《停念堂閑記》111

《停念堂閑記》111


「停念堂寄席」64
 

「何考えて生きてるの ?」3
 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。
厚く御礼申し上げます。
遠路はるばるかどうかは、存じませんが、本当に、よくいらっしゃいましたね。
遠路はるばるとは申せ、よもや「停念堂閑記」に徒歩でやって来られる御方は、おられないでしょうな。そんな御方がいらっしゃいましたら、是非是非お会いしたいもので御座いますが。
とにかく、徒歩で来ようが、泳いで来ようが、はたまた車でも、電車でも、新幹線でも、飛行機でも、ロケットでも、何であろうと構いませんが、要するに、いらして頂ければ、大歓迎で御座いますよ。
もっとも、ロケットで来られますとね、駐ロケット場など持ち合わせが御座いませんので、一つご勘弁のほどを。せいぜい、自転車ででも、お願いできれば、幸甚で御座います。
ところで、本当のところは、徒歩でも、ジョギングでも、マラソンでも、泳いでも、自転車でも、車でも、電車でも、新幹線でも、飛行機でも、ロケットでも、はたまたミサイルであろうと、実は、来ることが出来ないのですよ。
あなただけに、こっそりとお教えしますね。たいして、難しくは御座いませんよ。ただね、必要欠くべからざるものがあるのですよ。
それは、パソコンかスマホなのですよ。それでね最近の作は、Googleのサイトから、「otakatsuyaのブログ」を検索すれば、《停念堂閑記》に辿りつけますから。また、以前の作は、yahooのサイトで検索して頂ければれば、辿りつけます。これだけでいいのですよ。
一般の交通手段では、永久に辿り着けませんので、どうぞ、ご注意下さいませ。蛇足ながら。
辿り着いてくれさえすれば、大歓迎で御座いますよ。
とは申せ、大歓迎と言いましても、高価な美味しい料理でおもてなしをするわけでも、温泉に入って頂いて、とりあえず冷えたビールをグイーッとやって頂くわけでも、肩をお揉みするわけでも、お好みのスイーツをお楽しみ頂くわけでも、御座いません。
ついでに、お友達と連れ立って、ゴルフにご招待する訳でも御座いません。
粗茶の一杯すら出ませんよ。炉端焼きにだって、行くわけでは御座いませ。ポイントだって付きませんから。
このような点は、まー、一言で申しますと、ケチですわ。いや、ドがついて、ドケチと言うべきですなー。
しかし、公金や裏金を使って、どうのこうのと言う事情は、一切御座いませんので、この点は公明正大で御座いますので、どうぞご安心下さいませ。
 
強いて、幾分カッコ付けて申し上げますと、心の問題とでも言いましょうかね。
おヒマなお方、心を込めて、大歓迎で御座います、と言う次第なのですよ。
まだ明けやらずの暗い内から、パッチリと目が覚めてしまいまして、サー今日一日、どのように過ごすか。と言う難題の下に日々をお過ごしの方々も多々いらっしゃられるのではないでしょうか。
これをしなければ、と言う特別なすべき事も無く、何処へ顔を出しても、たいして歓迎されるわけでもなく、しかし、なんとか今日一日を過ごさなくてはならない、と言う御事情のお方、このような同朋の御方々を心より大歓迎するのが、「停念堂閑記」なのですよ。
 
話は、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話で御座います。深刻にならないところが、取り得ですよ。
夜、眠れなくなったりしませんからね。
もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。
 
なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。
お互いに、持て余しているヒマを、適当に、好い加減に、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ダメなのですよ。大して関係のない余計なことを交えたりしましてね。
しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。
手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。
至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。
張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。
打倒、閑、ひま、ヒマーッ!
A A O!  エイエイ、オー!
ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。
 
  
では、参ります。 
それでは、そろそろ本題に入らせて頂くことに致します。

 

さて、本日は、「何考えて生きてるの ?」と言うことをテーマとして、ヒマ潰しのそれはそれは下らない、取って置きの無駄話をしたいと、思うのですよ。

ところで、何考えて生きていようと、余計なお世話と言うものでしような。
他人に、とやかく言われる筋合いのものでは、御座いませんよ。
しかし、ですよ。ここは、ヒマ潰しの場ですからね。これをネタに、色々と、そのー、ヒマ潰しをね。何とかしようと言う魂胆なのですよ。
本日は、「何考えて生きてるの ?」の 3 ですよ。
と言うことは、当然、1 と2があったと言う事ですよ。
「何考えて生きてるの ?」1 では、人はですね。大体は、基本的には、衣食住に関わる事について考えていて、そして、長生きをしたいと、日々考えて、生きているようだ、という指摘をね。してみたのですよ。
当然、年齢によって、また環境によって、関心事は異なりますがね。
成人すると、概ね、衣食住絡みのことを考える機会が多いのではないのかねー。
そして、年を重ねてくると、多くは長生き云々、と言うことになるのではないのですかねー。
続いて、「何考えて生きてるの ?」2 ではですね。引き続き、衣食住の内の、食について、取るに足らない無駄話で、ヒマ潰しをしたのですよ。
そこで、今回の「何考えて生きてるの ?」3と言うことになりましてね。
私の知合いのご老人にね。かく言う私も、紛れもない老人だけどね。
当然、双方共、後期高齢者という政府がお決めになられたレッテルを貼られた、れっきとしたジジーでござんすよ。


先達て、彼に、毎日何考えて生きてるの、って聞いてみたのですよ。
そーしたら、何と言う答えが返って来たと思います。
オラー、こう見えて、ファッションにうるせーだよ。
と来ましたよ。
何を血迷ったか、ファッションだって。
一瞬、耳を疑いましたよ。
クシャミでもしたのかってね。
ハクションってね。
それで、風邪でも引いたのか、と聞いたところ。血圧は高めだが、風邪はひいてねー。だって。
それでもって、オラー、一日中、着る物について考えている、と言いますだよ。
「何考えて生きてるの ?」1では、人は日常往々にして、衣食住に関して考えていることが多い、と言う指摘をしましてね。「何考えて生きてるの ?」2 では、衣食住の内の食について、ダラダラと無駄話を展開したのですよ。
それが、それがですよ。「何考えて生きてるの ?」3と来て、何と何と、衣食住の衣、着る物の話題が、期せずして、飛び出して来たでは御座いませんか。
世の中、こんなジャストミートのことなど、めったに起きませんよ。
まるで、予定して仕込んでおいたかの如くですよ。
待ってました。お待ち申しておりましただ。
まるで、ヤラセみたいでんなー。
計画的確信犯か ?

それでは、衣、着る物についての無駄話を思いっきり行きますよ。

ところで、お客様、人は何故、着物を身に着けるようになったのか、と言うことを、考えたことが御座いますか ?
着物の発生の話ですわ。
そんなヒマ潰し、したことないってですか。
そんなことでは、チョコちゃんに、
「ヌボーっと、してんじゃねーよ!」
と怒鳴られてしまいますよ。
何はともあれ、人は何故、着物を身に着けるようになったのか、と言うことは、たとえ昼飯を抜ても、考えなければならないことですだよ。

なんで、楽しみにしていた昼飯を抜かなきゃーならねーのだ。ラーメン・餃子パスしろと言うのか。飯は、ちゃんと食わねーと、身体に良くねーぞ。

飯の話は、前回で済んでるの。
今回は、衣類、着物の話です。頼みますよ。ホント。

それが、どーして、人は何故、着物を身に着けるようになったのか、と言うことが問題となるのか、ですって ?

それは、それは決まっているではないですか。
それは、ヒマ潰しにもってこいだからですよ。
さー、セッセセッセとヒマ潰しに励みましょう。

人は何故、着物を身に着けるようになったのか?
そんこと、わざわざ考えなくてもいー、ってですか?
また、蒸し返すの。これをやらねば、ヒマ潰しのネタを別に考え出さなくてはならなくなるでしょー。
ヒマ潰しのネタ探しは、それはそれは中々大変なんだから。

中々大変と言うことは、手間暇がかかる、と言うことでねーの。

そーだよ。手間暇かかるだよ。

なら、ヒマ潰しに、ちょうどいーのではねーの。

そらー、ちょうどいーな。ヒマ潰しに。
マテマテ。それでは意味がねーんじゃねーの。
新ネタ探しは、こちら一人の話でねーか。
それでは、お客さんのヒマ潰しにならねーだよ。
新ネタ見つけ出す迄、お客様を待たせておくのか。
それでは、せっかくお見えになられたお客様に失礼と言うものだよ。

そこまで言うのなら、しゃーねーな。
人は何故、着物を身に着けるようになったのか、と言うネタでやれば。

やればって、お客様。お客様も考えなくてはダメですだよ。そーでなければ、お客様のヒマ潰しになりませんちゅーの。

では、参りますよ。
人は何故、着物を身に着けるようになったのか?
常識的な考えで、申し訳御座いませんが、そもそも、人間は、はじめは、野生のお猿さんと同じように、何も身につけずに生活していたのでしょうな。

志村動物園に出てくるパン君は、ツリバンの半ズボンを履いてるよ。

あれは、人が履かせたの。番組的な演出だよ。

そんなこと、分かってるよ。いちいち言われなくても。

ツッコミは、もっと気の利いたのをやって頂戴よ。

悪かったね。気が利かなくて。反省!

反省猿のつもり ? 猿繋がりのダジャレのつもり ?
だから、もっと気の利いたやつを。と言っているでしょう。

反省!

もー、いーちゅーに。ホンマ。


さて、動物で最初に衣類を身につけるようになったのは、ヤッパリ人間なのでしょーなー。

人間となれば、誰が最初に衣服を着始めたのか、教えろや。

そんなこと分かれば世話ないよ。分かるわけないてしょうが。
しかし、色々と研究している人がいるものですなー。
人間が衣服を着るようになったのは、7万年程以前のことだ、と言う説があるようですな。
かなり大雑把な見解のようにも見えますが、とにかく、一つの見解ではあるようですな。
すなわち、7万5千年程以前に、インドネシアスマトラ島にあるトバ山が大噴火して、この影響で気候の寒冷化が引き起こったのだそうですだよ。
この気候寒冷化の影響で、防寒、保温のために、人間は衣服を身に着けるようになった、と言うのですだよ。

この通りなのですかねー。
7万年も以前のことだから、私ゃー存在していなかったし。誰も見ていた人はいないだろうしねー。
かくなる上は、ドラエモン頼みか。机の引出し型のタイムマシンで、ハイ、7万年前、と行ければねー。

しかし、トバ山大噴火以前にも、寒い時期はあったのではねーの。
北・南極に近づくほど、やっぱり寒かったんじゃーねーのかなー。
猿団子になって、寒さを凌いでいたのかねー。

人間の定義をどうするか、と言う問題があると思われるけれど、仮に、現生人類の最も古い化石とされているのが、19万5千年以前のものと言われていますなー。
とすると、大雑把に言って、10数万年以前の人間は、まだ、衣服を身に着けることをしていなかったのかねー。
私の祖先も、フリースタイルで過ごしていたのかねー。
証明のしようもないので、この点についての追求は、止めた方がよさそーだな。
まー、いつの頃か、昔々に、防寒、保温のために、人間は、衣服を身に着けるようになったのでしょーなー。
いつの頃かは不明ですだが、多分、トバ山大噴火の以前、すなわち、7万5千年以上前に、寒い地域に住んでいた人々は、動物の皮革を防寒、保温に利用していたと思いたいですなー。
すなわち、食料のために動物を獲って食べていたに違いないから、その時に産出される皮革、特に毛皮類が、防寒、保温に役立つと言うことは、普段の生活の中で、容易に知る機会はあったものと考えて、良いのではないのかなー。証拠はありませんよ。証拠は。
トバ山大噴火によって、さー、衣服を身につけよー、と突然閃いたと言うことではなくしてさー。
ただ、7万5千年前のトバ山大噴火による、気候の低温化が長引き、皮革などで作った衣服の着用が、言うならば著しく普及することになったことは、想像するに難くはないでしょうなー。

それから、何を持って、衣服とするのか、その概念も問題となるのでしょーなー。
素材も、最初は、動物の皮革だったでしょうなー。
動物の1枚皮の真ん中に穴を開けて、これに頭を通せば、衣服と言って良いでしょうなー。
熊の皮だと、本物の熊と間違われるな。
そんなの着て、うろついてたら、鉄砲で打たれるな。

また、皮を身体に巻きつけて、紐で結わいたり、ずり落ちないようにすれば、1枚皮でも、衣服類なのでしょうな。さしずめ、熊公のオートクチュールてなもんだな。
織物を考案するのは、皮使用よりも、かなり遅れてのことでしょうなー。

ところで、衣服は防寒、保温のために使用され始めた、と言うことは、ほぼ間違い無いと思われるけれど、衣服の役割は、色々とご意見がおありのようで御座いますよ。
例えば、人間には羞恥心があるので、秘部 ? (秘部とはどこか ? と言う問題が御座いますな。ここでは、恥ずかしいので見せたく無い部分と言う程度でどうでしゃろうか。)を隠したい、と言う事情があったそうな。そのために、衣服を着用することになったのでは無いのか、と言う見解があるとか。
この点に関して、大学の1年生だったか、2年生だったか記憶がはっきりしないのですが、祖父江孝男先生が担当された「文化人類学」と言う科目を受講した事があるのですよ。
祖父江先生は、紫綬褒章を受賞されておりまして、文化人類学では、著名な研究者で、色々な民族に関わる大変面白い、興味深い話を沢山して下さいましたね。
この科目で、衣服の起源に関わって、この人間の羞恥心から、衣服が着用されるようになったのでは無いのか、と言う見解のあることを学びましたな。
ところが、一般に現代人が恥ずかしいので隠したい、と感ずる部分について、その部分に、イチジクの葉っぱ形であったか、否かは定かでは御座いませんが、わざわざ穴を開けた衣服を着用している民族がいるので、どうも、羞恥心から、衣服を着用するようになったのでは無いのか、と言う見解はその通りとは、考えられないところもある、と言うことを学びましたね。
民族によって、他人に見られては恥ずかしい部分が、異なると言うこともあるでしょうから、どうしたものでしゃろうな。

思うに、勉強したことは、思わぬところで役に立つものでんなー。よもや大学1・2年生の時に習った文化人類学の知識が、56・7年後の今になって、ヒマ潰しのネタに役立とうとは、ついぞ思いもよりませんでしたなー。
勉強は、しとくものでんなー。どこで役に立つかわかりませんぜー。


はてさてと、ハッと気が付けば、ダラダラと大分やってきましたなー。
行き当たりばったりのどうでも良い無駄話。
かなりお疲れのご様子とお察し申し上げます。
と言うことで、この話は、甚だ中途半端では御座いますが、この辺で、一度打ち止めといたします。

が。がですよ。衣服については、まだまだ、ヒマ潰しのネタが残されておりますので、引き続き、次回へと言うことに致したいと存じます。
どうぞ、次回にも、よろしくお付き合いの程を、お願い申し上げます。

お後がよろしいようで