《停念堂閑記》114

《停念堂閑記》114


「停念堂寄席」67
 

「何考えて生きてるの ?」6
 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。
厚く御礼申し上げます。
遠路はるばるかどうかは、存じませんが、本当に、よくいらっしゃいましたね。
遠路はるばるとは申せ、よもや「停念堂閑記」に徒歩でやって来られる御方は、おられないでしょうな。そんな御方がいらっしゃいましたら、是非是非お会いしたいもので御座いますが。
とにかく、徒歩で来ようが、泳いで来ようが、はたまた車でも、電車でも、新幹線でも、飛行機でも、ロケットでも、何であろうと構いませんが、要するに、いらして頂ければ、大歓迎で御座いますよ。
もっとも、ロケットで来られますとね、駐ロケット場など持ち合わせが御座いませんので、一つご勘弁のほどを。せいぜい、自転車ででも、お願いできれば、幸甚で御座います。
ところで、本当のところは、徒歩でも、ジョギングでも、マラソンでも、泳いでも、自転車でも、車でも、電車でも、新幹線でも、飛行機でも、ロケットでも、はたまたミサイルであろうと、実は、来ることが出来ないのですよ。
あなただけに、こっそりとお教えしますね。たいして、難しくは御座いませんよ。ただね、必要欠くべからざるものがあるのですよ。
それは、パソコンかスマホなのですよ。それでね最近の作は、Googleのサイトから、「otakatsuyaのブログ」を検索すれば、《停念堂閑記》に辿りつけますから。また、以前の作は、yahooのサイトで検索して頂ければれば、辿りつけます。これだけでいいのですよ。
一般の交通手段では、永久に辿り着けませんので、どうぞ、ご注意下さいませ。蛇足ながら。
辿り着いてくれさえすれば、大歓迎で御座いますよ。
とは申せ、大歓迎と言いましても、高価な美味しい料理でおもてなしをするわけでも、温泉に入って頂いて、とりあえず冷えたビールをグイーッとやって頂くわけでも、肩をお揉みするわけでも、お好みのスイーツをお楽しみ頂くわけでも、御座いません。
ついでに、お友達と連れ立って、ゴルフにご招待する訳でも御座いません。
粗茶の一杯すら出ませんよ。炉端焼きにだって、行くわけでは御座いませ。ポイントだって付きませんから。
このような点は、まー、一言で申しますと、ケチですわ。いや、ドがついて、ドケチと言うべきですなー。
しかし、公金や裏金を使って、どうのこうのと言う事情は、一切御座いませんので、この点は公明正大で御座いますので、どうぞご安心下さいませ。
 
強いて、幾分カッコ付けて申し上げますと、心の問題とでも言いましょうかね。
おヒマなお方、心を込めて、大歓迎で御座います、と言う次第なのですよ。
まだ明けやらずの暗い内から、パッチリと目が覚めてしまいまして、サー今日一日、どのように過ごすか。と言う難題の下に日々をお過ごしの方々も多々いらっしゃられるのではないでしょうか。
これをしなければ、と言う特別なすべき事も無く、何処へ顔を出しても、たいして歓迎されるわけでもなく、しかし、なんとか今日一日を過ごさなくてはならない、と言う御事情のお方、このような同朋の御方々を心より大歓迎するのが、「停念堂閑記」なのですよ。
 
話は、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話で御座います。深刻にならないところが、取り得ですよ。
夜、眠れなくなったりしませんからね。
もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。
 
なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。
お互いに、持て余しているヒマを、適当に、好い加減に、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ダメなのですよ。大して関係のない余計なことを交えたりしましてね。
しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。
手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。
至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。
張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。
打倒、閑、ひま、ヒマーッ!
A A O!  エイエイ、オー!
ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。
 
  
では、参ります。 
それでは、そろそろ本題に入らせて頂くことに致します。

 

さて、本日は、「何考えて生きてるの ?」と言うことをテーマとして、ヒマ潰しのそれはそれは、とっても下らない、取って置きの無駄話をしたいと、思うのですよ。
とは言え、最初にお断り致しておかなくてはなりませんが、たいした話では御座いませんよ。例のごとく。所詮ヒマ潰しの無駄話ですからね。その点を四六四九お願い致しますよ。

さて、何考えて生きていようと、余計なお世話と言うものでしような。
他人に、とやかく言われる筋合いのものでは、御座いませんよ。
しかし、ですよ。ここは、ヒマ潰しの場ですからね。これをネタに、色々と、そのー、ヒマ潰しをね。何とかしようと言う魂胆なのですよ。

分かっているから、さっさと進めろ、ってですか。
それでは、行かせて頂きます。


「何考えて生きてるの ?」
なんて、会う人会う人に聞いてみると、大体の答えは、何も考えてないよ。と言う答えが多いですなー。
しかし、これは真っ赤な嘘ですよ。
人間、生きている限りは、欲望、願望とは切っても切れない状態にありますからなー。
まー、言っちまえば、命と欲望、願望は一体化しているようですなー。
早い話、普通、欲望、願望がなくなると、命の存在が危くなるようですだよ。
一例で、分かり良く言えば、食欲がなくなった。と言って、何も食べないでいたら、確実に死んじゃうよ。
大体は、死ぬのは嫌だから、食べないわけにはいかない、と言う事で、まずは、食べることに考えが及ぶわけですだよ。
大抵は、食べる事に関したことを考えてますよ。
欲望、願望がなくなると、何のために生きているのかが分からなくてなっちまいますからね。
欲望、願望がある限り、命がある限り、生きている限りは、何んにも欲望、願望がなくなると言うことは無いのですよ。
よって、欲望、願望がある限り、人間何も考えないと言うことは、まず、無いのですよ。
たとえ、チョコちゃんに、ヌボーッとして生きてんじゃーねーよ、と言われたとしても、人間、生きている限りは、何にも考えないと言うことは絶対に無いのですよ。
絶対と言う言葉は、なかなか使用が難しいところがあるのですが、この場合は、絶対と使って間違いは無いでしょうな。

特別に、これと言う課題があれば、当然そのことについて、色々と考えることになるでしょう。
しかし、特別な課題がなくても、生きていくために、何か考えているものですよ。きっと。
毎日、毎日の日常で、人間の考えることは、色々と御座いますでしょうが、一般には、衣食住に関わることを考える場合が多いようですなー。
そして、日常で厄介なことは、子育て、家族関係、ひいては、人間関係に関わることを考えることが多いようですなー。
勤め人の場合は、当然、関わっている仕事関係のことを考える時間が多くなるでしょうな。これは、特別の課題を持っている場合に属する事柄ですよ。

時に、じゃー、あんたは「何考えて生きてるの ?」と、逆襲されることがあるのですよ。やぶ蛇でんなー。

かくゆう小生はですね。朝目覚めて、まずは、今日も生き長らえてるなーと、しみじみと自覚するわけですだよ。
そして、今日は、何をして、ヒマ潰ししようかと、悩まなくてはならないハメに陥る事と相なる次第なのですだよ。連日、これですわ。
そして、毎日、「アリンコは、自分が何故アリンコなのか、と言うことを考えたことあるのかな?」と言う難問に立ち向かわなくてはなりませんしね。
アリンコの自己存在に関する答えを得ることは中々難しいですが、その他にヒマ潰しの材料が無いものかと、それはそれは色々と悩むのですよ。
その悩んだ一つの結果がこれですわ。
人は、「何考えて生きてるの ?」と言うことですわ。
今日は、この課題で、ヒマ潰しをしようと言う次第なのですよ。

 

ところで、20東京五輪の開幕が日一日と近付いて参りましたなー。
マスメディアでは、毎日毎日金メダル獲得に関わる話題で盛り上げていますなー。
皆んな金メダルが、殊の外大好きなようで。
有望アスリートの皆さんは、マイクを向けられると、まず、全員の方が、間違いなく、金メダルとおっしゃいますなー。
もっとも、見込みの薄い方には、マイクが向かないようですが・・・・・。
と言っても、マイクがやって来ない方だって、内心淡々と金メタルをと思っていることでしよーあなー。
しかし、皆んなが皆んな金メダルと言う答え一色になると、へそ曲がり族にとっては、9月の時節柄もあって、アキが来たりしますなー。
どうして、ああも一致して金メダルと言うことになるのですかね。
これが、大相撲となると、マイクがやって来ると、いきなり優勝を口にする力士は少ないですよ。中にはいないでは無いですが、このような力士は、大体は、千秋楽のマイクでは、来場所こそは、と言っている人が多いようですよ。
大相撲では、あまり勝負にこだわり過ぎるのを良しとしない伝統的な教えがあるようですが。
五輪では、メダルに手が届くと、委細構わずガッツポーヅで、国旗を掲げて走り回る光景が一般的ですなー。
大相撲の場合は、優勝力士が、優勝旗を掲げて、土俵を駆けずり回ることは、ありませんなー。
優勝旗を担いで、四股でも踏んでハシャグ光景も、見たことが在りませんな。
大相撲に関わる日本の伝統的美意識がそんなことを、許さないのでしよーなー。
中には、誰とは言いませんが、優勝者自身が、突然音頭を取って、万歳三唱をやってのけた力士がいましたなー。後で、相撲教会からお目玉を食らったようですが・・・。
もっとも、一緒に万歳をやっていた日本人観客が多かったから、日本的美意識も変化して来ているのでしよーかねー。
イーヤ、何も考えてねーのじゃーねーの。

 

ところで、大相撲について、一言、二言言いたい事があるのですだよ。
まず、一つは、立会いについて、文句をつけたい気分でいます。
最近、時間いっぱいの立会いに際して、行司マッタが結構目立ちますなー。
現在の大相撲のルールでは、時間いっぱいの仕切りの際は、ちゃんと両手を土俵面に付けてから、立ち上がらなくてはならない、と言うことのようですな。
取り組む両力士が、仕切りに際して、呼吸があって、立ち上がり、鋭い勝負に入ろうとした時に、行事が、双方か、一方が、仕切りの際に、両手を土俵面についていない、と言う判断で、格闘中の双方の間に、マッタ、てんで、割り込んで、取り組みをストツプさせてしまう場面が時々見られましたな。
小生だけかも知れませんが、一気に、興ざめとなりますなー。
見ている方より、一気に冷めてしまのは、力士の方でしょうな。おそらく、何やねん、イイカゲンにしてんか、と言う心境でっしゃろうな。

仕切りの際、両手を土俵面につかなくてはならない、と言う心は、と言いますと、立会いが取り組む力士双方に、五分と五分になる事を期して、すなわち、一方が先に立って有利になることが無いように、立ち遅れた一方が不利にならないように、と言う配慮があるのか、と推測しますな。
もし、そーなのならば、一層の事、取り組む両者に、仕切り線に両手を付かせておき、行司のハッケヨイノコッタの号令で立つようにすれば、より効果的と言うものですよ。
陸上競技の100メートル競走のように、位置について、ヨーイ、ドン方式の方が、余程公平を期す事ができますわなー。
しかし、大相撲の場合は、これでは、気合が入りませんなー。
やっぱり、取り組む力士双方が、それぞれ練り上げてきた作戦に基づいて、時間いっぱいの仕切りでは、お互い睨み合って、呼吸を合わせて、一気に力を爆発させる、この立合いが大相撲の醍醐味ですよ。
これが、力士双方は呼吸があって、パッと立ち上り、力、技の出し合いが開始された途端に、手が付かれていないと言う行司の判断で、マッタをかけられたのでは、力士はヤッテらんないでしょうな。
手の付き方が不十分で、どちらかの力士が不利となった場合には、マッタが入るのは止むを得ないと思いますがね。
手を付くのを省いて、先に起った方が、どっこいやり損じて、不利な態勢に陥っているところに、手付き不十分と言うことで、行司マッタが入ったりした時には、エエ加減にせんかいと言った気分になりますぜ。ホンマ。
反則者有利のジャッジでっかー。
今時、サッカーでも、ラグビーでも、反則が発生しても、反則された側が有利な展開になっている場合は、そのまま続行されまっせ。アドバンテージって言うやつですわ。

昭和の後半期に、柏戸大鵬の両横綱が雌雄を決する対戦が見ものだった柏鵬時代と呼ばれる時期が御座いましたな。大鵬さんの方が断然強かったのですが、しかし、大鵬戦に限っては、柏戸がやたら対抗心を顕にして臨んだので、見る方にとっては、面白かったのですよ。小生の記憶では、大分あてにならなくなって来ているのが、甚だ残念では御座いますが、柏戸の立会いは、ほとんど土俵に手を付くことなどなかったのではありませんでしたよね。
我先にと立ち上がって、すっ飛んでいって、有利に持ち込もうとする対戦が多かったように記憶してますなー。
このスピード感、馬力がたまらず、柏戸ファンになっていた方も多くいらっしゃったのではないでしょうか。
反対に、ガチッと受け止める大鵬さんの相撲に惚れ込んでいた方がより多かったと思いますよ。結果的には、大鵬さんの勝つ事が断然多かったから、大鵬人気は盛り上がりましたよねー。
あの時期は、立会いは、両手が土俵に付かれていないと認めない、というジャッジはあまりなかったように記憶しますなー。
より大事なのは、対戦する力士双方の呼吸が合ったかかどうかでしたよねー。
最近の行司による立会いのジャッジは、取組み力士双方の呼吸が合ったかどうかと言うことよりは、両者の両手がちゃんと土俵についたかどうかを優先しているようで、ちょっと気にかかってますなー。
後者をどうしても重視したいと言うのならば、仕切りの際は、一層の事、仕切り線に両手を付かせて、位置について、用意、ドン方式にしてしまえばどうでしょう。これで、立ち遅れが発生した場合は、立ち遅れた方の責任ですよ。両者が立ち上がって、真剣試合が行われている最中に、行司マッタが入るのは、正に興ざめの他の何ものでも御座いませんよ。ホンマ。
さらに、付け加えますと、行司さんは、何かの加減で両手が土俵についたかどうかを確認できない場合もありますから、そのような、場合は、結局は、力士双方の気が合った立会いであるかどうかが、判断の基になるのでしょうから、立会いの両手付きにあまり厳密にやりすぎるのは、どんなものでっしゃろうかね。
皆さんは、どうお思いでしょうかねー。

それから、大相撲について、より気に掛かっているのは、あまりにも、ケガをしている力士の取組が、多くは御座いませんか。と言うことですよ。
あちらこちらに包帯を巻き、テーピングを施し、サポーターを着けた力士が多すぎるとは、お思いになりませんか。
ケガの程度により、休場の止むなきに至る場合もありましょうが、無理を押してか、予防のためか、包帯、テーピング、サポーターを施した力士が多すぎはしませんか、チューの。
なんだか、ケガ人の対戦ばかりで、どうも、シャキッとしませんなー。
故障を押して頑張っている姿は見られますが、しかし、ケガ人同士の勝負はねー。
大相撲と言う性格上、多分ケガは付き物なのでしょうが。元気な力士どうしの勝負を見たいものですなー。
各部屋の稽古風景をたまにテレビを通して見る事がありますが、いつもの稽古風景は、あまり見る機会は御座いませんな。
多分激しい稽古が毎日行われているのでしょうな。稽古中のケガも、多分多いのでしょうな。
本場所中の取組は、テレビ中継でよく見ますが、激しい勝負ですから、土俵から転落する事が続出ですなー。中には、転落後、なかなか立ち上がれず、しばし倒れたままの光景も、時には車椅子で退場した場合も見られましたなー。
要するに、土俵から転落した時が、かなり危険だ、と言う事ですよ。
と言う事で、この土俵からの転落時のケガ対策を考えた方がよくは御座いませんか。ちゅーことなのですが。
結論的に言えば、丸い勝負土俵の外側の部分を、もう少し広げる事ができないか。
さらに、土俵の高さを低くする事はできないか。
この適切な変革が可能であれば、転落時のケガは、今よりは少なくなるのでは、と思うのですが、皆さんどうでしょうね。
現行の土俵の形状は、真上から見ますと、全体は四角形ですな。
その真ん中に、円形の勝負土俵が作られてますなー。四方に徳俵が設けられていますが、基本的には円形で、直径455センチメートルが規定のようです。
そして、四角の部分は、下部の底辺サイズが、6.7メートル、上部のサイズが5.7メートル四方が標準サイズのようですね。しかし、これはには、若干の余裕が設けられているようで、場所ごとに幾分大きさに違いがあるようです。
そして、高さが34〜60センチで作られるとか。
と言うような事で、円形の勝負土俵の部分を除けば、土俵サイズは、幾分の余裕が設けられているようです。
それなれば、まずは、高さを低くしては、どうでしょうかね。現行では34〜60センチとのことですが、もう少し頑張って20センチほどにしてはどうでしょうか。きっと、転落時の危険度がかなり緩和されると思うのですが。
さらに、四角の上の部分では、現行では5.7メートルとのことですが、これを豪華に思い切って6.5メートル以上にしてはどうでしょうかね。転落数がぐっと減少しますよ。また、転落の程度も、ぐっと軽くなりますよ。きっと。
因みに、行司さんの行動範囲も考慮しなくてはなりませんなー。
先場所では、行司さんが土俵から落っこちちゃうと言う場面が、幕内の取組で、2番ありましたね。言うまでもなく、これも土俵が狭いせいですよ。力士の動きが素早いから、これに合わせて勝敗の見やすいところに、行司さんは素早く移動する必要があるのですが、時に、間に合わず、土俵から転落しちゃう事があるのですな。勝敗の主審が、土俵から転落して、勝敗を見届ける事ができないなんて、シャレになりませんよ。勝負審査役や控えの行事がいますから、判定はできますが、勝負がついた時には、やっぱり行事の軍配がさっと上がる光景が良いですなー。これが、行事が土俵下で、ひっくり返っているのでは、話になりませんよ。
土俵の上部を広げた方が良いですよ。
さらに、先場所の注目された一番で、注目の力士の足と行事の足が、ものすごく接近していて、踏んづけそうになりましたよ。おそらく一瞬くっついちゃっていたと思われますな。これがために、勝敗に影響した場合は、スッキリしませんよ。
行事の逃げる場所が狭いのですよ。


と言うことで、思い切って、土俵サイズを広げれば、危険度が低くなり、ケガも少なくする事が、可能と思われますなー。

大相撲は、伝統的な仕来りが重んぜられる傾向にあると思われますので、新改革には、いろいろなご意見がおありでしょうが、力士や土俵周りの方々のケガ防止の対策を早急にお願いしたいものです。
以前は、土俵の四角に、四本柱があったのですが、あれを取っ払う改革ができたのですから、土俵サイズの幾分の変更くらいは、易いことのように思われますが。
ただし、観客席数が幾分減少することになり、相撲協会は収入減となるやもしれませんが、その点については、あれこれ対策はたつと思われますね。
なんだかだ言われながらも、消費税率が10パーセントになったのですから、なんとかしようとする意志が強ければ、なんとかなるものですよ。
とにかく、元気な力士の取組を見たいものです。

と言うことで、「何考えて生きてるの ?」と問われた場合、小生の場合は、今日は、ヒマ潰しに、こんな事を考えたりして、生きていると言う事ですわ。
何時ものことながら、大したことは、考えませんなー。せいぜいこんなところですだよ。

 

本日は、この辺で思考を停止する事に致します。
どうもお疲れさまで御座いました。
懲りずに、またのお越しをお待ち申し上げます。

 

お後がよろしいようで