、子供の頃は、責任なんて言う事は、身の回りにありませんでしたよ。

良かったねー。あの頃は。したい放題。まさに、一方的に自由を謳歌してましたね。

 

責任なんてことが、身近に現れ出したのは、戦後数年経った小学生も終わりの頃でしたかね。

その頃までは、良かったですよ。なんでも、気の向くままにやっていれば良かったですからね。その行為が大人から見てこりゃダメと判断された場合は、ゲンコツかビンタが飛んでくるわけでして、そのゲンコツやビンタが、責任と言う事に関係して理解されていたかと言うと、そんな事は露ほども有りませんでしたなー。

要は、悪さしておこられた、と言う程度で、たいして反省もなく、また、すぐに繰り返す日々でしたよ。

 

今になって、振り返ってみれば、戦後数年経った頃に、小生の育った村にも、自由の風が吹いて来た、という事のようですね。

子供の私らの耳にしばしば自由なる言葉が入ってくるようになったのは、多くは村の青年団の人達からだった気がしますねー。

青年期の人達が、何かにつけて自由なる主張をし出したようですね。

村にはそれまで培われて来たやり方が有りましたから、戦前、戦中はそのやり方が、概ね罷り通っていたわけです。

例えば、子は、親の言うことを、納得いかなくても、聞かなくてはならなかったのですよ。親に限らず年上の人の言う事に逆らってはいけない事になっていたようですよ。

ここに、自由の風が吹いて来たわけで、親の言う事に従いたくない若者は、よくウチのオヤジは封建的で困ったもんだ、とボヤいていましたね。

私の育った村は、ほとんどが農家でしたから、農家の長男は、家督を継いで農家になる。これが至極当たり前のことでした。

しかし、家業の農家を継ぐのが嫌な長男もいたのですよ。けれども、長男は家業を継がなくてはならなかったのですよ。

そんなところに、戦後自由の風が吹いて来たのですわ。農家を継がなくてはならないと思っていた、農家嫌いの長男にとっては、なんと心地の良い風でありましたでしょうか。

さー、親の言う事だけを聞いて、農業をやらなければならないと言う事はねーだぞ。

おらー、都会へ出て、サラリーマンになるだ。てんで、誰か一人が火の手をあげると、村中にオラも、オラもと一気に伝染する事になっただよ。

オラは、東京の大学さ行くだ。と言って、村を飛び出したヤツもいましたなー。今は、何しているかねー。PCのキーを叩いてたりして???

 

農家の仕事は、今の機械化の進んだ時代と違って、厳しかったからね。ほとんどが手作業。田畑を耕したり、重い荷を運ぶ時は、馬を使いましたが、野良仕事は、基本的に手作業でしたね。

とにかく農家は、特に畑作農家は、一年中仕事に追い回されていましたね。

朝の早よから、日が暮れて手元が見えなくなるまで、畑作業、畑作業の連日で、1日が終わると、もー疲れ果ててグッタリと言う日々ですよ。土曜日も、日曜日もあったものでは御座いませんよ。その時々の仕事をしなくてはならない時は、とにかく働かなくてはならないのですよ。

それくらい頑張っても、平年作で精々生活ができる程度の収入にしかならず、もしも、収穫前に台風、水害、干害、冷害など、自然災害に見舞われると、それまでの努力がパーになっちゃう事は、珍しくはないのですよ。

だから、街場のサラリーマンの方が安定しているように見え、羨ましかったのですよ。

 

私ごとで恐縮でございますが、中学3年生の時に、私の通っていた中学校では、年に一度、校内研究発表会と言うようなのがありまして、何でも良いので、好きなテーマを設定して、それなりの研究?をして、発表会に臨まなくてはならないのですよ。良い成績だと、今度は学校代表として、町内の中学校(5校)の研究発表会に派遣されるわけですよ。先生側も、それに気を使わなければ、ならなかったのでしょうね。それで、その時期になると、何にかに取り組むように、指導する必要があったのでしょうね。そんなこんなで、生徒はそれぞれ興味のある事に取り組まなければならないハメに陥るのですよ。

英単語の覚え方に取り組んだ友人が居ましたよ。

犬小屋は、「ケンネル」ね。自動車は、「自動車でオウトモービル」の角を曲がっていた、とかね。帽子は、「風で帽子が飛ばされそうになって、ハットした」、とかね。色々苦心していたようでしたよ。

小生は、「今の農村の子供は、農業をどう思っているか?」と言うテーマを思いついたのでしたね。各クラスへ出かけて、アンケート調査をお願いし、それをまとめたのですよ。

その結果の概略は、アンケート調査をするまでも無く分かりきっていた、仕事がきつい、休みがないと言う事でしたね。その結果、農業をやりたくない。街へ出てサラリーマンになった方が良いと言うのが圧倒的に多かったですね。

そして、どうなれば農業をしても良いか、と言う事については、農家といえども週休制を取り入れて、日曜日を休みにして欲しい。それから、機械化が進めば良い、と言う意見が多かったですね。

まー、早い話が、農業をやりたくない、と言う希望が強かったのですよ。

 

農家の次男以下の男の子は、サラリーマンの道へ歩む人もおりましたが、分家して、なお農業に従事する場合も多かったようですね。

女の子は、サラリーマンに嫁ぐ子も当然いましたが、なお、農家へ嫁ぐ場合が多かったのではないでしょうか。

 

概ねこのような状況のところに、自由の風が吹き込んできたわけで、親の、あるいは、一般的な農村の仕来りから解き放たれたい、いわゆる自由にしたいと言う気風が強くなってきたわけで、自由なる言葉が、若者の間でしきりに飛び交っていたのですね。

しかし、この自由は、時に勝手気まま、したい放題の方向に走る場合もありまして、トラブル発生ともなることが、ままあったようですね。

そのようなおり、学校でも、自由に関わる教育が当然必要とされたのでしょう。

それで、中学生の頃に、学校で、しばしば自由に関わる事について、習う機会があったのでしょうね。

しかし、中学生とは言え、なお、自由がどうの、こうのと、あまりそういった意識はありませんでしたな。もっばら、毎日、何して遊ぼうか、と言う事の方が優先している頃でしたので、あまり記憶していませんが、先生が、自由とは、なんでも勝手気ままにやって良い、と言うことではない。自分のやった事には、責任を持たなくてはならないのだよ、ということを盛んにおっしゃっておられたような記憶は、なんと無くありますね。

多分、この頃に自由と抱き合わせで責任という事に、出っくわしたのでしょうな。

学校では、友達同士で、何か具合の悪いことが発生した時に、お前が勝手にやったのだから、お前の責任だ。お前が責任取れよ。なんてやってたんでしょうね。

しかし、責任なんて漠然としたことを言われたって、どう言うことか、分かろうはずもありませんでしたから、分が悪い時は、差し当たり謝らなくてはならない、と言ったところでしようね。

あるいは、物を壊しちゃった時には、弁償云々といったことを口走っていたと思われますなー。

こんなところで、責任と言う事に出っくわした訳で、その頃は、兎に角、責任云々と言うことなどには、たいして気に留める事もなく、楽しく遊ぶ事に、専念する日々を送っていた訳ですな。

 

当然のこととして、だんだん成長して行くに伴って、否応なしに、責任と言うのが、くっ付いてくる事になったと言う事でしようか。

 

しかし、私なんざー、言うまでもなく、日常的には、チャランポランに、ボーッと生きた来た訳でして、あまり責任と言う事に意識が及ぶ事がない、日常生活を送ってきましたなー。

時々、ヘマをしでかした時に、日頃気にしていなかった責任様が、突如現れたりしましてね。謝れよ、弁償すれよなどと迫られる訳でして。

要するに、自由の代償として、責任を問われる事になる、と言う訳で、中学時代に教わった、先生の顔が浮かぶハメと相成る次第なのですよ。

 

そもそも責任とは、何だ ?  なんて深く考えた事はあまり御座いませんでしたなー。

仕方がないので、世間一般に言われている責任とは、どう言う事か、と思いましてね。早速、PCのキーを叩いて、検索する事になるのですよ。便利な世の中になりましたなー。すぐに、色々な解説が現れましたよ。どれを見ればベターなのか、迷っちゃいますが、結局は、表現の易しい、すぐに、理解し易いものを選択する事になりますなー。

何事によらず、簡単に理解し易い解説は、一応は、気を付けなくてはならない、注意が必要だ、と言うくらいの事には気がつくのですが。

大体、小難しい事柄を、平易に解説すると言うこと自体難しいことなのですよ。きっと。

それを易しく、誰にでも分かるように解説するとなると、時に、ウソっぽいことが、入り込んじゃったりするのですよ。多分ね。だから注意が必要なのですよ。ネットの情報は、色々入り乱れていますからね。特に注意しなくてはなりませんなー。

 

てな事を言いながらも、平易な解説に従って、平易に表現すれば、責任とは、個々が行なった行為に伴う人として当然行うべき任務、すなわち、しなくてはならないこと、と言う事のようですね。

そんな事、いちいち言われなくとも、とっくの昔から知ってらー、と言う事ならば、そんな結構な事は御座いませんな。

しかし、分かっているつもりでいたことでも、分かり易く言えよ、と言われると、ちょっと、マゴつく事があるのですよ。幼い孫に突然フイを突かれたりすると、マゴマゴしちゃう事って、御座いませんか ?

つまらねーダジャレなんぞやってないで、さっさと、前へ進めろ、ですって!

ドッコイ、そうは参りませんよ。ダジャレは、思いついた時が、チャンスですからね。後でなんて思ったりすると、たちまち忘れちゃいますからね。程度なんて、気にする事は御座いませんよ。こっちトラ、初めから座布団なんざー持ってませんから、取られる心配は御座いませんから。ズーズーしくやったが勝ちですから。

あなたね。孫が紅葉のようなお手手を出して、お手手はどうして、お手手っていうの、と聞かれて御覧なさい。

それは、お手手だから、お手手と言うんだよ。てな事で、許してはくれませんよ。ねー、どーして、どーして、おせーて、おせーて、と折りたたんで来ますよ。

そこで、色々と考えなければならないハメに追い込まれるわけですだよ。

アシと言ってはダメだったのかね。と言う事で、アシに問い合わせたら、オレはトーの昔からアシだ、勝手に使うな、と怒られちゃいましてね。それなら、メでは、ミミでは、クチでは、ハナでは、・・・とぜーんぶ問い合わせたところ、全部既得権を主張されて、使えない状況だったのですよ。それで、最後に残ったのが、ただ一つテだったのですだよ。

そんな事で、手は、結局のところ、テに落ち着いただよ。

と孫に言って聞かせる勇気が御座いますか。孫がこんな話を理解できるようになるには、かなりの年期が必要ですだよ。

これが、寄席だったらね。座布団の1枚にでも、ありつけるかも知れませんがね。

 

いい事教えましょうか。こう言う時は、躊躇せず、チコちゃん聞けばいいのですだよ。

よもや、チコちゃん、わかんねー、なんて事はないでしょうな。

そんな時は、すかさず、ボーッと生きてんじゃねーよ!とブッカマシまっせ。ホンマ。

 

ところで、何の話をしていたのでしたっけ。

つまらねー話は、すぐに忘れちゃう常日頃なのですよ。

改めて、思い起こせば、そーそー、責任たらの事でしたなー。無責任を自で行って、申し訳ございません。

と言う事で、ここでは、

 

責任とは、個々が行なった行為に伴う人として当然行うべき任務、すなわち、しなくてはならないこと、

 

と言う程度に理解しておく事にしますよ。

さて、次に、もうちょっと、砕いてみますと、「人として当然行うべき任務」とは、どう言う事かと言いますと、一般的には、二通りの事が言われているようですな。

一つは、現行の法律に照らして、やらなくてはならない事、すなわち、法的に決められたように、やらなくてはならない事ですよ。

したがって、これに違反した場合には、それ相当の罰が加えらる、と言う事で、この罰を受ける事が、すなわち、責任を取る、と言う事になるようですな。

今一つは、法律に違反したので責任をとると言うのではなく、法律と言う文章になっている取り決めがなくとも、人には人として当然やらなくてはならない任務があるのですよ。法律として決められてはいないけれども、法律と同等かそれ以上に、社会的に守らなくてはならないとされている事柄があるのですよ。従来は、これを道徳と表現する場合が多かったようです。

そして、これに反すると、当然の事として、社会的に責任を取らなくてはならない、とされている事があるのですよ。

しかし、こちらは明確に文章とされていないために、やりようによっては、有耶無耶にされる場合があるのですよ。すなわち、責任逃れが行なわれ易いところがあるのですよ。

 

例えば、「桜の見る会」をやった連中がおりまして、この経費を税金から出しよったのですわ。

この事に関して、昨年来ずーっと国会で問題とされて来ているのですよ。

 

桜を見る会」の2019年度開催要点

 

1.主催者 内閣総理大臣 安倍晋三

2.会の目的 「各界において功績、功労のあった方々を招き日頃の労苦を慰

       労するため」と言うもの。

3.会場 新宿御苑

4.期日 4月13日。

5.招待数 約15400人。

6.出席者数 約18200人。

7.予算額 1766万円 (a b c d e f g h i j k l プレジデントオラ イン編集部

     (2019年5月17日)。

8.支出額 5518万7000円 (日本共産党 (2019年11月8日〈国会質問〉)。

  ※  以上のデータは、ウィキペディアの「桜を見る会」の「開催一覧」に

   よる。2020年2月2日に検索、閲覧したものによる。

 

テレビの国会中継などで、野党議員の質問、これに対する総理、政府の答弁をご覧になられた方も多いと思われます。

まず、国民の一人として、知りたいことは、この「桜を見る会」は国事として行なわれたのですから、当然の事として、これが、国会の審議を経て、正当に行われたものなのか、どうかと言う事ですよ。

当然、これに必要な経費は、税金が使われた、と言うことですね。これは間違い無い事実ですね。

とすれば、国の税金を使う場合は、通常は、当該国事の計画が立案され、概算要求でその経費が要求される訳ですね。

それが、国会で審議され、適切と承認された場合に、その経費が予算に計上される事になりますね。

そして、それに従って、予算が執行されて行く訳ですね。

そして、執行されたならば、それがどのように執行されたかが、事実に基づいて、報告される訳ですね。

そして、その年度の決算が行われる事になり、国会の審議を経て、適切に行われた事が承認されれば、この国事は予定通りに正当に実施された、と言う事になり、落着する訳ですね。

 

ところで、上に示したデータで見る限りでは、1~4までは、まーそんなものなのかねー、となるかも知れませんが、5の招待数に関しては、その具体的詳細を知りたくなりますわなー。

 

A. 誰が、どのようにして、招待者を決めたのか。

B. 招待された者は、一体誰なのか。

C. 人数は、どうして約15400人だったのか。

D. 経費はどれほどかかったのか。

 

Aについては、招待客の選定は各府省庁からの意見を踏まえて内閣官房内閣府が最終的にとりまとめる、案内状の発送は内閣府が一括し、必ず招待客一人ひとりに宛てて送付を行う。とされているようですな。

要するに、招待客の選定とそれに対する招待状の発送は、内閣官房内閣府が行う、と言う事は、招待客の選定とそれに対する招待状の発送については、内閣官房内閣府の責任のもとに行われた、と言う事です。これは事実の確認です。

 

(実態として、与党国会議員には、推薦枠が割り振られている。と言う事が明らかになっているようですな。)

 

Bについては、野党議員が、招待客の名簿の提出を求めたのに対して、政府の返答は、既に廃棄済みであるので、具体的には示せない。と言う答弁のようですな。

これに対して、野党議員は、速やかに、招待者の名簿を明らにするべく、調査の実施を政府に要求しましたな。

これに対する安倍総理の答弁は、調査をするつもりは無い。すなわち、誰を招待したかは、明らかにするつもりは無い、と言う答弁でしたよ。

 

(実態としては、自民党所属の京都府議員と滋賀県議員全員に招待状が来ている。と言う事が明らかのようですな。すなわち、全体像は明らかでは無いが、一部分は明らかとなっている、と言う事ですな。これは事実の確認です。)

 

Cについては、招待数約15400人のところ出席者数約18200人と言う数値が出て来ています。この数値に従えば、招待数より約2800人多く出席している、と言う事になります。

そもそも招待客数が、なぜ15400人であったのか、その数的決定の根拠と決定時が明白ではありません。

この数値については、取り敢えずは、下記の可能性が考えられます。

 

a 概算要求時に示されたもの。

b 予算成立時に示されたもの。

c 予算執行時、上記 Aの作業時に示されたもの。

d その他、どこかの時点で示されたもの。

 

具体的には、わたくし的には、全く分かっておりません。

強いて推測すれば、事の性格からすれば、Cの時点、すなわち、招待者が具体的に取り決められた時の人数か、とは思われるのですが、不安定な要素がなお多く存在してますね。

例えば、最終的に、内閣官房内閣府で招待客が決定されたのでしょう。

そこで、決定した招待客に、招待状を発送したのでしょう。それが、どのような形式のものであったのか、残念ながら、小生は確認しておりません。

例えば、何か会合を催す場合には、主催者側は、実際の出席者数を把握する必要があるでしょうから、通常は、郵便や電話やメール等で、出欠の有無を問い合わせますね。招待状を送りっぱなし、と言う事はないでしょう。咲いた桜の花を何輪用意しなくてはからないかは、ともかくとして、運営に関わる要員や飲食物の用意などをしなくてはなりませんから、実際の出席者数を把握しておかなければなりませんなー。

ですから、このような作業時に、主催者側は当然出席者数を把握してますね。約15400人と言うのは、あるいは、この時に判明した人数かと、推察できますね。

 

ところがですよ。実際の出席者数が、それよりも約2800人も多い、と言う事は、こりゃ一体どうした事だ、と言う事になるのですよ。

花見の当日、会場で受付があって、そこで招待状が確認されて中に通される事になるのが通常行われている事ですね。

招待状を持たずに、花見の当日、勝手に会場に紛れ込んで、桜を見たのかどうかは知りませんが、税金で用意されたものを、飲み食いして帰ってしまった、とでも言う事態なのでしょうかね。

それにしても、出席した人数が、約18200人と把握されているのだから、約2800人が紛れ込んだにしても、出席した痕跡を残していた事になるのですから、訳の分からない事態ですなー。

 

次に、Dの経費については、1766万円が予算化されたようですね。当然、国会の審議を経て、この金額の妥当性が承認されたのでしょう。この審議の時に、この是非を巡る意見は出なかったのでしょうね。野党も認めちゃったのかねー。ちゃんと、審議されたのかねー。とにかく、「桜を見る会」に関わる予算がついた事は、事実ですね。

 

とにかく、ここまでは、国会議員の先生達が寄ってたかって、「桜を見る会」の意義を認め、その経費を税金で賄うことを決定した、と言う事実は動かない、と言うことですよ。

ところが、これがですよ。ついた予算が1766万円のところ、実際には、5518万7000円を使っちゃった、と言うのですよ。当然のこととして、これは一体ナンジャと言う事になるのですだよ。

 

例えばですよ。小生ごとで甚だ恐縮でございますが、実はこれまでに、とある計画を実施したいので、その経費を国から、すなわち税金から使わせてもらえないものか、と申請した経験が何度か御座います。花見は申請しませんでしたよ。蛇足ながら。

所定の審査が御座いまして、何とか審査をパスして、概算要求に加えてもらい、国会の審議を経て、予算が付いた事があります。4月になりまして、予算の執行となりますが、小生に対する予算額は、小生の勤務する機関に振り込まれてきます。これが6月頃でした。

そこで、小生は申請した計画に従って、必要な経費を使う運びとなるのですが、まずは、その都度の使用目的書を所属する機関の会計課に提出します。会計課では、計画に違わぬと判断すれば、使用を許可してくれます。たとえは、物品を必要とする場合は、その品の購入を、会計課に申し込みます。それを受けた会計課は、その品を注文し、取り寄せてくれます。支払いは、会計課が行なってくれます。調査のための旅費も、その具体的計画を会計課へ持っていくと、国の定め従って、調査旅費を支給してくれます。

これを繰り返して、年度末までに、予算額を使い切りまして、そして、指定された期日までに、申請した計画に従って実施した成果についての報告書を作成して、提出する事になります。

この過程において、国から支給されたお金をどの様に使ったかは、1円に至るまで、事実が証明される様に、キッチリと書類で確認できる様な仕組みとなっておりまして、いわゆる丼勘定など一切できるものでは御座いません。

計画を実施していく過程で、付いた予算より多額のお金がかかってしまったので、不足分を追加で支給して下さいと言っても、一切聞き入れられるものでは御座いません。不足分は、自己負担しなさい、と言う事です。

もしも、使い切らず、残金が生じた場合には、国庫へ返還する事になっています。

 

いいですか。

これは一例ですが、国民から徴収された税金を使わせてもらう場合は、それはそれはキッチリした方式に則って、正当に使わせて貰う仕組みがとられています。

 

いいですか。これが総理大臣安倍晋三の主催で、「桜を見る会」を行いたい。ついては、これだけの経費が必要とされる。税金から負担して欲しい、と概算要求がなされ、これが国会の審議を経て1766万円の予算が付けられた。そして、これが実施されたが、実際には5518万7000円掛かっちゃった。これを税金で負担した。と言うのですよ。

 

どう思いますか。

幾ら国のやる事に関心が無い、と豪語しておられるお方々でも、ナンジャこれと思うでしょ。

 

そして、これが問題化されて、どの様に実施されたのかを国会の場で、野党議員から問い質された安倍総理の返答は、言ってしまえば、証拠となる書類等は無い。招待客の名簿などは既に廃棄しちゃった。と言うのですよ。

これに対して、野党議員は、再度調査して欲しい、と食い下がったところ、安倍総理は、調査はしない、とキッパリ断言したのですよ。

これで、この問題は、終わりにしょうと言うのですよ。

桜を見る会」の目的は、「各界において功績、功労のあった方々を招き日頃の労苦を慰労するため」であるとされておりますなー。ところが、これに招待されている人々には、この目的に不適合な人が含まれている事が明らかにされています。特に、自民党の地方議員が多数招待されている実態が明らかとなっていて、いわば与党自民党選挙対策と見られる傾向が明白に伺われると言うことの様です。

政府、安倍総理は、その実態を調査する意思のないことを言明しています。

 

話を本筋に戻しますと、「桜を見る会」に関する「責任」とは、一体何なのでしょう。

 

目的に反する会の実施は、国会で取り決めた事に違反しているのではないのか。

予算を超過すること3倍もの経費を国税から使った事は、法律に違反してはいないのか。

まずは、この様な極めて素朴な疑問が湧きますねー。

国家予算とその執行に明らかに、疑わしい点が見られ、この様だとすると、これは普通には犯罪に属する事ですよね。世俗的によく言われる公金の使い込み、と言う事に相当しませんか。

この点について、司法は、チコちゃん流に表現すれば、ボーッと眺めていて良いのですかね。

籠池一件、加計学園一件に見られる性格に通ずるところが、ありはしませんかねー。

 

と言う事で、世に問われる責任とは、果たしてどの様な事なのか。

法律に照らして、不正があれば、処罰を受けなければならなりません。

その行為が、人の道に外れていれば、要するに道徳的に不適切なものと判明した場合には、その当人のとるべき任務があるのではないのか。

と言ったあたりが、具体的な責任と言う事になるのではないでしょうか。

 

と言うことで、例えば「桜を見る会」を実施した人達の責任は、どうあるべきなのでしょうか。

籠池一件、加計学園一件と同じ様に、最も責任のある位置にある人が、何の責任も取らず、有耶無耶の幕引きとしてしまうのでしょうかね。

最も責任のある位置については、その様な位置についている面々を選出したのは、申すまでもなく、国民有権者ですよね。結局のところ、国民有権者の責任と言うところに、落ち着くと言うことの様ですね。

 

でも、この様な状況で、もし国政選挙が行われたとしても、またぞろ改選以前の面々が、選出されて、国会議員代議士先生となる状況に変わりがないでしょうから、どうしたものでしょうか。と半ボケのジジイが、ぼやくのですだよ。

 

少々グチが長引いてしまいました。

中途半端感が残ってしまいますが、ここらで一旦休止といたします。

わかりきったことを例のごとくクドクドと繰り返すばかりで、恐縮極まり御座いませんが、ご海容の程、お願い申し上げます。

 

どうも、お疲れ様でございました。

また、お越し頂き、一緒にヒマ潰しに励みましょう。

お後がよろしい様で。

《停念堂閑記》119

《停念堂閑記》119

 

 

「日比憐休独偏記」32

 

 

「自然災害対処法」2

 

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。

厚く御礼申し上げます。

遠路はるばるかどうかは、存じませんが、本当に、よくいらっしゃいましたね。

遠路はるばるとは申せ、よもや「停念堂閑記」に徒歩でやって来られる御方は、おられないでしょうな。そんな御方がいらっしゃいましたら、是非是非お会いしたいもので御座いますが。

とにかく、徒歩で来ようが、泳いで来ようが、はたまた車でも、電車でも、新幹線でも、飛行機でも、ロケットでも、何であろうと構いませんが、要するに、いらして頂ければ、大歓迎で御座いますよ。

もっとも、ロケットで来られますとね、駐ロケット場など持ち合わせが御座いませんので、一つご勘弁のほどを。せいぜい、自転車ででも、お願いできれば、幸甚で御座います。

ところで、本当のところは、徒歩でも、ジョギングでも、マラソンでも、泳いでも、自転車でも、車でも、電車でも、新幹線でも、飛行機でも、ロケットでも、はたまたミサイルであろうと、実は、来ることが出来ないのですよ。

貴方だけに、こっそりとお教えしますね。たいして、難しくは御座いませんよ。ただね、必要欠くべからざるものがあるのですよ。

それは、パソコンかスマホなのですよ。それでね最近の作は、Googleまたはyahooのサイトから、「otakatsuyaのブログ」を検索すれば、《停念堂閑記》に辿りつけますから。これだけでいいのですよ。

一般の交通手段では、永久に辿り着けませんので、どうぞ、ご注意下さいませ。蛇足ながら。

辿り着いてくれさえすれば、大歓迎で御座いますよ。

とは申せ、大歓迎と言いましても、高価な美味しい料理でおもてなしをするわけでも、温泉に入って頂いて、とりあえず冷えたビールをグイーッとやって頂くわけでも、肩をお揉みするわけでも、お好みのスイーツをお楽しみ頂くわけでも、御座いません。

ついでに、お友達と連れ立って、ゴルフにご招待する訳でも御座いません。

粗茶の一杯すら出ませんよ。炉端焼き店にだって、行くわけでは御座いませ。ポイントだって付きませんから。

このような点は、まー、一言で申しますと、ケチですわ。いや、ドがついて、ドケチと言うべきですなー。

しかし、公金や裏金を使って、どうのこうのと言う事情は、一切御座いませんので、この点は公明正大で御座いますので、どうぞご安心下さいませ。

余計な話ですが、おもてなしのゴルフや炉端焼き店の費用は、やっぱり国民の税金が当てられるのでしょうね。(蛇足ながら、どこぞの総理が、どこぞの大統領を接待した時の事ですよ。そんな事、いちいち言われなくても、分かってますよね。)

いやいや、招待者側の負担、ポケットマネーに決まってる、てですか。

いやいや、割り勘、割り勘ですよ。当たり前の事でしょう。ウイン ウイン てやつですだよ。

 

強いて、幾分カッコ付けて申し上げますと、心の問題とでも言いましょうかね。

おヒマなお方、心を込めて、大歓迎で御座います、と言う次第なのですよ。

まだ明けやらずの暗い内から、パッチリと目が覚めてしまいまして、サー今日一日、どのように過ごすか。と言う難題の下に日々をお過ごしの方々も多々いらっしゃられるのではないでしょうか。

これをしなければ、と言う特別なすべき用事も無く、何処へ顔を出しても、たいして歓迎されるわけでもなく、しかし、なんとか今日一日を過ごさなくてはならない、と言う御事情のお方、このような同朋の御方々を心より大歓迎するのが、「停念堂閑記」なのですよ。

 

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ダメなのですよ。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

打倒、閑、ひま、ヒマーッ!

A A O  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

 

  

では、参ります。 

 

今日は、近年立て続けに起きている自然災害について、真面目に、分かりきった事を、ダラダラと書き立てたいと思います。

話は、思いっきり面白く無いですよ。

何時もの事ですがね。

ごくありふれた事柄を、ただただヒマ潰しに、繰り返し繰り返し、ダラダラとやろうと言う魂胆です。きっと、関わらない方が良いですよ。

さっさと、退散する事をお勧めします。

それでも、なおヒマ潰しをと言うお方に限って、どうぞお付き合い下さいませ。

 

さて、本日は前回の「自然災害対処法」1に続く「自然災害対処法」2と題しまして、要するに、前回言い残したジジイのボヤキ事を補足したいという事です。

 

前回では、自然災害についての被害対策として、最も大事なのは、その対策の担当者、すなわち、国や地方自治体の長・議員がしっかりしていなくてはダメである。

と言うことは、これらの長・議員を選出する選挙が持つ意味が重大である。

すなわち、有権者はしっかりした候補を立てて、当選させなくてはならない、と言うことである、と言う点を指摘したつもりでいます。

もっと、分かり良く言えば、とにかく有権者がしっかりしていなくてはダメと言うことですよ。

有権者はもっともっと賢くなって、本当に自分達のために働いてくれる、国の、自治体の長・議員を選出する様にならなくては、自分達の命を守り、財産を守り、日々の生活を守る事を実現する事が難しい、と言うことですよ。

 

それで、本日はその延長上で、自然災害による被害の復興について、少しく考えてみる事にしたいと思うのですよ。

人任せはダメですよ。

皆さんも、よく考えてくれなければ。

よく考えないと、次の選挙の時に、また、頼りにならない人の名前を書いてしまうノホホーンとした民主主義者と化する羽目になるのですから。

ボーツとしてては、ダメと言う事ですね。

他人任せにしないて、個人個人が、真面目に、ちゃんと考えなくては、と言う事ですよ。

選挙で選ばれた人に、任せっきりでは、どうにもなりませんよ。

 

自然災害を受けたら、まず、差し迫って困るのは、日々の生活をどうするか、と言う事ですなー。

まずは、誰しも自力でできることは、自力でやる事になるでしょうね。

しかし、個人では、どうにもならない事態が発生した場合に、どうするか、と言う事ですよ。

鉄道、道路、電気、水道、ガス等のライフラインが破壊された場合には、個人ではどうにもなりませんな。

この場合には、これに関わる企業とその地方の自治体の長・議員及び公務員、規模によっては、国の力を必要とする場合もありますね。

災害の復興に当っては、その規模によって、国、地方自治体が、まず対策を講ずる事になるでしょう。これについては地域毎に事情が異なるでしょうから、それぞれに応じた対策が必要ですね。

この様な事に関して、あれこれ申すには、かなりの時間とスペースを必要とする事でして、ここの雑文で安直に、取り上げるには、手に余る事で御座います。

と言う事で、ここでは、地域にかかわらず災害の復興に共通して関わりを有する被災者の立場について、少しく考えてみたいと思うのですよ。

 

被災した場合、まずは、その日々の生活を確保しなくてはなりませんね。

まずは、生活ラインの確保に関しては、行政を中心に素早く、行動を起こしてもらわなくてはなりませんね。

 

この時に関わり、被災者が心掛けなくてはならないことが幾つかあると思われます。

 

まずは、日常生活の程度をどの程度に回復すべきか、と言う問題があると思われます。

これまで通常見られたのは、兎に角、被災する前の状態に復して貰いたい、と言う要望でしょうな。一番ありがちな要望の様に思われますね。

これはこれで、それなのり意味を有していると思われるのですが、しかし、これを実行するには、それなりの費用と時間を要すると言うことと、現在問題になっているのは、それだけの費用と時間をかけて、以前の状態に復したところで、また、同程度の災害が到来すれば、再び、破壊されてしまう、と言う事態になってしまう。この繰り返しをずーっと行うことがベストか、と言うことですよ。

すなわち、相当の経費と時間を投じて、以前の状態に復したところで、問題の解決にはなっていない、と言うことですね。

 

したがって、被災以前の状態に復すると言う拘(こだわ)りから脱した方が、良い場合もあるのではないのか、と言うことを、考慮したらどうでしょう。

 

被災した人々に対して、酷な要望のように聞こえるでしょうが、被災以前の状態に復すると言う拘(こだわ)りから脱して、より広い視野に立って、最も根本的な事柄を踏まえて、最善の方法を考え直す、と言う努力をしてみる方向もあるのでは、と言うように思うのですよ。

 

当然のこととして、その時々の事情が異なりますから、その時々の最善を模索する事が大切な事は、申すに及びませんが、安易に、ただ1日も早く復旧さえすればそれで良し、と言うのではなく、一呼吸して、冷静に取り組む必要があるのでは、と言う事ですね。

 

繰り返しになりますが、被災からの復興は、ケースバイケースで、最も適切な対処がなされるべきでしょう。

これは、周知の大前提として、ここでは、一つのケースを設定して、愚考してみたいと思うのですよ。

 

例えば、大洪水で住民が日常頻繁に利用していた橋が破壊されてしまった。住民は、1日も早い復旧を願っている。

この場合、幾つかの施策が考えられるでしょうね。

どのような施策が考えられるかと申しますと、まずは、(1)破壊される以前の状態に復すると言う事でしょうね。。これは、一番最初に誰もが思いつく事でしょうね。

しかし、これでは、また、同程度の洪水が発生すれば、壊れてしまう事が予想されますね。

次に、それでは、(2)以前より、頑丈な橋にすれば良い、と言う意見が、出されるでしょうね。以前よりしっかりしたものとするわけですから、同程度の洪水が到来しても、今度は大丈夫、壊れないであろう。と期待されますね。

 

しかし、ここでの問題は、(1)・(2)の場合は、完成するまでにそれ相当の時間と、建設費用が必要とされますね。この問題をクリアーしなくてはなりませんね。この現実的な問題を処理しなくては、話にならないわけです。

 

被災者側では、1日も早く渡れる橋が欲しい訳です。

そこで、(1)(2)の橋では無くても良いから、兎に角、早く通れるように直して欲しい。と言う要求も出てきますね。現実的に、日々の生活をしなくてはなりませんから、簡易的でも良いから、兎に角、便利に渡れる橋が必要だ、と言う事です。これも、もっともな要求ですよね。

そこで、兎に角、時間を掛けずに、簡易的な橋でも良いからすぐに建設して、 (1)(2)の橋は、追々考えて行こう。と言う事になるのでしようね。

 

 

次に、それでは一層のこと、(1)(2)の橋は、最初から諦めて、手間暇がかからない、且つ低コストの橋で良いではないか。と言う考えもありますね。

どうせ流されてしまうのだから、そんな頑丈なものを造らない方が、得策ではないか。と言う訳ですね。

これはこれで、一理ありますねー。

現在最も難儀な点は、復興の経費をどう工面するか、と言う現実的な難題が横たわっています。国も地方自治体も、財政は火の車ですね。

となれば、高価な立派なものは、現状では無理だ。と言う判断も有りではないでしょうか。

地域によっては、随分昔からこの判断に依っていた所も御座いますな。

 

それから、更に進んで、時間と金の掛かる橋の再建は、もうしない、とする決断もあるでしょうな。

地域によっては、昔から橋に頼る事なく、別の手段で渡川していた場合も見られますね。

特に、極めて交通量の少ないところでは、ケーブルを渡して、それを利用して、人、貨物の搬送をしているところも有りましたし、今でもあるのでしょうね。

更に、あちこちで、渡船による輸送も見られますね。

例えば、瀬戸内海の島々では、もっぱら通学用の渡船輸送が行われているところも御座いますね。

 

ですから、何が何でも、橋の再建と言う事に拘(こだわ)る事もないかも知れませんしね。

例えば、海岸線に沿った鉄道や道路が、各地にございますな。このような所は、毎度のように台風などで大被害に遭っている所が多いですよね。

鉄道や自動車に比べると、幾分の不便さがあるでしょうが、地域によっては、船舶による港、港を結ぶ輸送手段も有りでしょうね。

毎年のように、海岸線の鉄道や道路は、大被害を受けていますからね。

大体において、険しい地形に無理やり鉄道や道路を通している所が多く見受けら、最初から無理があったように見られるれますからね。

根本的なところからの見直しが、必要とされているのではないでしょうか。

 

 

ところで、もし、すぐに新たに頑丈な橋を建設するとなれば、その費用を用意する必要がある。と言う事になりますね。その費用が、問題なく用意できれば、すぐに復興事業に取り掛かれますが、どこの自治体も、今や財政火の車でしょうから、まず、必要経費が右から左へと言う事にはならない、と言う現実にぶつかるでしょうね。

何処の自治体でも、この問題が最も頭痛のタネと言う事が出来るでしょうね。

そこで、通常は、市町村であれば、上の都道府県に援助を求める事になるでしょうね。

ところが、都道府県だって、事情は同じで、財政が火の車と言う事態に変わりは御座いませんな。

そこでより上級のお国さんに、援助を乞うと言う運びになるのが一般的にですね。

ところが、被災の度ごとに期待されているお国さんは、これが世界一の莫大な負債を抱えている、もはや倒産していると言っておかしく無い大借金大王と来てますね。

しかし、被災者側は、委細構わず、とにかく、お国さんにせっついて支援金を獲得する事に、専念するより無い状況ですね。

そこで、国権を代行する政府・与党は、国民の要望に応えなくては、次回の選挙で議席を減らす事になり兼ねませんので、すは一大事とばかりに、すぐさま補正予算を組んで、国債をドンドン発行して、すなわち、分かり良く言えば、日銀に命じてドンドン万札を印刷し、被災地にばらまくわけです。

これで、被災者側では、流された橋を復旧できると、安堵の胸をなで下ろすと言う運びと相なる訳ですね。

しかし、被災者側が要求する金額が、すんなりと支給される事は、まず無いと言って、良いようですね。すなわち、聞くところによれば、要求額の78割も出れば、御の字の状況でしょうか。

だから、その支給された額の範囲で橋の修復に当たるより無い現実ですので、結局は、以前とたいして変わりのない、また、流されてしまいそうな橋で我慢しなければならない実情となるのでしょうね。

多くの場合、これが繰り返し繰り返し行われている、と言う事になっているようですね。

 

いつも、国から補助金助成金などが貰える事になると、貰う側は大儲けした気分になれるようです。

しかし、補助金を出すと決めた政府・与野党の代議士先生が、自腹で補助金を出す事は、決してありませんよ。

まして、大金持ちのお国さんが、国民とは別の存在で鎮座しておられる訳ではございませんね。

 

お国さんイコール国民ですから、国民はどこか別の存在の大金持ちのお国さんから大金を頂いた訳ではございません。言うまでもなく、結局は税金で、自腹で支出しているのですが、国家権力を代行しているに過ぎない政府のだらしのない選挙対策のためのバラマキ政策に乗せられて、国民はすっかり大儲けしたかの如くの勘違いに陥入り易いのですね。

 

とにかく、現実的には、これで流された橋が復旧するのです。

しかし、この繰り返しで、いいのでしょうか ? ? ?

何時の日にか、この後始末が、国民に一気に降りかかってくる事になりはしませんか。

今は、国債を買い支えている大金持ちの皆さんが、例えば、富裕なお年寄りの皆さんの人口が、時間の経過と共に、だんだん減少して行くと、乱発する国債を、買い支える事ができない事態となりますね。

個人的に、私は国債など買ってないから、なんて能天気な事を言ってられませんよ。富裕なお年寄りが何らかの形で金融機関に預けているお金が、金融機関を介して国債に化けているのですから。

例えば、年金生活をしている多数のお年寄りの皆さんに対して、財政難に悩む政府は、次第に医療、介護など福祉に当てる予算を当てられなくなり、結果、お年寄りは自分の蓄えを崩して、日々の生活費に当てるよりなくなる訳ですね。

今は、まだ裕福気取りで居られるお年寄りも、近未来の生活は、どのようになるか。先細りになる事は、目に見えてますね。

そうなった時には、お国さんは、今まで国債で掻き集めたお金を、今度は支出しなければなりませんので、その資金をどうするか。もはや、国債の発行はできなくなってますね。

お年寄りの皆さんが、金融機関に預けたお金を、徐々に引き出して生活するよりなくなりますので、事によっては、何時の日にか、何かをきっかけに、人々が、一斉に現金化に走ったりすれば、たちまちATM保管の御札が底をつき、引き出せない事態に立ち至ったるかもしれませんね。このようになったなら、もはや何をか言わんや、と言う事態になりますね。

私ゃー箪笥預金をしてるから、何てこと言ったって、その時には、銀行券自体の信用がガタ落ちで、タンスに沢山入っていると言ったところで、紙屑同然となり兼ませんから、どえらい事態となりますなー。

この事態に立ち至った時に、どうしますか。と言ったっところで、庶民はどうすることもできませんね。

これまで、垂れ流し政策を続けてきた代議士先生は、もとより何の責任を取る事はないでしょうね。

 

しかし、自然は許してはくれませんよ。大災害は、忘れないうちやってきますよ。

橋がまた流された。復旧しなければ、なんて言って、お国さんに泣きついても、もはやお国さん自身がヨレヨレなのですから、ニッチもサッチも行きませんよね。

そうならないためには、財政政策をマンネリ化した政府、代議士先生に任せておいてはいけませんね。

国民も、ダラダラと垂れ流しに政策に乗せられず、多少とも不便があっても、辛抱すべきところは、辛抱しなくてはならないのでは。

ただただお国さんにせっついて、資金を引き出す事ばかり考えずに、節約第一の時代になっている事を認識すべきではないのでしょうか。

 

と言う事で、例えば、洪水で流された橋の復興に際しては、安易に元に復せばそれで良い、と言う、発想ではなく、最も基本的なところから、広い視野で、より良い対策を考えなくてはなりませんね。

それは、政府や代議士先生に、任せておいては、決して良い結果にはなりせんから。彼らにとっての政治活動の第一が、言わずと知れた選挙に向けての対策ですから、一般国民の視点とは大いに違っていることを、よくよく認識して、国民一人一人が、もっともっと、しっかりしなくてはならないと言う事ですね。

 

ここでは、破壊された橋の再建を例にしましたが、申すまでもなく、橋に限ったことでは御座いません。災害一般について、概ね同様な事情にあるわけで、これが毎年毎年のことですから、莫大な経費がかかっているのです。この費用が、国民の税金で賄われているのですから、国民全体が、より一層関心を強く持ち、広い視野から根本的な取り組みが必要となってますね。

ただただ、自分の居住地域の橋が、再建されれば、それで良し、と言う事態では、御座いませんね。

特に、国会議員の先生達の愚行を嘆くだけでは、事態は良くなりませんね。愚かな国会議員の先生を選出したのは、国民有権者である事をよくよく強く認識する必要があると言う事でしょうね。

 

クドクドと、同じことを繰り返し繰り返し書いてきましたので、もう、十分に、とっくの間に、枯れ葉の季節、すなわち、アキが来ているでしょうね。

しかし、自分自身の事として捉えた場合、一回や二回言われたところで、なかなか本当に自覚するには、至らないのですよ。

賢明な方々は、言われなくても、十分に分かっておられる事でしょうが、小生などは、なかなかそうは行かないのが現実です。

お叱りを承知の上で言わせて頂けば、小生の様な方々が、結構多数いらっしゃるのでは、と想像するのですよ。

もし、この様な事態であるとするならば、これはもう、繰り返し繰りかえし、耳ダコができるほど、言ってもらわないとダメなのですよ。

繰り返し繰り返しやるのが、教育の最も大事なところだ、と指摘しておられた先生がいらっしゃいましたので、早速パクらせて頂きまして、シツックコやらせて頂いた次第です。

 

ヒマに任せて、また、やるつもりですよ。

もう、辟易としておられることでしょうが、おヒマなお方は、懲りずに、またお付き合い下さいませ。

 

どうもお疲れ様で御座いました。

おあとがよろしいようで。