《停念堂閑記》153

《停念堂閑記》153

 

「停念堂寄席」」90

  

 

神様」

 

 

ようこそ、「停念堂閑記」へ。よくお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

早速、恐縮で御座いますが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリの、底、奥行きの浅い、要するにマヌケな話で御座います。

しかし、取り柄もございますよ。決して深刻にならないところです。夜、眠れなくなったりしませんからね。

すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。この目的さえ、しっかりと認識しておけば、万事OKで御座いますよ。

あるお方が申しておられましたよ。

ヒマ潰しにやることは、須(すべか)らくアホくさいものだと。

毎度毎度の《停念堂閑記》がそれを証明しておりますからね。 

さて、定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。これがリタイア後の最大の課題ですからね。

しかしですね。これは、これで、なかなか。ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

その通り。至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。 

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

 

打倒! ヒマーッ!

A A O!  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声でんなー。

情けねー! トホホ。

   

《こちら六さんです。さて、今日も今日とて、あいも変わらず、御隠居の処で、ヒマ潰しといくか。

オーイ、カカー。ちょっくら御隠居の処へ行って来るぜー。》

<アイヨー。ゆっくりしといで。帰って来なくてもいーから。>

《いちいち憎ったらしい事を言いやがるね。帰って来なくてもいー、だってよ。そのくせ直ぐに迎えに来るくせに。》

 

《おっ、着いたね。御隠居。お元気でやすか。六さんでやんすよ。》

『六さん。しらっしゃい。どうぞ、お上り下さい。

おばーさん、六さんですよ。お茶をお願いします。

おばーさん、この頃、いろいろなお茶にはまってましてね。今日は、どんなのが来ますかねー。』

《と言いやすと、どんなんがありやしたか。》

『昨日は、ドクダミ茶でしたね。』

《御隠居、いきなりドクダミでやんすか。ドクダミはいけませんよ。ドクダミだけは。》

『おや、六さん、既にドクダミ茶を嗜んだ事があるのですか。』

《いや、ドクダミ茶はまだ試した事はねーですが、カラオケの方で、ちょっとね。》

『カラオケですか。どこぞのカラオケ店で、ドクダミ茶を出すのですか。』

《いやいや、そーではなくてでんな。以前、カカーとカラオケをやりに出掛けたことがあるだよ。そこで、オラは、渡哲也のヒット曲「くちなしの花」を選曲しただよ。「~くちなしの白い花 お前のよーな花だった」と言うくだりがあるだが、その時、どうしたことか、フイーッと、一瞬ドクダミの花がオラの脳みそをかすめちまっただよ。そんで以って、図らずしも「~ドクダミの白い花 お前のよーな花だった」とやっちまっただよ。そしたら、カカーに、いきなりマイクを取り上げられ、襟首を押さえ込まれて、「なんやそれー」と、お尻ペンペンですわ。真っ赤に腫れ上がっちまったのですだよ。とまー、えらくとっちめられる羽目になりやして、それ以来、ドクダミはご法度、と言う次第でして、へい。》

『まー、その様なことがねー。お尻ペンペンですか。えらい災難でしたね。』

《御隠居は当然知っているでしょー。ドクダミの花。名前に似合わず、ちっちゃい白い可憐な花をつけるだよ。ただし、匂いがね。》

『そーですね。花だけ見ている分には、なんら問題は御座いませんがねー。匂いはねー。ちょいと頂けませんよね。それを「~お前のよーな花だった」なんてやられてはね。そりゃー、奥様だって、黙ってられませんよ。きっと。』

《それで、エレー目に会いましてね。それ以来、ドクダミはご法度、と言うことでして。》

『それは災難でしたね。さー、今日は何茶が出てくるか、楽しみですねー。』

《御隠居も、奥方様とカラオケをどうでやんす。「~ドクダミの白い花 お前のよーな花だった」とやってみてくだせーよ。きっと、お尻ペンペンですだよ。いや、奥方様なら、ホッペチネチネでやんすかねー。》

『何をバカバカしいことを。アホくさー。

ところで、今日の話題は何を用意して来られましたか。』

《御隠居。今日も今日とてケッタイな難解なのを用意して参りましただよ。》

『相変わらずケッタイなのですか。六さんのケッタイ課題は、難敵ですからね。お手柔らかにお願い致しますよ。』

 

《と言のは、以前からどうしてかなーと、常々疑問に思っていた事がありますだよ。これが中々難解なのですだよ。》

『そんな難解なものを持って来られても、埒が明きませんよ、キット。』

《イヤイヤ、御隠居なら、チャチャッと、要点をまとめれば、済む事ですだよ。》

『チャチャッとですか。六さんの持って来た話題にそんなたやすいものは、あった試しがないですよ。ややっこしいものばかりではありませんか。』

《そんなことはありませんぜ。いつも何だかだ言っている間に、何とかなっているではねーですか。まー、それなりにですだが。何たって、御隠居には「独偏」(独断と偏見の短縮形)と言う、得意技があるではねーですか。天下の宝刀独偏を抜きっぱなしにすれば、それで、チャチャッと行っちまいますだよ。》

『六さんは、何時も気軽でいーですね。』

《それそれ、この何時でも能天気が、オラの得意技ですだよ。あとは、特上を獲得すれば、万事OKですだよ。》

『能天気と特上で万事OKですか。敵いませんね。ところで、今日ご持参の話題は何でしょうね。』

 

[どうもお待ちどうさま。六さん、今日もお元気そうで、結構ですね。]

《へー、それだけが取り柄でして。元気、元気、能天気の六さんでやんす。》

[今日はね、六さんに特別すごいお茶を用意いたしましたよ。]

《特別茶でやんすか。よもやドクダミ茶ではないでしょうね。ドクダミだと、ややこしくなりますよ。ほっぺチネチネですよ。御隠居、覚悟ができてますか。》

『私を巻き込まないで下さいよ。頼みますよ。』

[なんですか。そのほっぺチネチネと言うのは。]

《それは、後で御隠居からよーく聞いてくだせー。ところで、本日の特別茶は、何ですだ。》

[今日はね、熊笹茶ですのよ。熊笹。六さんならご存知でしょ。]

熊笹茶でやんすか。熊笹はよーく知ってますだよ。オラの田舎では、どこにでも生えていただよ。だけど、あれをお茶にして飲んでいた人は、あまり聞かなかったな。家畜だって、あまり喜ばねーだよ。》

[それが最近結構流行ってますのよ。兎に角、一口試してみて下さいよ。特上の熊笹茶ですから。]

『六さんの目のない特上ですよ。』

《特上とあっては、グイーッといくほかねーだな。それでは、頂きますだ。一口、グイーッと。》

『どうです。六さん。特上の味は。』

《なんか、特別嫌なクセは感じないだよ。よくは分からねーだが、枯れ草の風味とでも言うのですかや。》

『六さん、枯れ草の味なんて知ってるのですか。』

《オラ、馬や牛ではねーだから、枯れ草を食べた事はねーだよ。だから、枯れ草の本当の味は知らねーだよ。まー、馬になった気分で、きっと、枯れ草は、こんな風味かなー、なんて言う感じかなー、なんて思ったりするだよ。まずくはねーだよ。枯れ草でも、センブリはいけねーだよ。あれはもー滅茶苦茶にげーだよ。飲めたもんじゃーねーですだよ。》

『今度、特上のセンブリにしましょうか。』

《御隠居、勘弁してくだせーよ。特上なら何でもいーと言う訳ではねーですだよ。》

[それでは、六さん、お口直しに、こちらに紅茶を用意してありますから、どーぞ。

六さん、ウナギが好物でしたね。ちょうど、知り合いから浜松のウナギパイを頂いたので、こちらもどーぞ。それでは、ごゆっくり。今度は、ペンペン草茶でも用意しておきましょうかね。]

《どーもお世話をおかけしますだ。》

 

『さて、話を戻しますか。今日の話題は何ですか。お手柔らかにお願いしますよ。』

《御隠居なら簡単ですだよ。人間はどうしてこうも「神様」に拘るのかなー、と思いやしてね。世の中、あっちを見ても、こっちを見ても、神社だらけですだよ。神社にどうしてこうも拘るのかねー。御隠居。

今日は、「神様」を用意いたしましただよ。世の中、とかく事の成り行き次第で、すぐに神様、神様と、神様に繋げる事が、やたら多いのですだよ。》

『まーね。世の中、何かにつけて、神様に繋げ易いところがありますなー。なんだかんだで、神様を便利に利用する傾向が見られますなー。

イタズラすると、神様にバチ当てられるよ。なんて以前は、日常いたる所で、神様を利用してましたね。』

《他の人はともかく、オラー神様の事は、良く解らねーだよ。》

『私も、解りませんが、とにかく、皆さん「神様」がお好きだなーとは感じていますよ。』

《何でやねん!》

『六さん、「何でやねん!」なんて突っ込まないで下さいよ。私だって、良く解らないのですから。とにかく、人間は色々な局面で、神様を出して来ますね。神様が余程大好きなのではないのでしょうかねー。』

《何でやねん!》

『まー、大雑把に言ってしまえば、人間の手に余ることは、神様にお願いしよう、と言う安易さが、人間にはあるのではないのでしょうかね。』

《何でやねん!》

『何で人間は、神様に走るのか、と言うと、人間ではどうにもならないことが、発生したら、人間を超越した存在のものに、頼る以外に手がないのではないのでしょか。』

《そりゃー、まーそーですだな。にっちも、さっちもいかなくなった時には、神様にでも頼る他はねーだよな。》

『とにかく、人間は色々な場面で、難儀に対面する場合が多いですからね。そんな時に、事をうまく運んでくれる神様がいてくれたら、助かるわけですね。』

《神様にお願いをしたら、願いが叶うのですかや。》

『さー、どうでしょうね。多分、願い事をして、その願い事が成就した場合は、きっと、神様が叶えてくれた、と思う人がいるかもしれませんね。』

《願い事が叶ったのに、神様が叶えてくれた、と思わない人もいるだか。》

『それは、いるのではないですか。神様が、自分の願い事を叶えるために、活動している現場を見ることは、ちょっとやそっとで出来ませんからね。とかく疑いを持ちやすいタイプの方は、すぐに疑問を持つのではないでしょうか。』

《それじゃー、願い事が、叶わなかった人は、神様を信用しない、と言うことになるのでやんすかや。》

『それはいちがいには言えないでしょうね。色々だと思いますね。神様の存在を認めない方も大勢おられますよね。それから、神様の存在を信じている方も、大勢おられる様ですね。それから、信じたら良いか、信じない方が良いか、不安定なチャランポランな存在の方もおられるでしょうね。まー、「神様」の存在は、信ずるか否かの世界でしょうからね。人間の心に関わる事なのでしょうね。』

《要するに、「神様」の存在や「神様」の力などは、個々の人々が、それを信ずるか、信じないかに関わっていると言う事ですだな。》

『そーでしょうね。例えば、自分の願望を叶えて下さいとお願いした場合、それが叶えられなかった時に、どう思うかと言うと、神様の存在を信じてやまない方は、神様だってみんなの願いを叶えるのは大変なのだよ。みんなに願い事をされて、てんてこ舞いなのだから、神様だって、多忙で手が回らなかったのだと思ったりね。また、自分の願い事自体に無理があったのだ。とか、願う態度が十分ではなかった、もっともっと熱心に、思いを込めて、お願いしなくてはならなかったのだとか、色々な思いがあるのではないでしょうか。』

《「神様」の存在を信じている人は、何かにつけて、「神様」びいきだすな。》

『さりゃーそーでしょうね。何たって、いざと言う時に、願い事を叶えてもらうためには、常日頃から、「神様」を立てて置かなくてはね。』

《やっぱり、常日頃から、「神様」と仲良くしておいた方がいーだよな。》

『こんな話を聞いた事がありますよ。知り合いの佐藤さんは、73才の時に、車の運転をやめたそうですよ。そのキッカケは、テレビなどでよく報じられているアクセルとブレーキの踏み間違いに類する事だったそうです。人それぞれ運転上のクセがありますよね。佐藤さんは、駐車する時は、ギアを前進に入れたまま、ブレーキの踏み方を調節して、駐車位置が決まったら、ブレーキを強く踏んで、車を停止させ、そして、ギアをPに入れる。この様な手順で駐車するのが佐藤さんのクセだったそうですよ。

ところが、ある時、駐車しようと、何時もの通り、駐車位置に着いたので停止しようと、ブレーキを強く踏んだところ、きなりエンジンが猛烈に噴き上がったそうですよ。人間勝手なものですね。瞬間、エンジンが壊れたか、と感じたそうですよ。そして、何でやねんと思って、ギアを確認したところ、なんとNに入っていたとの事です。要するにギアが Nに入った状況で、ブレーキではなく、アクセルを強く踏んだと言う事なのですよ。だから、前進せずにエンジンが思いっきり噴き上がった、と言う事ですよ。よって、幸い事無きに終わったとの事です。要するに、ギアとブレーキとアクセルの操作が、いつもとは違って、チグハグになっていたと言う事ですね。ところが佐藤さんは、ギアをNに入れた記憶が全くなかったと言うのですよ。それで、これはもういけないと覚悟を決めて直ぐに車の運転をやめることにしたんだそうです。』

《佐藤さん、よく止める決心ができただなー。》

『佐藤さんがおっしゃるには、佐藤さんは生来小心者でしてね。これが結果的に、良かった様ですよ。車の運転で、若し他人様を殺めたとしら、どうしょう。それ以後の自分の人生は、もう真っ暗闇になるな、と言う思いが常々あったのだそうですよ。それだから、車の運転は直ぐに諦める事ができたと言う事です。運転さえ止めちまえば、車で他人を殺めることは御座いませんからね。』

《車やめちまったら、不便になるだよ。御隠居。》

『そこが、一番の問題でしょうねー。当然、不便にはなったので、そこで、早速、電動アシスト付き、自転車を買って、買い物に出かけるハメになりましたとの事です。自転車もね。危険はあるのですよ。幸い、佐藤さんの家の近辺は、歩道が3メーター程もありましてね。車道を走らなくて良く、その上、土地柄、皆さんお車の方が多く、歩道を歩いておられる方がめっぽう少ないのだそうですよ。よく行くスーパーまでは、1キロほどとの事ですが、その間、歩行者と出会うことは、めったにない様です。冬は、自転車はあきまへんよ。でも、買い物は、近くのスーバーが宅配してくれとの事で、それで大体間に合っているとか。』

《オラとこでも、宅配利用してるだよ。カカーは大助かりと、喜んでるだよ。》

『まー、車がなくても、何とかなりますからね。

それから、運転をやめたと子供に伝えたところ、なんと子供は、大喜びしたとの事ですよ。通常、子供に喜ばれる事はあまりなかったそうですよ。早い話が、子供から、喜ばれる様な親ではなかったらしいのですよ。それが、この時ばかりは、子供が喜んでくれたそうです。子供は、何時、オヤジが運転でヘマをやらかすのでは、と心配していたのだそうです。』

《ところで、この御隠居のブレーキとアクセルを踏みちがえた佐藤さんの一件が、「神様」とどう言う関係にあるだか。》

『それがね、おお有りなのですよ。と言うのはね、後日、知人にこの一件を話しましたところ、すぐさま、彼は、それは「神様」の思召に違いないとおっしゃいましたね。私には、この発想が有りませんでしたので、驚きましたね。「神様」を信ずる立場におありの方は、この様に事態を解釈するのですね。』

《なるほどねー。佐藤さんは、図らずも、「神様」に助けられた、と言うわけですな。》

『どーもその様らしいのですよ。それから、この一件が、実にすごいのですよ。問題は、なぜ通常の運転で、駐車する時にギアを、Nに入れた事のない佐藤さんが、あの時に限って、 Nに入れていたのか、と言う事ですよ。

前に、「神様が、自分の願い事を叶えるために、活動している現場を見ることは、ちょっとやそっとで出来ませんからね。」と言いましたが、もうお分かりですね。まさに、エンジンを猛烈にふかすことになる直前に、ギアをNに入れたのは、これは、もう「神様」以外には、考えられないのですよ。まさに「神様」が願いを叶えてやろうと活動した現場に、佐藤さんはいたのですよ。どうです。凄いでしょう。こんな事は、めったに遭遇できる事では御座いませんよ。

しかし、幾分の疑問が残っているのですよ。と言うのはですね、佐藤さんは運転の安全を「神様」にお願いした記憶がないと言うのですよ。なのに、あの一件の時に、なぜ「神様」がギアをNにしてくれたのか、と言う事ですよ。神様は、色々様々なお方々から、実に沢山の願い事を託されているであろうに、実にご多忙であろうに、お願いした事の記憶さえ無い佐藤さんのとこへ現れて、手を貸してくれたのであろうか、と言う疑問があるのですよ。そんな頼まれもしない事に、手を貸す酔狂な「神様」はおられないのでは無いでしょうか。』

《そりゃー、そーですだな。きっと、その時は、「神様」退屈していたのですだよ。暇つぶしに、ちょっと、と思ったのではねーですか。御隠居。》

『そーきましたか。ところが、この様に邪推する方が、余程無粋な様ですよ。佐藤さん自身がお願いした記憶がなくても、きっと、佐藤さん以外の誰かがその様なことをお願いしていたのですよ。と解釈するのが、「神様」を信じる立場の方の解釈の様なのですよ。

さらに、追加すれば、何をトボけたことを言うのですか、「神様」は、万能なのですよ。できないことはない、と一切疑問を持たず、もっぱら一途に信ずるのが本物の信者様のようですよ。』

《なるほどねー。要するに、信ずる人には、きっと「神様」は存在すると言うことですだなー。》

『どーも、そう言う事になりそーですね。』

《御隠居は、「神様」は存在すると言う立場ですかや。》

『その辺りになると、難しいところですね。強いて言えば、「神様」が在するとした方が、何だか豊かな気がしませんか。「神様』は絶対にいません、としたら、なんか詰まらなくなりませんかねー。」《そーですだなー。無いよりはあった方が。いざと言う時に、便利かも知れねーだからな。》

『六さん、自分に都合の良いことを考うていませんか。例えば、特上がらみで。』

《御隠居にはかなわねーだな。直ぐに、見破られちまうなー。》

『まー、「神様」にお願いしたから、と言って、万事OKとはなりませんから。その辺りが何とも面白いところでしょうがね。』

 

《ところで、「神様」は、いつから存在したのですだ。》

『また、小難しいことを。そんな事知りませんよ。きっと、ずーっと昔からですよ。』

《御隠居、また、そんな大雑把に片付けようと端折ってもダメですだよ。それそれこの様な時には、御隠居の得意技で、独偏でいきやしょー。独偏で。》

『そんな何でも独偏で片つけようなんて、信用に関わりますよ。』

《御隠居、こう言っちゃ何ですが、もう手遅れですだよ。今更、信用がどうのこうのは、手遅れですだ。今まで、散々独偏でやってきたではねーですか。》

『これは手厳しいですね。まー、そう言う事に間違い御座いませんがね。』

《そいじゃー、とびっきりの独偏でおねげーしますだよ。「神様」は、いつから存在したのですだ。》

『あのね、六さん。貴方ね「神様」「神様」と気軽におっしゃいますが、「神様」は、古今東西ものすごく多数の「神様」と言われている存在があるのですよ。日本では「八百万の神』と言われている様に、ものすごい数の「神様」が存在しているのですよ。』

《ヒエーッ、8,000,000も「神様」が存在するだか。》

『ここで言う「八百万」は、1から始めて、~7,999,997、7,999,998、7,999,999の次の8,000,000と言う数値では御座いませんよ。極めて多数と言う表現でしょうから、具体的に800万ちょっきりと言うことでは御座いませんよ。要するに、いっぱい、多数、沢山と言うことですよ。したがって、一言で「神様」と言っても、色々様々な「神様」が存在するのですよ。だから、漠然と「神様」は、いつから存在したのかと言われても、どの「神様」かが問題になってしまうのですよ。それから、そもそも何を以って「神様」とするのか、と言う極めて厄介な問題が横たわっていますからね。』

《御隠居、あんまり真面目になられては、手出しできなくなっちまうだよ。だから、その辺は、適当に、独偏てヤツでおねげーしますだよ。そーだ、質問を変えますだ。神様と人間は、どちらが先か、と言う質問に変えますだよ。これでおねげーしますだ。》

『と言っても、「神様」とは何かを、予め規定して置かなくては、話の取っ掛かりが難しいですよ。』

《だから、その辺は、御隠居の独偏でおねげーしますだよ。》

『六さんのリクエストなので、大雑把に独偏で参りましょうか。』

《それがいーだよ。それで要点だけを、パパッと御隠居の独偏でおねげーしますだよ。》

『全く調子がいーのだから。たまりませんね。では、大雑把に参りましょうか。

一般的には、簡単に言ってしまえば、神は超人的な能力を持つとされ、その故を以て人々の信仰の対象とされている存在の様ですね。

「神様」は実に沢山存在し、その分類も、実に数々ある様です。その中で、ここでは、独偏で最も分かりやすいと思われる

①自然物・現象を信仰の対象としている場合、

②実在した人物を信仰の対象としている場合、

③実在しない空想上の何かを信仰の対象としている場合、

と言う大雑把な分類をしてみようかと思います。とは言え、「神様」はこの分類に収まるはずもない様ですので、まー、ヒマ潰しの一例と見て頂くと良いですね。

ここでは概ね日本を想定して、あれこれ独偏でね、ヒマ潰しをしたいと思いますが、どうでしょうかね。』

《結構、結構でやんすよ。お好きな様にどーぞ。》

『それでは、まず、①自然物・現象を信仰の対象している場合からみていきますか。これも種々雑多の様ですから、全てをと言う訳には当然参りませんが、最も一般的なものを見ますと、まずは、太陽ですかね。月もそうでしょうね。星もね。広大に天とかもね。山とか森とか大木とか海とか湖とかね。他には、大きな石・岩なども一般的ですね。まあ、これらの自然関係の特徴は、人間が、何と表現したら良いのか分かりませんが、結果的な表現ですが、何か神秘的なものを感ずるところがある様ですね。

申すまでも無く太陽は、すごい存在ですよね。これがなくなったら、万事一巻の終わりですわ。富士山もまたすごいですよ。人間の心を揺さぶる様な何かが宿っている様な感じがしますね。この何かが結果的には、神と称される事になるのでしょうね。』

《そーですだよ。自然は、でかくて、分からない部分が多くて、人間の力に比べると、何ともすごい力を示しますだから、そこに、人間は、「神様」を感ずるのですだべな。》

『実にそーだと思いますね。

ところで、六さんの質問は、「神様と人間は、どちらが先か」と言う事でしたね。』

《そーですだ。その辺りの要点をチャチャチャとおねげーしますだよ。》

『その点について、①自然物・現象を信仰の対象としている場合は、結論を急げば、人間が先と言う事になりそうですよ。』

《と言うと、どう言う事ですだ。御隠居。》

『それはですね。何と言ったら良いでしょうか。その「神様」は、人間の心の中に形成されるものと思われるのですよ。だから、人間がいなければ、そこに「神様」が、形成される事は無いのですよ。簡単に言えば、人間あっての「神様」と言う事なのですよ。もっと分かり易く言えば、人間が「神様」を作ったのだ、と言う事ですよ。だから、人間が先に存在しなくては、論理上、説明がつかないのですよ。』

《なるほどね。そりゃーそうだわな。人間よりも、「神様」が先にいて、そこに人間が現れたら、私が「神様」だよ、と言って、次から次へとどんどん「神様」が現れ出したら、何が何だか混乱してしまうわな。」

『そーでしょ。だから、先ずは、人間が出現して、その人間が自然を見て、そこに何か凄いものを感じて、その凄いものが次第に神格化されて行った、と考えた方が分かりやすいでは無いでしょうか。』

《要するに、「神様」の存在は、人間の都合によると言う事だな。》

『そー考えると、分かり良いですよね。

例えば、②実在した人物を信仰の対象としている場合などは、分かりよく言えば、一般人がなし難い、物凄いことを成し遂げた人物を、神格化して、信仰の対象としている場合ですね。』

《例えば、どんな人ですだべ。》

『何と言っても、菅原道眞が最も有名ですかね。言わずと知れた天神様と称されています。祀られている所は、天満宮と称され、日本中何処にでもあると言っていいくらい沢山ありますね。現在は、もっばら学問の神様とされて、受験生の合格祈願に一役買っていますね。』

《天神様は、あちこちに祀られてますだな。》

『そうですね。しかし、菅原道眞は、生まれた時から「天神様」では無いですよね。九州太宰府へ左遷され、死亡した後に、平安京で天変地異が相次ぎ、道眞左遷に関わった藤原清貫らが相次いで亡くなったことから[、道眞の怨霊が雷神となり、荒れくるい始めたと恐れられて、それを諌める為に、947年に北野天満宮に神として祀られる事になったと言われています。』

《へー、雷神になっただか。》

『道眞が自ら雷神になったわけはありませんよね。道眞を陥れ、太宰府に左遷させた者たちが、道眞の死後に起こった天変地異を道眞の怨霊がなさしめたと認識して、それを鎮める手段として、道眞を神として祀る事にした、と言う事ですね。』

《と言う事は、菅原道眞の預かり知らぬ事ですだな。》

『そりゃー、そーでしょう。道眞は死んでしまってますからね。

そして、後々、道眞の怨霊の記憶が次第に薄れ、また太平の世になるにつれ、稀代の秀才であった道眞を、専ら学問の「神様」として信仰の対象とする様になって、現在に至っていると言う事ですね。』

《受験シーズンの天神様は繁盛してますだよ。合格祈願の絵馬やお守りの売れ行きは、すごいですだよ。本当に効き目があるだか。》

『そこですよね。合格した人は、ご利益があったと思うかもしれませんが、不合格の人は、幾分複雑ですね。ご利益なんぞ元々無いのだと、「神様」の存在を否定する人もいるでしょうし、お願いの仕方が悪かったのかと、自戒する人もいるでしょうね。要するに、「神様」とどう向かい合うかは、人それぞれの信じ方によるのでしょうね。』

《だいたい、神様に頼んで合格しようなんて言う魂胆がいけねーよな。御隠居。》

『まー、そーでしょうが。困った時の神頼み、て言うのも、無いよりは、あった方が、人生楽しいかも知れませんよ。あまりのめり込むのはいけませんがね。ちょっとした息抜き程度になら、いーんじゃーないでしょうか。』

《菅原道眞の他に、どんな人がいるだか。》

『その他、織田信長(建勲神社)、豊臣秀吉(豊国神社)、徳川家康(東照宮)などがよく知られていますね。信長も、秀吉も、家康も、みな生まれながらにして「神様」では御座いませんよ。これらの人々を神格化して、信仰の対象としたのは、皆、後の人間の仕業ですからね。「神様」は、人間が作ったものなのですね。言うならば、作った者が何らかの為に、都合が良かった。だから作ったと言うことのようですね。すなわち、作るに至る事情があり、それは色々様々であったと言うことでしょう。』

《家康さんは、物凄く派手に祀られてますだな。何たって、日光東照宮だもんなー。修学旅行生がいっぱい来ますだよ。》

『中には、徳川家康が祀られている事を知らないで、ただただ観光の名所として来る方も多いとか。家康廟の隣に、三代将軍家光を祀った大猷院廟もありますが、こちらも立派ですね。

さて、③実在しない空想上の何かを信仰の対象としている場合がありますね。この代表的なのが「古事記」「日本書紀」の神代の部分に出現する神々だと思いますね。「古事記」では、初めに神々の世界があったとされています。高天原と言うようですよ。ここの「神様」が日本の国土を創ったと言われてますね。ここが①自然物・現象を信仰の対象としている場合、②実在した人物を信仰の対象としている場合と決定的に異なるところですね。

しかし、「古事記」「日本書紀」は、言うまでもなく人間が書いた書物です。だから、ここに現れる神々は、結局は人間によって作られた、と言うことになりますね。いずれも、8世紀になって書かれた書物です。おそらく、その頃の日本には、既に先人によって作られた色々な「神様」が存在していたものと思われますね。それらを題材に、「古事記」「日本書紀」の編纂に関わった者が、編集したのでしょうから、そこには数々の当時の伝承上の神々が存在したでしょうし、多分、編集に関わった者が創作した神も混入していた可能性も考えられますね。「古事記」は、太安万侶を中心に、「日本書紀」は舎人親王を中心に、それぞれ編集に携わった者達が、集めた神々の伝承などに基づいて、頭を寄せ合って、あの神話を纏めたのでしょうね。なかなか大変な仕事だったと思われますね。

そして、後になって、ここに現れている神を祀る社が造営されて、現在まで伝わっていますね。代表的なのは、誰でも良く知っている伊勢神宮でしょうね。天照大神が祀られています。

古事記」「日本書紀」に見られる神話は、実に壮大ですね。古代の人々の「神様」に対する思いが、伝わってきますね。天照大神が、天岩戸に隠れてしまった情景などは、まさに「開く戸佳話賞」(あくとかわしょう 「停念堂閑記」149 参照)ものですよ(ここは、全く私的なことですので、意味不明で良い部分です。悪しからず。)。』

《今から、1300年以上も前に、あのような神話をまとめたと言う事は、スゲー事ですだな。あの時代の人々は、想像力がすごかったのですかや。》

『それもあるかも知れませんが、当時7世紀末から8世紀にかけては、日本国を作り直そうとする機運が、物凄く盛り上がっていた時期ですからね。中国から律令制を取り入れ、天皇を中心に据えた国家建設が盛んでありましたから、皇室を中核とする日本国の成立についての見解を統一的に持つ必要があったのでしょうね。そのために、皇室の権力を確実とするために、それまで伝承されていた神々を、天照大神を中核として、系統的に編成する事により、日本国の創成をまとめ、皇室を中核とする新生国家として踏み出そうとしていたのではないでしょうか。』

《なるほど、そう言う時代背景があって、日本の神話がまとめられる事になったちゅー訳ですかや。》

『多分ね。独偏ではね。』

《結局のところ、「神様」と人間の関係は、どんなものと言う事になりますだ。御隠居。》

『大事な事は、初めに「神様」ありき、と言うのではなく、人間が何らかの必要から、「神様」を創り出すことになった、と言う事ですね。

「神様」は、独偏では、多分①自然物・現象を信仰の対象として発生した様に思われますね。

最初は、自然現象の中の何かに恐れ慄き、恐怖を感じた多くの者がいて、例えば、大地震や火山の噴火、豪雨、台風など何でも良いですが、人間の力をはるかに超越した自然現象が発生した場合、それを発生させた何かが存在すると感じたのではないでしょうか。そして、その存在をひたすら恐れる以外になかったのでしょうね。それで、この何かが怒ると、途轍もない力で、人間に襲いかかる、実に恐ろしい存在と感じたのではないでしょうか。そこでこの怒りを諌め、驚異の現象を起こさない様にしようとしたのではないでしょうか。

そのために、丁重にお祀りする事にした。結局、ここに祀られる事になった対象が「神様」と言う存在になった。すなわち、「神様」をお祀りする事によって、その怒りをおさめてもらうことが、人々にとって、精神的に、また、経済的に利益となることとなり、「神様」の存在が安定する事になったのではないでしょうか。つまり、この様な事を信ずる者、すなわち信者が形成される事になった、と言う様な状況であったのではないでしょうか。そして、人間には、欲がありますから、「神様」に自分の欲の成就を願う、と言う方向にも進んでいったのでしょうね。結局、「神様」は祀られる事により、人間に不利益をもたらすことのない、人間の思いを叶えてくれ希望の存在となった、と言う事ですね。』

②実在した人物を信仰の対象とした場合もそうですね。結局、その優れた能力にあやかりたい、と言うのがそれを祀る本音なのではないのでしょうか。

③実在しない空想上の何かを信仰の対象としている場合も同様ですね。その様な「神様」を存在させる事によって、良くは、悩める人の助けになれば、それは結構な事ですね。

古事記」や「日本書記」に現れる神々は、実に、政治的に利用された、その所産と言う事ができるのではないでしょうか。』

《要するに、人間は、「神様」を創り出して、自分たちにとって、都合の良い様に利用してきた、と言うことだすか。》

『その様な側面が強いよう様に思われますね。何度も言う様ですが、これは信ずる世界のことですから、人々によって、捉え方も一様ではなく、様々でしようね。』

さて六さんの知りたい問題点ですがね。

人間はどうしてこうも「神様」に拘るのかなー、と言うことですね。結論的には、私の独偏では、人の持つ欲望のなせる技では無いかと思いますね。』

《人間の持つ欲望が関係していると言う事だか。としたらオラの場合は、欲望と言えば、やっぱり特上以外にないな。と言う事は、特上と「神様」との関係と言う事になるだよな。御隠居。》

『まさにその通りですなー。今日は、六さん、どこかの神社様に立ち寄って、特上祈願をしては来なかったでしょうね。』

《これはしくじったなー。御隠居、ちょっと待っててくだせー。おらちょくら、近くのお稲荷様まで行って来るだよ。》

『六さん、手ぶらじゃー、まずいかも知れませんよ。』

《やっぱりゲンナマのお賽銭が効き目あるだか。》

『そうかも知れませんが、やはりお稲荷様だったら、油揚げでしょー。角の豆腐屋さんで売ってますが、豆腐屋さんに立ち寄る勇気がありますか。六さん。』

《御隠居、それはねーだよ。角の豆腐屋はいけねーだよ。あそこは、鬼門ですだよ。よし、オラも男だ。今日は「神様」頼みの特上は、キッパリ諦めるだよ。》

『それが良いですね。神頼みの特上なんて、六さんらしくもないですから。』

《今日は、御隠居頼み一本でいく事にするだよ。御隠居、たのまっせ。》

『こりゃー、やぶ蛇だったですね。参りましたな。』

《それから、御隠居。オラ気になっていたことがあるだよ。

それは、選挙があると、候補者は大抵ご贔屓の神社様に出かけて、当選を祈願しているだよ。それが、一人ではねーですだよ。同じ神社に何人も出かけるだよ。1人区の場合、こんな時、「神様」は誰の願い事をきくのかねー。御隠居。》

『さー、難しい事態ですね。六さんが「神様」だったら、どーしますか。』

《オラだったら、やっぱり並より特上だな。》

『結局は、そー言うことになりますかね。

それから、お金を騙し取るために、「神様」を利用する人がいますから、気をつけなくていはいけませんね。「神様」に、大金を騙し取られたなんて、洒落にもなりませんからね。』

 

それではこの辺で終わりとします。どうも、お付き合いありがとう御座いました。お疲れ様でした。お後がよろしい様で。