《停念堂閑記》119

《停念堂閑記》119

 

 

「日比憐休独偏記」32

 

 

「自然災害対処法」2

 

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。

厚く御礼申し上げます。

遠路はるばるかどうかは、存じませんが、本当に、よくいらっしゃいましたね。

遠路はるばるとは申せ、よもや「停念堂閑記」に徒歩でやって来られる御方は、おられないでしょうな。そんな御方がいらっしゃいましたら、是非是非お会いしたいもので御座いますが。

とにかく、徒歩で来ようが、泳いで来ようが、はたまた車でも、電車でも、新幹線でも、飛行機でも、ロケットでも、何であろうと構いませんが、要するに、いらして頂ければ、大歓迎で御座いますよ。

もっとも、ロケットで来られますとね、駐ロケット場など持ち合わせが御座いませんので、一つご勘弁のほどを。せいぜい、自転車ででも、お願いできれば、幸甚で御座います。

ところで、本当のところは、徒歩でも、ジョギングでも、マラソンでも、泳いでも、自転車でも、車でも、電車でも、新幹線でも、飛行機でも、ロケットでも、はたまたミサイルであろうと、実は、来ることが出来ないのですよ。

貴方だけに、こっそりとお教えしますね。たいして、難しくは御座いませんよ。ただね、必要欠くべからざるものがあるのですよ。

それは、パソコンかスマホなのですよ。それでね最近の作は、Googleまたはyahooのサイトから、「otakatsuyaのブログ」を検索すれば、《停念堂閑記》に辿りつけますから。これだけでいいのですよ。

一般の交通手段では、永久に辿り着けませんので、どうぞ、ご注意下さいませ。蛇足ながら。

辿り着いてくれさえすれば、大歓迎で御座いますよ。

とは申せ、大歓迎と言いましても、高価な美味しい料理でおもてなしをするわけでも、温泉に入って頂いて、とりあえず冷えたビールをグイーッとやって頂くわけでも、肩をお揉みするわけでも、お好みのスイーツをお楽しみ頂くわけでも、御座いません。

ついでに、お友達と連れ立って、ゴルフにご招待する訳でも御座いません。

粗茶の一杯すら出ませんよ。炉端焼き店にだって、行くわけでは御座いませ。ポイントだって付きませんから。

このような点は、まー、一言で申しますと、ケチですわ。いや、ドがついて、ドケチと言うべきですなー。

しかし、公金や裏金を使って、どうのこうのと言う事情は、一切御座いませんので、この点は公明正大で御座いますので、どうぞご安心下さいませ。

余計な話ですが、おもてなしのゴルフや炉端焼き店の費用は、やっぱり国民の税金が当てられるのでしょうね。(蛇足ながら、どこぞの総理が、どこぞの大統領を接待した時の事ですよ。そんな事、いちいち言われなくても、分かってますよね。)

いやいや、招待者側の負担、ポケットマネーに決まってる、てですか。

いやいや、割り勘、割り勘ですよ。当たり前の事でしょう。ウイン ウイン てやつですだよ。

 

強いて、幾分カッコ付けて申し上げますと、心の問題とでも言いましょうかね。

おヒマなお方、心を込めて、大歓迎で御座います、と言う次第なのですよ。

まだ明けやらずの暗い内から、パッチリと目が覚めてしまいまして、サー今日一日、どのように過ごすか。と言う難題の下に日々をお過ごしの方々も多々いらっしゃられるのではないでしょうか。

これをしなければ、と言う特別なすべき用事も無く、何処へ顔を出しても、たいして歓迎されるわけでもなく、しかし、なんとか今日一日を過ごさなくてはならない、と言う御事情のお方、このような同朋の御方々を心より大歓迎するのが、「停念堂閑記」なのですよ。

 

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ダメなのですよ。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

打倒、閑、ひま、ヒマーッ!

A A O  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

 

  

では、参ります。 

 

今日は、近年立て続けに起きている自然災害について、真面目に、分かりきった事を、ダラダラと書き立てたいと思います。

話は、思いっきり面白く無いですよ。

何時もの事ですがね。

ごくありふれた事柄を、ただただヒマ潰しに、繰り返し繰り返し、ダラダラとやろうと言う魂胆です。きっと、関わらない方が良いですよ。

さっさと、退散する事をお勧めします。

それでも、なおヒマ潰しをと言うお方に限って、どうぞお付き合い下さいませ。

 

さて、本日は前回の「自然災害対処法」1に続く「自然災害対処法」2と題しまして、要するに、前回言い残したジジイのボヤキ事を補足したいという事です。

 

前回では、自然災害についての被害対策として、最も大事なのは、その対策の担当者、すなわち、国や地方自治体の長・議員がしっかりしていなくてはダメである。

と言うことは、これらの長・議員を選出する選挙が持つ意味が重大である。

すなわち、有権者はしっかりした候補を立てて、当選させなくてはならない、と言うことである、と言う点を指摘したつもりでいます。

もっと、分かり良く言えば、とにかく有権者がしっかりしていなくてはダメと言うことですよ。

有権者はもっともっと賢くなって、本当に自分達のために働いてくれる、国の、自治体の長・議員を選出する様にならなくては、自分達の命を守り、財産を守り、日々の生活を守る事を実現する事が難しい、と言うことですよ。

 

それで、本日はその延長上で、自然災害による被害の復興について、少しく考えてみる事にしたいと思うのですよ。

人任せはダメですよ。

皆さんも、よく考えてくれなければ。

よく考えないと、次の選挙の時に、また、頼りにならない人の名前を書いてしまうノホホーンとした民主主義者と化する羽目になるのですから。

ボーツとしてては、ダメと言う事ですね。

他人任せにしないて、個人個人が、真面目に、ちゃんと考えなくては、と言う事ですよ。

選挙で選ばれた人に、任せっきりでは、どうにもなりませんよ。

 

自然災害を受けたら、まず、差し迫って困るのは、日々の生活をどうするか、と言う事ですなー。

まずは、誰しも自力でできることは、自力でやる事になるでしょうね。

しかし、個人では、どうにもならない事態が発生した場合に、どうするか、と言う事ですよ。

鉄道、道路、電気、水道、ガス等のライフラインが破壊された場合には、個人ではどうにもなりませんな。

この場合には、これに関わる企業とその地方の自治体の長・議員及び公務員、規模によっては、国の力を必要とする場合もありますね。

災害の復興に当っては、その規模によって、国、地方自治体が、まず対策を講ずる事になるでしょう。これについては地域毎に事情が異なるでしょうから、それぞれに応じた対策が必要ですね。

この様な事に関して、あれこれ申すには、かなりの時間とスペースを必要とする事でして、ここの雑文で安直に、取り上げるには、手に余る事で御座います。

と言う事で、ここでは、地域にかかわらず災害の復興に共通して関わりを有する被災者の立場について、少しく考えてみたいと思うのですよ。

 

被災した場合、まずは、その日々の生活を確保しなくてはなりませんね。

まずは、生活ラインの確保に関しては、行政を中心に素早く、行動を起こしてもらわなくてはなりませんね。

 

この時に関わり、被災者が心掛けなくてはならないことが幾つかあると思われます。

 

まずは、日常生活の程度をどの程度に回復すべきか、と言う問題があると思われます。

これまで通常見られたのは、兎に角、被災する前の状態に復して貰いたい、と言う要望でしょうな。一番ありがちな要望の様に思われますね。

これはこれで、それなのり意味を有していると思われるのですが、しかし、これを実行するには、それなりの費用と時間を要すると言うことと、現在問題になっているのは、それだけの費用と時間をかけて、以前の状態に復したところで、また、同程度の災害が到来すれば、再び、破壊されてしまう、と言う事態になってしまう。この繰り返しをずーっと行うことがベストか、と言うことですよ。

すなわち、相当の経費と時間を投じて、以前の状態に復したところで、問題の解決にはなっていない、と言うことですね。

 

したがって、被災以前の状態に復すると言う拘(こだわ)りから脱した方が、良い場合もあるのではないのか、と言うことを、考慮したらどうでしょう。

 

被災した人々に対して、酷な要望のように聞こえるでしょうが、被災以前の状態に復すると言う拘(こだわ)りから脱して、より広い視野に立って、最も根本的な事柄を踏まえて、最善の方法を考え直す、と言う努力をしてみる方向もあるのでは、と言うように思うのですよ。

 

当然のこととして、その時々の事情が異なりますから、その時々の最善を模索する事が大切な事は、申すに及びませんが、安易に、ただ1日も早く復旧さえすればそれで良し、と言うのではなく、一呼吸して、冷静に取り組む必要があるのでは、と言う事ですね。

 

繰り返しになりますが、被災からの復興は、ケースバイケースで、最も適切な対処がなされるべきでしょう。

これは、周知の大前提として、ここでは、一つのケースを設定して、愚考してみたいと思うのですよ。

 

例えば、大洪水で住民が日常頻繁に利用していた橋が破壊されてしまった。住民は、1日も早い復旧を願っている。

この場合、幾つかの施策が考えられるでしょうね。

どのような施策が考えられるかと申しますと、まずは、(1)破壊される以前の状態に復すると言う事でしょうね。。これは、一番最初に誰もが思いつく事でしょうね。

しかし、これでは、また、同程度の洪水が発生すれば、壊れてしまう事が予想されますね。

次に、それでは、(2)以前より、頑丈な橋にすれば良い、と言う意見が、出されるでしょうね。以前よりしっかりしたものとするわけですから、同程度の洪水が到来しても、今度は大丈夫、壊れないであろう。と期待されますね。

 

しかし、ここでの問題は、(1)・(2)の場合は、完成するまでにそれ相当の時間と、建設費用が必要とされますね。この問題をクリアーしなくてはなりませんね。この現実的な問題を処理しなくては、話にならないわけです。

 

被災者側では、1日も早く渡れる橋が欲しい訳です。

そこで、(1)(2)の橋では無くても良いから、兎に角、早く通れるように直して欲しい。と言う要求も出てきますね。現実的に、日々の生活をしなくてはなりませんから、簡易的でも良いから、兎に角、便利に渡れる橋が必要だ、と言う事です。これも、もっともな要求ですよね。

そこで、兎に角、時間を掛けずに、簡易的な橋でも良いからすぐに建設して、 (1)(2)の橋は、追々考えて行こう。と言う事になるのでしようね。

 

 

次に、それでは一層のこと、(1)(2)の橋は、最初から諦めて、手間暇がかからない、且つ低コストの橋で良いではないか。と言う考えもありますね。

どうせ流されてしまうのだから、そんな頑丈なものを造らない方が、得策ではないか。と言う訳ですね。

これはこれで、一理ありますねー。

現在最も難儀な点は、復興の経費をどう工面するか、と言う現実的な難題が横たわっています。国も地方自治体も、財政は火の車ですね。

となれば、高価な立派なものは、現状では無理だ。と言う判断も有りではないでしょうか。

地域によっては、随分昔からこの判断に依っていた所も御座いますな。

 

それから、更に進んで、時間と金の掛かる橋の再建は、もうしない、とする決断もあるでしょうな。

地域によっては、昔から橋に頼る事なく、別の手段で渡川していた場合も見られますね。

特に、極めて交通量の少ないところでは、ケーブルを渡して、それを利用して、人、貨物の搬送をしているところも有りましたし、今でもあるのでしょうね。

更に、あちこちで、渡船による輸送も見られますね。

例えば、瀬戸内海の島々では、もっぱら通学用の渡船輸送が行われているところも御座いますね。

 

ですから、何が何でも、橋の再建と言う事に拘(こだわ)る事もないかも知れませんしね。

例えば、海岸線に沿った鉄道や道路が、各地にございますな。このような所は、毎度のように台風などで大被害に遭っている所が多いですよね。

鉄道や自動車に比べると、幾分の不便さがあるでしょうが、地域によっては、船舶による港、港を結ぶ輸送手段も有りでしょうね。

毎年のように、海岸線の鉄道や道路は、大被害を受けていますからね。

大体において、険しい地形に無理やり鉄道や道路を通している所が多く見受けら、最初から無理があったように見られるれますからね。

根本的なところからの見直しが、必要とされているのではないでしょうか。

 

 

ところで、もし、すぐに新たに頑丈な橋を建設するとなれば、その費用を用意する必要がある。と言う事になりますね。その費用が、問題なく用意できれば、すぐに復興事業に取り掛かれますが、どこの自治体も、今や財政火の車でしょうから、まず、必要経費が右から左へと言う事にはならない、と言う現実にぶつかるでしょうね。

何処の自治体でも、この問題が最も頭痛のタネと言う事が出来るでしょうね。

そこで、通常は、市町村であれば、上の都道府県に援助を求める事になるでしょうね。

ところが、都道府県だって、事情は同じで、財政が火の車と言う事態に変わりは御座いませんな。

そこでより上級のお国さんに、援助を乞うと言う運びになるのが一般的にですね。

ところが、被災の度ごとに期待されているお国さんは、これが世界一の莫大な負債を抱えている、もはや倒産していると言っておかしく無い大借金大王と来てますね。

しかし、被災者側は、委細構わず、とにかく、お国さんにせっついて支援金を獲得する事に、専念するより無い状況ですね。

そこで、国権を代行する政府・与党は、国民の要望に応えなくては、次回の選挙で議席を減らす事になり兼ねませんので、すは一大事とばかりに、すぐさま補正予算を組んで、国債をドンドン発行して、すなわち、分かり良く言えば、日銀に命じてドンドン万札を印刷し、被災地にばらまくわけです。

これで、被災者側では、流された橋を復旧できると、安堵の胸をなで下ろすと言う運びと相なる訳ですね。

しかし、被災者側が要求する金額が、すんなりと支給される事は、まず無いと言って、良いようですね。すなわち、聞くところによれば、要求額の78割も出れば、御の字の状況でしょうか。

だから、その支給された額の範囲で橋の修復に当たるより無い現実ですので、結局は、以前とたいして変わりのない、また、流されてしまいそうな橋で我慢しなければならない実情となるのでしょうね。

多くの場合、これが繰り返し繰り返し行われている、と言う事になっているようですね。

 

いつも、国から補助金助成金などが貰える事になると、貰う側は大儲けした気分になれるようです。

しかし、補助金を出すと決めた政府・与野党の代議士先生が、自腹で補助金を出す事は、決してありませんよ。

まして、大金持ちのお国さんが、国民とは別の存在で鎮座しておられる訳ではございませんね。

 

お国さんイコール国民ですから、国民はどこか別の存在の大金持ちのお国さんから大金を頂いた訳ではございません。言うまでもなく、結局は税金で、自腹で支出しているのですが、国家権力を代行しているに過ぎない政府のだらしのない選挙対策のためのバラマキ政策に乗せられて、国民はすっかり大儲けしたかの如くの勘違いに陥入り易いのですね。

 

とにかく、現実的には、これで流された橋が復旧するのです。

しかし、この繰り返しで、いいのでしょうか ? ? ?

何時の日にか、この後始末が、国民に一気に降りかかってくる事になりはしませんか。

今は、国債を買い支えている大金持ちの皆さんが、例えば、富裕なお年寄りの皆さんの人口が、時間の経過と共に、だんだん減少して行くと、乱発する国債を、買い支える事ができない事態となりますね。

個人的に、私は国債など買ってないから、なんて能天気な事を言ってられませんよ。富裕なお年寄りが何らかの形で金融機関に預けているお金が、金融機関を介して国債に化けているのですから。

例えば、年金生活をしている多数のお年寄りの皆さんに対して、財政難に悩む政府は、次第に医療、介護など福祉に当てる予算を当てられなくなり、結果、お年寄りは自分の蓄えを崩して、日々の生活費に当てるよりなくなる訳ですね。

今は、まだ裕福気取りで居られるお年寄りも、近未来の生活は、どのようになるか。先細りになる事は、目に見えてますね。

そうなった時には、お国さんは、今まで国債で掻き集めたお金を、今度は支出しなければなりませんので、その資金をどうするか。もはや、国債の発行はできなくなってますね。

お年寄りの皆さんが、金融機関に預けたお金を、徐々に引き出して生活するよりなくなりますので、事によっては、何時の日にか、何かをきっかけに、人々が、一斉に現金化に走ったりすれば、たちまちATM保管の御札が底をつき、引き出せない事態に立ち至ったるかもしれませんね。このようになったなら、もはや何をか言わんや、と言う事態になりますね。

私ゃー箪笥預金をしてるから、何てこと言ったって、その時には、銀行券自体の信用がガタ落ちで、タンスに沢山入っていると言ったところで、紙屑同然となり兼ませんから、どえらい事態となりますなー。

この事態に立ち至った時に、どうしますか。と言ったっところで、庶民はどうすることもできませんね。

これまで、垂れ流し政策を続けてきた代議士先生は、もとより何の責任を取る事はないでしょうね。

 

しかし、自然は許してはくれませんよ。大災害は、忘れないうちやってきますよ。

橋がまた流された。復旧しなければ、なんて言って、お国さんに泣きついても、もはやお国さん自身がヨレヨレなのですから、ニッチもサッチも行きませんよね。

そうならないためには、財政政策をマンネリ化した政府、代議士先生に任せておいてはいけませんね。

国民も、ダラダラと垂れ流しに政策に乗せられず、多少とも不便があっても、辛抱すべきところは、辛抱しなくてはならないのでは。

ただただお国さんにせっついて、資金を引き出す事ばかり考えずに、節約第一の時代になっている事を認識すべきではないのでしょうか。

 

と言う事で、例えば、洪水で流された橋の復興に際しては、安易に元に復せばそれで良い、と言う、発想ではなく、最も基本的なところから、広い視野で、より良い対策を考えなくてはなりませんね。

それは、政府や代議士先生に、任せておいては、決して良い結果にはなりせんから。彼らにとっての政治活動の第一が、言わずと知れた選挙に向けての対策ですから、一般国民の視点とは大いに違っていることを、よくよく認識して、国民一人一人が、もっともっと、しっかりしなくてはならないと言う事ですね。

 

ここでは、破壊された橋の再建を例にしましたが、申すまでもなく、橋に限ったことでは御座いません。災害一般について、概ね同様な事情にあるわけで、これが毎年毎年のことですから、莫大な経費がかかっているのです。この費用が、国民の税金で賄われているのですから、国民全体が、より一層関心を強く持ち、広い視野から根本的な取り組みが必要となってますね。

ただただ、自分の居住地域の橋が、再建されれば、それで良し、と言う事態では、御座いませんね。

特に、国会議員の先生達の愚行を嘆くだけでは、事態は良くなりませんね。愚かな国会議員の先生を選出したのは、国民有権者である事をよくよく強く認識する必要があると言う事でしょうね。

 

クドクドと、同じことを繰り返し繰り返し書いてきましたので、もう、十分に、とっくの間に、枯れ葉の季節、すなわち、アキが来ているでしょうね。

しかし、自分自身の事として捉えた場合、一回や二回言われたところで、なかなか本当に自覚するには、至らないのですよ。

賢明な方々は、言われなくても、十分に分かっておられる事でしょうが、小生などは、なかなかそうは行かないのが現実です。

お叱りを承知の上で言わせて頂けば、小生の様な方々が、結構多数いらっしゃるのでは、と想像するのですよ。

もし、この様な事態であるとするならば、これはもう、繰り返し繰りかえし、耳ダコができるほど、言ってもらわないとダメなのですよ。

繰り返し繰り返しやるのが、教育の最も大事なところだ、と指摘しておられた先生がいらっしゃいましたので、早速パクらせて頂きまして、シツックコやらせて頂いた次第です。

 

ヒマに任せて、また、やるつもりですよ。

もう、辟易としておられることでしょうが、おヒマなお方は、懲りずに、またお付き合い下さいませ。

 

どうもお疲れ様で御座いました。

おあとがよろしいようで。