《停念堂閑記》125

《停念堂閑記》125

 

「停念堂寄席」74

 

「今風のリーダー達」

 

本日も、「停念堂閑記」にようこそお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、間抜けな話です。いくぶん具体的に申しますと、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない、間抜けな話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的が年寄りのヒマ潰しですからね。

定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

打倒、閑、暇、ひま、ヒマーッ!

A A O  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

 早い話が、いつもの半ボケジジーのボヤキですよー。

 

  

さて、間抜けな話の開始です。今日は、「今風のリーダー達」と言う事をネタにして、暫しの間、ヒマ潰しをしようと言う魂胆ですわ。

 

 

今日は、結論を先に言っておきたいと思います。

そうすると、あとは小生得意の思い付きざまを、ダラダラと書いて、ヒマ潰しになれば、大成功となりますので、今日はこれで行くことにします。

 

ここで言う、リーダー達とは、具体的に言えば、日本を牽引する役職についている人達を指しています。

内閣総理大臣をはじめ政府閣僚の面々、および与党、野党を含めた国会議員の先生、加えて、地方議員の先生、更に、国および地方の公務員のお偉方、経済界のお偉方、そして、テレビによく出演なさっておられる当該局の解説者とその筋の専門家の方々と言うあたりの方達であります。

概ね、このあたりの方々をリーダーと言わせてもらいます。

これらの方々全てとは申しませんが、これらの方々の行動は、例えば、テレビを通じて、しょっちゅう国民の前に現れますので、目に付く存在なのですよ。

そのような方々を「今風のリーダー達」と呼ばせていただきます。

 

このような人達、もちろん全員とは申しませんが、その特徴の一つは、物事についての根幹となる部分についての思慮が不足しているのではないか、と思われるところが感じられるのです。

別の表現をすれば、分かりやすく言えば、基礎をきちんと考慮せずに、目先の利益に飛び付く傾向が強く感じられる、と言うことです。これが、ここで言う「今風のリーダー達」の一特質と言えるのではないのか、と言うことです。

 

次には、目先の利益に飛びついて、失敗した場合に、その責任から、とにかく、逃げ去ることを以って、宗としているようだ、と言うことです。

最も顕著なのは、国会における質疑応答であります。旗色が悪くなると、噛み合わない答弁を繰り返すし、すぐに記憶をなくすし、想定外に逃げるし、他人のせいにするし、その責任逃れは、実に見苦しい限りですね。

責任を取らない、と言う事が、ここで言う「今風のリーダー達」の一特質と言えるでしょうね。

とにかく、自分の失策の責任をとると言うことは、まず、御座いませんな。のらりくらりと、逃げ回り、はぐらかす。稀に、どうにもならなくなったら、直ぐに前言を取り下げるし、謝罪めいたことを口走ったとしても、その失策についての反省はなく、同じ事をすぐに繰り返しますから、なんとも言いようが御座いませんね。

 

まずは、今日の結論は、物事において、根幹となる基礎の部分を考慮せず、目先の利益に飛び付く。それと、失策に対する責任から徹底的に逃げ去る傾向が強い、と言うことが、「今風のリーダー達」の目に付く特質と言えるのではないか、と言う事であります。

 

と言う事で、以下には、これに関わると思われることを、半ボケジジーのボヤキ風に、ダラダラと行きます。

 

さて、今や、世はあげて、世界的な流行の新型コロナウイルスの話題で持ちきりでんなー。

テレビでは、このところ連日、一日中、新型コロナウイルスの話題ばっかりで、そろそろ辟易している方々もおいではないでっしゃろーか。そろそろ勘弁してくだせー、っちゅうところではないでっしゃろーか。

何だか、これまでにない、訳の分からない、得体の知れないヤツが現れよって、あれよ、あれよと言う間に、ナンや、ナンやと、世界中が、大混乱になってしまいましたなー。

どこの国でも、目には見えない得体の知れないヤツには、常日頃大して危機感を持てず、備えが極めて不十分と言うことのようで、フイを突かれると、もー、どうにもならなくなるようですだな。

例えば、ミサイル、戦闘機、戦車、戦艦などは、形がハッキリとしていて、見た目に、これは兵器や、とすぐに認識できますわなー。こんなもの並べて、戦争する気かー、と心配になりますわなー。

これが、核兵器となると、ちょっと様子が変わりますぜー。核弾道弾、ミサイルに設備されたのを見せられると、こんなものどうするつもりや。まさか、・・・か。何をする気やー、と驚きますわなー。

核弾道弾の形を見せられただけで、その怖さが認識されますなー。

しかし、それが万が一使用された場合のいわゆる放射線については、全く目には見えまへんで。ただただ恐ろしい結果を生み出すだけの代物でんなー。こんな目に見えないオッカナイものはありませんで。

責任問題では、事済みませんから。

もはや誰も手出しできなくなってしまいますから。

また、化学兵器についても、日本ではオームによるサリン事件で、どのような事になるのかの具体的な被害の様子が分ったけれど、これも、サリンガスは、目に見えないから、一般人は、対処のしようも御座いませんよ。

さらに、いわゆる生物兵器となると、国際法(ジュネーブ議定書)で使用が禁止となっているとは言え、仮に使用された場合は、実際にその時の、その事態が目の当たりに現れるまで、その実態はとなると、全くチンプンカンプンでんな。とてつもなく、厄介な恐ろしいものであろうと言う想像がつくけれど、具体的にどうなるのか、と言うことについては、実感が持てない、弱さが御座いますな。

 

このような非常事態が、この度の新型コロナウイルスの流行と言う形で、我々の眼前に、突然、現れたわけですなー。

もー、世界中が、大混乱に陥った状態となってますね。

とにかく、今は、一日一刻も早く、予防薬と治療薬の開発を待っている状況です。

予防薬と治療薬の開発関係者の皆様は、まさに必死になって、取り組んでおられることとお察しいたします。この事態を救えるのは、あなた達しかおりませんので、厳しい日々をお送りの事と思われますが、兎に角、頑張って頂きたいと、願うより御座いません。

この謂わば、世界大戦のような状況を治めるには、予防薬と治療薬の開発に携わっておられる方々に期待する以外に無いようです。虫のいい事を言うばかりで、申し訳御座いませんが、どうぞ、頑張って下さいませ。

 

 

さて、この度の新型コロナウイルスとなりますと、どれほどの威力を持つものなのか、感染した場合、どうやったら治るのか、よくは分かっておりませんなー。

とにかく、今心配されている事は、驚くほど感染力の強いヤツだ、と言う事ですな。たちまち、全世界に広がってしまいましたからねー。

問題は、その人体に与える威力がどのようか、と言うことが関心の的ですな。感染の広がりに伴い、死亡者数も多く報道されるようになってきてますなー。

ウイルスに関する専門家と言われている方々が、毎日テレビに出演されて、それぞれの見解を述べておられますなー。

大まかに見ますと、かなり緩めに見る方と、そうではなく、かなり慎重に、厳しく見る方とに分かれているようですな。

例えば、新型コロナウイルスについて、感染したとしても約80%以上は自力免疫力で治る。従来のカゼ程度のものだ。死亡率を見ても、インフルエンザと比べると、随分と低い。大騒ぎしなくて良い。と言うような趣旨のことをおっしやっておられる方がおられますなー。

対して、軽く見てはいけない。未だ、未知の部分の多いウイルスだ。感染力が極めて強いし、体内の潜伏期間も、30日近くの例も見られるし、また、一度陰性の検疫結果を得ても、再燃と見られる事例も、報告されている。まだまだ、未知の部分が残されており、世界的な感染拡大の状態を見ても、決して油断ならない。と言う様な、見解を強調される方も見られますなー。

マスクの効用についても、新型コロナウイルスは、極めて微細であるために、市販の使い捨てマスクでは、防ぐのに何の役にも立たない。

と言うご意見の方と、いや、そうでもない。マスクの使用を勧めたい、とおっしゃられる方もおられますなー。

また、政府の対応は、成功しているとする立場の方もおられますが、政府の対応は、その初期から甚だまずかった、とおっしゃられる方もおられますなー。

テレビのワイドショーは、今のところ連日この話題で持つきりです。

このところ、流石に、飽きてきたのでは?  と感じられる場面もあるように思われますなー。関心は、関連するオリ・パラピックの開催の可否に関わる話題に、移って行ってるなー、と感じたりするのですよ。

また、関連して、経済の落込みが顕著となってきているので、この先どうなるのか、これをどう立て直すか、と言う問題が注目されて来ていますなー。

これからのワイドショーの話題は、専らこちらの方へ移っていくのであろーなー、と言う感じを受けますだよ。

穿った見方をすれば、テレビのワイドショーで、新型コロナウイルスの話題が、取り上げらなくなったら、その時期が新型コロナウイルスの収束の時期かなー、なんて思ったりしましてね。日本社会の関心は、専らテレビに誘導されがちですからなー。

 

とは言え、新型コロナウイルス症の大流行と言う大きな社会問題が発生した場合には、国民としては、その問題の解決のための政府をはじめ、医療関係者などによる対策が、適切であるか否かを、ちゃんと見ておかなくてはなりませんなー。

例えば、一般論として、大きな社会問題が発生した場合は、まずは、その問題の本質、実体を把握する必要がありますね。

次いで、その問題の解決すべき方向を的確に把握しなくてはなりませんね。

すなわち、当該問題の実体と、問題解決の目的を明確に設定すると言う事ですよ。

そして、この基本的な目的の達成のために、どのような手段、方法が有効かを対策する、と言う方向に進むことになりますね。

仮に、今般の新型コロナウイルスの問題についてみると、まずは、その問題の発生時に、その本質、実体を把握しなければならない事態だったのですね。

この点については、中国武漢で、新型のコロナウイルスに感染した患者の発生が明らかとなった。この新型コロナウイルスは、未だ得体の知れないものだ。従来使用されて来た抗生物質では、回復の効果が見られない、などと言う基本的な実体が、把握されましたね。

この事態に接して、例えば、日本政府は、この得体の知れない新型コロナウイルスが、日本にやって来た場合に、どう対処しなければならないか、と言う問題意識を明確にしなくてなりませんでしたね。

そして、その問題の解決すべき方向を的確に把握しなくてはなりませんでしたね。

この時の日本政府の対応は、まずは、この得体の知れない新型のウイルスから、日本国民の生命を守らなくてはならない、と言う明確な目的を設定する必要が生じましたよね。以後は、この基本的な目的をどのように達成するか、これが課題となるわけですね。

ここが、新型コロナウイルス対策の、出発点となるべき事だったと思われますね。

ところが、政府がとった最初の対策が、この新型コロナウイルスが、日本国内に入ることを食い止めなければならない、というところに基本を置いたものでしたね。いわゆる水際作戦であったのですよ。もちろん、政府が単独でこの対策に踏み切ったのではなく、いわゆるこの筋の事に詳しいウイルスの専門家の意見を聞いて、政府としての判断に踏み切った、と言う事なのでしょうね。

すなわち、対策の大元となる部分の議論が十分に行われない状況で、具体的な対策に乗り出してしまった、と言う事なのですね。

すなわち、根幹を見極めず、枝葉の対策に走った、と言う事で、日本の歴代の政府では、この手法が、何かにつけて、ごく一般的な手法とされて来た、経緯があるようで、今回の新型コロナウイルス対策も、この路線で行われ出した、と言う事でしょうね。

一つの結論としては、これが、今回の「停念堂閑記」のテーマに掲げた、「今風のリーダー達」の判断、と言うことになるのですね。

しつっこく言い足せば、根幹を見極めず、枝葉の対策に走る、要するに、目先の利益に飛びつく、と言うことです。

今回の新型コロナウイルス対策は、大流行している武漢湖北省からの渡来者を入国の段階で、チェックすれば事足りる、と踏んだわけですね。この水際の検疫が、この対策の基本に据えられて、これから他の対策へと派生する構図となったのですね。

ここでの判断が、「今風のリーダー達」、ここでは、すなわち総理、政府と相談を受けたウイルスの専門家達の判断が、ことの展開を左右する実に大切な判断であったのですよ。

ここで、慎重に熟考して、とるべき方向を見極め判断すべきだったのでは無いでしょうか。

ところが、「今風のリーダー達」は、見事に誤ってしまいましたなー。

すなわち、洞察力の欠如と言いますか、軽率といいますか、得体の知れない新型のウイルスについての判断が、極めて緩く、慎重を欠くものであった、と言うほか御座いませんな。

本来ならば、前に述べましたように、未知なるものに対面した時には、どのように対処すべきか熟考の上、根幹を見極めなくてはなりませんよね。

まず、この得体の知れない新型コロナウイルスから国民の生命を守らなくてはならない、と言うところに基本が置かれなくてはならないと思われますねー。

さすれば、どう対処しなければならないか、と言うことが次の課題となりますねー。

まずは、この新型コロナウイルスの正体を明らかにすべく、対策を講ずる必要がありますね。要するに、政府としては、この種の研究の専門機関に、このウイルスの正体解明に大至急取り組むべき要請を行うとともに、その人員と経費の措置をすぐに行うことが必要でしたね。

そして、一方で、この新型ウイルスが日本に入ってくる事を遮断しなくてはならない、と言うことが対策されなくてはなりませんね。

まず、海外から来日した人の入国に、どう対処するのかを考えなくてはなりませんな。

 

A 全面的に、入国を拒否する。

 → 出発地へ戻す。

B 出発地により、限定的に、入国を拒否する。

 → 限定地からの渡来者は、出発地へ戻す。

 → 限定地以外からの渡来者は、入国許可、検疫を行   

  ない、その結果により対処するなどの措置をとる。

C 入国のための検疫を、実施する。

 a 検疫の結果、陰性の場合

    (a) 入国を許可し、国内の移動を可とする。

    (b) 入国を許可するが、指定滞在所における、特定

   期間の待機を課する。

   →  特定期間待機中の再検疫の結果により対処す

    る。

   → 陰性の場合は、国内の移動を可とする。必要

    により、追跡調査の協力を願う。

   → 陽性の場合は、その症状により、対処する。    

   → 重篤の場合は、指定の医療機関で、治療す 

    る。

   → 重篤でない場合は、指定滞在所における、特

    定期間の待機を課し、待機中の再検疫の結果

    により対処する。

 b 検疫の結果、陽性の場合

    (a) 入国を拒否し、出発地へ戻す。

    (b) 指定滞在所における、特定期間の待機を課する。

   →  特定期間待機中の再検疫の結果により対処す

    る。

   → 陰性の場合は、更に、指定滞在所における特    

    定期間の待機を課する。   

   →  指定期間待機中の再検疫の結果により対処す

    る。

   → 陰性の場合は入国を許可し、国内の移動を可

    とする。

   → 陽性の場合は、その症状により、対処する。    

   → 重篤の場合は、指定の医療機関で治療する。 

   → 重篤でない場合は、指定滞在所における、特

    定期間の待機を課し、待機中の再検疫の結果

    により対処する。

 

例えば、以上が、新型コロナウイルス国内侵入を抑制する、いわゆる水際対策の基本と思われますね。問題は、外国、外域を全面的に対象とするか、特定外国、特定外域を対象とするかの見極めが、極めて重要となり、以後の展開に大きく影響することになりますね。

 

この点について、この度の政府の判断は、極めてまずかった、と言う結果が出ましたね。

すなわち、政府の施策は、中国武漢湖北省からの渡来者に限定して、入国の際、検疫を課する、と言う極めて緩いものであったのですね。

 

時に、中国では、旧正月春節にあたり、多数の中国人が既に来日しており、この内、武漢湖北省から来た人以外は、入国時の検疫チェックを免れていたのですよ。

武漢湖北省から来た人だけの入国時のチェックが、基本とされましたので、これ以外から来日した人達は、平時と同様の日本国内旅行をすることになったのですな。

このことによって、彼らを乗せた観光バスの運転手やタクシーの運転手、ガイドさんが手始めに感染し、その後も感染者の数が増加していったのですね。

それでも、しばらくの間、政府は武漢湖北省から来た人達だけのチェックにこだわりましたね。感染状況の悪化に対面しても、出発点の方針から脱する事が、できなかったのですな。

これが、「今風のリーダー達」なのですよ。危機管理意識が極めて希薄としか、評しようが御座いませんな。危機についての洞察力が、極めて欠如しているのですね。

 

それから、いつも感ずることは、責任に関することですね。誰しも、失敗した時には、なるべく責任を追及されたくないでしょうね。人間、誰しもそのように思いがちですよね。

しかし、日本全体を牽引していく立場の人は、その責任を強く持ち、国民のために尽くす覚悟が必要であろうと、思うのですよ。

そして、そのために最大の努力をしたが、結果的に、実をあげられなかった。そう言う場合もあるでしょう。このような時に、まずは、責任問題が浮上しますね。当然のことですね。

この問題に対する場合、事実に即して、率直な反省が必要であろうと思うのですよ。

ところが、「今風のリーダー達」は、この事態で、いかに責任を回避するかに、懸命になる傾向が、極めて強く感じられるのですね。

まずは、事実を有耶無耶にすることに努めますな。兎に角、事実についての動かぬ物証がない限り、その事実を一切認めようとしませんな。

事象は、様々な側面を持っていまして、物証がある場合と、物証が無い場合が御座いますな。

物証が無い場合とは、人間の心の内部に関わる事柄です。レントゲン検査をしても、身体の物的部分については、影が出たりしますが、心までは見ることができないのです。嘘発見器なるものを用いても、真の心の中を見とることはできせんな。

当たり前です。心は物では御座いませんので、物としての証拠を捉えることができませんな。

そこで、このような事柄が問題になると、その点については、そのような事実はない、それに関する記憶がない、そんな事を想定していなかった、と言うように、のらりくらりとはぐらかし、責任からひたすら遠ざかろうとすることになるのですねる。

近年では、森友学園加計学園の一件などに見られる関係者の多くの言い逃れが、未だ、記憶に新たですな。

その事態に関わりを持つ人が存在し、その事態が起きているのに、その関係者は、私は関係ない、関係した事を示す証拠はない、記憶がない、などと惚けてしまうのですね。

ここに、「今風のリーダー達」の一つの特質を見る事ができますねー。

 

今や、日本の将来は大変なことに直面しているのでは、と強く感じています。

この国を牽引している立場にある人の責任は、稀にない重大なものとなっていますね。

この局面に、どのように立ち向かうかは、目先のバラマキによる選挙対策をしている場合では御座いませんな。根幹をしっかりと見つめた、しっかりした熟考を重ねてしっかりした目的を据えて、責任を持って、進んでもらいたいものです。

 

今日は、このような事をボヤいて、半ボケジジーの暇つぶしをしてみました。

毎回代わり映えのし無い、分かりきったつまらない話を繰り返すばかりで、恐縮で御座います。

半ボケジジーの限界でんなー。

 

 

想像を絶する困窮する事態にならないように、半ボケジジーは願うばかりです。

 

どうもお疲れ様で、御座いました。

またのお越しを、お待ち申し上げます。

 

お後がよろしいようで。