《停念堂閑記》115

《停念堂閑記》115


「停念堂寄席」68
 

「何考えて生きてるの ?」7
 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。
厚く御礼申し上げます。
遠路はるばるかどうかは、存じませんが、本当に、よくいらっしゃいましたね。
遠路はるばるとは申せ、よもや「停念堂閑記」に徒歩でやって来られる御方は、おられないでしょうな。そんな御方がいらっしゃいましたら、是非是非お会いしたいもので御座いますが。
とにかく、徒歩で来ようが、泳いで来ようが、はたまた車でも、電車でも、新幹線でも、飛行機でも、ロケットでも、何であろうと構いませんが、要するに、いらして頂ければ、大歓迎で御座いますよ。
もっとも、ロケットで来られますとね、駐ロケット場など持ち合わせが御座いませんので、一つご勘弁のほどを。せいぜい、自転車ででも、お願いできれば、幸甚で御座います。
ところで、本当のところは、徒歩でも、ジョギングでも、マラソンでも、泳いでも、自転車でも、車でも、電車でも、新幹線でも、飛行機でも、ロケットでも、はたまたミサイルであろうと、実は、来ることが出来ないのですよ。
貴方だけに、こっそりとお教えしますね。たいして、難しくは御座いませんよ。ただね、必要欠くべからざるものがあるのですよ。
それは、パソコンかスマホなのですよ。それでね最近の作は、Googleまたはyahooのサイトから、「otakatsuyaのブログ」を検索すれば、《停念堂閑記》に辿りつけますから。これだけでいいのですよ。
一般の交通手段では、永久に辿り着けませんので、どうぞ、ご注意下さいませ。蛇足ながら。
辿り着いてくれさえすれば、大歓迎で御座いますよ。
とは申せ、大歓迎と言いましても、高価な美味しい料理でおもてなしをするわけでも、温泉に入って頂いて、とりあえず冷えたビールをグイーッとやって頂くわけでも、肩をお揉みするわけでも、お好みのスイーツをお楽しみ頂くわけでも、御座いません。
ついでに、お友達と連れ立って、ゴルフにご招待する訳でも御座いません。
粗茶の一杯すら出ませんよ。炉端焼き店にだって、行くわけでは御座いませ。ポイントだって付きませんから。
このような点は、まー、一言で申しますと、ケチですわ。いや、ドがついて、ドケチと言うべきですなー。
しかし、公金や裏金を使って、どうのこうのと言う事情は、一切御座いませんので、この点は公明正大で御座いますので、どうぞご安心下さいませ。
余計な話ですが、おもてなしのゴルフや炉端焼き店の費用は、やっぱり国民の税金が当てられるのでしょうね。(蛇足ながら、どこぞの総理が、どこぞの大統領を接待した時の事ですよ。そんな事、いちいち言われなくても、分かってますよね。)
いやいや、招待者側の負担、ポケットマネーに決まってる、てですか。
いやいや、割り勘、割り勘ですよ。当たり前の事でしょう。
 
強いて、幾分カッコ付けて申し上げますと、心の問題とでも言いましょうかね。
おヒマなお方、心を込めて、大歓迎で御座います、と言う次第なのですよ。
まだ明けやらずの暗い内から、パッチリと目が覚めてしまいまして、サー今日一日、どのように過ごすか。と言う難題の下に日々をお過ごしの方々も多々いらっしゃられるのではないでしょうか。
これをしなければ、と言う特別なすべき用事も無く、何処へ顔を出しても、たいして歓迎されるわけでもなく、しかし、なんとか今日一日を過ごさなくてはならない、と言う御事情のお方、このような同朋の御方々を心より大歓迎するのが、「停念堂閑記」なのですよ。
 
話は、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話で御座います。深刻にならないところが、取り得ですよ。
夜、眠れなくなったりしませんからね。
もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。
 
なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。
お互いに、持て余しているヒマを、適当に、好い加減に、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ダメなのですよ。大して関係のない余計なことを交えたりしましてね。
しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。
手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。
至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。
張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。
打倒、閑、ひま、ヒマーッ!
A A O!  エイエイ、オー!
ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。
 
  
では、参ります。 
それでは、そろそろ本題に入らせて頂くことに致します。

さて、本日は、「何考えて生きてるの ?」と言うことをテーマとして、ヒマ潰しのそれはそれは、とってもクダラナイ、とって置きの下品な無駄話をしたいと、思うのですよ。
とは言え、最初にお断り致しておかなくてはなりませんが、たいした話では御座いませんよ。例のごとく。所詮ヒマ潰しの下品な無駄話ですからね。その点を四六四九お願い致しますよ。

さて、何考えて生きていようと、大きなお世話と言うものでしような。
他人に、とやかく言われる筋合いのものでは、御座いませんよ。
だから、何を考えていようが、一向に差支えないのですだよ。
いちいちとやかく申し上げるつもりは毛頭御座いません。
しかし、他人さんが何を考えているのかは、ちょっと気に掛かりませんか。これがね、結構気になりますねんよ。一度、気に掛かり出しますと、もー、気になって、仕様がなくなる事がありますのですわ。夜も眠れなくなりますよ。

それで、ここは、ヒマ潰しの場ですからね。これをネタに、色々と、そのー、ヒマ潰しをね。何とかしようと言う魂胆なのですだよ。

分かっているから、さっさと進めろ、ってですか。
それでは、行かせて頂きます。

「何考えて生きてるの ?」
今日ほど、多くの人々が考えていることを当て易い日は御座いませんよ。
なんちゅったって、今日は、一日中、テレビどのチャンネルでも、《吉野彰氏、ノーベル化学賞受賞》のニュース一色ですよ。
ヤッタ! ヤッタ! ですよ。
オメデトウ! オメデトウ! ですよ。
良かった! 良かった! ですよ。
今日は、とにかく、日本中皆んな《吉野彰氏、ノーベル化学賞受賞》の事を考えない人は、いないですよ。
皆んな揃って、
ヤッタ! ヤッタ! 
オメデトウ! オメデトウ! 
良かった! 良かった! 
ですよ。
良かった! 良かった! 何が良かったかと言いますと、とにかく、わかり易い。誰でも直ぐに分かる。
時に、ノーベル賞受賞、良かった! 良かった!と言いつつも、その内容が、サッパリ分からねー。難しすぎる。と言うのが、これまでよくあった例ですよ。
これが、この度は、《リチウムイオン電池》ですよ。
誰もが、
オレ知ってる。
私、持ってる。
うちにあるよ。
なのですよ。
こんなに身近に浸透しているノーベル賞は、本当に、良かった! 良かった!ですだよ。
皆んなが、ノーベル賞持ってる気分ですなー。

今後の課題は、TAKADAですわ。
そりゃ、なんやねん、てですか ?

T (耐久性)
A (安全性)
K (小型化)
A (安易化)
D (大容量化)
A (安価)

頭文字を並べると、TAKADA。

ネ! わかり易いでしょー。

耐久性、安全性に優れ、しかも小型、使い方が安易、大容量で、値段が安い、と来たら、世の中、革命的に変わりまっせ。

各家庭、各会社などに、TAKADAの《リチウムイオン電池》を設備すれば万事OKになるのですだよ。

もー、送電線、電信柱なんざー、一切不要でっせ。台風など来たって、電気については、へーのチャラですわ。

インターネットで、ヘイ! TAKADAの《リチウムイオン電池》一丁。と注文すれば、即配達されまっせ。そーしたら、3年間は、電気の心配しなくて、イーダよ。3年間に限ることは無いけどね。
近所のコンビニのレジの横に置いてあったりして。

さー! 若人よ! 吉野彰氏に続け!
TAKADAの《リチウムイオン電池》を開発してやー!
1日も早く。
吉野彰氏が、言っていたでしょー。
「壁にぶつかっても、なんとかなるという柔らかさ」
と、ひたすら目的に向かって突き進む剛直さがあれば、なんとかなるらしいよ。

ここで、ヒマ潰しの老いのボヤキを一つ。
吉野氏に限らず、ノーベル賞の受賞者が揃って口にするのは、基礎研究の大切さ、と言う事ですよ。
ところが、現今の日本における基礎研究は、大ピンチにさらされている状況なのですよ。

誰が、さらしているのか、と言うと。結論を急げば、なかなか言い難いのですが、その片棒を担いでいるのが、なんと、なんと、甚だ言い難いのですが、思い切って言ってしまうと、なんと国民という事になると、思うのですよ。
そして、片棒を担ぐ、もう一方は、世に先生と呼ばれる代議士先生だと思うのですよ。
しかし、代議士は、国民に選挙で選ばれた人達ですので、元をただせは、国民と言う事になるのですよ。

と言うのはですね。基礎研究と言うのは、一朝一夕で良い結論に達する事が、なかなか難しいのですよ。
分かり良く言ってしまえば、金と時間が掛かるのですよ。しからば、金と時間を掛ければ、然るべき成果に達する事が出来るのか、と言うと、その確たる保証は何も無いのですよ。
早い話が、基礎研究とは、金と時間を掛けてやってみないと、結果は、何とも分からない、と言う性格のものなのですよ。
この性格が、言ってしまえば、現代の日本人の多くの方々の考え方に、そぐわないのですよ。
人それぞれで、色々な考え方があって、一向に構わないのですよ。
小生の独偏(独断と偏見)では、多くの人々が望むのは、平穏な安定した生活であろうと思うのですよ。

家庭内的には、マイホームもある。車もある。パソコンも、スマホも、4K、8Kのテレビもある。冷蔵庫も洗濯機、その他の家庭電化品も一応揃っている。風呂も、テーブルも、ソファーも、ベットも、洋服入れも、洋服も、靴も、生活の必需品は、一通り揃っている。
あとは、これらの高級化が、今後の希望だ。

概ね、この様な事を実現できれば、いーなー、なんて思いながら、実現しない部分を気にしながら、ボヤきながら、日々を送っておられる方が多いのでは無いのかなー。なんて独偏では、思ったりするのですよ。
そして、幾分の不満があるかも知れないけれども、昨日も、何とか過ごす事ができた。今日も、多分過ごせるだろう。明日も、明後日も、何事もなく過ごせたら良いなー。と思って、日々を送っていると思うのですよ。
要するに、目先の安寧な生活が最も大事と言う生活の仕方を望む人が大多数なのでは御座いませんかねー。
このように思う事自体は、何ら問題は御座いませんよねー。これに文句をつけるつもりは毛頭御座いませんよ。

一方、家庭外の事柄に目を転ずると、これは、社会的な問題が山積みされていますなー。
どれを取っても、個人の力だけでは、なかなか思う様には、動かせるものでは御座いませんなー。
社会全体の問題については、先生と呼ばれる代議士先生らが主に舵取りして、進めているいる様ですなー。
日本は、民主国家ですが、この民主は、代表民主制という形態ですね。
すなわち、選挙権を有する有権者が、国政選挙を通して、代表者 = 代議士先生を国会に送り込んで、この先生らに、社会の舵取りを任せる事になるのですなー。
ここで問題が発生するのですよ。
すなわち、この日本の舵取りたる代議士先生は、国民の代表者として、国政選挙を通して選ばれるのですよ。
ですから、代議士先生になろうとする人達は、国民有権者の支持を取り付けなければならない訳で、国政選挙では、有権者が喜びそうな公約を並べ立てるのですよ。
この公約が、要するに、目先の安寧を希望する有権者の関心を得やすいものとなるのですなー。
そして、うまいこと当選すると、この公約を実現しなければ、と言う事になるのですなー。
要するに、目先の安寧につながる政策が中心となる訳で、その様にすると、有権者が納得する訳ですよ。
しかし、国民が要求する政策は、実に様々で、分かり良く言えば、莫大な予算を必要とするのですよ。
ところが、その様な国家の収入はなく、従って、借金をしながら、何とかしようと図る事を繰り返して、とんでもない巨額の赤字を出してしまっている現実です。
この様な事態において、金と時間を掛けてやってみないと、結果は、何とも分からない基礎研究に、多額の予算をつぎ込むなんて、とんでもない。と言う事態となっているのですね。
だから、大学に対する研究助成などは、先細りで、基礎研究などとてもとても行える状況にないのですよ。
大学に対する政府の基本的姿勢は、大学が必要とする研究費は、大学で都合しなさい。企業に頼み込んで、研究費を工面しなさい、という事態になっているのですよ。
だから、大学では、企業の利益に繋がる研究をするので、是非とも研究費をお願いしたい、という手に出るよりないのですよ。これも、企業の利益に繋がら無い研究は、問題外となるしか無い訳です。
さらに、人文、社会科学の研究は、直接、目先の利益に繋がる場合が、ものすごく少ないために、企業からの援助は、ほとんど絶望的な状態に置かれていますね。

経営状態の良い企業では、基礎研究が可能なのですが、これも、経営状態が悪くなれば、ままならくなる事態と化する訳です。
特に、目先の利益につながる研究には、資金が投じられるのですが、結果が保証されない研究には、資金を投ずる事が難しい状況に陥ってしまう事態なのです。

話を本筋に戻しますと、目先の生活の向上を希望する国民と、その指示を得なければ当選できない代議士先生とが、結局は、目先の金儲け政策に邁進するよりなく、将来を見据えた政策は、ほとんど後回しとされてしまう実情なのですね。
そこで、これで良いのか? と言う老いのボヤキが入る事になるのですよ。

現在、日本が世界で誇れることは、一つは、日本の工業製品の種類と品質の高さですね。日本が生産している製品が、世界中で役に立っている、と言う事を誇る事ができますね。

いま一つは、戦争放棄ということで、日本から他国へ戦争を仕掛けることはないという実績を戦後70年余、実行していると言うことです。これが、世界から存在を認められる条件となっているのですよ。

それから、治安の良さ、とか、マナーの良さなどは、世界に誇れる事ですね。

これらのことは、黙ってほっておいても維持、発展できるかと言うと、言うまでもなく、大変気を使わなくてはならないことですよ。

このためには、これらを支える考え方が、どうしても必要欠くべからざることです。

しかし、このことは、一朝一夕で可能となることでは御座いません。地道な基礎研究がなされて、どうにか維持されることなのですよ。
だから、目先の安寧な生活を何時迄も維持したいのならば、それを支える基礎研究に、もっと、もっと目を向けて、税金を投じなければ、いずれ目先真っ暗の状態になること明白なのですだよ。

てなことで、老いのボヤキはキリがないので、この辺で止めにします。

 

本日は、まずは、
《吉野彰氏、ノーベル化学賞受賞》
ヤッタ! ヤッタ!  
良かった! 良かった! 
オメデトウ! オメデトウ!
と言うことで。

 

お後がよろしい様で と言う事に致します。

またのお越しをお待ちいたします。