「停念堂閑記」136

《停念堂閑記》136

 

「「日比憐休独偏記」41 

 

「分かりきった基本に関わる話 」3

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、間抜けな話で御座います。

いくぶん具体的に申しますと、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない、要するに間抜けな話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

ヒマ潰しに為すことは、須らくおよそアホくさいもののようですな。

ところが、このアホくさいと思われ.中から、凄い事が産まれる事があるんだってさ。すごく稀にね。

しかし、アホくさい事は、紛れもなく殆どアホくさい事なんだそうですだよ。

間違い御座いません。《停念堂閑記》がそれを証明している代表的なものですだ。

 

定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

 

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

 

打倒、閑、暇、ひま、ヒマーッ!

A A O!  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

情けねー! トホホ。

  

ところで、暇を持て余していた私こと日比憐休(ひびれんきゅう 定年後、一年を通して、毎日憐れむべき連休である事を、もじった号なのですよ)にも、色々事情が発生しまして、しばらくの間、こちらが休業状態になっておりましたが、ちょっとだけ開業しようかと、久し振りにパソコンのキーを叩き始めて見まして、これが第3作目で御座います。

偉そうに第3作目なんてねー。タワゴト、タワゴトに過ぎないのにねー。自覚は御座います。

 

それでも、ヒマは潰さなくてはなりません。早速間抜けな話を開始したいと思います。

 早い話が、いつもの半惚ジジー のボヤキですだよー。

 

前の「分かりきった基本に関わる話 」1・2の続きみたなもので御座います。半惚ジジーのボヤキですから、テーマがテーマだけに、面白くないですよ。ほんま、全然おもろないでー。

こんな時、なんだか大阪弁て、具合がよろしおまんなー。大丈夫かな。この大阪弁らしき表現?  頼んまっせ。ほんま。

 

特に、これぞと言う意趣がある訳では御座いませんが、「新コロ」(新型コロナウイルスの略称です)に関わる政府の施策についてボヤキを続けますわ。

このところ、「新コロ」の感染者が急増したとメディアが大騒ぎ状態になってますな。

急増の一因は、政府が断行したゴートゥー何チャラ(トラベルとかイートとか)にあるのでは、と言う世論が報じられていますな。

菅総理は、ゴートゥー何チャラで人の動きが活発化した事を認めるが、これによる「新コロ」感染者は僅かだ、と言う主張を変えませんな。どこで入手したデータに基づいて言っているのか知りませんが、問題はそのようなことではないのですよ。

政府は、春以来外出の自粛を「新コロ」対策の基本として国民に厳しく要請してきたのですよ。

「新コロ」対策として、外出自粛は、「分かりきった基本」とされ、今も続行中である事は、改めて指摘するまでもない事ですね。

ああそれなのに、ゴートゥー何チャラで、旅に出歩け、飲み食いに出かけろ、これをする人には、税金から援助金を出すから、と言う政策を実施するのか、と言うことなのですよ。

外出を自粛せよ、と叫びつつ、さー、あちこち出かけて飲み食いして歩け、これでは国民に示しがつかないでしょう。と言うことなのですよ。

政府は、一体国民にどうしろ、どうしてもらいたい、と言うのかが、さっぱり伝わってこないのですよ。

ゴートゥー何チャラで経済の活性化を図ると言う事は、外出自粛の基本に、真っ向から矛盾しているのですよ。

経済の活性化を図るには、人の移動を極力抑えると言う基本を踏まえてやらなくてはならない事情にあるのでしょうー。

じっくり考えれば、ゴートゥー何チャラより良い政策が、絶対あるはずですよ。

それを、観光・飲食業界の景気が落ち込んでいるから、さーゴートゥー何チャラと言う、もっとも安易な施策をとってくる政府の愚行が情けないのですよ。

 

人が移動すれば、「新コロ」の感染が増加する事は、もう分かりきっていることですよ。ここで、これには見向きをせず、耳をも傾けず、「新コロ」の感染増加はうっちゃっておいて、ゴートゥー何チャラで、観光・飲食業界の景気が好転すれば、日本経済は万全チューことですか。違うんじゃーないの!

どうして、日本の政府・国会議員先生には、こんな「分かりきった基本 」が分からんのかねー。よっぽど○が・・・のかなー?

ゴートゥー何チャラが、「新コロ」の感染急増になんら問題がないと言うのなら、何で、今頃になってから、適用する地域を限定するとか、一斉停止するとかになるのですか。政府のすることは、実に意味不明です。実に、基礎が固まっておらず、一貫性がなく、場当たり政策ばかりなのですね。

だから、国民の信頼は無くなり、政治に無関心な人が多くなるのですよ。

もっとも、無関心な国民が多ければ、国会議員の先生にとっては、政治がやりやすいのでしょうが・・・・。

 

政府・国会議員先生等は、どんな形で、「新コロ」の収束を描いているのでしょうね。結論を急げば、きっと、描けないのでしょうね。だから、マスクを配ってみる、10万円をばらまいてみる、出歩き、飲み食いしたら、税金から支援金を出してやる、なんて言う、思いつきの行き当たりばったりの、気まぐれのような場当たりの施策をし続ける。

こんな事で、国民は、日本国はどうなるのですかね。

 

このような対策を出してくる政府、国会議員先生の政治感覚を疑う以外にないのですよ。

菅総理の目指す日本国の将来像なんて、全く見えてきませんからね。どうしたものなのでしょうか。

目指す姿が一向に描けず、ただただ目先の後始末的施策に明け暮れる手法は、どうしたものでしょう。

叱られるのは必定でしょうが、言わせてもらえれば、このような国会議員先生を、国民有権者はよくぞ選出続けているものだなーと、つくづく感心するよりないのですよ。

 

特に、医療現場が逼迫しており、緊急の対策を必要としている状況が、連日報じられております。

菅総理は、一向にこれといった対策を出しませんな。マスクとともに、耳栓を着用していて、世間の声は、全然聞こえないようですな。まさか、前総理を真似て、全戸に耳栓を配達するような事はないでしょうね。スカの耳栓て言われますよ。

ガースーで御座いなんて、スカ中のスカ、柄にもない事やってる場合ですか、チューの。ほんま。

と言うような皮肉の一つも言いたくなってしまうのですだよ。

 

ここで、言わずもがなの「新コロ」対策の基本を、もう一度整理しておきたいと思います。

 

まず、「新コロ」の予防薬は、まだ、日本では、使える状況になっていません。来年の前半期、いや後半期になるのでしょうか。

したがって、今要求される第一の事は、予防薬に頼らず、感染をいかに抑制するか、と言うことに尽きます。

 

まず、「新コロ」対策の基本中の基本は、人間一人一人の「新コロ」に関する正しい認識と、行動です。この自覚です。

「新コロ」は、人間を媒体として感染して行くウィルスであることを再確認する必要があるようですね。このことを、しっかりと、国民一人一人が頭に叩き込んで、自覚することが求められますね。

人間は、分かりきった事は、時に、すっかり思考から外れてしまうことがあります。ですから、時を見て、気を入れ直す必要が御座いますね。「分かりきった基本」を、再度、しっかり頭に叩き込んでおかなくてはね。

 

要するに、「新コロ」の感染を食い止めるには、兎にも角にも人と人の接触を遮断するより無い訳です。

しかし、社会生活においては、人と人の接触なくして人間の生活は成立しません。人と人の接触の完全遮断は不可能です。

よって、人と人の接触を如何に抑制するかに掛かっているのが現実です。

方法は、接触の機会を極力無くする努力以外にないのでしょうね。不要不急の外出を避けることを徹底するより無いのでしょうね。国民一人一人の行動に掛かっているのですよ。一人一人の自覚に掛かっているのです。

政府の政策がどうのこうのでは、「新コロ」の感染が止まる訳では御座いませんよ。政府の政策が正しければ、その政策を個々人が実施して、初めて「新コロ」の感染抑制につながるのですよ。政府の号令だけでは、「新コロ」の感染は止まりません。政府の号令が正しく、それを国民個々が実行して、初めて効果を上げ得ることとなるのですだよ。

一般に、人は、今まで大丈夫だったのだから、これで良いのだ、と思いがちですね。人は、とかく経験してみないと、実感できないところが御座いますなー。出歩いても、今まで何ともなかったからと、出歩きをやめない人は、周りに沢山みられるでしよー。今までの経験に自信たっぷりの人、至る所に見られますよね。

しかし、「新コロ」の場合は、これが役に立たない、と言うことを自覚して欲しいものですね。

初めて具合の良くない経験をした事により、反省し、自戒する人が多いと思われますが、中には、そうでない人もおりますな。同じ過ちを、何度も何度も繰り返す人も珍しくは御座いませんな。

結局のところは、それぞれ人様々で、限界があるとは思われますが、「新コロ」対策として、最も大事な事は、人と極力接触しないようにすると、言う事に徹して欲しいものですなー。

結局は、個人の認識と努力なくして、「新コロ」の感染を抑制する事はなかなか難しい訳で、個々人のこの点の自覚に頼る以外ないのですね。

そもそも、行政の要請があったから、医療側からの要請があったから、「新コロ」の感染抑制に協力しなくては、と言う問題ではないのですよね。

行政や医療側から、マスクをせよ、手を洗えと言った要請がなければ、マスクをしなくても良い、手洗いもしなくて良い、と言う事ではないでしょう。

やはり、「新コロ」の感染を抑制するためには、個々がマスクをし、手洗いを励行した方がいいのだ、と言うことを自覚しなければダメだと言うことでしょう。

「新コロ」感染抑制は、基本的には、個々人の自覚に関わることなのですよ。

 

しかし、人の外出欲求は凄く強いから、この欲求と、外出自粛の必要性の戦いなのでしょうね。快楽を求めた外出を強く強く慎まなくては、「新コロ」の感染は止まらないのでしょうね。

だだし、個々人の「新コロ」抑制については、限界があり、徹底できない現実があるわけで、ここで、行政が打つべき対策がないのか、と言う課題があるわけです。

これが、何ともね。春から、ずーっと、間抜けな対策に終始しているのが現実で、もはや諦めが先に立って、政府の掛け声には、ほとんど耳を傾けない人が、多くなってしまった感が御座いますな。

政府行政の打つ手は、とにかく後手後手。

これまでに見る政府行政の対策の特徴は、危機に遭遇すると、緊張感をもって、しばらく進行を注視したい、という対応です。要するに、何もしないて、推移をみる、と言うことです。そして、推移の結果が現れてから、遅ればせながら、手遅れの施策をやってみる。これが、政府行政の緊急事態対策のやり方ですね。

結局、大きな被害が出た後の後始末をする、と言う特徴があります。

「新コロ」の場合、この手法は通じないのです。

あくまでも、転んでしまった後始末では、手遅れなのです。転ばぬ先の杖が大事なのですよ。

しかし、この洞察力を、今の政府・国会議員の先生達・官僚等に期待することが、まず、出来ないのです。かつて豪快な政治評論でおなじみだった三宅久之さんが発していたポン助ばかりのようなのですよ。

 

対処は、割合簡単なのですよ。

専門家の話に、常に耳を傾ければ、それだけで、いいことなのです。

それを政府・行政は、指をくわえてみてるだけ。火の手が上がって、全焼になりかかって、どうしょう、どうしょうと、場当たりの手を打つだけ。

どころか、時に、ゴートゥー何チャラのように、火に油を注ぐようなことをする政府・行政なのですよ。処置無し。

このような状況だから、国民の多くは政府の要請にも従わなければならないと言う意識が薄れてしまうのですよ。

この3週間が勝負なんて言われたって、真面目に取り組む国民は少なくなってますだよ。

政府だけが、誰を相手にしているのか、勝負、勝負とはしゃいでいるだけなのですよ。政府自身は、これと言った対策を出す事もなく、勝負、勝負の掛け声だけだからね。

 

ところで、問題は効果的な感染予防対策と言うことになるわけですね。

 

1  とにかく、外出して人と接触することを極力避ける。

 

「新コロ」は一人歩きしませんから、必ず誰か人に取り付いて移動し、次から次へと移動する、すなわち感染していくのですよ。だから、これを食い止めるには、人との接触を極力抑制する以外手がないわけです。

たとえ行政がどんな手を要請しょうと、結局のところ、「新コロ」は人の接触で感染し、広がっていくのですから、人の接触を断つ以外に手がないのですよ。

この接触という根本を断ち切らなければ、感染は治らないのですよ。これは、個々人一人一人の自覚にかかっていると言うことですね。

 

2  マスクを着用する。

 

人との接触が発生する場所では、とにかく、マスクを着用する。「新コロ」の感染を抑制する効力の強いマスクが望ましい。フッション性もさることながら実効性の強い不織布製の方が、「新コロ」抑制には、役に立つようです。

マスクを手に持ち歩いておられる方を、よく見かけます。これでは、意味が御座いません。マスクはちゃんと着用して、初めて役に立つのです。アゴに掛けたり、口だけ覆って、鼻を出していてはいけません。効果的に着用いたしましょう。

 

3  手を洗う。

 

外出から帰った時には、まず、手を丁寧に洗いましょう。また、アルコールによる手指の消毒をしましょう。とにかく、接触感染の防止のために、手洗いを励行すると良いですね。

 

4  人に、接近しないようにしょう。

 

いわゆるソーシャルディスタンスを確保しょう。隣の人との間隔を約2メートル以上の距離を置くようにしょう、と言われていますなー。このようにすれば、感染の予防になると言う事ですね。これはこれで、結構な対策でしょうね。

約2メートルと言う間隔については、良くは知りませんが、普通に咳やクシャミをした時に、飛沫の飛ぶ範囲の平均値?なのでしょうかね。

しかし、咳・クシャミにも個体差があるだろうし、環境の違い、例えば風向きとかその強弱により、影響が異なると思うので、約2メートルと言うのは、良く分からない数値でんなー。人との距離を取った方が良い、と言う事は分かりますが、この距離が約2メートルと言うのが、万全か、と言うと、ちょっとね。

と言うのは、約2メートル離れていれば、感染しないと思い込んでいる人がおられるのですよ。飲食店の席も、約2メートル離れていれば、飲み食いOKと思い込んでる方々が、いらっしゃるのですよ。中には、テーブルの正面に向き合って座らなければ大丈夫、なんて大雑把な意見もあったりしてますね。

これも申すまでもなく、感染の確率を下げる対策であって、約2メートル離れていれば万全と言うことでは御座いませんよ。

しかし、クラスターの調査で、濃密接触者が否かを問題にされた場合には、一応の目安とされる数値なのでしょうかね。厄介なところが御座いますなー。

 

5  三密を避ける。

 

三密とは、密閉、密集、密接を意味するそうです。要するに、狭い空間に多数の人数がくっつきあって集まるなと、言う事なのでしょうなー。

しかし、この解釈には、概ね二通りみられるようです。

一つは、密閉・密集・密接の三要素がセットであり、三要素が重なってはダメ、と言う解釈です。

今ひとつは、密閉、密集、密接各一つがあってはダメ、と言う解釈ですね。

そもそも、行政は、国民・住民に三密を避けなさい、と言いますが、具体的でないところがあるので、判断に窮するところが御座いますな。いずれも程度が問題ですので、その基準値は人それぞれになりかねませんなー。

ある状態を、これは三密の状態だと判断する人と、いやいやそんな状態ではないよ、と判断する人に分かれるのですよ。

それでは、その基準の設定をとなると、これが一人一人の判断が異なり、なかなか統一的基準を設定することが困難なのですよ。

例えば、密接とはどう言う状況だとなると、どうでしょう。それぞれ想像をたくましゅうしてみてはいかがですか。

えっ。いわゆる夜の街の接待の場と称されている場面をイメージしちゃった、ですって。さてさて、どんなイメージをしたのです?  

人により程度差が出るでしょう。

このあたりの判断が、クラスター発生に関係しているのでしょうね。大きな駅とか電車の車両内とか、行楽地とか、飲食の場所とか、接待の場とか、どのあたりまでが密なのでしょうかね。漠然としてますから、国民・住民には、伝わりにくい側面が御座いますなー。

でも、各人が厳しく取り組んだ方がベターですよ。

 

くどいようですが、「新コロ」は保菌者個人から別の個人へ感染していくのですから、行政の外出自粛の要請の発信で直接感染が止まる、と言うものではありません。個人が別の個人と接触することを抑制すれば、感染の確率を低下させることができるのでは、と言う期待策でしかないのです。「新コロ」感染の現場は、あくまでも、個人と別の個人との接触ですから、自粛要請自体が感染をストップさせるものでは御座いませんよ。個人の行動の問題なのですよ。しっこいでしょ。大事なことは、しつっこく徹底的に、伝達しないとダメなのではと思うのですよ。

ただ、この三密に関しては、一般的に、狭い空間に多数の人がくっつきあって集まるなと、解釈しますが、二密なら、一密なら良いんだろう、と言う解釈をする御仁がいらっしゃるようなのですよ。誰しも自分に都合の良い解釈をしたがりますからね。制約は、軽い方が良い、と思う人が多いからね。

申すまでもなく、一密でも、二密でも、良くないのですよ。数字ではなく、蜜がダメなのですよ。

 

以上のような、「新コロ」に対する基本的な対策を再認識して、その拡大に対処したいものですなー。

と言ったあたりが、「新コロ」対策として「分かりきった基本に関わる話 」でした。

 

ところで、蒸し返しますが、密でも、感染予防が適切になされていれば、それはセーフなのでしょう、と解釈する御仁も存在してますね。

ビックリポン!なのは、国民に自粛を猛烈に呼びかけている政府要人、国会議員の先生方々が、自分たちがそれに反する行動をシャーシャーとやってのけ、その責任を問われれば、密でも、感染予防が適切になされていれば、それはセーフなのですよ、とこれまたシャーシャーと言って退けるこの無神経さですよ。

会食は、出来るだけ避けて欲しい。どうしてもと言う場合は、人数を4人以下に制限して欲しい、などと訳の分からない制約を国民に押し付けておきながら、8人で高級ステーキの会食に参加している菅総理。貧乏ケチな小生は、会食の支払いは、誰が、どこから出したの? ってな事が気にかかったりするのですよ。当然自腹でしょうね。

とあるメディアの情報では、お一人様8万円を下らないお店だと言う事ですよ。王さん、杉さん、みのさん、自腹を切ったの。それとも、ゴチになっちゃったのかな。まさか、国民の・・・・で支払ったのではないでしょうな。庶民感覚では、こんなケチな事が気になったりしましてね。

評論家の先生の中には、総理たる者は、広く国民の意見を聞かなくてはならないので、会食をしながら、意見を伺うのは当たり前のようにおっしやられる方もおられるようですが、国民の意見を聞く時は、やはり8万円の会食でないと、いけないのでしょうかね。8人のメンバーで、何を語り合ったのでしょうかねー。

かつては、国会ならず、国の重要案件は料亭で、と言う時代が御座いましたが、さすが今はそれはないのでしょうが、会食と言う表現に化けてたりしてはいないでしょうね。

 

無神経にも程が御座いませんか。国民をバカにし切ったこのようなリーダーに国政を委ねなくてはならない国民は、なんとも愚な連中に遭遇してしまっことを、ひたすら我慢しなくてはならないのですからね。

このことが、メディアで総スカンを食ったら、急遽予定していた忘年会を取りやめたと言う国会議員の先生方々が続出。こっそりやろうとしていたのですなー。国民向けには、自粛、自粛4人以下にしなさいを押し付けながら、裏では、この体たらく。

この3週間が勝負所と国民に自粛を要請しておきながら、その成果が上がらず、完敗したら、国民が自粛しなかったから、このような感染拡大の状況になってしまったような言い訳をしたりしましてね。

それはそうですよ。国民が自粛せず、出歩いた結果、感染が拡大したことは、事実として、間違い御座いませんがね。

しかし、国民に勝負所でそっぽを向かれたのは、それなりの原因、経緯があったからでしょう。自省、反省は御座いませんの。

政府は3週間が勝負と、繰り返しましたが、誰と誰との勝負を前提にしていたのでしょうね。

きっと、国民と「新コロ」を勝負させようと企んでいたのでしょうね。

どっこい、国民は政府行政と「新コロ」の勝負と認識していたのかもしれませんよ。

政府行政がどんな技を繰り出して、「新コロ」をやっけるかを期待していたのですよ。

多分国民が「新コロ」に対してどれほど自粛で応対できるかを、政府行政は、緊張感を持って注視していた、要するに、何もせずに見ていただけ。結果、「新コロ」の感染急増は止まらず、完敗。国民が自粛しなかった結果だ、と言うような感想を述べるばかり。

国民一人一人ができることには限界があります。そこで、政府行政がどれほどの手を打てるかが問題なのですが、ゴートゥー何チャラを一定期間停止する、と言う事ぐらいの事しか出てきませんでしたね。

政府行政の本気度が一向に伺われず、その対策が、一貫していないので、国民は政府行政を信用しなくなり、政府行政の言うことに、耳を傾けなくなってしまっているのですよ。

それを、若者が言うことを聞かなかったから、なんて言う言い訳をしたりするから、ますます信頼が薄くなってしまうのですよ。

 

もー、この国のリーダー的存在にあるはずの政府要人、国会議員の先生方々が、この為体ですから、もー、何をか言わんやの状況ですよ。

とボヤいても、そのようなリーダーを選出したのは、他ならぬ国民有権者だから、もー、どっちもどっちで、ある意味のバランスが取れてはいるのですよ。嗚呼!

 

だらだら行き当たりハッタリを書くのが、「停念堂閑記」の特徴なのですが、全然面白くありませんな。

と気がついたら、サッサとやめる事が、肝心ですな。

政府だって、ゴートゥー何チャラが、「新コロ」の感染対策に、相応しくない側面を持っていることくらいは、遠の昔から承知の上なのでしょうが、一旦、政策として踏み出してしまったら、なかなか引っ込めることはできないのでしょうね。メンツーと言うものがかかっているのかな。

 

しかし、「停念堂閑記」は違いますよ。もーあかんな、と気がついたら、躊躇なくパット止めます。

 

お付き合い下さいましたお客様には、半惚ジジーのボヤキばかりで、どうも面白いところがなくて、毎度のことながら申し訳御座いませんでした。

どうも、お疲れ様でした。

懲りずに、またのお越しをお待ちいたしております。共に、ヒマ潰しに励みましょう。

 

お後がよろしいようで。