「停念堂閑記」139

《停念堂閑記》139

 

「日比憐休独偏記」44 

 

「続『新コロ』対策 雑感」

 

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、間抜けな話で御座います。

いくぶん具体的に申しますと、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない、要するに間抜けな話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

あるお方が申しておられましたよ。ヒマ潰しにすることは、須らくおよそアホくさいものだと。まさにその通りで御座いますな。間違いおまへん。

ところが、このアホくさいと思われる中から、凄い事が産まれる場合があるんだってさ。すごくタマにね。

しかし、アホくさい事は、紛れもなく殆どアホくさい事なんだそうですだよ。

間違い御座いません。《停念堂閑記》がそれを証明している代表的なものですだ。

 

定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、なかなか。ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

その通り。至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

 

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

 

打倒、閑、暇、ひま、ヒマーッ!

A A O!  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

情けねー! トホホ。

 

 

もう止めたいと思ってはいるのですよ。本当は。

でも、日々の状況を見ていると、どうしても、「新コロ」に関するボヤキとなってしまうのですよ。

止むを得ない事態ですので、本日も、代わり映えせず「新コロ」ボヤキで行きますよ。

 

まず、真っ先に、心にとめなくてはならないことは、現状が世界中が、スッポリと「新コロ」の傘下にあると、言うことをきちんと認識すると言う事ですね。

すなわち、「新コロ」のなかった時とは、全く違う状況下にあると言う事です。

だから、「新コロ」が無かった状況でやっていたことを、「新コロ」の傘下に相応しいやり方に変えなければならない事態にあると、言う事なのですよ。

このことを、国民及び特に政府は、肝に命じなくてはならないと、思うのですよ。

 

それが、現実には、「新コロ」の傘下にありながら、「新コロ」の無かった時代にやっていたことを、ひたすら切望し、政府に至っては、「新コロ」の無かった時代のやり方で、「新コロ」を乗り越えようと最も安易な試みを続けているのではないのでしょうか。

政府の「新コロ」の無かった時代のやり方の特徴は、ある事態に対する政策は、その事態の結果が出てしまってから、その後始末政策に取り掛かる、と言うところにあります。

すなわち、例えば、ある事態の結果が、誰しもが容易にわかる数値的に明確になるまで、対策を講じないと言う手法です。

政府の名台詞となってますね。

「慎重に対処する。しばらく事態を静観する。」

これが、従来からの政府の基本的スタンスなのです。

このやり方は、「新コロ」傘下では通用しないのです。「新コロ」の感染状況を静観していては、ダメなのですよ。

しかし、旧来のやり方を頑として改めないので、政府の対応は、常に、やることなすことが後手後手となるのですよ。

例えば、緊急事態宣言の発出に臨んでも、専門家、医療の現場は、たった今と要請しているのに、政府はお得意の「今しばらく状況を見て」とくるのですよ。さらに、医療現場がニッチもサッチも行かなくなった事態を見届けても、なお、慎重にと様子見に徹しているのですよ。ようやく重い腰をあげる時にすることは、常に、後手後手の批判を浴びているのですよ。

 

まずは、政府には、現状は、「新コロ」傘下の真っ只中である。「新コロ」傘下では、それに相応しい対策に切り替えなくてはならない事を、いち早く自覚して貰いたい、と言うことです。

 

クドクドと繰り返しますよ。

「新コロ」傘下では、それに相応しい対策に切り替えなくてはならないのです。

これが、現状で、一番大切で、必要なことと思いますから。

 

それと共に、今国民の多くが望んでいることは、政府は国民に対して、最も良い対策を練って、実施して欲しいと言うことです。分かり良く言えば、政府は国民の方に目を向けて、政治をして欲しいと、言う事です。

もっと、率直に言えば、政府の政策は、国民の為と言いつつ、実は、政府は政権与党の利益になるような政策を第一としているのではないのか、と言う事です。

それが結局、国民の為になっているか、と言う疑問が常に横たわっている現状なのではないのか、と言う事ですだよ。

例えば、「新コロ」対策についてみると、昨年の春、「新コロ」の感染が問題となった時から、細菌の専門家や知識人の多くは、「新コロ」の感染を食い止める最良の方法は、PCR検査を幅広く実施し、陽性者をいち早く見つけ出して、隔離し、治療に当たるべきである、とする主張を強く出していましたね。これが、国民にとって、おそらく最良な対策であったろう、と思われますね。

ところが、政府は頑として、これを阻み続けましたね。それが祟って、現在の爆発的危機を迎える結果となった主因の一つと考えられていますね。

何故、政府が拒み続けたかと言うと、PCR検査を幅広く実施すると、多数の陽性者が見つかる可能性がある。陽性者は入院隔離が原則とされているので、多数になると、当然多数の病床が、医療関係者が必要となる。しかし、政府はその準備をしていなかった。だから、陽性者が多数になると、いわゆる医療崩壊となる。この事態の発生は、政府の対策が適切ではなかったと言う結果である。すなわち、政府の政策が失敗であった、と言う事になるのですね。これは、政府にとって大変な痛手となることが必定である。だから、政府としては、この医療崩壊を何が何でも、阻止しなくてはならない。従って、陽性者の数が増えては一大事となる。だから、多数の陽性者を出さないためには、PCO検査を抑えなくてはならなかった、と言う事情が世間では、広く流布してますね。

すなわち、政府の対策は、国民の為といいつつ、国民というよりは、与党政権の維持に向けられていたと言うように見えてしまうのですよ。

これは、何も「新コロ」対策についてだけではなく、政府の出してくる政策には、いつもこのような性格が強く感じられところがあると、一般的に感じられているようですよ。

特に、国政選挙前には著しかったですね。

このような事があってはならないので、政府は自ら姿勢を正して、自分たちは国民の代表者であることを自覚して、国民に目を向けることを、当たり前としてもらいたいと、多数の国民は切望しているのですよ。

政府には、この実態をよくよく自覚して貰いたいと言う事が、国民のさし迫った切なる希望ですな。

 

また、「新コロ」に関する心得として、最も大事な一つは、人と人の接触によって感染し、広まっていくと言う認識を徹底しなければならない、と言うことですよ。

 

だから、感染を防止するには、人と人の接触をトコトン抑制する必要があるのですよ。

 

ただただ、マスクを着用すれば良いのだ。手洗いを小まめにすれば良いのだ。ソーシャルディスタンスを保てば良いのだ。飲食店は8時に閉店すれば良いのだ。会食は、5人以上でなければ良いのだ。と言う事ではないのですよ。

 

肝心なのは、感染を防止するには、人と人の接触を避ける、と言う一事に尽きるのですよ。

 

色々と「新コロ」対策が発せられていますが、つまるところ、「新コロ」の感染を食い止める方法は、個々人が他人との接触を絶つと言う以外に無いのですよ。政府行政から出される対策の多くは、感染の確率を小さくする方法に過ぎないのですよ。

 

要するに、政府行政側が色々と対策を講じても、個々人が他人との接触を絶たなければ、感染は止まらないのですよ。

 

したがって、政府行政側の対策としてやるべきことは、個々人が他人との接触を抑制する規制を作り、それを強力に要請する事以外にはないのですよ。

しかし、政府行政の要請自体には、限界があるのですよ。肝心なことは、政府の要請を、国民個々人が受け入れ、従うか否かに、「新コロ」感染の抑止が掛っているわけですよ。

 

国民がこの要請に従えば、「新コロ」の感染が下火の方向に進むでしょう。最も、政府行政側の発する対策の内容によりますけどね。

この内容が充実したものであれば、感染防止に、きっと役立つでしょうね。

 

となると、ここで問題となるのは、政府の要請が国民に受け入れられるか否と言う点ですね。内容が充実していれば、多分受け入れる人が多いでしょうね。

 

しかし、ここで、誰しもが政府行政側の要請を、すんなりと受け入れるのか、と言うと、実情は、そう単純では御座いませんよ。きっと。

 

半惚ジジーの独偏ですが、例えば、外出自粛、マスク着用、手洗いの励行を始めとして、「新コロ」感染防止の基本について、国民の約三分の一ほどは、受け入れて真面目に実行するでしょうね。

要するに、政府行政の要請に、従順型の人々が、およそ三分の一くらいは存在しますよ。

これに属する人々は、「新コロ」感染防止に、この一年間、目一杯の努力をなさって来たことでしょう。

ですから、新たに緊急事態宣言を出されても、この層の人々にとってては、もうやりようがないのですよ。緊急事態宣言の効力は、これ以上に、期待できないのですよ。

 

次に、約三分の一は、幾分気まぐれのところがあって、積極的な反対行動をとる訳ではないけれど、緊急事態宣言を受けても、徹底できず、守ったりすることはあっても、自分は大丈夫と言う自信を持っていたり、忘れちゃって守れなかったりする人々ですよ。

まー、チャランポラン型ですね。

このグループは、実はかなりのウエイトを占めているのが、現状なのではないのでしょうか。大雑把に言って、凡そ三分の一くらいを占めていると思って、良いのでは御座いませんか。

例えば、自分は大丈夫と思い込んでいる人は、実にいっばいおられると思いますね。

そもそも「新コロ」についての知識が希薄な方も多いですね。また、とかく経験的に物事を判断しがちな性格の方も多く見かけますね。

「新コロ」の感染防止が叫ばれて、もう一年が経ちますが、この一年で「新コロ」に感染しなかった人は、実に多数にのぼっていますね。この中には、なお慎重にと、積極的に感染防止に心掛けておられる方も多いと思いますが、中には、この一年間「新コロ」に感染しなかった。だから、この一年やって来た方式で、何ら問題がない、と思い込んでいる方が、断然多いように思いますね。大変厳しく感染対策に臨んできたお方は別ですが、マスクをして街をぶらついても感染しなかった。だからマスクさえしていれば、大丈夫、これで良いのだ、などと気楽な認識の方が、随分多数おいでなのでは御座いませんか。

これは、感染予防の立場からすると、たまたまそうであった、と言うことで、決して万全では御座いませんよ。

これで良いのだは、バカボンパパだけにして欲しいものですよ。

このチャランポラン型グループの中で、比較的、従っている人々と、上の従順型を加算すると、国民約半数程度は、政府の緊急事態宣言を概ね受け入れて、従う部分かなー、なんて気がするのですよ。

まー、端的に言えば、緊急事態宣言が発せられても、ほぼ現状維持が精一杯かなー、なんて気がするのですよ。

 

残りの三分の一が、ちょっと問題のグループですね。

このグルーブは、簡単に言ってしまえば、反抗・自己好都合・無関心型ですね。

 

大別すると、(A)政府の要請には兎に角反対する人達、(B)自己側の都合の良い理由を見つけて、従わない習性の人達、(C)そもそも鼻っから無関心な人達に分けられますね。

  

(A)政府の要請には、兎に角反対する人達は、「新コロ」に限らず、社会に背を向ける人で、常に存在しますよね。殺人はいけないとされていても、殺人は絶えませんよね。窃盗も絶えませんよね。それぞれ理由、事情はあるのでしょうが、とにかく、現実的にこのような人々が、常に存在しますよね。全体に占める割合は、比較的小さいでしょうが、存在はしているのですよ。このような中に「新コロ」の場合は、その保菌者がいれば、感染上、大きな影響を与えてしまう可能性があるのですよ。人数的には、少なくても、及ぼす悪影響は、実に計り知れなく大きいのですよ。

 

(B)自己の都合の良い理由を見つけて、要請に従おうとしない人々は、比較的多く見られますよね。

例えば、年末に、その是非はともかくとして、5人以上の会食はしないよう、と言う行政側からの要請が出されている中で、8人でステーキ会食を実施して、これがバレちゃって、その責任を問われた自民党幹事長の二階氏は、ちゃんと感染防止対策がなされていたので、問題はない、と弁解していましたな。ここで言うのは、このタイプの人達ですよ。割合多く存在すると思いますね。橋本聖子氏もね。明るみに出ない方も、いっぱいおられるのでしょうね。

外出自粛要請についても、出歩いた弁解としては、マスクをしていたから、大丈夫。出歩いても、人とは2メートル以上の距離をとっていたから、問題はない。多人数で会食したけれど、テーブルの仕切りが、換気の設備が整っていたから、大声を出さなかったので問題はない。

などと色々と自己側に都合の良い理由を見つけて、要請の徹底には従わない人が、多く存在しますよ。

まー、人間本来的に、自己保全欲が強いですからね。自分の欲求を満たし、その存在を確かに保つには、自己にとって有利な理屈を探し出しますからね。

何かにつけて、自分に都合の良い理由を探し出して、自分は悪くない、と主張するタイプは多いですよ。

行政側は、不要不急の外出自粛を盛んに発信していますが、不要不急の具体例を明確にする事が出来ていないようで、不要不急は受信者側の都合でどうとでもなってしまうのですよ。出歩いている人は、出歩く理由、事情をちゃんと見つけてますからね。皆んな不要不急の対象外で、出歩いているのですよ。

これだったら、不要不急なんて言う修飾語を付さず、ひたすら外出自粛を要請する方が、本筋で、効果的に思えますがね。

 

それから、自分の行動を一向に解さない、顧みない、俗っぽく言ってしまえば、能天気なお方は、なんぼでもいますよね。

例えば、テレビ局の記者らが、望ましくない場面を見つけて、カメラ、マイクを差し出すと、大抵、自己の都合の良いことを言いますよね。

緊急事態宣言後の街中の人出の多さについて、現場に居合わせた人に、マイクを向けると、「みんな結構出歩いてますね。」「慣れちゃってますね。」「自粛の自覚が足りないのでは無いですか。」なんて、へいちゃらで言っていますよね。

みんながやっているから、自分の行為は、そんなに悪いことではないさ的な発言、自分自身の行為は顧みず、それらしき意見をシャーシャーと述べる人は、実に多いですよね。

 

昔から、盗人にも三分の理、と言われて来たやつでしょうか。

とにかく、自分の都合の良いことを、お述べになられるお方は、実に多いですよね。

「新コロ」対策としては、テレビなどで得た知識を一応述べながら、自分の行為は、不要不急に抵触しないや、と言う調子で、暇つぶしに街中をぶらついている方は、なんぼでも見受けられますよ。生来、能天気な性格の方なのでしょうかね。

このような人々は、割合としては、かなり高いのではと、半惚ジジーの独偏は想定するのですが。どうでしょう。

 

もし、このようですと、緊急事態宣言の効果は、ほとんど期待薄でしょうか。

 

そして、(C)そもそも鼻っから無関心な人達が存在しますよね。

この層は、かなり手強いですよ。最初から、聞く耳持たないのですから。どうしてかは、本人に、その理由、事情を聞いてみなくてはわかりませんが、私ゃー関係ないから、に徹底されると、手の出しようが御座いませんな。このような人達も、結構多数見られる気が致しますね。

 

と言う事で、政府行政の要請をまーまー受け入れる層は、国民の約半数ほどかなー、と言うのが半惚ジジーの独偏的感想なのですが。

どうでしょうね。

それから、政府行政の要請を、あまり積極的に受け止めない層は三、四割程に上る実情かなー、と言うのが半惚ジジーの独偏感想なのですが。

要するに、政府行政の要請を受け入れる層は、三分の二を下回っちゃう現実ではないのかなー、ってな気がするのですが。どうでしょうか。

 

仮に、このようですと。結構ヤバイようですね。

専門家の予想では、70パーセント程の人々が、「新コロ」に関わる自粛要請に協力、実行しなくては、「新コロ」感染は、下火とはならないのでは、と言われていますね。

そうだとしますと、この度行われている小出しの緊急事態宣言の効果は、望めませんなー、と言うことになりますなー。これは由々しき事態ですよ。

 

政府行政が、余程の決意で、緊急の思い切っ対策を講じなければ、「新コロ」感染の事態は収束に向かいそうに御座いませんな。オリパラは、ますます遠のいてしまいますなー。

 

因みに、オリパラの実施は、当然、日本の事情だけで決められるものでは御座いませんよね。世界の現状を見るにつけ、相当危うい事態なのではないでしょうか。

オリパラは、やれる範囲で、例えば、参加出来る国・選手だけで、無観客でやれば良いのだ、と言う意見もあるやに聞いていますが、ただただやれば良いのさで、済む問題なのですかね。

十分機能していた以前の国立競技場をあっと言う間に取り壊し、初期に依頼したデザインのキャンセル騒ぎを引き起こし、実に多額のキャンセル料を支払い、その後、多額の維持費が見込まれる木造の新競技場を建設した、あのてんやわんやの大騒ぎは、なんだったのでしょうね。建設に関わった方面の方々は、大いに潤ったのでしょうが。

失敗続きで、実に多額の税金が投じられましたが、だーれもその責任を取った方はいないようですね。

 

なおまた、政府行政側に、「新コロ」の感染防止に関わる発信をする際に、配慮して欲しいのは、対策の一貫性を貫いてもらいたい、と言う点が御座います。

すなわち、政府行政側の発信者としては、発信者側の都合があるのですが、その受信側にも、受信側の都合があるのですよ。

前にも指摘したように、人間本来的に、自分の欲求を満たし、その存在を確かに保つには、自己にとって有利な理屈を探しているのですよ。

政府行政側は、政府行政側にとって好都合の論理で、「新コロ」感染防止を発信しますが、その受信者側は、受信者側にとって好都合の論理で受信するのですよ。ここに、「新コロ」感染に関わる発信が、徹底されない所以があるのですよね。

 

例えば、外出、会食自粛を要請しながら、ゴートゥートラベルで、旅に出よ、飲み食いせよ、費用は税金から援助してやる。このような最も基礎的な部分で、矛盾することをやってはダメですよ。

また、夜8時以後の出歩きを、自粛せよ。夜8時以後の会食を自粛せよ。と発信した後で、出歩きの自粛は昼間でも、ランチも慎めなどと、すぐさま一貫性を欠く発信をするのですよ。

手っ取り早く言ってしまえば、8時以降は禁止と発信されると、受信者側には、8時までは良いのだな、と受信する人々が多いのですよ。

また、マスクをしたり、ソーシャルディスタンスを保っていたり、換気がしっかりされていたり、4人までは良いが、5人以上はダメとか、いろいろの「新コロ」感染防止対策を出すのだけれど、基本をきちんと抑えていないので、これが、対策を徹底させるむしろ害になってしまうのですよ。

ねっ。会食していても、4人以下だったのだから、良いじゃん。8時前にお開きしたから良いじゃん。となってしまうのですよ。

4人以下も、8時前も、要は、人と人の接触を抑えるための一手法として、考え出したことなので、政府行政側が、基本は、人と接触してはダメ、と言うところを撤退しないところがダメなのですよ。人と接触してはダメ、と言う基本を、常に一貫して発しなくては、受信者側の都合で、どうとでもされてしまうところがあるのですよ。

 

蛇足ながら、わざと「人と接触してはダメ」と表現してみましたが、本来、「新コロ」感染防止は、国民一人一人にとっては、自己管理としてやるべき事で、政府行政にお願いされたからしてやるのだ、と言う性格のものでは無いはずなのですよ。

したがって、政府行政側は、「人と接触してはダメ」を国民にお願いするのではなく、要請する立場なのですよ。

それを行政は、お願いします、お願いします、の一点張りなのですよ。

分かり良く本音を言えば、全然へりくだっているわけでも無いのに、行政側のこの卑屈さが気に掛かるのですよ。ただただ、お願いします、お願いします、と下手に出れば、国民の心証を害しないのでは無いのか、と思っているらしい卑屈さが、問題ですだよ。

選挙運動の時から、お願いします、お願いしますの連呼なんだよね。

正しいことをやるのであれば、毅然として実行すれば良いのですよ。

それをお願い、お願いと懇願するから、足元をみられ、つけ込まれて、お願いを聞いてやるから、金出せよ、の方向が出てくるのですよ。

間違わないで下さいよ。自粛を要請して、それで損害を与えた場合は、事情によりその補填はケチってはいけませんよ。

あくまでも、政府行政が意を決して、国民にこれをやってもらわなければなら無い場合は、毅然と呼びかければ良いのですよ。

税金を取る時には、お願い、お願いと懇願せずに、当然のこととして、取っていくではありませんか。

毅然と呼びかけるには、その内容が問題なのです。充実したものであれば、毅然とやれるはずなのです。

これが、お願いお願いと言うスタンスでやろうとするのは、内容に問題があるからですよ。

すなわち、内容がお粗末なので、毅然とは出来ず、お願いお願い、と言う卑屈な姿勢で臨まなければならない事情があるのですよ。

要するに、そこには政府、行政側の誠意、ヤル気、決意と言ったものが欠如しているのですよ。

厳しく言えば、その能力が無いのでは、と言うことになってしまうのですだよ。

その現れが、悉く発せられる内容に見られるのですよ。その場その場を乗り切れれば良いさ、と言う、一貫性の無い事を、延々と続ける為体は、泣けてきますね。

政府、行政側の真剣味が伺われないのですよ。

あなた達の打つ手によって、助けられる命が、みすみす失われる現実なのですよ。

総理お得意の名台詞「国民の生命と生活は絶対にな守る。」と言うのが、全く上の空の実情と成り果ててしまっている感じがするのですよ。

国民の生命と生活を背負っていると言う自覚が本当にお有りなのでしょうか。

政府行政の不手際で、救えた筈の国民の命がどんどん失われていく実情になっているのですよ。半端な数では御座いませんよ。

国民は、「新コロ」でなくても、通常見られる病気でも、おいそれと病院に行けない事態になっているのですよ。

一都三県に対する緊急事態宣言で、一ヶ月で「新コロ」感染を下火とし、そしたら、ゴートゥー何チャラの中止を解く、なんてふざけた事を言ってられる事態でしょうか。と多くの国民は感じている事と思われますね。

 

兎にも角にも、もっと真面目にやって下さいよ。

 

ちょっと、政府、行政側の態度が、気にかかったものですから。本音をちょっとだけ、ほんのちょっとだけ書いてみました。

 

さて、新コロ」感染防止の対策の基本は、常に、人と人の接触感染を防ぐためと言うことで、マスク、手洗い等に始まる「新コロ」感染防止の対策は、あくまでも「新コロ」感染を抑制するための一手法である。この点を国民に徹底する事が肝心なのですよ。

この基本を忘れ去って、小手先の防止手法だけで、いくら似通った対策を発しようとも、受信者は受信者側の都合で受け止めるのだから、効果が薄いのですよ。この点に十分な配慮が必要なのですよね。

 

しかし、政府行政側から発せられることは、目先の小手先の手法ばかりで、その一つ一つに一貫性が見えづらいものばかりなのですね。

 

政府行政側には、さらにさらに、慎重性が要求されますな。

ここで言う慎重とは、事態を静観していて、どうにもならない事態の到来まで、対策しない、見てるだけ、と言うものでは御座いません。

あらぬ方向の対策を打ってはならない。と言う意味の慎重ですよ。

 

それから、何と言っても、「新コロ」抑制が叫ばれてから、1年を経過して、対策を発信する政府行政側にも、それを受信する感染を乗り越えて来た者にも、あろうことか、すっかり「新コロ」慣れが発生してしまいましたね。

緊張感が失せてしまった感は免れませんな。

 

政府行政側に、緊張感、「新コロ」撲滅に向かってやり抜く自覚、決意と言ったものが、国民側からすると、なかなか伺う事が出来ないのですよ。

「新コロ」に対する政府、行政側の確固たる覚悟が、全然伺われないのですよ。ちょっと、感染が下向きになると、もう出歩け、飲み食いに励め的対策に余念がなくなるのですよ。「新コロ」対策には、致命的ですね。

そして、事態が悪化しだすと、ただただ、既に過ぎ去った事態に対する対策を遅ればせながら小出しにしている現状しか、見えないのですよ。いつもいつも後手後手なのですね。

 

このような状況では、「新コロ」に慣れてしまった国民は、政府、行政側の呼びかけ、要請が、ちゃんと聞こえて来ないのですよ。あんなダラダラとやっている政府行政の言うことなんて、と成り勝ちになってしまっている現状のように見えますね。

前に書いた従順型の人達にだけ、ようやく聞こえるのかなー、ってな感じになって来ましたよ。

まずは、国民にあれこれ要請するのであれば、要請する側が襟を正して、それなりの覚悟を示す必要がありますね。

要請する側が、チャランボランであれば、従順型の人々も、どんどん数を減らして行ってしまいますよ。

政府・国会議員の先生方、よほど引き締まってかからなくては、「新コロ」の滅多打ちに逢いますよ。

 

今度は、またまた、典型的な、目先・小手先の対策として、「新コロ」感染の政府、行政の要請を聞かないものに対する罰則規定を作る算段のようですなー。

事情によっては、必要とされる部分もあろうか、と思われますが、そのような法律を作ろうと言うのであれば、適切な政策を怠り、今のような事態を招いた、政府・国会議員の先生方の責任をも問う法律も、合わせて検討されなれけば、著しい不平等を感じますなー。

簡単に言えば、政府のやり方に従わない者は、処罰するが、政策に失敗し、実に多数の助かる命を助けなかった政府・国会議員の先生には、何の処罰も受けなくて良いのでっかー。と言うことです。

 

来たる国政選挙の時に、その責任を話題にすれば済むことなのでしょうか。

 

このような国会議員の先生を選出して、国権を委ねたのは、国民有権者なのです。国民がその責任を、直接取らなくてはならない事態が来ていますね。

体調が悪くても、おいそれと、病院にも行けない事態になっているのですよ。

 

もー、代表民主制の一つの限界に来ているのでしょうか。

立派な方を選ぼうにも、そんな方は立候補者の中に見当たらないのですよ。

有権者としては、困り切ってるのですよね。

 

国政選挙は、間近に迫っています。ヤバイよ。

選ばれる側も、選ぶ側も、もっともっと、しまっていかなくてはなりませんなー。

もはやダメかな ? ・・・・・? ? ?

 

またまた、ボヤキが止めどなくなって参りました。

今日は、これで止めにします。

 

お付き合い下さいましたお客様には、半惚ジジーのボヤキばかりで、どうも面白いところがなくて、毎度のことながら申し訳御座いませんでした。

どうも、お疲れ様でした。

懲りずに、またのお越しをお待ちいたしております。共に、ヒマ潰しに励みましょう。

 

お後がよろしいようで。