「停念堂閑記」134

《停念堂閑記》134

 

「「日比憐休独偏記」39 

 

「分かりきった基本に関わる話 」1

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、間抜けな話で御座います。

いくぶん具体的に申しますと、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない、要するに間抜けな話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

ヒマ潰しにすることは、須らくおよそアホくさいもののようですな。

ところが、このアホくさいと思われた中から、凄い事が産まれる事があるんだって。

しかし、殆どはアホくさい事は、アホくさい事なんだそうですだよ。

間違い御座いません。《停念堂閑記》がそれを証明している代表的なものですだ。

 

定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

 

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

 

打倒、閑、暇、ひま、ヒマーッ!

A A O!  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

情けねー! トホホ。

  

ところで、暇を持て余していた私こと日比憐休(ひびれんきゅう 一年を通して連休である事を、もじった号なのですよ)にも、色々事情が発生しまして、しばらくの間、こちらが休業状態になっておりましたが、ちょっとだけ開業しようかと、久し振りにパソコンのキーを叩き始めて見ました。

それで、早速間抜けな話を開始したいと思います。

 早い話が、いつもの半惚ジジーのボヤキですだよー。

 

 

特に、これぞと言う意趣がある訳では御座いませんが、間抜けな話のトップを飾るのは、何と言っても、「新コロ」(新型コロナウイルスの略称です)対策に、失敗し続けた前安倍内閣に続いて、それを引き継いでいる菅内閣をおいて他は御座いませんでしょうなー。

このところ、「新コロ」の感染者が急増したとメディアが大騒ぎ状態になってますな。

「新コロ」感染者数の急増の原因について、実に色々諸説紛々としておりますなー。心当たりの事柄が色々と多数考えられるという事なのでしょうな。

その中で、間違いのないことは、「新コロ」は人と人の接触により感染するということですね。この点については、一部の人々を除いて、専門家、素人問わず、共通の認識となっている、と見て良いのではないでしょうか。

人が動けば、「新コロ」が感染る。

行政関係者の中には、その認識に極めて希薄なお方が見られたりは致しますが。どなたとは申しませんよ。殆ど皆んな・・・。

 

要するに、平易に申しますならば、人と人との接触がなければ、「新コロ」は感染しない、と言う訳です。

 

だめ押し的に申せば、人と人の接触があれば、感染の可能性が発生する、と言うことですね。

 

これが「新コロ」の感染に関わる基本中の基本知識ですよね。

表現がシッコイ、クドイでしょ。

これには、これなりの理由が存在するのですよ。

余程砕いた表現で、繰り返し繰り返し言わないと、話が通じないご時世だ、と言う事ですよ。

 

脇道に逸れますが、今の日本では、兎に角、話が通じない事が多過ぎるのですよ。そうはお感じになられませんか。余程具体的に言わなければ、話が通じませんよ。

特に、若年者には、全然通じませんなー。

因みに、ここで言う若年者と言うのは、間も無く80歳になろうと言う存在から見た若年者と言う事ですだよ。

想像と違ってました?  ねっ。聞いてみないと、分からないでしょう。

兎に角、表現者は、その立場から、好きな表現をする訳であり、それを聞く人は、聞く人の立場で好きなよう、自分にとって好都合のように聞く訳であって、それぞれ自分の都合で表現し、自分の都合で聞く訳です。

このギャップが、兎に角、大きく感じられる今日この頃なのですよ。そうは、お感じになりませんか。

皆んな、それぞれ自分の都合のいい行動をとりたがっていると、感じられませんか。

ものすごく具体的に表現しても、聞く人に関心がなければ、何にも伝わりませんしね。都合で、トボけてはぐらかす人のなんと多い事でしょう。

人間は、とかく自己の都合を優先しがちですが、日本における昨今の傾向は、これが著しく強くなっている気がするのですよ。

幼い頃から、お受験、お受験で育てられたからなのでしょうかね。他人の立場は、どうしても二の次になりますよね。

私の独偏(独断と偏見の略語で使います)ですけどね。自分を見ていると、つくづくよく分かるのですよ。

 

このような状況に関わり、半惚ジジーのボヤキを入れますと、従来の常識と思われてきた事が、全然異なる常識に変身していると言う事があるですだよ。

これまで常識と認識していた事が、もう、非常識に化してしまっている事が多々あるのですよ。

例えば、他人に何かを頼み、骨をおって貰った場合に、依頼者は有難うと謝辞を述べる。ここまでは、当たり前と思うのですよ。ところが、この依頼者の謝辞に対して、依頼され協力を惜しまなかった人が、いやいやどう致しまして、大してお役にも立てず、と応対したら、これが何を上から目線で偉そうに、と言う事態になると言うのですよ。

じゃあどうすれば良いかと言うと、有難うと言われたら、有難うと応対すべき、と言う事らしいのですだよ。これで、平等、対等が保たれる、と言うことのようなのですよ。

メディアでは、これが一般的となっているいるように感じらる今日この頃なのですよ。このような場面の応対に気を着けて、テレビを見てみて下さいよ。何かを頼まれて、協力した側の人が、どうも有難うと謝辞の挨拶を述べるのは、何とも違和感を催す半惚ジジーなのですよ。

例えば、時節柄、「新コロ」の話題で、テレビ局の要請で、ご多忙の中、時間をやりくりして番組に出演してくれた、「新コロ」に詳しい医師に、番組の終わりに、司会者がどうも有り難う御座いましたと、謝辞を述べると、要請されて招かれた医師は、決まって有り難う御座いました、と応答するこの頃なのですよ。

出演した医師は、きっと、有り難い心境では無いはずなのですよ。多分迷惑な事情にある場合もあると思うのですよ。

迷惑をかけられた側が、どうも有り難うと言わなければならない道理があるのですかね。

今は、極めて一般的に見られる光景ですが。

 

従来の常識が通らなくなっている現実の一例です。

他にも色々多数見られますなー。時の遷り変りにより、人も代わり、いや変わりか、それに伴い事態の認識も変わり、常識も変わる、と言う事なのでしょうなー。

脇道の半惚ジジーのボヤキで御座います。

 

話を本題に戻します。

他人に何かを伝えるのは、なかなか厄介な現状ですよ。

要するに、他人に何かを伝える場合には、具体的に、シッコク、クドったらしく、何度も何度も、繰り返し、繰り返さないとダメのようなのですよ。

これが、いわゆる丁寧にと言う手法のようですなー。

しかし、何度も繰り返すうちに、オオカミ少年になっちゃうし。弱ったもんですだよ。

 

「新コロ」に関しては、現在の感染急増に関係しているのは、行政の推し進めた、いわゆるゴートゥー 何チャラだと言う見方が強くあるようです。

ゴートゥー 何チャラにより、人の動きが活発化した。これが「新コロ」感染者数の急増を招いたのではないのか、と言う見方で御座いますなー。

これに対して、菅総理は、ゴートゥー 何チャラによって実に多数の人々が移動したが、この動いた人達の中で、「新コロ」に感染した人は、ほんの僅かで、ゴートゥー 何チャラが、「新コロ」感染急増を招いた事実はない。と言う判断を、繰り返し述べましたな。

この菅総理の判断が、言ってしまえば、何とも評しようが無い御粗末極まりないタワゴトと言うより言い様が御座いませんな。

基本的に前安倍総理の政策を継承すると言っていましたから、ゴートゥー 何チャラも引き継いでいるのでしょうな。

漸く前安倍総理が辞めてくれたかとホッとしたのも束の間、今度は菅内閣。やれやれ今度もスカか、と諦めなくてはならないような状況ですな。

何度でも言いますが、「新コロ」の感染は、人から人へ、人を媒体として感染していくのですよ。「新コロ」についての最も基礎的な知識ですよ。だから、感染を抑制するには、人と人との接触を抑制するより無いのですよ。

今時の常識人は、誰でもが知っていることと思いきや、これが何とも怪しい状況でんな。

そもそもゴートゥー 何チャラは、分かり良く言えば、大いに動き回れ、旅に出歩け、遊びまわれ、且つ飲み食いに励め、これをやってくれた人には、税金から援助金を支給するぞ、と言う政策ですよ。

「新コロ」の感染を抑えなくては、と言う真っ最中に、何や、何や、もはや、常識もへったくれもあったものですか。

前安倍政権チャー、何だったのだ。さらに、これを踏襲する管政権チャー、何なのだ。スカじゃー。と言いたくなる気持ちをご理解頂けるでしょうか。

ゴートゥー 何チャラは、「新コロ」の感染急増に、何ら影響していない、と言うのですよ。

政府が、国民の皆さんよ、皆んな歩き回れ、旅に出ろ、遊びまわれ、飲み食いに励め、金は出してやる、と言うのだから、多くの国民は、すっかり浮き足立ってしまい、舞い上がってしまったのですだよ。もちろん、批判的ご意見をお持ちの方も、いますよ。しかし、大方の雰囲気は、浮き足立っているのでは?

国民の大半は、面白い所を歩き回り、美味いものを食べ歩くのが、大好きなのですよ。これが、多分、今や多くの人々の生き甲斐と言って良いのでしょうね。

だけど、春からの「新コロ」対策で、兎に角自粛を強いられていたところに、ゴートゥー 何チャラだ、行け行けゴーゴーの政府のお墨付きが発せられ、地方行政もこれに倣って、何チャラ ポイントだ、クーポンの発行だとか、後押ししたたわけですよ。

行楽地は、紅葉の見頃じゃー、ライトアップじゃー、連休だなどと蜜蜜蜜状態の出来ですだよ。立派な「新コロ」感染急増のシチュエーションが作られたのですよ。

出歩き、飲み食い歩きする、絶好の口実が降って湧いたのですら。

それを、ゴートゥー 何チャラは、「新コロ」の感染急増に、何ら影響していない、と菅総理が言い切っていたのですから。この感覚、判断は、一体全体何なのです。呆れ返ってトックリ返りますだよ。

繰り返しますが、人が動けば、「新コロ」の感染が増加するの。これ常識中の常識ですだよ。

さらに、ゴートゥー 何チャラは、「新コロ」の感染急増に、何ら影響していない、と言い切っておきながら、それに対する世間の批判、風当たりが強くなると、今度は、たちまち、ゴートゥー 何チャラは、地域を限定するとやら、一時停止するとやら、延期するとやら、何とかかんとか、シヤーシャーと言い出す始末なのですよ。

もー、場当たり主義の何ものでも御座いませんな。もー、目先の状況によって、いくら「新コロ」とは言え、こうコロコロ変わられてはね。

 

ゴートゥー 何チャラは、落ち込んだ経済復活の切り札のように、言われていますが。

なんか、チャウンやないのかなー。何て感じたりもしているのですよ。

今や、日本経済は、観光・飲食業だけで回っているのでしょうかねー。

そーかなー。 

車、電化製品、機械類、道具類をはじめとする諸々の生産、流通、販売などが、日本経済の核心を支えているのではないのですか。

分かり易い事を言えば、基本的には、衣食住を支える経済活動が、必須です。

このうち、例えば食に関連しては、コメ、麦など主食に関わる食品の確保は、なくてはなりませんよ。農産物、畜産物、海産物などの必要量は、絶対になくてはなりませんなー。

これらことに関する企業は、ちゃんと営業して貰わないと、国民の生活が持ちませんよ。企業キットしっかりやっているのでしょうね。

 

ところで、いささか? ものすごくかなー?  乱暴な事と思われてしまうでしょうが、そのあたりを独偏で申しますと、酒を飲んでドンチャン騒ぎをする場所が、かつて好景気で浮かれてた時代のように、「新コロ」傘下では、こんなに多数存在できるのでしょうか?  

よくは分かりませんが、「新コロ」の傘下では、酒を飲んでドンチャン騒ぎをする場所は、自然淘汰されて、それなりの数に収まるのであろうと思われます。これまでの好景気の時と同じようには、なかなか参らないのだろうと思うのですよ。

このような状況の中、やむなく倒産を余儀なくされる場合も出てくるでしょう。また、方向転換を余儀なくされる場合もあるでしょう。

このような状況に、行政が何をしなくてはならないのか、ここが基本なのではないでしょうか。

思いつきで恐縮ですが、酒を飲んでドンチャン騒ぎをする場所は、「新コロ」の傘下では、これまでと同様には維持できない。では、どうするか?  酒を飲んでドンチャン騒ぎをする場所に、「新コロ」の感染防止の設備を徹底して整えさせる援助をして、必要数の維持を図るとか、酒を飲んでドンチャン騒ぎをする場所から方向転換して、別の「新コロ」の傘下でやって行ける職種に進むのであれば、積極的にその援助をするとか、「新コロ」の傘下で生き延びるための方策を考えるよりないのではないのか、と思うのですよ。何も、今までの状況に復することばかり考えて、一時凌ぎに現ナマをばら撒くよりは、将来を見据えた「新コロ」傘下でやって行ける方策を考えるべきでしょー。ちゃいまっか!

 

とにかく、酒を飲んでドンチャン騒ぎをする場所が、あたかも日本経済の生命を牛耳っている状態のように認識していいのだろうか、と言うことなのですよ。

ね。相当乱暴な見方のように感ずるでしょー?

 

ちょっと、このあたりの事にも、思慮を及ぼす事も大事ではないのかなー、と感じたりするのですよ。

勘違いなさらないで下さいよ。酒を飲んでドンチャン騒ぎをする場所が不要だ、無くなってしまえば良い、と言っているわけでは、毛頭御座いませんよ。

酒を飲んでドンチャン騒ぎをするのが生き甲斐、いわゆる夜の街に行く事が何よりの楽しみ、そのために気が進まない嫌な仕事も、我慢してやっているのさ、と言う存在のお方も、大勢おられる事でしょう。それを悪いと言っているのでは御座いませんよ。それはそれで結構ですよ。

しかし、それがあたかも日本経済を動かす原動力のように認識している政府行政の認識と施策を疑っているのですよ。

そのような施策が、明確に現れたのが、ゴートゥー 何チャラだと感ずるのですよ。

経済の活性化を企図して、ゴートゥー 何チャラを大々的に実施する。分かり良く言えば、大いに動き回れ、旅に出歩け、遊びまわれ、且つ飲み食いに励め、これをやってくれた人には、税金から援助金を支給するぞ、と言うのですよ。

一方で、「新コロ」の感染を食い止め無くてはならない、そのためには、出歩きは自粛せよ、と繰り返し、繰り返し言っているのですよ。

おかしく、ありませんか。一体政府は、国民にどうせよと言っているのでしょうか。

その上、菅総理が、ゴートゥー 何チャラは、「新コロ」の感染急増に、何ら影響していないと、言い切ったのは、何だったのだ。

マスクの着用、手洗いの励行、三密の回避などで、「新コロ」対策は、万全と思っているのでしょうか。

安倍さんのあやふやな嘘っぽい発言には、辟易していましたが、またまたか?  政治家っちゃー、所詮およそこんなものですかいな。と感じなくてはならないのですだよ。

三宅久之氏が、ご存命であれば、きっと “ポンスケ” の連発ではないでしょうか。今や、そんな豪胆な評論家は見られなくなってしまいましたなー。皆んな、ソンタク、ソンタクでっか。時節柄、ソンタクロースばかりデッカー!

 

尤も、こんな政治家を選出したのは、国民有権者なのだから、この点をも忘れてはなりませんなー。

行政の諸愚の根源がこの辺りにあるのでは御座いませんか?  と言いたくもなってきたりしましてね。

こんな事書いたら、きっと、総スカン食っちゃうのでしょうなー。でも、誰も「停念堂閑記」など見てくれないだろーから、セーフかな。

近所の選挙用?のポスター数が、このところ「新コロ」同様、急増しているところからすると、国政選挙も、そう遠くでは無いかも知れませんし、何とかならないものですかねー。

やっぱり、神頼み以外に手がないのでしようか。

イケ神様(池上彰さんをもじったつもりでーす)何とかなりませんか。

 

半惚ジジーの小言、愚痴はなかなか終点が御座いません。

今日は、ここで止めます。

どうもお疲れ様で、御座いました。

こりずに、またのお越しをお待ち申し上げます。

 

お後がよろしいようで。