《停念堂閑記》133

《停念堂閑記》133

 

「停念堂寄席」81

 

「もうアゴを出しちゃったのかな ?

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、間抜けな話です。いくぶん具体的に申しますと、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない、要するに間抜けな話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

打倒、閑、暇、ひま、ヒマーッ!

A A O  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

 早い話が、いつもの半惚ジジーのボヤキですだよー。

  

さて、間抜けな話の開始です。

暫しの間、ヒマ潰しをしましょう。

と言うのが、平和時における「停念堂閑記」の本筋なのですが、今の世界中が「新コロ」(ここでは、「新型コロナウイルス」の略称とし、使用します。)と戦っている状態では、流石にそんな事している場合では御座いませんので、幾分、真面目にやりたいと思います。

と構えましても、大したことをできる訳では毛頭御座いません。ただ、ほんのちょっとでも、と言う程度のことで御座います。

もとより、他人様に、アレコレ言える立場では、毛頭御座いませんが、状況が状況で御座いますので、いらざるお世話ですが、思うところをほんの僅か書かせて頂く次第でございます。

どうぞ、表現に不快を感じられるところが多々あるか、と思われますが、なるべく分かり易くと言う愚かな配慮からですので、何卒ご海容の程をお願い申し上げます。

 

 

ところで、日本は ?

今や、「新コロ」の総攻撃を受けている真っ最中です。

「新コロ」弾が、時・所構わず、飛び交っておりまして、庶民は家防空壕に閉じこもって、必死に耐え忍のばなくてはならない状況です。

国民皆兵」となって、「新コロ」と戦わなくてはならない状況です。

皆さん、果敢に戦っていますか ?

「新コロ」との戦いは、まさに、国民一人一人と「新コロ」の戦いが基本となっています。

政府や地方自治体からお願いされて、頼まれたからやると言う性質のものでは御座いません。

この点を、ちゃんと自覚しなけれなりません。

国民一人一人が、「新コロ」に立ち向かわなければならないのです。

国民一人一人が、この事態をよくよく自覚しなければ、「新コロ」感染を防ぐことは難しい状況にあります。

しつこいようですが、国民一人一人の自覚にかかっている、と言うことですね。

心して、臨まなくてはなりませんね。

 

しかし、人間一人一人色々と事情を抱えて生きていますから、現実的には、その事情と「新コロ」との戦いと言う局面が現れますな。

すなわち、「新コロ」感染の防止は、とにかく人と人との接触の機会を無くする、と言う事に尽きるのですが、そのような観点から、例えば営業を自粛しなくてはならなくなったお店は、利益が落ち込んだり、さらに損出が大きくなって、生活そのものが潰れてしまう、明日の生活に困る、と言う事態になる心配があるのですね。

分かり良く言えば、「新コロ」対策の推進と明日の生活維持の二者択一と言う局面で、さー、どっちにするか、と迫られるわけです。

この選択を迫られたら、それはそれは困りますなー。

前に言ったように、「新コロ」感染の防止は、他人に言われたからやらなくてはならない、と言うことではなく、本来一人一人の自覚の元にやらなくてはならない事ですね。

すなわち、自己の判断で、この際、接触の場を無くした方が、「新コロ」対策として相応しいと判断して、お店の営業を休むことにした。そうすると、たちまち営業利益がなくなってしまい、生活が困窮してしまう、と言う事態ですね。

そもそも、最初に「新コロ」を発生させた奴が明らかであれば、そいつに損害賠償等の責任を取らせれば良い、と言う論理が成立するかも知れませんが、どこで発生して、誰がこのような状態になるまで広めたのか、と言う事が明白になっいない状況では、責任の追及対象が分からないのですよね。

結局は、責任の追及が出来ない事態なのです。

 

また、考え方によっては、「新コロ」は、自然災害のようなものだ、と認識すると、基本的には、損害賠償等の要求の持って行き場がないのですよ。

しかし、自然災害でも場合によっては、行政が被災者に支援する、と言う事が行われて来た経緯があります。

この視点からすれば、この度の「新コロ」について、政府は、どうするのだ、と言う問題があります。

 

今、行政は、「新コロ」の感染を防止するために、色々と対策を講じていますが、その一つとして、感染を増長する可能性があると判断したお店に、営業自粛の要請をしているわけです。

それで、その要請に協力した結果、経営・生活が極めて困難になっている現実が発生している訳で、目先の対策として、どのように援助すべきかが課題となった訳です。

そこで、具体的に問題とされ出したのが、分かり良く言ってしまえば、政府がとった「新コロ」感染防止策のせいで、損害が発生したので、その補償をせよ、と認識する人々が出てきて、さー、どうしたものか、と言う現状のように見えますね。

また、他方では、行政の進める「新コロ」感染防止対策を効果的に進めるためには、これによって損害を被る人に補償をしなくては、協力を得られないのではないのか、と言う配慮をする人もいるわけですな。

 

そこで、この場合の対策を考えなくてはなりませんが、実情としては、困窮者に明日の生活維持対策を施す以外に、手っ取り早い救済の方策がないのではないのか、と言う事になるのですよね。

具体的には、明日の生活維持が困難になる人を、経済的に、誰が、どの様に援助するのか、と言う事になるわけです。

 

例えば、日本国民にとって、甚だ不幸な事例があります。

第二次世界大戦東京大空襲の時などは、被災者に、国 = 行政からの援助は、何もなかったのですね。行政には、既に、援助する力が皆無だったのですね。と言うか、戦時体制の下では、そもそもその様な発想自体無かったのでしょうね。

だから、家を焼かれた人に対する再建の援助金などあるはずはなかったし、商売ができなくなった人にも、何の援助も無かったのですよ。

どころか、その日の食に困窮している人にも、何等手を差し伸べられることはなかったのですよ。

国民は、ひたすら我慢をするよりなかったのですよ。

結局は、沢山の人が、死んでいったのです。

 

では、現在、「新コロ」対策に関わり、本来「新コロ」対策は、国民一人一人の責任においてしなければならないものであるから、それによって発生する損害は、個人が負担すべきだ、として個人に諦めてもらうよりない事態だ、と言う考えがあるかも知れませんね。

 

また、行政に協力させられて、そのために明日の生活維持が困難になったのであるが、それも仕方のないことだ、協力者に対して、諦めて、全て我慢しなければならないのだ、とする考え方もあるかも知れませんね。

 

しかし、現在は、そのような社会情勢ではない、と考える人もいるわけです。どちらかと言えば、こちらが現在の大勢でしょうね。先の大戦中とは、社会の事情が全く違っていますからね。

 

そこで、大まかに言って、困っている人に援助しなくてはならないが、この時に、重要なのは、どの様な理由で、誰が、誰に対して、どの様にして、援助するかを明確にしておかなくてはならないと言う事ですね。

 

この点を明確にしておかないと、実際に、援助を実施する段階で、社会の現状はすごく複雑ですから、色々な状況が現れますので、その時に、どう対処するのか、その基本的な基準を明確に持っていなければ、現実に対応できなくることが想定されるのです。間違いなく、難しい事態が発生するでしょう。

 

例えば、個人が、その判断で、どのようにして援助するかは、自由ですが、行政が援助するとなると、分かりきった事ですが、税金を使用して、援助すると言う事になるわけです。

税金を使うとなると、その目的・方法を明確にしておかなくてはなりませんな。あったりまえのことです。

この点を明確にせずに、闇雲に目先の補償に走ると、とやかく問題が発生してくるのですよ。

 

そこで、まず最初に、そもそも損害補償をしなくても良いのか、あるいは、本来はしなくても良いのだが、現状を鑑みて、損害補償をした方が良いのか、あるいは、本来損害賠償をしなくてはならないものなのか、と言う基礎的な問題をクリアーしておく必要があるように思われるのですよ。

 

このあたりの問題を、すっきりさせておかなくては、たとえ損害賠償をするにしても、また、しないにしても、損害賠償をする方も、される方も、納得がいかない状況になってしまう恐れが生ずるのではないのかと思われるのですよ。

 

半惚ジジーの独偏(独断と偏見)では、現状は、初めは、テレビで、国民に10万円支給すれば良い、とする政治的意見がある、と言うような報道がありましたね。

何のために、誰が、誰に、どうやってと言うような具体的な内容は、全く分からないまま、10万円支給すれば良い、と言う意見のあることが、テレビで流されていましたね。

 

これが引き金になったのかどうかの事情は詳しく知る由も御座いませんが、政府がこの問題を取り上げて、何処でどうなったのかよくは知りませんが、半惚ジジーに伝わって来たところでは、政府が必要な条件を設定して、それに合う人には、30万円を上限として支給するようにした、と言うようなことでしたよ。

詳しい具体的な内容・経緯は、きちんと認識はできませんでしたね。

とにかく、政府が設定した条件に合う人には、30万円を上限として支給する、と言う方向で、政府の意見がまとまったようだ、と言うことが、伝わって来ましたね。

また、これは、その直前に国会で成立させた補正予算外で行うものだ、と言うことが、伝わって来ましたね。

何を目的としたものかについては、「緊急経済対策」であり、「新コロ」流行により、収入が減少した一定基準以下の人への支援と言うような事でしたかね。

 

この支援金給付の目的は、「緊急経済対策」としているから、「新コロ」の流行によって生じた経済の冷え込みに対する、政策の一つとして行うものだ、と言うのが政府の立場とみられますね。

すなわち、砕いて言えば、「新コロ」の流行によって、低所得層が経済的に困窮している。そこで、政府の方で設定した条件に合う低所得者に、現金で30万円を上限として支給する。このようにすれば、低所得者の助けになるし、支給した30万円が生活費として使用されて、市場に出回ることになるので、経済活性化政策上も望ましい、と言うような判断に基づくものと理解されましたね。

 

ところが、この支給が政府で決められてすぐに、設定された条件では、手続きが極めて複雑で、支給されるまで随分時間がかかる。すなわち、今現在困っている人に、直ぐに支給してあげなくては意味がないのに、実際に支給するまでに時間がかかりすぎる、スピードに欠けると言う批判が出て来ましたね。

また、支給する対象が狭いとか何とかと言うような意見が湧き上がって来たようでしたね。

 

こんな状況で、色々ガヤガヤ騒がれている内に、突然、総理が、条件つきの30万円の給付はチャラにして、国民一律に一人当たり10万円を支給するようにしたい、と言い出しましたね。

そして、これは、先に成立させていた補正予算の内でやる事にする。と言い出したのですね。

すなわち、一度国会で決めた補正予算を破棄し、組み替えが必要になった、と言う、前例のない、かなり大きな変更という内容ですね。

そして、条件つき30万円の目的は、何だか明白を欠くところが御座いましたが、主に、低所得者への援助と言う意味合いがあったもののように感じていましたね。すなわち、このような税金の使い方は、妥当である、と言う世論が強かったように思われましたね。

 

ところが、今度の10万円支給は、国民一人当て、一律10万円の支給、と言うことで、低所得者への援助と言う意味合いが、何処かへ吹っ飛んじゃったのですよ。

 

すなわち、支給の目的が、全く違ったものになっているのですよ。支給をすると言う目的の最も基礎部分が変わっちゃったのですね。政策の発想が、コロッと変わっちゃったのですよ。

 

すなわち、この点についての安倍総理の説明では、

 

「ほとんどの国民の皆様が外出を自粛しなければならない。どうなるかという不安のなかにある。ここは国民みんなでこの状況を乗り越えて行くということにおいては、一律10万円をすべての国民の皆様にお配りするのが正しいという判断になった」

 

と言うのですよ。

なんやら、分かりにくい総理のご説明ですが、独偏(独断と偏見)で強いて分かり良く言えば、最も苦しい状況にある低所得者への援助よりも、「新コロ」感染防止のために、我慢して外出を自粛し、不安の中にいる国民に、この窮地を乗り越えるために、一律10万円を配るのがより正しいことだ、と言うことですよね。

 

これは、安倍総理の記者会見で出た、総理自身の声ですが、なんだかゴタゴタしている中、与野党の国会議員の先生方が、寄ってたかってこのような判断に至った、と言う結論で、安倍総理も、結局は、低所得者への30万円給付を撤回し、全国民へ一律10万円を給付することに、賛同したと言うことです。

 

なんだかよく理解できませんが、この全国民への一律10万円の給付の目的は、結局は、「新コロ」感染防止のために、外出を自粛し、どうなるか分からない不安に耐えている国民に対して、この事態を乗り越えるために配る金だと言うのですから、なんと言ったら良いのか、選ぶ言葉に窮しますが、要するに、うんと分かり良く言えば、不安に耐え忍んでいる国民に、一度徴収した税金、あるいは新しく発行する赤字国債から 1人に付き、10万円ずつ配りますよ、と言う事ですね。

 

さすれば、これは、例えば慰労金あるいは慰謝料とでも言うべき性格のもの、と理解すれば良いのでしようかね。

この施策の意味するところが、今一つ分かりませんね。こんな施策は、すなわち、国民が不安に落ち込んでいるから、その窮地を乗り越えさすために、一人当たり一律10万円を支給するのだ、と言う政策は、これまで見たことがありません。生活に窮しているから、その救済のために現金を支給する、損害を被っているので、その補償の意味で、現金を支給する、と言うようなことであれば、分かりいいのですが。

そうではないのですよね。

すなわち、精神的に苦しい思いをしているので、その謂わば慰労とか慰謝とでも言うような意味合いで、現金を給付すると言うことなのですよ。

 

こんな何だか訳の分からない目的で、国費をばらまいて良いのでしょうかね。

実際に、「新コロ」のせいで、生活が窮地に追い込まれてしまった人々は、なにはともあれ、現金がもらえれば助かりますね。

この点については、国民の多くは、とやかくは申さないと思われますね。

しかし、より多数を占めると思われるサラリーマンの世帯では、そう早急に現金がなくては、明日の生活に困る、という状況ではないのでは、とも思われますよね。

しかし、多くの国民は、貰えないよりは、貰える方が良い、と言う立場でしょうから、何だか儲かったような気になるのですよね。

 

「新コロ」対策に関わる国民への給付金の発想は、最初は、落ち込んでいる経済の活性化の一助とする目的で、「緊急経済対策」として出て来たように言われていましたね。

要するに、国民に金を与えて、これを使わせることにより、冷えた経済を活性化させる狙いで始められた、と言うことですよ。誤解であったら、御免なさい。

さらに、経済の冷え込みで低所得者の生活が、極めて困難な事態になっているので、その救済の意味が込められた、と言うように理解されて来ていて、条件付きでこの救済的な意味が強い目的で、一旦は、30万円給付に落ち着いたかに見えたのですが、これがその様に決めた当の政府与党や野党からも、一律10万円給付へと変更の圧力がかかって、総理はあっさりとそれに乗り換えた、と言う事態のようですね。

 

モー、ナンやナンやですよ。

いくら「新コロ」絡みとは申せ、こうコロコロと変わられてはね。ホンマに定まらない総理でんなー。

 

だいたいにおいて、

 

「ほとんどの国民の皆様が外出を自粛しなければならない。どうなるかという不安のなかにある。ここは国民みんなでこの状況を乗り越えて行くということにおいては、一律10万円をすべての国民の皆様にお配りするのが正しいという判断になった」

 

と言う言い草は、一体、どう言う魂胆なんでしょうな。

経済対策とか、低所得者救済対策とかなら、話はわかりますよ。

国民は、外出を自粛し、行く末の不安の中にある。この状況を乗り越えるために、一律10万円をすべての国民配るのが正しいという判断だ、と言うのですよ。

意味が分かりますか。これに、大雑把な計算で、日本の人口約12,500万人×10万円の国費を使う、と言うのですよ。

必要な時、必要な所へ、適切な理由で国費を使うのは、当たり前の事で、おかしな話だと言っている訳では御座いませんよ。

しかし、何だか訳の分からない目的のために、こんな莫大な国費を使っていいのかねー。

 

もう少し、国民がなるほどと言う目的の設定が出来ないものですかねー。

 

本当のところは、「新コロ」について、これまで打った政府の対策は、すべて後手後手で、端的に言えば、失敗続きで、思うように「新コロ」の感染を防げなかった。ために、こんなに広がってしまった。その罪滅ぼしに、迷惑をかけてしまった国民に、慰謝料として、10万円を配布することにした、とでも、本当のところを言った方が、国民としては納得できますよ。この是非はともかくとしてですね。

 

国費を使うからには、その目的を明確に設定してもらわないとね。

こんな訳の分からない理由を掲げて、国費をばらまかれても、すっきりしないのですよ。

また、バラマキを実施し始めると、この実施の段階で、おそらく色々な問題が発生すると思われますが、その時に、適切な目的を設定してないと、対処する拠り所がないのですよ。

結局は、ばらまいてから、その目的をとってつけるようなやり方をすることになるのでしょうね。

その結果は、わかってますよね。

安倍総理お得意の、いい加減な言い訳と嘘で誤魔化しをしなくてはならない事態となるのですよ。

記憶にある近時では、森友にせよ、加計にせよ、桜を見る会にせよ、いい加減に誤魔化し続けて来たのではないのか、と言う疑惑が続いていますからね。

 

さらに、安倍総理が、国民に一律10万円を配布すると言ったら、すぐさま、麻生副総理が、欲しいと手を挙げた奴だけに配るのだ。欲しくない奴には、配らない。

こう言うことを公言するのですよ。

何も麻生さんの財布から、お恵みを頂く、と言う事では御座いませんよ。どんな感覚をお持ちなのでしょうかねー。

 

もー、この政府は、一体どうなっちゃっているのだ ?

何でも、言い放題か ?

もはや、政府としての体をなしておらず、とっくのとーに、崩壊してますなー。

この先、どーなるのだ。

 

ここではもっぱら国民に対する現金の配布について見てきましたが、他に、企業に対する補償など、その他種々の支援金と言うのか、助成金と言うのか、援助金と言うのか、様々な要するに金銭の支給がなされるようですなー。

これも、結局は国費を使う訳だから、目的を、明確にしてもらわないと、いけません。

何やら、訳の分からないバラマキが行われたのではたまりませんよ。

必要なところに金を出すのであれば、納得できますから、筋の通った政策でなくてはなりませんよね。

 

これからどんどん企業の倒産も増加するでしょうね。このことは、ストレートに失業者が増加し、今日の生活にも窮する人が、沢山出ると言うことです。

想像を絶する事態が、現実となるかも知れませんね。

この時に、いい加減な政策をやられたのでは、たまったものではこざいません。

いつもいつも一律10万円を支給できる、大金持ちのお国様が、存在している訳ではございません。

要するに、まともな政策をお願いしたい、と言う事ですよ。

 

気にかかるのは、安倍総理のマスク顔を見ると、もうすっかりアゴを出していることです。

 

本日も、ダラダラとつまらぬことを書き連ねまして、恐縮です。お付き合いくだされ、随分お疲れのことでしょう。半惚ジジーも、かなりまいっておりますので、これくらいで止めにします。

 

懲りずに、またのお越しをお待ちいたしております。

 

お後がよろしいようで