《停念堂閑記》116

《停念堂閑記》116


「停念堂寄席」69
 

「何考えて生きてるの ?」8
 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。
厚く御礼申し上げます。
遠路はるばるかどうかは、存じませんが、本当に、よくいらっしゃいましたね。
遠路はるばるとは申せ、よもや「停念堂閑記」に徒歩でやって来られる御方は、おられないでしょうな。そんな御方がいらっしゃいましたら、是非是非お会いしたいもので御座いますが。
とにかく、徒歩で来ようが、泳いで来ようが、はたまた車でも、電車でも、新幹線でも、飛行機でも、ロケットでも、何であろうと構いませんが、要するに、いらして頂ければ、大歓迎で御座いますよ。
もっとも、ロケットで来られますとね、駐ロケット場など持ち合わせが御座いませんので、一つご勘弁のほどを。せいぜい、自転車ででも、お願いできれば、幸甚で御座います。
ところで、本当のところは、徒歩でも、ジョギングでも、マラソンでも、泳いでも、自転車でも、車でも、電車でも、新幹線でも、飛行機でも、ロケットでも、はたまたミサイルであろうと、実は、来ることが出来ないのですよ。
貴方だけに、こっそりとお教えしますね。たいして、難しくは御座いませんよ。ただね、必要欠くべからざるものがあるのですよ。
それは、パソコンかスマホなのですよ。それでね最近の作は、Googleまたはyahooのサイトから、「otakatsuyaのブログ」を検索すれば、《停念堂閑記》に辿りつけますから。これだけでいいのですよ。
一般の交通手段では、永久に辿り着けませんので、どうぞ、ご注意下さいませ。蛇足ながら。
辿り着いてくれさえすれば、大歓迎で御座いますよ。
とは申せ、大歓迎と言いましても、高価な美味しい料理でおもてなしをするわけでも、温泉に入って頂いて、とりあえず冷えたビールをグイーッとやって頂くわけでも、肩をお揉みするわけでも、お好みのスイーツをお楽しみ頂くわけでも、御座いません。
ついでに、お友達と連れ立って、ゴルフにご招待する訳でも御座いません。
粗茶の一杯すら出ませんよ。炉端焼き店にだって、行くわけでは御座いませ。ポイントだって付きませんから。
このような点は、まー、一言で申しますと、ケチですわ。いや、ドがついて、ドケチと言うべきですなー。
しかし、公金や裏金を使って、どうのこうのと言う事情は、一切御座いませんので、この点は公明正大で御座いますので、どうぞご安心下さいませ。
余計な話ですが、おもてなしのゴルフや炉端焼き店の費用は、やっぱり国民の税金が当てられるのでしょうね。(蛇足ながら、どこぞの総理が、どこぞの大統領を接待した時の事ですよ。そんな事、いちいち言われなくても、分かってますよね。)
いやいや、招待者側の負担、ポケットマネーに決まってる、てですか。
いやいや、割り勘、割り勘ですよ。当たり前の事でしょう。ウイン ウイン てやつですだよ。
 
強いて、幾分カッコ付けて申し上げますと、心の問題とでも言いましょうかね。
おヒマなお方、心を込めて、大歓迎で御座います、と言う次第なのですよ。
まだ明けやらずの暗い内から、パッチリと目が覚めてしまいまして、サー今日一日、どのように過ごすか。と言う難題の下に日々をお過ごしの方々も多々いらっしゃられるのではないでしょうか。
これをしなければ、と言う特別なすべき用事も無く、何処へ顔を出しても、たいして歓迎されるわけでもなく、しかし、なんとか今日一日を過ごさなくてはならない、と言う御事情のお方、このような同朋の御方々を心より大歓迎するのが、「停念堂閑記」なのですよ。
 
話は、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話で御座います。深刻にならないところが、取り得ですよ。
夜、眠れなくなったりしませんからね。
もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。
 
なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。
お互いに、持て余しているヒマを、適当に、好い加減に、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ダメなのですよ。大して関係のない余計なことを交えたりしましてね。
しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。
手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。
至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。
張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。
打倒、閑、ひま、ヒマーッ!
A A O!  エイエイ、オー!
ヒマ潰しとは申せ、些か次元の低い、掛け声でんなー。
   
では、参ります。 

さて、本日は、「何考えて生きてるの ?」と言うことをテーマとして、ヒマ潰しのそれはそれは、とってもクダラナイ、取って置きの無駄話を、少々したいと、思うのですだよ。
とは言え、最初にお断り致しておかなくてはなりませんが、たいした話では御座いませんよ。例のごとく。所詮ヒマ潰しの無駄話ですからね。その点を四六四九お願い致しますよ。

さてと、人それぞれ何考えて生きていようと、大きなお世話と言うものでしような。
他人に、とやかく言われる筋合いのものでは、御座いませんよ。
しかし、ですよ。ここは、ヒマ潰しの場ですからね。これをネタに、色々と、そのー、ヒマ潰しをね。何とかしようと言う魂胆なのですだよ。

分かっているから、さっさと進めろ、ってですか。
それでは、行かせて頂きます。


さて、以前から、若干気にかかっている事があるのですだよ。
それは、ですね。「上から目線で・・・」と言うやつですだよ。
近頃は、若い人が発する場合が、多いようですなー。
すなわち、若い人が、「上から目線で・・・」と感ずる場合が、多いようだ、と言う事ですわ。
最近、至る所で、しょっちゅう見聞きするような気がしますなー。

とにかく、上から見下されたと感ずると、途端に、カチンとくる若い御方が多いようですなー。

なーんでか。

それは、ある程度の年配者は、それなりに世間慣れしておりますので、いわゆる従来から続いている社会的な序列に関わる心得がありますので、上から目線に出会う事に慣れている。だから、いちいち「上から目線で・・・」と言う事に、カチンと来る事が少ない、と言う事情があるのでは無いでしょうか。
それに対して、若い人は、家庭で何かにつけて、褒められて育った方が多いのでは御座いませんかね。
だから、社会に出て、褒められなかったり、叱り飛ばされたりする事に、慣れていないのでは無いのでしょうか。すなわち、若いので低く見られがちと言う事に対する免疫が出来ていない場合が多いのでは無いのかなー、なんて思ったりするのですよ。
そこで、すぐに「上から目線で・・・」と言う感情が湧くのでは御座いませんかねー。

勿論、すべてが、そーだ、と言うことでは御座いませんよ。人間各自が、同権で、身分に上下をつけてはならないと言う、信条をお持ちの方は、年齢だとか、社会的な地位などよって、人間関係に上下を持ち込むことは、あってはならない、とする立場を大事にする、と言う事情は御座いますよ。

ここで申し上げているのは、そのようではなく、軽い感情的ことに起因する「上から目線で・・・」と言うヤツなのですよ。
こちらは、比較的単純な動機による場合が多いのではないのか、と思ったりするのですよ。

と言うことで、ここでは、取り敢えずは、アッシの独偏(独断と偏見)により、比較的単純な動機による場合を見ておこうと言う事ですだよ。

「上から目線で・・・」と言うことは、多分人間関係の基本を、各人の上下関係に置いている判断なのでは、と思うのですだよ。
要するに、人間関係の根底には、上下関係がある、と認識されているのでは、と言う事ですよ。
すなわち、人間関係における上下関係を是認しており、人間関係において、各人が対等であるべきとする事を基本としてはいない、と言う事ですよ。
要するに、「上から目線で・・・」と言うことは、「私のことを低く見て」と言う事に、憤っていると言うことですわなー。
と言うことは、ひっくり返して言えば、自分が上の立場の場合は、憤りを感ずることはない。むしろ、快感となる、と言うことですなー。
とすれば、お互い様ではないのか。何も、「上から目線で・・・」で、といちいち憤ることはないのではないのか?
要は、人間関係において、常に上下関係を設定せず、人間すべからく、同位の目線で、対等の立場で応対すべきとする立場とは、自ずと異なると言うことですなー。
しつっこく言いますと、人間関係を各人同位とする立場であるべきだ、と言う立場をとる場合は、「上から目線で・・・」と言う事態が発生すれば、当然、憤りが発生して然るべきで、「上から目線で・・・」と言う発言が発せられて、然るべきですなー。
しかし、人間関係において、各人の上下関係を黙認している場合に、「上から目線で・・・」で、と憤ることは、少々可笑しいんではネーの、ちゅー事になりませんか。
要するに、自分が持ち上げられている場合は、当然の事と許せるが、自分が低く見られた場合は、もー、許せネー、と言うのは、どうしたものか、と言う事ですだよ。
ハッキリと申させて頂きますと、とかく「上から目線で・・・」と、おっしゃる方は、人間関係において、各人対等であるべきだ、という基本的立場ではなく、往々にして、自分が上から目線で応対したいと言う願望の持ち主だったりするのではないのか、と言うことですだよ。
さらに、わかり良い例では、「アイツは、金銭に細かいよな」なんてよく言う輩は、とかく、かく言う当人が金銭に細かかったり、と言う場合がありはしませんか ? と言うことですだよ。
要するに、俗っぽく言って仕舞えば、「あのヤロー、デケー顔しやがって・・・」と憤っている方は、往々にして、当人がデケー顔をしたい、と言う願望が強いのではないのか、と言う事で御座いますだよ。
しっこい、繰り返しで、恐縮で御座います。

世間では、人間関係において、上下関係と言うのは、否応無しに存在してますよね。

例えば、大相撲界においては、横綱と序の口では、もーこと大相撲に関しては、これはどうにもならない、歴然とした格差が存在ていますよ。だから、横綱からは、得てして、上から目線でモノを言われても、ごもっとも、と言う状態で、下の者は、いちいち「上から目線で・・・」と、カチンときて、憤ることは少ないのですよ。きっと。至極、当然の事態と認識されるのですよ。
しかし、大相撲とはかけ離れた事になると、これがこうとも行かない事態となる事があるのですよ。
例えば、スマホのゲームに関して、やたらと詳しい序の口力士がいて、ことゲームについては角界一、と自負している者がいた場合、スマホのゲームに関しては、とかく「上から目線・・・」と言う事態になったりするのですよ。
ことスマホのゲームに関しては、序の口力士が横綱で、横綱が序の口で、と言う序列になったりするのですよ。
そしたら、相撲界の横綱が「あのヤロー、上から目線で・・・」と憤る事が生じたりするのですだよ。
また、それとは反対に、ゲームに関して、相撲界の横綱が知ったかぶりのウンチクを語ったりすると、序の口力士は、「上から目線で・・・」と、憤ったりすることもあるのですだよ。

要するに、世間一般的には、各個人がそれぞれ自分の位置を自覚していて、同等かあるいは下位と認識している者が、いわゆる偉そうな行為をした場合に、「上から目線で・・・」と言う、憤りが発生しやすく、一般的に自他共に、自分よりは上位と認識している人の行為については、あまり「上から目線で・・・」と言う憤りを、生じさせることは、少ないのでは無いでしょうか。

どうも、最近の「上から目線で・・・」と言う発言は、単純に見下された、と言う感情的なものの様に見えたりすることが多いのですだよ。
例えば、課長に呼びつけられた新入社員が、仕事上の不手際で、手厳しい注意を受けた場合に、新入社員が、課長のヤツ、「上から目線で・・・」と言う事態になったりするのですよ。
ここでは、会社の組織に関わる上下関係は問題とされず、ただキツイ注意を受けた事に対する反発、要するに注意を受けた事に対する感情的な反発が、「上から目線で・・・」と言う事態となるのでしょうね。

すなわち、「上から目線で・・・」と言うことの内容が、どうも事の本来の内容よりは、その時に発せられた、上とされる者の用いた表現に、カチンなのではないのか、と言う気がするのですだよ。

すなわち、事の内容については、とかく難解さを伴う場合があり、容易に理解し難い場合が御座いますが、こと表現については、内容に関わらず、感情的に受け止め易い特徴がありますね。
だから、一般的には、内容についてよりは、表現に対して反応し易い傾向が強いのでは、と思われますよねー。

要するに、よく聞かれる「上から目線で・・・」と言われる場合、その内容と言うよりは、その表現にカチンとくるところがある、と言う場合が多いのでは無いのかと思われるのですが、どうでしょうね。

世の中、一般的に、内容よりは、表面的な要素に引っ張られる事が多いですよね。
分かり良く言えば、見栄えがするもの、耳障りの良い事などに、人は快く反応するようです。
料理だって、食堂に出かけると、まずは、ウインドーのサンプルで品定め。見るだけだから、まだ、味はわからネー。意を決して、入店。そして、メニューで再度品定め。多くは、見た目、見てくれで注文。食べる前だから、味はまだわからない。
注文品が来ると、まずは、食べる前に、しげしげと眺めて、SNS用に写真、写真と。写真を撮り終えて、それから、ようやく食べてみるかなー、と言うような順で展開されますなー。
ここまでは、すべて見てくれによる判断ですだよ。
スマホの無かった時代でも、視覚による判断が、断然多かったのですよ。
だから、人間、見た目が第一と言う事なのですわ。
要するに、事がどのように表現されるか、と言う事が、最も大事な点となっているのですよ。
だから、上司に注意されたその内容よりも、上司の注意の仕方、その表現に「上から目線で・・・」と言う事になるのですよ。きっと。


ここから寄り道。余談です。

上司に注意されたその内容よりも、上司の注意の仕方、その表現に「上から目線で・・・」と言う事になるのですよ。きっと。

この場合、注意された側が、ひどく傷ついた場合には、いわゆるパワハラ問題へと展開したりもする事になるわけですよ。
パワハラ問題になると、社内の問題で治らず、訴訟へと発展する場合も、想定されますなー。
これが、マスメディアが関心を持つ事態になったりすると、元となる社内での上司による新入社員に対する注意に関わるそもそもの原因は、社内の問題であるので、あまり深く取りざたされることは無いようですが、パワハラの方は、社会的な問題として、大きく取り扱われがちのようですな。
すなわち、マスメディアでは、専らパワハラ問題として、報道する事になり、事の本来的な事態については、殆ど見向きされない傾向が見られるようですね。

例えば、度々マスメディアで大きく取り上げられている教師の生徒に対する暴力行為の事件などが御座いますなー。
先生が、生徒を殴った、となると、今や大騒ぎとなりますなー。
事情どうあれ、殴った先生は、暴力教師と言うレッテルを貼られて、当該学校から追放の身となるようですなー。
先生は、いかなる事情があっても、生徒に暴力を振るってはならない、と言うことは、今や不文律となってますから。これは、これで、よしとされている現実です。これに、横から水をさすつもりは、毛頭御座いませんよ。
しかし、このようなマスメディアの報道がなされた時には、何時も、気にかかるのは、当該先生が何故に、当該生徒に手をあげる事になったのか、と言う、事件の内容に関する事情なのですよ。
暴力を振るいたくて、生徒に手を挙げた、なんと言うことは、言語道断ですが、一般的には、先生と生徒の間に何らかの事情が存在していて、それが元で先生が生徒に手をあげる事になった、と言う、経緯があるはずですよ。これが、当該事件に関する、最も注目される事柄の一つなのですね。
勘違いしないで下さいませよ。この事情によって、生徒に手を挙げた先生の行為の是非を判断しようと言うのでは、御座いませんよ。暴力行為は、いけない事に何の変化も御座いません。
要は、この事件の真相を知りたいと言う事なのですよ。
得てして、マスメディアでは、当該先生の暴力行為の側面を中心に報道するわけですが、やっぱり、何故にこのような行為が発生したのか、と言う側面も気になるのですよ。
しかし、そこには、マスメディア側の事情があるのか、例えば、暴行を受けた生徒が、まだ、未成年者であると言う事情からか、こちらの側面は殆ど取り上げられない、と言う場合が多いように感ずるのですよ。
しかし、そこには、何らかのそれなりの事情があった事は事実でしょうから、こちらを見ないふりするのは、やはり、如何なものか。と言う気がするのですよ。
すなわち、当該事件について見れば、事件そのものの内容と、それに伴う先生の暴力行為に関わる事柄の両側面があるにかかわらず、マスメディアでは、先生の暴力行為だけが、大きく取り上げられる事になるので、いまひとつしっくりこないところが残るのですよ。
くれぐれも誤解しないで下さいませよ。先生の暴力行為を擁護しようと言うのでは、御座いませんよ。これはこれで、キッチリした結論を求めなくてはなりません。


さて、「上から目線で・・・」と言うことと、パワハラ、暴力教師との関係は、直接的には、関係が御座いませんよ。
本話の、行き当たりバッタリと言う流れで、かくなる事態に陥った、と言う状況で御座います。

 

話を本題に戻します。
要するに、人間、本来上下なく、同位の目線で接するべきのところ、小馬鹿にした態度で接してくる人に対しては、「上から目線で・・・」と憤ることは、あって当然と思いますなー。
しかし、単なる感情で、あのヤロー「上から目線で・・・」、と憤慨するのは、あまり意味のあることでは無いように感じますなー。
「上から目線・・・」とおっしゃられるのは、最近の流行になっている感が御座いますが・・・。

人間、社会的や組織的に上部の存在と自認しているお方は、とかく、か、間違いなくかは、個体差があるかとも思われますが、「上から目線」で接してこられるお方は、多いですよねー。

《稔るほど 頭を垂れる 稲穂かな》となるには、それなりの稔りがあってこそで、誰にでも、と言う訳にはいかないのでしょうなー。

シイナのアッシなどは、年甲斐もなく、所詮、「あのヤロー、上から目線で」とボヤクばかりでんなー。

と言うことで、「何考えて生きてるの ?」と聞かれたら、今日は、こんなこと思ったりして、ヒマ潰ししたのだよー、と答えるだけですなー。


相も変わらぬ、殆ど意味不明の話にお付き合い下さって、お疲れ様で御座います。
懲りずに、どうぞまたのお越しをお待ち申し上げます。


お後がよろしいようで