「停念堂閑記」139

《停念堂閑記》139

 

「日比憐休独偏記」44 

 

「続『新コロ』対策 雑感」

 

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、間抜けな話で御座います。

いくぶん具体的に申しますと、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない、要するに間抜けな話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

あるお方が申しておられましたよ。ヒマ潰しにすることは、須らくおよそアホくさいものだと。まさにその通りで御座いますな。間違いおまへん。

ところが、このアホくさいと思われる中から、凄い事が産まれる場合があるんだってさ。すごくタマにね。

しかし、アホくさい事は、紛れもなく殆どアホくさい事なんだそうですだよ。

間違い御座いません。《停念堂閑記》がそれを証明している代表的なものですだ。

 

定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、なかなか。ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

その通り。至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

 

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

 

打倒、閑、暇、ひま、ヒマーッ!

A A O!  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

情けねー! トホホ。

 

 

もう止めたいと思ってはいるのですよ。本当は。

でも、日々の状況を見ていると、どうしても、「新コロ」に関するボヤキとなってしまうのですよ。

止むを得ない事態ですので、本日も、代わり映えせず「新コロ」ボヤキで行きますよ。

 

まず、真っ先に、心にとめなくてはならないことは、現状が世界中が、スッポリと「新コロ」の傘下にあると、言うことをきちんと認識すると言う事ですね。

すなわち、「新コロ」のなかった時とは、全く違う状況下にあると言う事です。

だから、「新コロ」が無かった状況でやっていたことを、「新コロ」の傘下に相応しいやり方に変えなければならない事態にあると、言う事なのですよ。

このことを、国民及び特に政府は、肝に命じなくてはならないと、思うのですよ。

 

それが、現実には、「新コロ」の傘下にありながら、「新コロ」の無かった時代にやっていたことを、ひたすら切望し、政府に至っては、「新コロ」の無かった時代のやり方で、「新コロ」を乗り越えようと最も安易な試みを続けているのではないのでしょうか。

政府の「新コロ」の無かった時代のやり方の特徴は、ある事態に対する政策は、その事態の結果が出てしまってから、その後始末政策に取り掛かる、と言うところにあります。

すなわち、例えば、ある事態の結果が、誰しもが容易にわかる数値的に明確になるまで、対策を講じないと言う手法です。

政府の名台詞となってますね。

「慎重に対処する。しばらく事態を静観する。」

これが、従来からの政府の基本的スタンスなのです。

このやり方は、「新コロ」傘下では通用しないのです。「新コロ」の感染状況を静観していては、ダメなのですよ。

しかし、旧来のやり方を頑として改めないので、政府の対応は、常に、やることなすことが後手後手となるのですよ。

例えば、緊急事態宣言の発出に臨んでも、専門家、医療の現場は、たった今と要請しているのに、政府はお得意の「今しばらく状況を見て」とくるのですよ。さらに、医療現場がニッチもサッチも行かなくなった事態を見届けても、なお、慎重にと様子見に徹しているのですよ。ようやく重い腰をあげる時にすることは、常に、後手後手の批判を浴びているのですよ。

 

まずは、政府には、現状は、「新コロ」傘下の真っ只中である。「新コロ」傘下では、それに相応しい対策に切り替えなくてはならない事を、いち早く自覚して貰いたい、と言うことです。

 

クドクドと繰り返しますよ。

「新コロ」傘下では、それに相応しい対策に切り替えなくてはならないのです。

これが、現状で、一番大切で、必要なことと思いますから。

 

それと共に、今国民の多くが望んでいることは、政府は国民に対して、最も良い対策を練って、実施して欲しいと言うことです。分かり良く言えば、政府は国民の方に目を向けて、政治をして欲しいと、言う事です。

もっと、率直に言えば、政府の政策は、国民の為と言いつつ、実は、政府は政権与党の利益になるような政策を第一としているのではないのか、と言う事です。

それが結局、国民の為になっているか、と言う疑問が常に横たわっている現状なのではないのか、と言う事ですだよ。

例えば、「新コロ」対策についてみると、昨年の春、「新コロ」の感染が問題となった時から、細菌の専門家や知識人の多くは、「新コロ」の感染を食い止める最良の方法は、PCR検査を幅広く実施し、陽性者をいち早く見つけ出して、隔離し、治療に当たるべきである、とする主張を強く出していましたね。これが、国民にとって、おそらく最良な対策であったろう、と思われますね。

ところが、政府は頑として、これを阻み続けましたね。それが祟って、現在の爆発的危機を迎える結果となった主因の一つと考えられていますね。

何故、政府が拒み続けたかと言うと、PCR検査を幅広く実施すると、多数の陽性者が見つかる可能性がある。陽性者は入院隔離が原則とされているので、多数になると、当然多数の病床が、医療関係者が必要となる。しかし、政府はその準備をしていなかった。だから、陽性者が多数になると、いわゆる医療崩壊となる。この事態の発生は、政府の対策が適切ではなかったと言う結果である。すなわち、政府の政策が失敗であった、と言う事になるのですね。これは、政府にとって大変な痛手となることが必定である。だから、政府としては、この医療崩壊を何が何でも、阻止しなくてはならない。従って、陽性者の数が増えては一大事となる。だから、多数の陽性者を出さないためには、PCO検査を抑えなくてはならなかった、と言う事情が世間では、広く流布してますね。

すなわち、政府の対策は、国民の為といいつつ、国民というよりは、与党政権の維持に向けられていたと言うように見えてしまうのですよ。

これは、何も「新コロ」対策についてだけではなく、政府の出してくる政策には、いつもこのような性格が強く感じられところがあると、一般的に感じられているようですよ。

特に、国政選挙前には著しかったですね。

このような事があってはならないので、政府は自ら姿勢を正して、自分たちは国民の代表者であることを自覚して、国民に目を向けることを、当たり前としてもらいたいと、多数の国民は切望しているのですよ。

政府には、この実態をよくよく自覚して貰いたいと言う事が、国民のさし迫った切なる希望ですな。

 

また、「新コロ」に関する心得として、最も大事な一つは、人と人の接触によって感染し、広まっていくと言う認識を徹底しなければならない、と言うことですよ。

 

だから、感染を防止するには、人と人の接触をトコトン抑制する必要があるのですよ。

 

ただただ、マスクを着用すれば良いのだ。手洗いを小まめにすれば良いのだ。ソーシャルディスタンスを保てば良いのだ。飲食店は8時に閉店すれば良いのだ。会食は、5人以上でなければ良いのだ。と言う事ではないのですよ。

 

肝心なのは、感染を防止するには、人と人の接触を避ける、と言う一事に尽きるのですよ。

 

色々と「新コロ」対策が発せられていますが、つまるところ、「新コロ」の感染を食い止める方法は、個々人が他人との接触を絶つと言う以外に無いのですよ。政府行政から出される対策の多くは、感染の確率を小さくする方法に過ぎないのですよ。

 

要するに、政府行政側が色々と対策を講じても、個々人が他人との接触を絶たなければ、感染は止まらないのですよ。

 

したがって、政府行政側の対策としてやるべきことは、個々人が他人との接触を抑制する規制を作り、それを強力に要請する事以外にはないのですよ。

しかし、政府行政の要請自体には、限界があるのですよ。肝心なことは、政府の要請を、国民個々人が受け入れ、従うか否かに、「新コロ」感染の抑止が掛っているわけですよ。

 

国民がこの要請に従えば、「新コロ」の感染が下火の方向に進むでしょう。最も、政府行政側の発する対策の内容によりますけどね。

この内容が充実したものであれば、感染防止に、きっと役立つでしょうね。

 

となると、ここで問題となるのは、政府の要請が国民に受け入れられるか否と言う点ですね。内容が充実していれば、多分受け入れる人が多いでしょうね。

 

しかし、ここで、誰しもが政府行政側の要請を、すんなりと受け入れるのか、と言うと、実情は、そう単純では御座いませんよ。きっと。

 

半惚ジジーの独偏ですが、例えば、外出自粛、マスク着用、手洗いの励行を始めとして、「新コロ」感染防止の基本について、国民の約三分の一ほどは、受け入れて真面目に実行するでしょうね。

要するに、政府行政の要請に、従順型の人々が、およそ三分の一くらいは存在しますよ。

これに属する人々は、「新コロ」感染防止に、この一年間、目一杯の努力をなさって来たことでしょう。

ですから、新たに緊急事態宣言を出されても、この層の人々にとってては、もうやりようがないのですよ。緊急事態宣言の効力は、これ以上に、期待できないのですよ。

 

次に、約三分の一は、幾分気まぐれのところがあって、積極的な反対行動をとる訳ではないけれど、緊急事態宣言を受けても、徹底できず、守ったりすることはあっても、自分は大丈夫と言う自信を持っていたり、忘れちゃって守れなかったりする人々ですよ。

まー、チャランポラン型ですね。

このグループは、実はかなりのウエイトを占めているのが、現状なのではないのでしょうか。大雑把に言って、凡そ三分の一くらいを占めていると思って、良いのでは御座いませんか。

例えば、自分は大丈夫と思い込んでいる人は、実にいっばいおられると思いますね。

そもそも「新コロ」についての知識が希薄な方も多いですね。また、とかく経験的に物事を判断しがちな性格の方も多く見かけますね。

「新コロ」の感染防止が叫ばれて、もう一年が経ちますが、この一年で「新コロ」に感染しなかった人は、実に多数にのぼっていますね。この中には、なお慎重にと、積極的に感染防止に心掛けておられる方も多いと思いますが、中には、この一年間「新コロ」に感染しなかった。だから、この一年やって来た方式で、何ら問題がない、と思い込んでいる方が、断然多いように思いますね。大変厳しく感染対策に臨んできたお方は別ですが、マスクをして街をぶらついても感染しなかった。だからマスクさえしていれば、大丈夫、これで良いのだ、などと気楽な認識の方が、随分多数おいでなのでは御座いませんか。

これは、感染予防の立場からすると、たまたまそうであった、と言うことで、決して万全では御座いませんよ。

これで良いのだは、バカボンパパだけにして欲しいものですよ。

このチャランポラン型グループの中で、比較的、従っている人々と、上の従順型を加算すると、国民約半数程度は、政府の緊急事態宣言を概ね受け入れて、従う部分かなー、なんて気がするのですよ。

まー、端的に言えば、緊急事態宣言が発せられても、ほぼ現状維持が精一杯かなー、なんて気がするのですよ。

 

残りの三分の一が、ちょっと問題のグループですね。

このグルーブは、簡単に言ってしまえば、反抗・自己好都合・無関心型ですね。

 

大別すると、(A)政府の要請には兎に角反対する人達、(B)自己側の都合の良い理由を見つけて、従わない習性の人達、(C)そもそも鼻っから無関心な人達に分けられますね。

  

(A)政府の要請には、兎に角反対する人達は、「新コロ」に限らず、社会に背を向ける人で、常に存在しますよね。殺人はいけないとされていても、殺人は絶えませんよね。窃盗も絶えませんよね。それぞれ理由、事情はあるのでしょうが、とにかく、現実的にこのような人々が、常に存在しますよね。全体に占める割合は、比較的小さいでしょうが、存在はしているのですよ。このような中に「新コロ」の場合は、その保菌者がいれば、感染上、大きな影響を与えてしまう可能性があるのですよ。人数的には、少なくても、及ぼす悪影響は、実に計り知れなく大きいのですよ。

 

(B)自己の都合の良い理由を見つけて、要請に従おうとしない人々は、比較的多く見られますよね。

例えば、年末に、その是非はともかくとして、5人以上の会食はしないよう、と言う行政側からの要請が出されている中で、8人でステーキ会食を実施して、これがバレちゃって、その責任を問われた自民党幹事長の二階氏は、ちゃんと感染防止対策がなされていたので、問題はない、と弁解していましたな。ここで言うのは、このタイプの人達ですよ。割合多く存在すると思いますね。橋本聖子氏もね。明るみに出ない方も、いっぱいおられるのでしょうね。

外出自粛要請についても、出歩いた弁解としては、マスクをしていたから、大丈夫。出歩いても、人とは2メートル以上の距離をとっていたから、問題はない。多人数で会食したけれど、テーブルの仕切りが、換気の設備が整っていたから、大声を出さなかったので問題はない。

などと色々と自己側に都合の良い理由を見つけて、要請の徹底には従わない人が、多く存在しますよ。

まー、人間本来的に、自己保全欲が強いですからね。自分の欲求を満たし、その存在を確かに保つには、自己にとって有利な理屈を探し出しますからね。

何かにつけて、自分に都合の良い理由を探し出して、自分は悪くない、と主張するタイプは多いですよ。

行政側は、不要不急の外出自粛を盛んに発信していますが、不要不急の具体例を明確にする事が出来ていないようで、不要不急は受信者側の都合でどうとでもなってしまうのですよ。出歩いている人は、出歩く理由、事情をちゃんと見つけてますからね。皆んな不要不急の対象外で、出歩いているのですよ。

これだったら、不要不急なんて言う修飾語を付さず、ひたすら外出自粛を要請する方が、本筋で、効果的に思えますがね。

 

それから、自分の行動を一向に解さない、顧みない、俗っぽく言ってしまえば、能天気なお方は、なんぼでもいますよね。

例えば、テレビ局の記者らが、望ましくない場面を見つけて、カメラ、マイクを差し出すと、大抵、自己の都合の良いことを言いますよね。

緊急事態宣言後の街中の人出の多さについて、現場に居合わせた人に、マイクを向けると、「みんな結構出歩いてますね。」「慣れちゃってますね。」「自粛の自覚が足りないのでは無いですか。」なんて、へいちゃらで言っていますよね。

みんながやっているから、自分の行為は、そんなに悪いことではないさ的な発言、自分自身の行為は顧みず、それらしき意見をシャーシャーと述べる人は、実に多いですよね。

 

昔から、盗人にも三分の理、と言われて来たやつでしょうか。

とにかく、自分の都合の良いことを、お述べになられるお方は、実に多いですよね。

「新コロ」対策としては、テレビなどで得た知識を一応述べながら、自分の行為は、不要不急に抵触しないや、と言う調子で、暇つぶしに街中をぶらついている方は、なんぼでも見受けられますよ。生来、能天気な性格の方なのでしょうかね。

このような人々は、割合としては、かなり高いのではと、半惚ジジーの独偏は想定するのですが。どうでしょう。

 

もし、このようですと、緊急事態宣言の効果は、ほとんど期待薄でしょうか。

 

そして、(C)そもそも鼻っから無関心な人達が存在しますよね。

この層は、かなり手強いですよ。最初から、聞く耳持たないのですから。どうしてかは、本人に、その理由、事情を聞いてみなくてはわかりませんが、私ゃー関係ないから、に徹底されると、手の出しようが御座いませんな。このような人達も、結構多数見られる気が致しますね。

 

と言う事で、政府行政の要請をまーまー受け入れる層は、国民の約半数ほどかなー、と言うのが半惚ジジーの独偏的感想なのですが。

どうでしょうね。

それから、政府行政の要請を、あまり積極的に受け止めない層は三、四割程に上る実情かなー、と言うのが半惚ジジーの独偏感想なのですが。

要するに、政府行政の要請を受け入れる層は、三分の二を下回っちゃう現実ではないのかなー、ってな気がするのですが。どうでしょうか。

 

仮に、このようですと。結構ヤバイようですね。

専門家の予想では、70パーセント程の人々が、「新コロ」に関わる自粛要請に協力、実行しなくては、「新コロ」感染は、下火とはならないのでは、と言われていますね。

そうだとしますと、この度行われている小出しの緊急事態宣言の効果は、望めませんなー、と言うことになりますなー。これは由々しき事態ですよ。

 

政府行政が、余程の決意で、緊急の思い切っ対策を講じなければ、「新コロ」感染の事態は収束に向かいそうに御座いませんな。オリパラは、ますます遠のいてしまいますなー。

 

因みに、オリパラの実施は、当然、日本の事情だけで決められるものでは御座いませんよね。世界の現状を見るにつけ、相当危うい事態なのではないでしょうか。

オリパラは、やれる範囲で、例えば、参加出来る国・選手だけで、無観客でやれば良いのだ、と言う意見もあるやに聞いていますが、ただただやれば良いのさで、済む問題なのですかね。

十分機能していた以前の国立競技場をあっと言う間に取り壊し、初期に依頼したデザインのキャンセル騒ぎを引き起こし、実に多額のキャンセル料を支払い、その後、多額の維持費が見込まれる木造の新競技場を建設した、あのてんやわんやの大騒ぎは、なんだったのでしょうね。建設に関わった方面の方々は、大いに潤ったのでしょうが。

失敗続きで、実に多額の税金が投じられましたが、だーれもその責任を取った方はいないようですね。

 

なおまた、政府行政側に、「新コロ」の感染防止に関わる発信をする際に、配慮して欲しいのは、対策の一貫性を貫いてもらいたい、と言う点が御座います。

すなわち、政府行政側の発信者としては、発信者側の都合があるのですが、その受信側にも、受信側の都合があるのですよ。

前にも指摘したように、人間本来的に、自分の欲求を満たし、その存在を確かに保つには、自己にとって有利な理屈を探しているのですよ。

政府行政側は、政府行政側にとって好都合の論理で、「新コロ」感染防止を発信しますが、その受信者側は、受信者側にとって好都合の論理で受信するのですよ。ここに、「新コロ」感染に関わる発信が、徹底されない所以があるのですよね。

 

例えば、外出、会食自粛を要請しながら、ゴートゥートラベルで、旅に出よ、飲み食いせよ、費用は税金から援助してやる。このような最も基礎的な部分で、矛盾することをやってはダメですよ。

また、夜8時以後の出歩きを、自粛せよ。夜8時以後の会食を自粛せよ。と発信した後で、出歩きの自粛は昼間でも、ランチも慎めなどと、すぐさま一貫性を欠く発信をするのですよ。

手っ取り早く言ってしまえば、8時以降は禁止と発信されると、受信者側には、8時までは良いのだな、と受信する人々が多いのですよ。

また、マスクをしたり、ソーシャルディスタンスを保っていたり、換気がしっかりされていたり、4人までは良いが、5人以上はダメとか、いろいろの「新コロ」感染防止対策を出すのだけれど、基本をきちんと抑えていないので、これが、対策を徹底させるむしろ害になってしまうのですよ。

ねっ。会食していても、4人以下だったのだから、良いじゃん。8時前にお開きしたから良いじゃん。となってしまうのですよ。

4人以下も、8時前も、要は、人と人の接触を抑えるための一手法として、考え出したことなので、政府行政側が、基本は、人と接触してはダメ、と言うところを撤退しないところがダメなのですよ。人と接触してはダメ、と言う基本を、常に一貫して発しなくては、受信者側の都合で、どうとでもされてしまうところがあるのですよ。

 

蛇足ながら、わざと「人と接触してはダメ」と表現してみましたが、本来、「新コロ」感染防止は、国民一人一人にとっては、自己管理としてやるべき事で、政府行政にお願いされたからしてやるのだ、と言う性格のものでは無いはずなのですよ。

したがって、政府行政側は、「人と接触してはダメ」を国民にお願いするのではなく、要請する立場なのですよ。

それを行政は、お願いします、お願いします、の一点張りなのですよ。

分かり良く本音を言えば、全然へりくだっているわけでも無いのに、行政側のこの卑屈さが気に掛かるのですよ。ただただ、お願いします、お願いします、と下手に出れば、国民の心証を害しないのでは無いのか、と思っているらしい卑屈さが、問題ですだよ。

選挙運動の時から、お願いします、お願いしますの連呼なんだよね。

正しいことをやるのであれば、毅然として実行すれば良いのですよ。

それをお願い、お願いと懇願するから、足元をみられ、つけ込まれて、お願いを聞いてやるから、金出せよ、の方向が出てくるのですよ。

間違わないで下さいよ。自粛を要請して、それで損害を与えた場合は、事情によりその補填はケチってはいけませんよ。

あくまでも、政府行政が意を決して、国民にこれをやってもらわなければなら無い場合は、毅然と呼びかければ良いのですよ。

税金を取る時には、お願い、お願いと懇願せずに、当然のこととして、取っていくではありませんか。

毅然と呼びかけるには、その内容が問題なのです。充実したものであれば、毅然とやれるはずなのです。

これが、お願いお願いと言うスタンスでやろうとするのは、内容に問題があるからですよ。

すなわち、内容がお粗末なので、毅然とは出来ず、お願いお願い、と言う卑屈な姿勢で臨まなければならない事情があるのですよ。

要するに、そこには政府、行政側の誠意、ヤル気、決意と言ったものが欠如しているのですよ。

厳しく言えば、その能力が無いのでは、と言うことになってしまうのですだよ。

その現れが、悉く発せられる内容に見られるのですよ。その場その場を乗り切れれば良いさ、と言う、一貫性の無い事を、延々と続ける為体は、泣けてきますね。

政府、行政側の真剣味が伺われないのですよ。

あなた達の打つ手によって、助けられる命が、みすみす失われる現実なのですよ。

総理お得意の名台詞「国民の生命と生活は絶対にな守る。」と言うのが、全く上の空の実情と成り果ててしまっている感じがするのですよ。

国民の生命と生活を背負っていると言う自覚が本当にお有りなのでしょうか。

政府行政の不手際で、救えた筈の国民の命がどんどん失われていく実情になっているのですよ。半端な数では御座いませんよ。

国民は、「新コロ」でなくても、通常見られる病気でも、おいそれと病院に行けない事態になっているのですよ。

一都三県に対する緊急事態宣言で、一ヶ月で「新コロ」感染を下火とし、そしたら、ゴートゥー何チャラの中止を解く、なんてふざけた事を言ってられる事態でしょうか。と多くの国民は感じている事と思われますね。

 

兎にも角にも、もっと真面目にやって下さいよ。

 

ちょっと、政府、行政側の態度が、気にかかったものですから。本音をちょっとだけ、ほんのちょっとだけ書いてみました。

 

さて、新コロ」感染防止の対策の基本は、常に、人と人の接触感染を防ぐためと言うことで、マスク、手洗い等に始まる「新コロ」感染防止の対策は、あくまでも「新コロ」感染を抑制するための一手法である。この点を国民に徹底する事が肝心なのですよ。

この基本を忘れ去って、小手先の防止手法だけで、いくら似通った対策を発しようとも、受信者は受信者側の都合で受け止めるのだから、効果が薄いのですよ。この点に十分な配慮が必要なのですよね。

 

しかし、政府行政側から発せられることは、目先の小手先の手法ばかりで、その一つ一つに一貫性が見えづらいものばかりなのですね。

 

政府行政側には、さらにさらに、慎重性が要求されますな。

ここで言う慎重とは、事態を静観していて、どうにもならない事態の到来まで、対策しない、見てるだけ、と言うものでは御座いません。

あらぬ方向の対策を打ってはならない。と言う意味の慎重ですよ。

 

それから、何と言っても、「新コロ」抑制が叫ばれてから、1年を経過して、対策を発信する政府行政側にも、それを受信する感染を乗り越えて来た者にも、あろうことか、すっかり「新コロ」慣れが発生してしまいましたね。

緊張感が失せてしまった感は免れませんな。

 

政府行政側に、緊張感、「新コロ」撲滅に向かってやり抜く自覚、決意と言ったものが、国民側からすると、なかなか伺う事が出来ないのですよ。

「新コロ」に対する政府、行政側の確固たる覚悟が、全然伺われないのですよ。ちょっと、感染が下向きになると、もう出歩け、飲み食いに励め的対策に余念がなくなるのですよ。「新コロ」対策には、致命的ですね。

そして、事態が悪化しだすと、ただただ、既に過ぎ去った事態に対する対策を遅ればせながら小出しにしている現状しか、見えないのですよ。いつもいつも後手後手なのですね。

 

このような状況では、「新コロ」に慣れてしまった国民は、政府、行政側の呼びかけ、要請が、ちゃんと聞こえて来ないのですよ。あんなダラダラとやっている政府行政の言うことなんて、と成り勝ちになってしまっている現状のように見えますね。

前に書いた従順型の人達にだけ、ようやく聞こえるのかなー、ってな感じになって来ましたよ。

まずは、国民にあれこれ要請するのであれば、要請する側が襟を正して、それなりの覚悟を示す必要がありますね。

要請する側が、チャランボランであれば、従順型の人々も、どんどん数を減らして行ってしまいますよ。

政府・国会議員の先生方、よほど引き締まってかからなくては、「新コロ」の滅多打ちに逢いますよ。

 

今度は、またまた、典型的な、目先・小手先の対策として、「新コロ」感染の政府、行政の要請を聞かないものに対する罰則規定を作る算段のようですなー。

事情によっては、必要とされる部分もあろうか、と思われますが、そのような法律を作ろうと言うのであれば、適切な政策を怠り、今のような事態を招いた、政府・国会議員の先生方の責任をも問う法律も、合わせて検討されなれけば、著しい不平等を感じますなー。

簡単に言えば、政府のやり方に従わない者は、処罰するが、政策に失敗し、実に多数の助かる命を助けなかった政府・国会議員の先生には、何の処罰も受けなくて良いのでっかー。と言うことです。

 

来たる国政選挙の時に、その責任を話題にすれば済むことなのでしょうか。

 

このような国会議員の先生を選出して、国権を委ねたのは、国民有権者なのです。国民がその責任を、直接取らなくてはならない事態が来ていますね。

体調が悪くても、おいそれと、病院にも行けない事態になっているのですよ。

 

もー、代表民主制の一つの限界に来ているのでしょうか。

立派な方を選ぼうにも、そんな方は立候補者の中に見当たらないのですよ。

有権者としては、困り切ってるのですよね。

 

国政選挙は、間近に迫っています。ヤバイよ。

選ばれる側も、選ぶ側も、もっともっと、しまっていかなくてはなりませんなー。

もはやダメかな ? ・・・・・? ? ?

 

またまた、ボヤキが止めどなくなって参りました。

今日は、これで止めにします。

 

お付き合い下さいましたお客様には、半惚ジジーのボヤキばかりで、どうも面白いところがなくて、毎度のことながら申し訳御座いませんでした。

どうも、お疲れ様でした。

懲りずに、またのお越しをお待ちいたしております。共に、ヒマ潰しに励みましょう。

 

お後がよろしいようで。

「停念堂閑記」138

《停念堂閑記》138

 

「日比憐休独偏記」43 

 

「緊急事態宣言 再発 雑感」

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、間抜けな話で御座います。

いくぶん具体的に申しますと、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない、要するに間抜けな話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

あるお方が申しておられましたよ。ヒマ潰しにすることは、須らくおよそアホくさいものだと。まさにその通りで御座いますな。間違いおまへん。

ところが、このアホくさいと思われる中から、凄い事が産まれる場合があるんだってさ。すごくタマにね。

しかし、アホくさい事は、紛れもなく殆どアホくさい事なんだそうですだよ。

間違い御座いません。《停念堂閑記》がそれを証明している代表的なものですだ。

 

定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、なかなか。ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

その通り。至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

 

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

 

打倒、閑、暇、ひま、ヒマーッ!

A A O!  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

情けねー! トホホ。

 

 

前回の続きをボヤキます。

このところ、ボヤキのネタは「新コロ」(新型コロナウイルスの略語で使います)を置いて他は御座いませんな。

本日も、代わり映えせず「新コロ」ボヤキで行きますよ。

 

なんやら出し惜しんでいた緊急事態宣言、ようやく1月8日発効で発せられましたなー。

発せられる以前から、テレビでは、期待うすー、ってな報道が多かったですなー。

案の定、出し惜しんでた割には、インバクトのない、まーその言ってしまえば、しょもない内容でしたなー、と言うような意見の方が多いようですよ。

 

まずは、東京、神奈川、埼玉、千葉の、一都三県を対象とする地域限定でしたな。

これでは、この地域外の人々にとっては、アッシ等は関係なしでやんすか。と言う感じで受け止められたでしょうな。

例えば、青森県沖縄県の人々が、直接自分等に関わる事として受け止められまっか、っちゅーの。早い話が、アッシらにはカンケーねーや。蚊帳の外ですかい。ですよ。

と言うか、他の地方自治体が申すまでもなく、不公平感を持ちますよね。

以前、ゴートゥートラベルの実施に伴い、東京都は対象地域から除外されましたね。このことにより、東京都民には、ゴートゥートラベルに付けられた予算が回って来なかったんですよね。これは、どう見たって、国のやることとしては、公平ではないでしょう。

すなわち、今度の緊急事態宣言の実施には、当然の事として予算が絡むのですよね。例えば、時短営業による飲食店の損出の補填が行われるわけですが、この対象は一都三県と言う事なのでしょうね。その他の対象外の地域では、時短営業の要請がなされない訳ですから、時短営業による対象飲食店に対する損害補填の支援は行われることがないのですよね。

道理があるのかも知れないけれど、なんか、不公平感が残る気がしませんか。

また、地方自治体として、無制限では無いけれども、ある程度のことが出来る権限を付与はされていますが、これは所詮はその自治体の権限内で行えるもので、自ずと限界がある訳でしょう。国の政策として行われるものでは無いのですから、重み自体に相違があるのですよ。

その不公平感が、どの自治体も直ぐに感じたわけで、たちまち私のところへも、私のところへも早く緊急事態宣言を発して欲しいと、次々に手を挙げ始めましたな。当然の成り行きですね。

なんで、国の権限でやる事に、地域差を付けるのでしょうかね。

マスコミでは、もはや全国規模の感染拡大と報じられていますからね。このような状態で、地域限定は無いでしょう。

全国をカバーする決め手となる何かを、盛り込まなくては、緊急事態宣言の意味が御座いませんよ。全国規模の感染拡大抑制と言う最も肝心な部分が、スポーンと脱落してしまっているのですよ。

地方は、まー良いか。後回しにしよう。ってですか。

全国民に感染防止を徹底して欲しいと言う観点から、なんぞ対策は無かったのかね。

今の政府行政では無理か。無理だねー、きっと。

本気度が、全然見えないってみんな言っているよ。

この点については、シッコク、ボヤキを入れますよ。

 

とにかく、全国民に向けて、感染防止を徹底的に呼び掛けなくてはね。緊急事態宣言の意味が御座いませんことよ。

そのためには、まずは、政府・国会議員の先生達が、まず、「新コロ」の感染防止の基本をしっかりと認識しなくてはいけませんよ。この認識が、なっていないのでは ?

 

「新コロ」は人と人の接触によって感染していくのです。

 

人と人の接触の現場が、「新コロ」感染との戦いの現場なのですよ。この人と人の接触を遮断しなくては、感染を食い止めることができないのです。

この基本を肝に命じて、政府は、行政政策を打ち出さなくてはならないのでよ。

しかし、この基本についての認識が、政府と国会議員の先生らには、著しく欠落しているように見えるのですよ。

より分かりよく言えば、この基本的認識の欠落と共に、この対策に臨む本気度、覚悟の程、即ち、この前代未聞、経験したことのない事態に、責任を持って、政治生命をかけて、取り組むという覚悟の姿勢が一向に見えないのですよ。

安倍前総理は、事あるごとに、「国民の生命と生活は絶対に守る」、と大声を上げましたね。大声だけで、内容は ? ? ? でしたが。

菅氏は、安倍前総理の政策を継承すると公約して、現総理の座を獲得しましたね。だからなのかどうか、良くは存じませんが、この公約通り、名台詞「国民の生命と生活は絶対に守る」も継承され、記者会見の時などに、よく仰られるのですよ。

しかし、安倍さんとの違いが御座いますよ。それは、菅総理の場合は、声が小さいのですよ。皆さんお気付きでしたか。

安倍前総理は、中身は何で固められていたかはともかくとして、大声で雄弁でしたな。国民は、これにコロッと・・・れたのでしょうね。

しかし、菅総理は、視線を原稿にチラチラ落としながら、小声で仰られるのですよ。聞いている方は、大丈夫かや ? 本気にやるつもりなの?  と見えてしまうのですよ。

 

この度の緊急事態宣言も、本当にその気があるんですかや ?  となってしまうのですよ。

大声、小声は別として、政府行政はこのようなことを致しますと、その本気度を示して貰わなくてはね。国民は、ヤル気を起こしませんよ。

 

クドクドと繰り返しますよ。

 

「新コロ」の感染を防止するには、人と人の接触をトコトン抑制しなくてはならないのですよ。

 

政府が、地方行政体が、どんな命令・要請を発しようが、「新コロ」は死んではくれませんよ。

「新コロ」の感染は、人と人の接触により広がっていくのですよ。突き詰めて言えば、「新コロ」の感染は、個々人の判断に掛かっている事なのですよ。

だから、「新コロ」感染拡大を防ぐには、人と人が接触しないようにすると言う個々人の判断に委ねられているのですよ。

政府行政が、人との接触をしないようにと、いくら要請しても、結局のところは、個々人が接触しないようにするか否かに掛かっているのですよ。

だから、政府行政として出来る事は、このことを個々人がよくよく認識するような対策を打ち出す事なのですよ。

政府行政に求められることは、まずは、人と接触しないようにすると言う個々人の判断を、いかに徹底的に推進できるかと言う方法を打ち出すことに掛かっているのですよ。

この点が、一番最初に求められていることなのですよ。

これには、個々人の心に訴えるより方法はないのですよ。

だから、まずは、この方向に向けての政府行政側のヤル気、本気度、責任をとる覚悟を、国民全体に明確にしなくては、お話にはなりませんよ。

ただただ宣言を発して、さー、この宣言通りにやれ。やらずに「新コロ」の感染が止まらなかったら、それは、あんたらのせいだ、あんたらの責任だ、と言っているだけでは、国民の心には、響いてこないのですよ。

 

この政府行政のヤル気、本気度、責任をとる覚悟の程が、一向に窺われないところに、最大の問題があるのですよ。

政府行政側の関心度がその程度なら、そんなの聞いてらんないよなー、となってしまうのですよ。

国民間の緊張感は、かなり緩んでしまっていますからね。その状況に、政府行政側の姿勢が、これまた弛緩してしまっていては、もー、ホンマにあきまへんわ。

 

この点について、まずは、政府行政側がその模範を示さなくてはならないと思いますね。

外出自粛を叫びつつ、さー、ゴートゥー何チャラだ。旅に出ろ、飲み食いに出歩け、その費用は税金から出してやる。

このようなことをやっては、国民の「新コロ」の感染防止のために、人との接触を極力抑えようとする意思は、ゴートゥー何チャラの方向に飛んで行ってしまうのですだよ。

国民が「新コロ」感染防止の方向に努力しなければ、と頑張っている矢先に、政府行政にゴートゥー何チャラをやられては、もはやお話にもならないのですよ。

 

このような判断ができない政府行政側は、もう、ポンコツの極みと言わなくてはなりませんなー。

経済の活性化は、「新コロ」の感染を踏まえた上で行わなければ、意味がないのですよ。

安直に、旅行業界が落ち込んでるなー、では、ゴートゥー何チャラだ、と目先、小手先の施策では、ダメなのは明々白々なのですよ。シーソーに、「新コロ」感染防止と経済活性化を両サイドに乗っけて、ギッコンバッタンを繰り返して、なんの意味がありますかや ? ? ? 

 

はたまた、多人数の会食は、控えましょうと国民には自粛を押し付けて、政府行政側の国会議員先生が、ステーキの食事会だ、忘年会だで盛り上がっていては、示しがつかないでしょうが。

このような判断ができない政府行政側は、一体全体何を考えているのだ。呆れかえって、トックリ返っちゃうだよ。

かと思えば、その批判の最中、国会は休みにしてさ、重要な案件には目もくれず、与野党の代表が雁首並べて、4人までの会食は良しとしよう、なんて言う相談をしているこの国の国会議員の先生方の神経は、どうなっているのだ。

もー、話にもならん状態に陥っちゃってますなー。

こんな連中が、寄ってたかって、「新コロ」対策だ、憲法改正だなんて、チャンチャラ可笑しい、とんでもない事態でないかい、と言うことになってしまうのですだよ。

まずは、政府行政、国会議員の先生方が、襟を正さなくてはダメでしょうが。

間違った政策を打ってしまったら、うやむやにせず、国民に事実を開示して、まずは、反省し、謝罪をして、顔を洗って出直す姿勢を見せなくてはね。と言いうのが本筋と言うものではないかい。

 

要するに、緊急事態宣言の一番の目玉は、国民にあーせー、こーせーより先に、政府行政側、国会議員の先生方のカッたるんだ状態を正す、厳正な粛清の内容を盛り込みなさい、と言いたいのですだよ。

それをさしおいて、国民に国民にあーせー、こーせーだけでは、全然国民の心には届きませんよ。

まずは、政府行政・国会議員先生方の姿勢を正す緊急事態宣言が必要なのでは。

この国会議員の先生の襟を正す内容を目玉政策として、打ち出さなくては、「新コロ」に関する緊急事態宣言は、国民の心には、届きそうにありませんよ。

 

例えば、菅総理の飲食を伴う誰かさんとの会合は、「新コロ」が収束するまでは、一切停止。および国会議員の会食も「新コロ」が収束するまで、一切禁止。国会議員の先生の地元との往来も、「新コロ」が収束するまで禁止。

国会議員先生の政治活動上、どうしても会合が必要な時には、議員会館で行うべし。国民の税金を食い物にする飲み食いは一切禁止。

精々、最低これくらいの覚悟を示さなくては、国会議員先生方の信用は、取り返せませんよ。国民は、あなたたちの決め事を聞く耳を持たなくなってますよ。

 

さらに、国会議員の先生は、取り敢えずその給与6ケ月分返上して、新コロ」と戦っている最前線の医療の現場に投入するとかさ。

自らが「新コロ」と戦っている現場に出向いてさ、現場の人に迷惑をかけないようにゴミ処理や清掃のお手伝いをしてみるとかさ、自らが汗を流さなくては、ダメですだよ。

 

自らは、ステーキ会食をやって、国民には、ただただ自粛要請を繰り返しているのでは、所詮埒が明きませんよ。政府行政側のやる気、覚悟を見せなくては。

そうでもすれば、弛んでしまった国民も、再度気を入れ直すかも知れませんよ。

 

とにかく、全国民を対象に、「新コロ」の感染を防ぐ最も基礎的な認識を確認する対策を打たなくては、ダメですよ。

対策としては、人と人の接触が「新コロ」を感染させる根源であることを、国民全体に再認識してもらうキャンペーンでも張って見てはどうでしょう。

特に、若い連中に人気のあるタレントさんやアスリートさんでも動員して、人との接触を我慢すると言う、幾分気の利いた、今流に言えば、おしゃれなコマーシャルでも作成して、緊急事態宣言実施期間中ぐらい毎日メディアで流し続けてみてはどうでしょうかね。菅総理が原稿チラ見で、記者会見を重ねるより、はるかに効果が上がると思いますけどねー。

 

さて、全国民を対象とする、人との接触を我慢する呼びかけを緊急事態宣言の中核とする対策をたて、一都三県の状況が大変な事態となっている、何とかしなくては、と言うのであれば、全国的な網を張って置いて、その上で、特に一都三県には、と限定して、対策を強化しマトを絞れば良いのですよ。

そうすれば、一都三県以外の人達も、自分の事として、捉えることができるのですよ。対岸の火の手を眺めているのではなくしてね。国民全員で取り組める方向で、国会議員の先生方は、智慧を絞って欲しいものですだよ。税金から、高給を頂いているのでしょう。貰いっ放しは良くないよ。真面目に働いてもらわなくては。

 

次に、飲食業界だけにマトを絞ったのは何だ。

飲食店を8時に閉めさせたら、「新コロ」の感染が止まるのか。兎に角、政府行政の了見が狭いのだよね。

マスメディによれば、感染拡大は全国的、その感染源、経路は、もはや不明が大多数、と言う状況が報じられているのですよ。

これまではクラスターを追っかけていれば、ある程度の効果が伺われた、と言う状況だったけれど、今は、クラスターを追っかけることができない状況になっている、と言うのですだよ。

ライブハウス、夜の街、スポーツクラブなどなど、クラスター発生の場所を特定して、「新コロ」の感染防止をやる、と言うのは、もはや手遅れなのですだよ。

この状況で、何で飲食店だけを狙い撃ちにするのだろうね。

多分、飲食の場で「新コロ」の感染する確率が高いから、と言う想定の上での判断なのでしょうね。

要するに、飲み食いする時は、マスクを外す。外せば、感染の確率が高くなる。また、酒が入ると、声高になる。声高になれば、感染の確率が高くなる。まして、グループ、多人数で出かけた場合は、盛り上がって、なお一層感染の確率が高くなる。だから、飲食の場に対する規制が必要なのだ、と言う論理なのでしょうね。

だとすれば、以前に問題とされたライブハウスはどうなんだ。スポーツクラブはどうなんだ。ゲームセンターはどうなんだ。映画館はどうなんだ。劇場はどうなんだ。遊園地はどうなんだ。デバートはどうなんだ。等々、人が多数集まって、接触が激しい場所は、飲食店に限らず、沢山あるではないか。そっちは、野放しかよ。となりはしませんか、チューの。

なんか、不公平感が歴然としているのですよね。

この辺りの政府行政の判断は、大丈夫か。と言う気がしてしまったりするのですよ。

 

要するに、以前の手法、クラスターを追っかけてその根本を抑える。ライブハウス、スポーツクラブ、ゲームセンター、映画館、劇場、遊園地、パチンコ店等々の規制を強化すれば、「新コロ」の感染防止に効果的と見られる時期があったのでしょう。

しかし、今の状況は、全国的な規模で、感染の経路を追いかけることは不能となっている。家庭内感染が多くなっている。よもや、家庭に時間短縮は無理でしょう。

 

と言う状況下で、飲食店だけを抑えても、もー、ラチがあかない、と言う状況に来ているのではないの。しかも、原則として8時まで営業可と言う条件付きでしょう。

例えば、4時から飲み食い始めれば、8時まで、たっぷり4時間は飲み食いできるだよ。飲ませる側、飲みたい人側は、なんぼでもそのための努力は惜しみませんからね。店側は、開店を前倒しすれば良いだけのことですから。

クラスターを追っかければよかったのは、すでに以前の話ですよ。その以前の手法を限定の目玉にしているのは、何と言う愚かなやりの方なのだ、と思いますよ。

政府行政が、そんなに飲食業界の事が心配で、営業時間の制限に伴う損害賠償をするくらいなら、飲食店の「新コロ」感染予防設備をより充実する部分の援助をする方が、効果的なのでは ?   どうせ、一カ月で緊急事態宣言は解くのでしょうから、そうすれば、また、三密状態での飲み食いが開始されるのですからね。

だから、感染防止設備の充実を援助した方が、ゆくゆく効果的なのですよ。

国会議員の先生方は、なんで現ナマを配りたがるのかねー。

決まってるでしょー。

国政選挙が目前に迫っているのですだよ。

なるほどねー。大いに納得で出来まっせー。

「新コロ」防止にあやかって、・・・しているのだよ。きっと。

政府行政の出す諸政策の殆どは、国政選挙を前提にして、出てくるようですらねー。毎度の手法でんなー。

そもそも飲食業は、「新コロ」傘下でない平時においても浮き沈みの激しい業界ですよね。

小生の生活圏においても、古からのお店も当然御座いますよ。しかし一方では、新規開店したなー、と見ていたら、すぐに店仕舞いするケースがよく見られるのですがねー。

「新コロ」の影響で、大打撃を受けたお店も多数ありますよねー。しかし、平時においても、出来たり閉じたりするお店が実に多く見られた気がするのですが。

平時においてお店をたたむ度ごとに、政府行政が税金から助成金を支給することは御座いませんよね。

この辺の事情は、政府行政はどのように見ているのでしょうかねー。なんて気がしたりもするのですよねー。

要は、飲食店の数と、その利用者数のバランスの問題もありますよね。だから、平時においては、自然淘汰されて、ある程度のバランスが保たれるのでしょうね。

飲食店は、あるいは手軽に開業できる特性があるのですかね。定年後は、蕎麦屋をやるぞー、とか、ラーメン屋をやるぞー、いやカレー屋だ、なんてことは良く話題になっますよねー。

これが上手くいかず、廃業する事になった場合、この閉店の度に、赤字の補填が税金から行われる訳は御座いませんよね。

だから、「新コロ」に対する政府行政の規制の煽りを食って、損害を被ったお店には、相当の補償をしなければならない事情が存在するかも知れませんが、そうで無いケースもあるでしょうから、税金を使う場合は、国政選挙前のバラマキになっては、如何なものか、と言う点も心配されますなー。

 

要は、飲食業界に限定せず、政府行政の打った対策で、明確に損害を被った場合は、その事情に応じた支援の対策をきちんと整えて、基本平等に行う体制を構築すべきなのですよ。小難しい手続きをせずともね。

国民の外出規制をより徹底すれば、自ずと飲み屋さんに向かう足も減少するのでは。

飲食店側だって、「新コロ」感染防止に協力的なお店は沢山あるし、建前から言えば、飲食店だって、「新コロ」感染防止に協力すべきでしょうからね。

ノンビリと国会を休みにして置かずにさ。もっともっと真面目に取り組むべきですよ。まじかに、国政選挙があるのでしょ。せめて、その直前期くらいは、真面目にやった方が得だと思うのですだよ。

 

それから、この度の緊急事態宣言は、一カ月間だけと言う期限つきですな。

なんだか、分かんねーよね。

一カ月緊急事態宣言下に置いておけば、一都三県の「新コロ」の感染は止むとお考えですか。あるとすれば、その根拠をお伺いしたいものです。切りが良いので、取り敢えずのエイヤーの一カ月ですか?

目標は、東京都の1日の感染者数を500人以下に抑えたい、とかですが。一カ月緊急事態宣言下に置いておけば、500人以下になるのですか。なるとお考えなら、その根拠をお伺いしたいものですねー。

500人以下に抑えられたら、合格、満足満足。これで、「新コロ」は収束、良かった、良かったと言う事態になるのですか。

この一事を見ても、本気でやる気あるのかねー。になっちゃうのですよ。真面目にやってよ。頼むわ。

 

半惚ジジーのボヤキは、まだまだありますよ。この緊急事態宣言を発出した時の菅総理の発言についてですよ。

一つは、「・・・私のご挨拶」で締めくくったのには、多くの方々が、最後の最後で、コケちゃったようですね。

これはこれで、なんじゃこれ、ですが、もう一つ気にかかったのは、「・・・どうぞ、ご協力願いたい」と締めくくったくだりですよ。

文脈からすれば、政府行政として、このような緊急事態宣言を発出することにしたので、一都三県の皆さん、ご協力をお願いします、と言うことですよ。

早い話が、一都三県の住民向けに発した政府行政対策に協力せよ、と言う要請です。

すなわち、私どもは「新コロ」の感染抑制に最大努力している。だから協力して欲しい、と言う要請ならば、納得が行くのですが、政府行政の施策が成功裏に収まるように、協力して欲しい、と聞こえるのですよ。

多分、政府行政側としては、緊急事態宣言を発出するには、それなりの効果を期待しての事なのでしょうね。

端的に言ってしまえば、これが効果が上がらず、失敗に終わったならば、菅政権の大きな痛手になる。これがあってはならない。だから、皆さん成功するように協力して下さいよ、と言う要請になってしまうのではないのでしょうか。

誰のために、何のために緊急事態宣言を発したのですか ? となるのですよ。一都三県の住民のためもさることながら、政権自身の保身が大事なのですよ。

ここに、政府行政側の本性が見えちゃうのですよ。

こんなことでは、当宣言に対する住民の努力は、薄れてしまうきがするのですよね。

要は、政府行政側の責任を持って実行すると言う決意、覚悟の程が、依然として見えていない、と言う事に尽きるようてですな。と言う事ですだよ。

 

またまた、すっかり、ボヤキが長引いてしまいました。

反省、反省であります。

反省したら、すぐに決断、行動が肝心です。

今日は、これで止めにします。

 

どうもお疲れ様でした。

またのお越しをお待ち申しあげます。

 

お後が宜しいようで。

「停念堂閑記」137

《停念堂閑記》137

 

「日比憐休独偏記」42 

 

「対策は結果が出てから」

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、間抜けな話で御座います。

いくぶん具体的に申しますと、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない、要するに間抜けな話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

あるお方が申しておられましたよ。ヒマ潰しにすることは、須らくおよそアホくさいものだと。まさにその通りで御座いますな。間違いおまへん。

ところが、このアホくさいと思われる中から、凄い事が産まれる場合があるんだってさ。すごくタマにね。

しかし、アホくさい事は、紛れもなく殆どアホくさい事なんだそうですだよ。

間違い御座いません。《停念堂閑記》がそれを証明している代表的なものですだ。

 

定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、なかなか。ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

その通り。至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

 

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

 

打倒、閑、暇、ひま、ヒマーッ!

A A O!  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

情けねー! トホホ。

 

ところで、昨年は「新コロ」(新型コロナウイルスの略称で使います)に悩まされた一年でしたな。

皆さんは、ど一でした ?

とっても良い年だったと言うお方もおいででしょうが、どちらかと言うと、否言わなくとも、災い大きい難儀な年でしたな。

毎日、毎日、連日「新コロ」「新コロ」の一年でしたな。

思わぬ10万円が転がり込んできて、10人家族なので、100万円も手にして、すっかり大儲け。と言う方もおいでだったかも知れませんね。さらに、それを元手にジャンボ宝くじを奮発して50枚買ったところが、なんと、なんとこれが大当たり、10億円てなお方もおいでかも知れませんなー。もー、「新コロ」「新コロ」様々でんなー。

てな訳には参りませんよね。そー上手くはねー。

「新コロ」ぶとりをなさった方も、おいででしょうが、多くのお方は、しんどい1年でしたでしょうな。

 

とにかく、「新コロ」の傘下では、「新コロ」の無かった従来のやり方では、まったくダメ。通用しないのですだよ。「新コロ」傘下ではそれに相応しいやり方でやらなくてはダメ、と言うことになりましたからね。

 

いかんせん、政府、行政は、この点に関する頭脳の切り替えが、全くできませんでしたな。今も。

要するに「新コロ」の無かった時代のやり方で、「新コロ」を乗り切ろう、なんて安易ことを繰り返すばかり。だから、やることなすこと後手後手で、まー効果的な対策が出てきませんでしたなー。今だにそーですから。

 

これまでの行政のやり口は、端的に言えば、事態の結果が出てしまってから、さーどうする。と言うことで対策を考え始めるのですよ。要するに、事態についての結果を見据えてから、その後始末的施策を考え始める。これが、従来の行政の基本的姿勢なのですよ。言ってしまえば、これが伝統となっているのですなー。

国会議員の先生方にとって、自己によほどの利益が得られる事柄については、事前の対策をあれこれ考えるようですが、しかし、個々の議員先生方にとって、直接的利益に関係してこない事柄については、火の手が上がってボウボウになっても、あっしには関わりのないことでござんす、と静観している場合が殆どですなー。

要するに、問題化している課題について、ある程度の結果が、素人でも判断し易い数的要素が明らかになるまでは、事態を静観するばかりで、予め、より良き結果を得ようとする対策を打たないと言う特徴があるのですよ。伝統となっています。

 

分かり易く言えば、当該事件に関する結果が出てから、その後始末的施策を講ずれば良い、と言うやり方に徹しているのですね。

なぜなら、そのようにすることの方が政府および国会議員先生達にとって、楽だから、得だから、責任が及び難いからなのですよ。

これには、大変なことになるかも知れないと言う課題については、事態についての先を読む洞察力とそれに関わる対策の構築およびそれを実行する決断力、覚悟が必要となりますね。これは、これが国会議員の先生方にとっては、すこぶる苦手な事なのなのですよ。当然責任を伴いますから、やり損じたら、と考えると、おいそれと手出しできないのですよ。

それよりも、結果が出てしまったことの後始末の方が、全然楽チンな訳ですよ。

 

ところがどっこい、「新コロ」にはこの手法が全く無効なのですよ。結果を見届けてから、後始末をしよう、てなことになったら、もー、目も当てられない事態になってしまうのですよ。

効力の確かな予防薬と治療薬が開発されるまでは、兎に角、先手、先手を打って、感染を抑えなくてはダメなのですよね。

「新コロ」の特性は、兎に角、感染力がずば抜けて凄いことが、明らかになっているのですよ。ちょっと油断すると、手を緩めると、たちまち拡大してしまうのですよ。

このような難局に、結果を見届けてから手を打とうという、昔ながらの伝統的行政手法では、全く的外れで、やる事なす事、小出し、小出しの後手後手。無駄な経費、税金ですよ。これをドブに捨て続けているのですよ。

 

「新コロ」傘下の仕様は、何せ「新コロ」なるものがどう言うものか、得体の知れないところがございましたからね。現在でもなお得体が知れた訳ではございませんから。

何をどうしたら良いのか、わからない事だらけでしたな。特に、国会議員の先生方にとっては。今もですけど。

兎に角、未知なるものの怖さに、ヒヤヒヤの毎日で、どのようにしたら良いものやら、ビビらされましたな。

 

それから、政府行政側としては、「新コロ」による影響で、経済が物凄く落ち込んで、これを何とかしなくては、と言う難しい課題を抱えているのですよ。

当然ですね。「新コロ」有る無しに拘らず、経済を安定させなくてはと言う事は、政府行政の最も大事な仕事ですだよ。

ここで問題となるのが、「新コロ」の感染を抑えつつ、経済を安定させなくては、と言う課題ですだよ。

最も重要なのが、「新コロ」の感染を抑えつつ、経済を安定させなければと言う点ですだよ。この双方を満足させる対策が必要なのですよ。

ここで経済復興の対策としての目玉政策が出されたのですよ。

これがですよ。不要不急の外出を自粛せよ、と言う幟を立てながら、どうして、ゴートゥー何チャラ(トラベルとかイートとか。これに便乗したあれこれ。)となるのですよ。旅に行け。美味いものを飲み食いせよ。金は税金から援助してやる。

 

訳が分かりまっかー。

もー、この一事で、前安倍総理は、アンベー悪かったし、続く菅総理はスカや! と言うことが判明してしまいましたなー。

思考の基本が、ワヤですがな。

 

これで、国民の全部とは言いませんが、ある部分の不要不急の出歩きは自粛しなくては、というシバリは、いっぺんにどこぞへかスッ飛んでしまいましたな。

ただでさえ出歩きたくて仕様が無い部分のお方々は、この菅総理のお墨付けを貰って、旅に出るぞ~、酒を飲むぞー、美味いものを食うぞー、の大豪遊ですわ。

ここでも、オモロイ見解がお出ましになられましたな。

ゴートゥー トラベルなどで移動することでは、「新コロ」は感染しないのだ、とさ。

因みに、分かっていることでしょうが、言っときますけど、「新コロ」は人と人の接触で感染するのですだよ。

車で行けば、他者との接触がない。だから、移動すること自体で、「新コロ」は感染しないんだってさ。

ゴートゥー トラベルで、たとえ車で行ったとしても、途中トイレへ行きたくなりまっせー。トイレへ行ったら、途中で、他人と接触しまっせー。

と言うことにならないために、携帯便器で車内で用を足しまっかー。

そして、飲み物も食べ物も持参して、そこで済ませて、旅館にもホテルにも泊まるとすれば、他者と接触しまっせ。旅館にもホテルにも泊まらず、車中泊して、帰ってくるのか。凄いゴートゥー トラベルでんなー。

これでは、そもそもゴートゥー トラベルの援助金は、もらえないよ。

また、飛行機、電車、船等を利用するゴートゥー トラベルは、絶対に他者との接触を免れませんぜー。

接触したら、「新コロ」感染の可能性が発生しまっせー。

これを、飛行機、新幹線等の移動では、「新コロ」の感染はない、と断言しているのでっせー。

感染の確率が低いようだ、と言われているだけで、感染の可能性は、ちゃんとありまっせー。人と接触すれば。

 

交通機関による移動では、「新コロ」の感染はない、だからゴートゥー トラベルによる感染は心配されるほどではなかった、なんて菅総理が弁解がましいことをおっしゃっているのですよ。スカでんな!

問題は、行き先で飲み食いする、この飲み食いの場が感染の場となるのだってさ。だから飲み食いの場がけしからんのだそうですな。

では、菅総理の言うゴートゥー トラベルっちゃー、利用する交通機関に乗って、どこぞへ行って、飲み食いせずに、また交通機関で、帰宅するっチューことかな。

行き先での飲み食いなしのゴートゥー トラベルっちゃー、なんだそれ。と言うものですだよ。

旅行はでんなー。たとえば新幹線で、駅弁食って、缶ビール飲んで、仲良しと、喋り捲って、行き先の行楽地で、良いとこ良いとこと写真を撮ってさ、ソフトクリームを舐めてさ、宿に着いたら、また、その土地土地の名物料理を食ってさ、飲んでさ、ワイワイたわいもないことで騒いでさ、温泉に入ってさ、極楽極楽ってなことが旅行と言うものですだよ。

これをやって、税金から補助してくれると言うのだから、たまりまへんなー。

 

ゴートゥー トラベルで、人が移動するのは、問題がないのだが、行き先での飲み食いが「新コロ」を感染させた、と言うのですだが、なんか御都合主義的な政治的な匂いがプンプンでんなー。

何もゴートゥー トラベルで無くとも、大人数で飲み食いすれば、「新コロ」にとっては、感染拡大の絶好の場ですだよ。

と言うことで、飲み食いの時に、感染防止対策を徹底して居れば、「新コロ」の感染はないのだ。だから、ゴートゥー トラベルは、「新コロ」感染拡大には、影響してないんだ、なんて。こんな解釈で、いいのかなー。

 

これでイーのだ!

バカボンパパのセリフではないよ。

自民党幹事長二階さんの言い分ですよ。

菅総理王貞治さん、杉良太郎さん、みのもんたさん等8人で

食事会をやって、メディアに狙い撃ちされた主催者の二階さんの言い分ですだよ。

感染に対する防御が適切だったから、なん等問題がなかった、と言う弁解でしたなー。

と言うのは、みんな知っていますよね。

そーです。行政は、「新コロ」の感染防止のために、5人以上の会食を自粛するように要請していたのでしたね。

この状況の下で、8人でステーキ会食したのがバレちゃって、その弁解をしたのですよ。感染防止が適切だったので、8人でもOKと言う弁解です。

 

そもそも半惚ジジーにとって、5人以上の会食がアウトで、4人以下ならセーフと言う基準?の設定が訳分かんねーだよ。

4人以下だと、会食時に「新コロ」は活動停止、だから感染しないの。

5人以上で飯でも食おうものなら、「新コロ」は活動開始。さー感染するぞー。

なんてな訳にいきまっかー? ちゅうの。

なんや、この基準は。

1人では、うつしようも、うつされようも、御座いませんよ。

これが、2人以上になると、うつしたり、うつされたりと言う関係が発生するのですよ。言うまでもないことですよ。こんな分かりきったことをクドクドと書いてしまい、誠に申し訳御座いませんな。ご免なさいよ。でも、ここまで書いても、わかってくれないお方がおられる現実ですから。嗚呼!

めげずに、気を取り戻して、しつっこく行きますだよ。

 

だから、4人以下はセーフ、5人以上はアウトと言う基準は、殆ど意味が無いのですよ。

たとえば、4人で食事に行って、4人用のテーブルで、ラーメン食って来た。これは、セーフ。

8人で食事に行って、4人用のテーブル二つにそれぞれ4人ずつ分かれて、ラーメン食って来た。これは、アウトなのですだよ。

ね。5人以上はダメ、なんて人数を切ってのこの種の規定は、基本的には、意味がないのですだよ。

要は、飛沫が飛び交うような環境で、飲み食いすると感染する確率が高くなるので、それは避けなさい、と言えばいいのですよ。

それをなんで4人まで、と言う人数を設定したのか、と言うと、よくは知りませんよ。半惚ジジーの独偏(独断と偏見)では、きっと、一般人には、出来るだけ具体的に分かりやすく言わなくては、分からないだろうから、と言う間抜けな気遣いから、4人なんて言う人数を持ち出したのだろうな、と邪推するのですだよ。

だったら、出来るだけ少人数で、2人程度で、とやればまだマシと言うものですよ。4人まではOKで、5人からアウトちゅーのはなんだ ?  訳わかんにねーな。ちゅーことになりますのだよ。

4人が、OKだったら、雀荘へ行って、ポン、チー、ロンやっちゃってもセーフだよ。な訳ないでしょ。

あるよ。1人でバチンコやって来たらセーフ。5人でつるんで、バンを齧りながら、パチンコしたら、アウトだよ。屁理屈であります。

 

てな次第でして、そもそもは、4人以下OK、5人以上アウトなんて言う基準の設定が間抜けだったのですよ。

だから、二階氏のように、感染防止対策は万全だったので、8人でもOKですよ。と言うような屁理屈が出ちゃうのですだよ。

 

おまけに、食事会では、マスクをつけて食事したのか、と言う報道記者の飛び切りユニークなインタビーが飛び出したりして。

インタビューを受けた自民党幹事長の二階氏によれば、マスクをしたままで、食事ができるか、との弁でしたな。全くその通り、幹事長の発言には、一点の間違いもございません。マスクをしたままでは、ステーキは食えませんよ。

 

待てよ、マリックさんならやりかねないかな ?

何にを思ったか、新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身先生、飲み食いをする場合には、マスクを外し、食べ物を口に運んだら、すぐにマスクをしてから、カミカミしよう、てなことを言いだしましたな。半惚ジジーは、オイオイと感じましたよ。

尾身先生。あなたラーメン食う時に、いちいち一口ごとに、マスク脱着しますか ? チューの。したければしても良いけどさ。

 

これに、メディアの中には正面からそれは良いと、まともに取り上げたテレビ局もありましたなー。これがテレビの現状のレヘルかな ?

半惚ジジーの独編(独断と偏見の略語)では、この尾身先生の提言は、きっと、重要な提言をしても、ほとんど聴く耳を持たない政府行政に対する尾身先生自身の精一杯の皮肉発言ととりましたね。

しかし、これでも聴く耳持たない政府行政は、もー、立派なもんでんなー、と感心するより御座いませんな。

 

マリックさん、尾身先生はともかく、インタビューする方もする方でんな。実に、低レベルのメディアと低レベルの国会議員先生のアホ臭いやりとりでしたなー。もー、泣けて来ますわ。

 

まー、多人数による飲食については、感染率が高くなることが報道されて、その対策も取られるようになって来ていたおり柄、自民党幹事長の主催で、著名人8人による会食発覚と言うようなこともありましてですね、いわゆる感染症に関する専門家の見解としては、「新コロ」の感染拡大には、多人数による飲食がダメなんだと言うことなのですよ。ここで言うダメとは、感染率が高くなると言うことですだよ。飲み食いがダメとされては、人間生きていけませんからね。飲み食いは良しとされなければなりませんよ。

しっこく行きますよ。人と人が接触すれば、感染の可能性が発生し、これが多人数となれば、感染の確率がより高くなると言うことなのですよ。

繰り返しますよ。ここで大事なことは、「人と人が接触すれば、感染の可能性が発生し、これが多人数となれば、感染の確率がより高くなる」と言うことなのですよ。

4人とか5人とか、8人とかと言う数合わせ的人数は、二の次のことなのですよ。

二の次の部分は、何だか訳の分からない理由で、4人まではセーフ、5人以上はアウトと、行政が一つの指標を示したことにより発生した実に下らないとも感じられる事態なのですよ。

要するに、良し悪しに関わらず、一度行政が示した指標に違反するのはけしからん、と言うことなのですだよ。指標を示した行政側の国会議員の先生方が、それに従わず、大きな顔をしていることが問題なのですだよ。

 

医療側からは、昨年の末から医療崩壊の現状を切々と訴えていましたな。従来からすれば、異例中の異例の事態でしたよ。

政府行政よ、今直ちに何とか手を打たんかいと言う悲痛な悲痛な悲鳴でしたよ。

しかし、政府行政は、動じませんでしたなー。この頑固なまでの無反応さは、何なのだ。

分かりはしますよ。先に書いたように、政府が著しい見逃し難い結果と判断しない限り、分かりよく言えば、「新コロ」の患者が医療施設に入りきれなくなって、バタバタと命を落としていく事態が、目の前に現れない限り、対策には乗り出さない。と言う、従来の後始末的対策の発動時期を狙っている、と言うことなのでしょうね。

 

その後、ようやく年が明けて、東京都の1日の感染者数が何と2000人を超過する事態が眼前に出現して、やっと、コリャコリャと言う状況で、緊急事態宣言を発してみるかと言う為体ですだよ。

2000人に達してしまってからでは、すでに手遅れなのですよ。このようになってからでは遅いので、早く、早くと言う声は、専門家からは、昨年の秋からあちこちから上がっていたのですよ。政府行政は、このような声には、マスクならず、まるで耳栓をして、全く応ずる気配がありませんでしたなー。

ゴートゥー何チャラで、イケイケにのめり込んでおりましたなー。

ついでに、一部の国民も、一部のメディアに煽られて、便乗ノリノリでしたなー。

今頃になって、昨年12月下旬の人出を抑える対策がなってなかったので、今の事態を迎えることになった、なんて悠長なことを言っている始末ですからね。

 

ようやくなんだか。今になってからかーなんだか。良くは存じませんが、1月8日発効の緊急事態宣言が発せられましたな。

実に、ノンビリした、全く手遅れの緊急事態宣言といった感じですなー。

なんにも緊急じゃないよね。ノンピリ手遅れ後手後手事態宣言と言った方がぴったりですよね。

この判断のトロくささは、なんなのかねー。

ニッチもサッチも行かなくなってから、明らかな結果が見えてからの後始末的対策しかできないのかねー。

やる気、決断、実行、責任等に関わる覚悟が一向に見えないのですだよ。いよいよ年内に迫った国政選挙以外のことは、頭に浮かばないのかねー。嗚呼!

 

すっかり、ボヤキが長引いてしまい、反省です。

反省したら、すぐに決断、行動が肝心です。

今日は、これで止めにします。

 

どうもお疲れ様でした。

またのお越しをお待ち申しあげます。

 

お後が宜しいようで。

「停念堂閑記」136

《停念堂閑記》136

 

「「日比憐休独偏記」41 

 

「分かりきった基本に関わる話 」3

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、間抜けな話で御座います。

いくぶん具体的に申しますと、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない、要するに間抜けな話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

ヒマ潰しに為すことは、須らくおよそアホくさいもののようですな。

ところが、このアホくさいと思われ.中から、凄い事が産まれる事があるんだってさ。すごく稀にね。

しかし、アホくさい事は、紛れもなく殆どアホくさい事なんだそうですだよ。

間違い御座いません。《停念堂閑記》がそれを証明している代表的なものですだ。

 

定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

 

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

 

打倒、閑、暇、ひま、ヒマーッ!

A A O!  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

情けねー! トホホ。

  

ところで、暇を持て余していた私こと日比憐休(ひびれんきゅう 定年後、一年を通して、毎日憐れむべき連休である事を、もじった号なのですよ)にも、色々事情が発生しまして、しばらくの間、こちらが休業状態になっておりましたが、ちょっとだけ開業しようかと、久し振りにパソコンのキーを叩き始めて見まして、これが第3作目で御座います。

偉そうに第3作目なんてねー。タワゴト、タワゴトに過ぎないのにねー。自覚は御座います。

 

それでも、ヒマは潰さなくてはなりません。早速間抜けな話を開始したいと思います。

 早い話が、いつもの半惚ジジー のボヤキですだよー。

 

前の「分かりきった基本に関わる話 」1・2の続きみたなもので御座います。半惚ジジーのボヤキですから、テーマがテーマだけに、面白くないですよ。ほんま、全然おもろないでー。

こんな時、なんだか大阪弁て、具合がよろしおまんなー。大丈夫かな。この大阪弁らしき表現?  頼んまっせ。ほんま。

 

特に、これぞと言う意趣がある訳では御座いませんが、「新コロ」(新型コロナウイルスの略称です)に関わる政府の施策についてボヤキを続けますわ。

このところ、「新コロ」の感染者が急増したとメディアが大騒ぎ状態になってますな。

急増の一因は、政府が断行したゴートゥー何チャラ(トラベルとかイートとか)にあるのでは、と言う世論が報じられていますな。

菅総理は、ゴートゥー何チャラで人の動きが活発化した事を認めるが、これによる「新コロ」感染者は僅かだ、と言う主張を変えませんな。どこで入手したデータに基づいて言っているのか知りませんが、問題はそのようなことではないのですよ。

政府は、春以来外出の自粛を「新コロ」対策の基本として国民に厳しく要請してきたのですよ。

「新コロ」対策として、外出自粛は、「分かりきった基本」とされ、今も続行中である事は、改めて指摘するまでもない事ですね。

ああそれなのに、ゴートゥー何チャラで、旅に出歩け、飲み食いに出かけろ、これをする人には、税金から援助金を出すから、と言う政策を実施するのか、と言うことなのですよ。

外出を自粛せよ、と叫びつつ、さー、あちこち出かけて飲み食いして歩け、これでは国民に示しがつかないでしょう。と言うことなのですよ。

政府は、一体国民にどうしろ、どうしてもらいたい、と言うのかが、さっぱり伝わってこないのですよ。

ゴートゥー何チャラで経済の活性化を図ると言う事は、外出自粛の基本に、真っ向から矛盾しているのですよ。

経済の活性化を図るには、人の移動を極力抑えると言う基本を踏まえてやらなくてはならない事情にあるのでしょうー。

じっくり考えれば、ゴートゥー何チャラより良い政策が、絶対あるはずですよ。

それを、観光・飲食業界の景気が落ち込んでいるから、さーゴートゥー何チャラと言う、もっとも安易な施策をとってくる政府の愚行が情けないのですよ。

 

人が移動すれば、「新コロ」の感染が増加する事は、もう分かりきっていることですよ。ここで、これには見向きをせず、耳をも傾けず、「新コロ」の感染増加はうっちゃっておいて、ゴートゥー何チャラで、観光・飲食業界の景気が好転すれば、日本経済は万全チューことですか。違うんじゃーないの!

どうして、日本の政府・国会議員先生には、こんな「分かりきった基本 」が分からんのかねー。よっぽど○が・・・のかなー?

ゴートゥー何チャラが、「新コロ」の感染急増になんら問題がないと言うのなら、何で、今頃になってから、適用する地域を限定するとか、一斉停止するとかになるのですか。政府のすることは、実に意味不明です。実に、基礎が固まっておらず、一貫性がなく、場当たり政策ばかりなのですね。

だから、国民の信頼は無くなり、政治に無関心な人が多くなるのですよ。

もっとも、無関心な国民が多ければ、国会議員の先生にとっては、政治がやりやすいのでしょうが・・・・。

 

政府・国会議員先生等は、どんな形で、「新コロ」の収束を描いているのでしょうね。結論を急げば、きっと、描けないのでしょうね。だから、マスクを配ってみる、10万円をばらまいてみる、出歩き、飲み食いしたら、税金から支援金を出してやる、なんて言う、思いつきの行き当たりばったりの、気まぐれのような場当たりの施策をし続ける。

こんな事で、国民は、日本国はどうなるのですかね。

 

このような対策を出してくる政府、国会議員先生の政治感覚を疑う以外にないのですよ。

菅総理の目指す日本国の将来像なんて、全く見えてきませんからね。どうしたものなのでしょうか。

目指す姿が一向に描けず、ただただ目先の後始末的施策に明け暮れる手法は、どうしたものでしょう。

叱られるのは必定でしょうが、言わせてもらえれば、このような国会議員先生を、国民有権者はよくぞ選出続けているものだなーと、つくづく感心するよりないのですよ。

 

特に、医療現場が逼迫しており、緊急の対策を必要としている状況が、連日報じられております。

菅総理は、一向にこれといった対策を出しませんな。マスクとともに、耳栓を着用していて、世間の声は、全然聞こえないようですな。まさか、前総理を真似て、全戸に耳栓を配達するような事はないでしょうね。スカの耳栓て言われますよ。

ガースーで御座いなんて、スカ中のスカ、柄にもない事やってる場合ですか、チューの。ほんま。

と言うような皮肉の一つも言いたくなってしまうのですだよ。

 

ここで、言わずもがなの「新コロ」対策の基本を、もう一度整理しておきたいと思います。

 

まず、「新コロ」の予防薬は、まだ、日本では、使える状況になっていません。来年の前半期、いや後半期になるのでしょうか。

したがって、今要求される第一の事は、予防薬に頼らず、感染をいかに抑制するか、と言うことに尽きます。

 

まず、「新コロ」対策の基本中の基本は、人間一人一人の「新コロ」に関する正しい認識と、行動です。この自覚です。

「新コロ」は、人間を媒体として感染して行くウィルスであることを再確認する必要があるようですね。このことを、しっかりと、国民一人一人が頭に叩き込んで、自覚することが求められますね。

人間は、分かりきった事は、時に、すっかり思考から外れてしまうことがあります。ですから、時を見て、気を入れ直す必要が御座いますね。「分かりきった基本」を、再度、しっかり頭に叩き込んでおかなくてはね。

 

要するに、「新コロ」の感染を食い止めるには、兎にも角にも人と人の接触を遮断するより無い訳です。

しかし、社会生活においては、人と人の接触なくして人間の生活は成立しません。人と人の接触の完全遮断は不可能です。

よって、人と人の接触を如何に抑制するかに掛かっているのが現実です。

方法は、接触の機会を極力無くする努力以外にないのでしょうね。不要不急の外出を避けることを徹底するより無いのでしょうね。国民一人一人の行動に掛かっているのですよ。一人一人の自覚に掛かっているのです。

政府の政策がどうのこうのでは、「新コロ」の感染が止まる訳では御座いませんよ。政府の政策が正しければ、その政策を個々人が実施して、初めて「新コロ」の感染抑制につながるのですよ。政府の号令だけでは、「新コロ」の感染は止まりません。政府の号令が正しく、それを国民個々が実行して、初めて効果を上げ得ることとなるのですだよ。

一般に、人は、今まで大丈夫だったのだから、これで良いのだ、と思いがちですね。人は、とかく経験してみないと、実感できないところが御座いますなー。出歩いても、今まで何ともなかったからと、出歩きをやめない人は、周りに沢山みられるでしよー。今までの経験に自信たっぷりの人、至る所に見られますよね。

しかし、「新コロ」の場合は、これが役に立たない、と言うことを自覚して欲しいものですね。

初めて具合の良くない経験をした事により、反省し、自戒する人が多いと思われますが、中には、そうでない人もおりますな。同じ過ちを、何度も何度も繰り返す人も珍しくは御座いませんな。

結局のところは、それぞれ人様々で、限界があるとは思われますが、「新コロ」対策として、最も大事な事は、人と極力接触しないようにすると、言う事に徹して欲しいものですなー。

結局は、個人の認識と努力なくして、「新コロ」の感染を抑制する事はなかなか難しい訳で、個々人のこの点の自覚に頼る以外ないのですね。

そもそも、行政の要請があったから、医療側からの要請があったから、「新コロ」の感染抑制に協力しなくては、と言う問題ではないのですよね。

行政や医療側から、マスクをせよ、手を洗えと言った要請がなければ、マスクをしなくても良い、手洗いもしなくて良い、と言う事ではないでしょう。

やはり、「新コロ」の感染を抑制するためには、個々がマスクをし、手洗いを励行した方がいいのだ、と言うことを自覚しなければダメだと言うことでしょう。

「新コロ」感染抑制は、基本的には、個々人の自覚に関わることなのですよ。

 

しかし、人の外出欲求は凄く強いから、この欲求と、外出自粛の必要性の戦いなのでしょうね。快楽を求めた外出を強く強く慎まなくては、「新コロ」の感染は止まらないのでしょうね。

だだし、個々人の「新コロ」抑制については、限界があり、徹底できない現実があるわけで、ここで、行政が打つべき対策がないのか、と言う課題があるわけです。

これが、何ともね。春から、ずーっと、間抜けな対策に終始しているのが現実で、もはや諦めが先に立って、政府の掛け声には、ほとんど耳を傾けない人が、多くなってしまった感が御座いますな。

政府行政の打つ手は、とにかく後手後手。

これまでに見る政府行政の対策の特徴は、危機に遭遇すると、緊張感をもって、しばらく進行を注視したい、という対応です。要するに、何もしないて、推移をみる、と言うことです。そして、推移の結果が現れてから、遅ればせながら、手遅れの施策をやってみる。これが、政府行政の緊急事態対策のやり方ですね。

結局、大きな被害が出た後の後始末をする、と言う特徴があります。

「新コロ」の場合、この手法は通じないのです。

あくまでも、転んでしまった後始末では、手遅れなのです。転ばぬ先の杖が大事なのですよ。

しかし、この洞察力を、今の政府・国会議員の先生達・官僚等に期待することが、まず、出来ないのです。かつて豪快な政治評論でおなじみだった三宅久之さんが発していたポン助ばかりのようなのですよ。

 

対処は、割合簡単なのですよ。

専門家の話に、常に耳を傾ければ、それだけで、いいことなのです。

それを政府・行政は、指をくわえてみてるだけ。火の手が上がって、全焼になりかかって、どうしょう、どうしょうと、場当たりの手を打つだけ。

どころか、時に、ゴートゥー何チャラのように、火に油を注ぐようなことをする政府・行政なのですよ。処置無し。

このような状況だから、国民の多くは政府の要請にも従わなければならないと言う意識が薄れてしまうのですよ。

この3週間が勝負なんて言われたって、真面目に取り組む国民は少なくなってますだよ。

政府だけが、誰を相手にしているのか、勝負、勝負とはしゃいでいるだけなのですよ。政府自身は、これと言った対策を出す事もなく、勝負、勝負の掛け声だけだからね。

 

ところで、問題は効果的な感染予防対策と言うことになるわけですね。

 

1  とにかく、外出して人と接触することを極力避ける。

 

「新コロ」は一人歩きしませんから、必ず誰か人に取り付いて移動し、次から次へと移動する、すなわち感染していくのですよ。だから、これを食い止めるには、人との接触を極力抑制する以外手がないわけです。

たとえ行政がどんな手を要請しょうと、結局のところ、「新コロ」は人の接触で感染し、広がっていくのですから、人の接触を断つ以外に手がないのですよ。

この接触という根本を断ち切らなければ、感染は治らないのですよ。これは、個々人一人一人の自覚にかかっていると言うことですね。

 

2  マスクを着用する。

 

人との接触が発生する場所では、とにかく、マスクを着用する。「新コロ」の感染を抑制する効力の強いマスクが望ましい。フッション性もさることながら実効性の強い不織布製の方が、「新コロ」抑制には、役に立つようです。

マスクを手に持ち歩いておられる方を、よく見かけます。これでは、意味が御座いません。マスクはちゃんと着用して、初めて役に立つのです。アゴに掛けたり、口だけ覆って、鼻を出していてはいけません。効果的に着用いたしましょう。

 

3  手を洗う。

 

外出から帰った時には、まず、手を丁寧に洗いましょう。また、アルコールによる手指の消毒をしましょう。とにかく、接触感染の防止のために、手洗いを励行すると良いですね。

 

4  人に、接近しないようにしょう。

 

いわゆるソーシャルディスタンスを確保しょう。隣の人との間隔を約2メートル以上の距離を置くようにしょう、と言われていますなー。このようにすれば、感染の予防になると言う事ですね。これはこれで、結構な対策でしょうね。

約2メートルと言う間隔については、良くは知りませんが、普通に咳やクシャミをした時に、飛沫の飛ぶ範囲の平均値?なのでしょうかね。

しかし、咳・クシャミにも個体差があるだろうし、環境の違い、例えば風向きとかその強弱により、影響が異なると思うので、約2メートルと言うのは、良く分からない数値でんなー。人との距離を取った方が良い、と言う事は分かりますが、この距離が約2メートルと言うのが、万全か、と言うと、ちょっとね。

と言うのは、約2メートル離れていれば、感染しないと思い込んでいる人がおられるのですよ。飲食店の席も、約2メートル離れていれば、飲み食いOKと思い込んでる方々が、いらっしゃるのですよ。中には、テーブルの正面に向き合って座らなければ大丈夫、なんて大雑把な意見もあったりしてますね。

これも申すまでもなく、感染の確率を下げる対策であって、約2メートル離れていれば万全と言うことでは御座いませんよ。

しかし、クラスターの調査で、濃密接触者が否かを問題にされた場合には、一応の目安とされる数値なのでしょうかね。厄介なところが御座いますなー。

 

5  三密を避ける。

 

三密とは、密閉、密集、密接を意味するそうです。要するに、狭い空間に多数の人数がくっつきあって集まるなと、言う事なのでしょうなー。

しかし、この解釈には、概ね二通りみられるようです。

一つは、密閉・密集・密接の三要素がセットであり、三要素が重なってはダメ、と言う解釈です。

今ひとつは、密閉、密集、密接各一つがあってはダメ、と言う解釈ですね。

そもそも、行政は、国民・住民に三密を避けなさい、と言いますが、具体的でないところがあるので、判断に窮するところが御座いますな。いずれも程度が問題ですので、その基準値は人それぞれになりかねませんなー。

ある状態を、これは三密の状態だと判断する人と、いやいやそんな状態ではないよ、と判断する人に分かれるのですよ。

それでは、その基準の設定をとなると、これが一人一人の判断が異なり、なかなか統一的基準を設定することが困難なのですよ。

例えば、密接とはどう言う状況だとなると、どうでしょう。それぞれ想像をたくましゅうしてみてはいかがですか。

えっ。いわゆる夜の街の接待の場と称されている場面をイメージしちゃった、ですって。さてさて、どんなイメージをしたのです?  

人により程度差が出るでしょう。

このあたりの判断が、クラスター発生に関係しているのでしょうね。大きな駅とか電車の車両内とか、行楽地とか、飲食の場所とか、接待の場とか、どのあたりまでが密なのでしょうかね。漠然としてますから、国民・住民には、伝わりにくい側面が御座いますなー。

でも、各人が厳しく取り組んだ方がベターですよ。

 

くどいようですが、「新コロ」は保菌者個人から別の個人へ感染していくのですから、行政の外出自粛の要請の発信で直接感染が止まる、と言うものではありません。個人が別の個人と接触することを抑制すれば、感染の確率を低下させることができるのでは、と言う期待策でしかないのです。「新コロ」感染の現場は、あくまでも、個人と別の個人との接触ですから、自粛要請自体が感染をストップさせるものでは御座いませんよ。個人の行動の問題なのですよ。しっこいでしょ。大事なことは、しつっこく徹底的に、伝達しないとダメなのではと思うのですよ。

ただ、この三密に関しては、一般的に、狭い空間に多数の人がくっつきあって集まるなと、解釈しますが、二密なら、一密なら良いんだろう、と言う解釈をする御仁がいらっしゃるようなのですよ。誰しも自分に都合の良い解釈をしたがりますからね。制約は、軽い方が良い、と思う人が多いからね。

申すまでもなく、一密でも、二密でも、良くないのですよ。数字ではなく、蜜がダメなのですよ。

 

以上のような、「新コロ」に対する基本的な対策を再認識して、その拡大に対処したいものですなー。

と言ったあたりが、「新コロ」対策として「分かりきった基本に関わる話 」でした。

 

ところで、蒸し返しますが、密でも、感染予防が適切になされていれば、それはセーフなのでしょう、と解釈する御仁も存在してますね。

ビックリポン!なのは、国民に自粛を猛烈に呼びかけている政府要人、国会議員の先生方々が、自分たちがそれに反する行動をシャーシャーとやってのけ、その責任を問われれば、密でも、感染予防が適切になされていれば、それはセーフなのですよ、とこれまたシャーシャーと言って退けるこの無神経さですよ。

会食は、出来るだけ避けて欲しい。どうしてもと言う場合は、人数を4人以下に制限して欲しい、などと訳の分からない制約を国民に押し付けておきながら、8人で高級ステーキの会食に参加している菅総理。貧乏ケチな小生は、会食の支払いは、誰が、どこから出したの? ってな事が気にかかったりするのですよ。当然自腹でしょうね。

とあるメディアの情報では、お一人様8万円を下らないお店だと言う事ですよ。王さん、杉さん、みのさん、自腹を切ったの。それとも、ゴチになっちゃったのかな。まさか、国民の・・・・で支払ったのではないでしょうな。庶民感覚では、こんなケチな事が気になったりしましてね。

評論家の先生の中には、総理たる者は、広く国民の意見を聞かなくてはならないので、会食をしながら、意見を伺うのは当たり前のようにおっしやられる方もおられるようですが、国民の意見を聞く時は、やはり8万円の会食でないと、いけないのでしょうかね。8人のメンバーで、何を語り合ったのでしょうかねー。

かつては、国会ならず、国の重要案件は料亭で、と言う時代が御座いましたが、さすが今はそれはないのでしょうが、会食と言う表現に化けてたりしてはいないでしょうね。

 

無神経にも程が御座いませんか。国民をバカにし切ったこのようなリーダーに国政を委ねなくてはならない国民は、なんとも愚な連中に遭遇してしまっことを、ひたすら我慢しなくてはならないのですからね。

このことが、メディアで総スカンを食ったら、急遽予定していた忘年会を取りやめたと言う国会議員の先生方々が続出。こっそりやろうとしていたのですなー。国民向けには、自粛、自粛4人以下にしなさいを押し付けながら、裏では、この体たらく。

この3週間が勝負所と国民に自粛を要請しておきながら、その成果が上がらず、完敗したら、国民が自粛しなかったから、このような感染拡大の状況になってしまったような言い訳をしたりしましてね。

それはそうですよ。国民が自粛せず、出歩いた結果、感染が拡大したことは、事実として、間違い御座いませんがね。

しかし、国民に勝負所でそっぽを向かれたのは、それなりの原因、経緯があったからでしょう。自省、反省は御座いませんの。

政府は3週間が勝負と、繰り返しましたが、誰と誰との勝負を前提にしていたのでしょうね。

きっと、国民と「新コロ」を勝負させようと企んでいたのでしょうね。

どっこい、国民は政府行政と「新コロ」の勝負と認識していたのかもしれませんよ。

政府行政がどんな技を繰り出して、「新コロ」をやっけるかを期待していたのですよ。

多分国民が「新コロ」に対してどれほど自粛で応対できるかを、政府行政は、緊張感を持って注視していた、要するに、何もせずに見ていただけ。結果、「新コロ」の感染急増は止まらず、完敗。国民が自粛しなかった結果だ、と言うような感想を述べるばかり。

国民一人一人ができることには限界があります。そこで、政府行政がどれほどの手を打てるかが問題なのですが、ゴートゥー何チャラを一定期間停止する、と言う事ぐらいの事しか出てきませんでしたね。

政府行政の本気度が一向に伺われず、その対策が、一貫していないので、国民は政府行政を信用しなくなり、政府行政の言うことに、耳を傾けなくなってしまっているのですよ。

それを、若者が言うことを聞かなかったから、なんて言う言い訳をしたりするから、ますます信頼が薄くなってしまうのですよ。

 

もー、この国のリーダー的存在にあるはずの政府要人、国会議員の先生方々が、この為体ですから、もー、何をか言わんやの状況ですよ。

とボヤいても、そのようなリーダーを選出したのは、他ならぬ国民有権者だから、もー、どっちもどっちで、ある意味のバランスが取れてはいるのですよ。嗚呼!

 

だらだら行き当たりハッタリを書くのが、「停念堂閑記」の特徴なのですが、全然面白くありませんな。

と気がついたら、サッサとやめる事が、肝心ですな。

政府だって、ゴートゥー何チャラが、「新コロ」の感染対策に、相応しくない側面を持っていることくらいは、遠の昔から承知の上なのでしょうが、一旦、政策として踏み出してしまったら、なかなか引っ込めることはできないのでしょうね。メンツーと言うものがかかっているのかな。

 

しかし、「停念堂閑記」は違いますよ。もーあかんな、と気がついたら、躊躇なくパット止めます。

 

お付き合い下さいましたお客様には、半惚ジジーのボヤキばかりで、どうも面白いところがなくて、毎度のことながら申し訳御座いませんでした。

どうも、お疲れ様でした。

懲りずに、またのお越しをお待ちいたしております。共に、ヒマ潰しに励みましょう。

 

お後がよろしいようで。

「停念堂閑記」135

《停念堂閑記》135

 

「「日比憐休独偏記」40 

 

「分かりきった基本に関わる話 」2

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、間抜けな話で御座います。

いくぶん具体的に申しますと、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない、要するに間抜けな話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

ヒマ潰しにすることは、須らくおよそアホくさいもののようですな。

ところが、このアホくさいと思われ.中から、凄い事が産まれる事があるんだってさ。すごくタマにね。

しかし、アホくさい事は、紛れもなく殆どアホくさい事なんだそうですだよ。

間違い御座いません。《停念堂閑記》がそれを証明している代表的なものですだ。

 

定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

 

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

 

打倒、閑、暇、ひま、ヒマーッ!

A A O!  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

情けねー! トホホ。

  

ところで、暇を持て余していた私こと日比憐休(ひびれんきゅう 定年後、一年を通して、毎日憐れむべき連休である事を、もじった号なのですよ)にも、色々事情が発生しまして、しばらくの間、こちらが休業状態になっておりましたが、ちょっとだけ開業しようかと、久し振りにパソコンのキーを叩き始めて見まして、これが第2作目で御座います。

偉そうに第2作目なんてねー。タワゴト、タワゴトに過ぎないのにねー。自覚は御座います。

 

それでも、ヒマは潰さなくてはなりません。早速間抜けな話を開始したいと思います。

 早い話が、いつもの半惚ジジーのボヤキですだよー。

 

前回の「分かりきった基本に関わる話 」1の続きみたなもので御座います。半惚ジジーのボヤキですから、あんまり面白くないですよ。と言うより、全くおもろないでー。

こんな時、なんだか大阪弁て、具合がよろしおまんなー。大丈夫かな。この大阪弁らしき表現???   頼んまっせ。ほんま。

 

特に、これぞと言う意趣がある訳では御座いませんが、「新コロ」(新型コロナウイルスの略称です)に関わる政府の施策についてボヤキを続けますわ。

このところ、「新コロ」の感染者が急増したとメディアが大騒ぎ状態になってますな。

「新コロ」にお詳しい専門家が招かれて、テレビで色々と解説なさっておりますなー。

目下は、高年齢の重症患者の増加と、それに伴い医療現場が危機的状況となりつつあり、早急の対処が必要とされている状況を切々と訴えていますなー。

行政にはなかなか届かないようですが・・・・。

行政は、マスクではなく、間違えて耳栓をしているのでは無いの???

ベットの不足、救命機器・技師の不足、医師・看護師等の不足などが大きな問題となっている現状のようですな。

国民・住民は時々、国行政や地方行政に、騙されたのではないか、と言う感情を持つようになってきてますなー。幾分賢くなって来ていると言う事なのでしょうか。

例えば、行政は「新コロ」対策として、入院用に必要な病床数を○○○床確保している。などと、「新コロ」に感染したなら、直ぐにでも入院でき、治療を受けられる体制を整えいてるがごときの発信をしてますなー。

しかし、その内容は、行政は、感染の拡大に伴って、必要となると予想したベット数の確保を医療側に要請したり、申し入れたりした、と言うような場合が多く、行政の言う病床数の確保は、実際に入院が必要な事態の発生の時に、直ぐに使える病床数では無いのですよ。

実際に、入院に必要なのは、ベットだけでなく、必要な医師・看護師、救命機器・その技師、薬品等々が確保されて無くては実際には役にたたないのですよ。

このようなことは、既に3月頃から、専門家がずーっと指摘していたことですよ。

それを行政は、いつまでも「新コロ」に感染したなら、入院して、治療が可能な状態を確保しているがごとき、発信をし続けてきているのですよ。

国民・住民のほとんどは、行政が「新コロ」のために、例えば、1000床を手配済みだと発信すると、もう何時でも入院できると勘違いしているところが大なのですよ。

それは、行政側は、国民・住民が勝手に誤解したもので、そんな事を発信してはない、と言うのでしょうね。

しかし、国民・住民の大部分は、まずは、自分達の好都合なように聞くのですよ。それが、次第にそうではない、問題があるのだと言うことに気付きだし、騙されたと言う受け止め方をするようになるのですよ。

以前から、政府・与党側の国会の答弁に用意された官僚側の作成した想定答弁書が、事態の進行の状況で、いく通りにでも解釈が可能な文章となっていることは、既に広く知られていますね。国会開催時には、官僚側は、連日徹夜して、政府の答弁用の文章を、色々な事態を想定して、問答集を作成してますね。

働き方改革に関わる想定問答集を徹夜で作成している事態は、もう笑っちゃうより御座いませんな。

 

と言うような次第も御座いまして、行政の発信している「新コロ」対策は、どう解釈するのが正解なのか、何だか得体の知れないところが御座いますな。

ただ、これまでの経験から、行政の発する「新コロ」対策は、遅きに失する事が、甚だ多いのではないのか、と感じられるのですよ。何時も、後手後手。

危険信号の煙が上がり始めると、しばらく注意深く静観しましょう。日本政府の危機に遭遇した時の決まりセリフです。これは、何も手を打たずに、眺めていましょう、と言う事です。

そして時が経過して、大きな火の手が上がってから、ようやくどうしょうどうしょうと騒ぐ羽目となるのです。

「新コロ」においても、春以来この連続でしたね。

火の手が上がってからの取り敢えずの後手後手の愚策。

数々こざいましたなー。

 

クルーズ船から陰性者を解放した時に、公共の交通機関を利用して良し、としましたね。たちまち、世界中から批判の声が上がりましたな。私ら素人でも、せめて専用の車(含むバス・タクシーなど)の用意くらい出来ないものかと思いましたよ。

 

いきなり、安倍総理は、いわゆるアベのマスクの全家庭への配布を行いましたね。国民に支払わせた税金を使ってね。聞くところでは、国民の生命を案じてよりも、お気に入りの側近の官僚が、政府の人気取りにやっら、と注進したのが始まりだったとか。政策の方向が、腐ってますなー。皆さんは、もうお忘れですか?  ねー。

 

すわ、前安倍総理、感染が拡大しては大変と、文科省にも通さず、小中高校の一斉休業をいきなり発令しましたね。現場は大混乱でしたね。後始末をするのが、さー大変と言う事態発生で、呆れてしまう愚策でしたなー。もー、忘れちゃってました?  とかく、新たな事態が発生すると、以前の問題を直ぐに忘れちゃって、目先の興味を追いかけますのが、常ですからね。

 

続いて、国民全員に一人頭一律10万円を配布しましたな。この愚策を発表した時の前安倍総理の記者会見は、全く要が得られるものではありませんでしたが。すごくわかりよく言えば、国民は「新コロ」疲れしているようだから、10万ずつ配布する、と言うようなものでしたね。疲れを癒すには、現ナマが一番、て言うことのようですなー。政界は、それがまさに常識なのでしょうな。

もー、すっかり忘れ去ってましたか?  10万円で、すっごく癒されたでしょー。

なんで、10万円ずつ配布することになったのか、未だに、意味不明ですなー。事情は公明党の申し入れによるもののようですが。なぜに、10万円なのか、訳がわかりますかー。

国民の大部分は、予定外の10万円を貰って、大儲けー、と言う事態だったのでしょうね。5人家族だと50万円になるからね。

税金がこのように訳が分からないまま、ばら撒かれちゃったのですよ。当然のこととして、国としてやるべき仕事が、予算欠乏で、出来なくなって来た。

その穴埋めに、病院の窓口で納める医療費の負担率を値上げするのだってさ。何なんなのでしょうね。このやり口は。

10万円貰って浮かれていたら、何だかんだで、これから色々と取り返されてしまいそうですよ。

 

ゴートゥー 何チャラ。これは、現在、最も関心が高くなってますな。

安倍内閣の打ち出した愚策のさえたるものですなー。

「新コロ」対策としては、外出自粛を基本としていましたね。

この基本励行の最中に、旅行に行け、飲み食いに励め、政府が支援金を出す、と言う政策がどうして出て来ることになったのでしょうね。

景気が落ち込んで苦しんでいる観光・飲食関係者を助けたいのなら、ダイレクトに、観光・飲食関係者に支援金を出すなりすれば、最も手っ取り早いのでは無いのでしょうか。

例えば、鉄道・バス会社やホテル・旅館、飲食店等に「新コロ」感染予防の設備を徹底させ、感染の確率をうんと低くした状況を作り出し、その上で営業すると言った体制を整え、行政がそのための資金援助をするとかさ。要は、「新コロ」感染抑止を徹底した上で、営業可能な状態を作れば、客は自ずと来るのでは無いのでしょうか。旅行や飲み食いをしたがっている人々は、わんさといるのですから。

それを、マスクをして、手指消毒をして、ソーシャルディスタンスをとっていれば、感染は防げる。てな安易な宣伝で、旅行に行け、飲み食いに励め、支援金を出してやるなどと、国民を積極的に移動させて、観光・飲食関係者にそのことによって期待されるかも知れない利益を期待させる間接的な施策は、なんなのでしょうな。

言わせてもらえるなら、旅行や飲み食いに出かけたい人は、何も、税金から支援金を出さなくても、わんさといるのですよ。「新コロ」感染防止対策がちゃんとできてればね。否、この対策がちゃんとしていなくたって、出歩きたい人々は多数存在していますよ。

どっちかと言うと、旅行に出かけたり、高級ホテルのレストランなどに出かける人は、税金からの支援が無くても出かけられる人達なのですよ。なのに、そこになぜ税金から支援しなければならないのでしょうかね。何考えてんだー、政治家先生たちは。なに、選挙で国民有権者に選出されて、国政を委ねられているのですって。本当ですか。こんな先生方を好んで選挙で選出した有権者がいるのかね。本当かね?

 

ゴートゥー何チャラは、概括的に、落ち込んでいる経済の活性化を企図した施策だと、行政は盛んに宣伝にをしているようですが、どうも、方向が違うのでは?

「新コロ」の感染抑制策として、政府は基本的に外出の自制を強く要請しましたな。

そしたら、いろいろな方面にそれに伴う不利益を被るところが出て来ましたな。

その中で、観光・飲食に関わる企業の落ち込みが、メディアで大きく取り上げられましたな。落ち込んだのは、観光・飲食に関わる企業だけでは御座いませんよ。メディァは、観光・飲食に関わる企業の状況を取り上げ易かったのでしょうね。

観光・飲食に関わる企業以外にも、落ち込みが厳しい業種はいくらでも御座います。観光・飲食に関わる企業だけで、経済が回っている訳では無いでしょう。

 

観光・飲食に関わる事柄は、一般的には、視聴者の関心の集まり易い話題ですからね。

とにかく、観光・飲食に関わる企業の落ち込みが激しいと連日どのテレビ局でも、取り上げていましたな。

それで、行政はゴートゥー 何チャラを考えついたのですかね?

 

ついで、秋が来て、専門家が心配していたように、「新コロ」の感染が急増してきましたなー。

それには、ゴートゥー 何チャラ(トラベルとかイートとか)政策が影響しているのでは、と言う見方が出ましたなー。

そしたら、菅総理は、ゴートゥー 何チャラで、人の動きが活発になったが、ゴートゥー 何チャラで出た陽性者は僅かだ、と言い切りましたな。なんたる政治感覚でっしゃろうなー。

国民の多くは、出歩いて良い、と言う政府のお墨付けをもらったので、大喜びでしたね。

遊び歩き回って、飲み食いしたら支援金を貰えるぞと、もう大はしゃぎですだよ。

「新コロ」の感染は、急上昇。アッタリマエ!

行政は、流行初期から言っていた

マスクをせよ!

手を洗え!

ソーシャル ディスタンスをとれ!

などを連呼するばかり。

もう、これは、行政は既におおかみ少年化してしまっていて、国民の大部分には聞こえなくなっちゃったみたいですよ。

 

蛇足ですが、国民の方も、ある部分では、おおいに誤解してしまっている向きも多いのではないのでしょか。

マスクさえしていれば、「新コロ」には感染しない。

手指消毒すれば、「新コロ」には感染しない。

手洗いすれば、「新コロ」には感染しない。

社会的距離(ソーシャル ディスタンスちゅーの)をとっていれば、「新コロ」には感染しない。約2メートル離れていれば、大丈夫。「新コロ」には感染しない。

三密を避ければ、「新コロ」には感染しない。

部屋の換気が良ければ、「新コロ」には感染しない。

などなど、このようなこと事柄を、守っていれば、「新コロ」には感染しない、と信じている人が割合多いのではありませんか。

例えば、ゴートゥー 何チャラで歩き回っている人に、テレビ局の方がインタビューすると、上記のような事に気をつければ大丈夫、と応える人が、実に多くいますよ。

 

基本に立ち返りまょう。人と接触すれば、「新コロ」の感染はあり得るのです。

上記のようなことは、感染の確率を下げる一手段に過ぎないのですよ。このことを良く理解しなくてはなりませんね。

 

そんな事はないでしょ、と言う方がおられるかも知れませんが、今の多くの方達は、とにかく、出歩き、遊び回り、酒を飲み、美味いものを食する事が、大好きなのですよ。生き甲斐なのですよ。

だから、この生き甲斐を実行に移すためには、何か相応しい理由がなくては、格好がつかないのですよ。

このような局面では、上記に書いたような事柄が、もってこいの弁解の言葉となるのですよ。

 

とにかく、春以来ずーっと、「新コロ」の感染から逃れるための方法として、上に記したようなことが、繰り返し言われてきたのですよ。

だから、今の「新コロ」感染急増の事態に、また、行政が同じお題目を唱えても、多くの人々の耳には聞こえない現実があるようですよ。

そして、上に記したような事は、国民一人一人が配慮した方が良い事柄で、国民一人一人の配慮ではどうにもならない事柄については、行政がやらなければならない事柄です。

だから、「新コロ」感染が急増している現在は、現状に効果的な行政の施策こそ切望されているのですよ。

それを、依然として、個人の努力だけに期待する行政の姿勢は、どうしたものでしょう。

感染増加を抑えるための行政的手法を、考え出せないのでしょうか。

例えば、医療に関わる設備の整備だとか、感染者の治療体制の整備とか、予防薬・治療薬の開発の支援とか。「新コロ」傘下の教育制度の整備とか、行政でなくてはできない事柄が山積みなのでは御座いませんか。

ある程度の事は、やっているらしいですが、とにかくトロッコイことばかり、現場には届かないのですよ。まさに、鎮火してからやって来る消防車のようで、相変わらずの後手後手。

 

医療に関わる設備の整備は、「新コロ」のための病床数増加が必要とされていますね。入院させることができない陽性の患者さんを軽傷と言う判定で、家庭へ帰したりしているようですが、他にも原因があるのでしょうが、予想通り、家庭内感染が増加してますね。

仮の避難場所として、ホテルの部屋を「新コロ」のために確保することが行われていましたが、一方でゴートゥー 何チャラを奨励しているので、ホテルの部屋確保がおざなりになっている話も聞こえて来てますが。

また、ベット数だけ確保しても、そこに患者を迎えれば、機器の数も増加する必要があり、医師、看護師、機器技師らの増加をしなくてはならないでしょう。その手当は、個人が努力したところで、どうにも何ないのだから、行政がやらなきゃならない事柄ですよ。

それが、またまた感染者急増の事態に、毎度の後手後手。ベット数だけ確保しても、使える状況では御座いませんのでは。

この点についての学習能力と言うのは、行政にはないのですかね。何度でも、何度でも後手後手を繰り返してますなー。

 

都会の大病院でも、エクモや人工呼吸器の不足が叫ばれていますし、医師・看護師の不足はますます大きく、常体化して来てますな。

この点の地方は悲惨ですね。従来医療費の負担が嵩んでいるとの理由で、地方の病院は物凄く数が減らされましたね。そのため、地方の市町村では、「新コロ」に対応できる病院などないのですよ。

そのところに、ゴートゥー 何チャラのせいもあるのでしょう地方に「新コロ」の感染拡張の波が押し寄せていますなー。

この局面に対する行政の対応は、どうなっているのでしょう。 PCRの検査だって、すぐにできる地方は、多分すごく少数なのではないのでしょうか。極端な想像では、「新コロ」の検査を受けられず、例えば肺炎として処理されて、落命してしまう場面だって、あり得るのではないのでしょうか。

医療関係者の増員だって、カップメンでは無いのだから、お湯をかけて、はい3分で一丁上がり、とは参りませんよ。

医療関係者の増員のために、はい○兆円と予算の数値を見せただけで、はい一丁上がりとは行かないのですよ。

従来の医療関係費の削減が、今まさに大変な負債となってのしかかっているのですよ。「新コロ」の流行以前から、医師、看護師など医療従事者の不足が問題とされていたのですから。桜の花見など、不要なところに手間暇金をかける事は、惜しみませんが、肝心の国民の生命を守るところには、徹底して手抜きを断行して来たのですから。そのツケは、いざ危機到来と言う時には、実に大きいですな。

国民の生命と生活は、絶対に守りますなどと、何時も大見得を切っていますが、お題目を唱えるばかりで、やる事は、医療費の大幅削減を実施してますなー。この感覚の政治家さんをなんとかしなくてはねー。

でも国民有権者の多くは、このような人を国会議員にすることが大好きだから、どうにもなら無い現実が横たわっているのですだよ。半惚ジジーのボヤキで御座いますだ。

 

まだまだボヤキ足りないのですが、あまり長ったらしくなると狼少年になってしまうので、中途半端ですが、本格的ボヤキは次回へ回します。

ね! これはいかんと気が付けば、政府と違って、転換が早いではょう。

 

どうも、お疲れ様でした。

またのお越しをお待ち申し上げます。

 

お後がよろしいようで。

「停念堂閑記」134

《停念堂閑記》134

 

「「日比憐休独偏記」39 

 

「分かりきった基本に関わる話 」1

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、間抜けな話で御座います。

いくぶん具体的に申しますと、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない、要するに間抜けな話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

ヒマ潰しにすることは、須らくおよそアホくさいもののようですな。

ところが、このアホくさいと思われた中から、凄い事が産まれる事があるんだって。

しかし、殆どはアホくさい事は、アホくさい事なんだそうですだよ。

間違い御座いません。《停念堂閑記》がそれを証明している代表的なものですだ。

 

定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

 

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

 

打倒、閑、暇、ひま、ヒマーッ!

A A O!  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

情けねー! トホホ。

  

ところで、暇を持て余していた私こと日比憐休(ひびれんきゅう 一年を通して連休である事を、もじった号なのですよ)にも、色々事情が発生しまして、しばらくの間、こちらが休業状態になっておりましたが、ちょっとだけ開業しようかと、久し振りにパソコンのキーを叩き始めて見ました。

それで、早速間抜けな話を開始したいと思います。

 早い話が、いつもの半惚ジジーのボヤキですだよー。

 

 

特に、これぞと言う意趣がある訳では御座いませんが、間抜けな話のトップを飾るのは、何と言っても、「新コロ」(新型コロナウイルスの略称です)対策に、失敗し続けた前安倍内閣に続いて、それを引き継いでいる菅内閣をおいて他は御座いませんでしょうなー。

このところ、「新コロ」の感染者が急増したとメディアが大騒ぎ状態になってますな。

「新コロ」感染者数の急増の原因について、実に色々諸説紛々としておりますなー。心当たりの事柄が色々と多数考えられるという事なのでしょうな。

その中で、間違いのないことは、「新コロ」は人と人の接触により感染するということですね。この点については、一部の人々を除いて、専門家、素人問わず、共通の認識となっている、と見て良いのではないでしょうか。

人が動けば、「新コロ」が感染る。

行政関係者の中には、その認識に極めて希薄なお方が見られたりは致しますが。どなたとは申しませんよ。殆ど皆んな・・・。

 

要するに、平易に申しますならば、人と人との接触がなければ、「新コロ」は感染しない、と言う訳です。

 

だめ押し的に申せば、人と人の接触があれば、感染の可能性が発生する、と言うことですね。

 

これが「新コロ」の感染に関わる基本中の基本知識ですよね。

表現がシッコイ、クドイでしょ。

これには、これなりの理由が存在するのですよ。

余程砕いた表現で、繰り返し繰り返し言わないと、話が通じないご時世だ、と言う事ですよ。

 

脇道に逸れますが、今の日本では、兎に角、話が通じない事が多過ぎるのですよ。そうはお感じになられませんか。余程具体的に言わなければ、話が通じませんよ。

特に、若年者には、全然通じませんなー。

因みに、ここで言う若年者と言うのは、間も無く80歳になろうと言う存在から見た若年者と言う事ですだよ。

想像と違ってました?  ねっ。聞いてみないと、分からないでしょう。

兎に角、表現者は、その立場から、好きな表現をする訳であり、それを聞く人は、聞く人の立場で好きなよう、自分にとって好都合のように聞く訳であって、それぞれ自分の都合で表現し、自分の都合で聞く訳です。

このギャップが、兎に角、大きく感じられる今日この頃なのですよ。そうは、お感じになりませんか。

皆んな、それぞれ自分の都合のいい行動をとりたがっていると、感じられませんか。

ものすごく具体的に表現しても、聞く人に関心がなければ、何にも伝わりませんしね。都合で、トボけてはぐらかす人のなんと多い事でしょう。

人間は、とかく自己の都合を優先しがちですが、日本における昨今の傾向は、これが著しく強くなっている気がするのですよ。

幼い頃から、お受験、お受験で育てられたからなのでしょうかね。他人の立場は、どうしても二の次になりますよね。

私の独偏(独断と偏見の略語で使います)ですけどね。自分を見ていると、つくづくよく分かるのですよ。

 

このような状況に関わり、半惚ジジーのボヤキを入れますと、従来の常識と思われてきた事が、全然異なる常識に変身していると言う事があるですだよ。

これまで常識と認識していた事が、もう、非常識に化してしまっている事が多々あるのですよ。

例えば、他人に何かを頼み、骨をおって貰った場合に、依頼者は有難うと謝辞を述べる。ここまでは、当たり前と思うのですよ。ところが、この依頼者の謝辞に対して、依頼され協力を惜しまなかった人が、いやいやどう致しまして、大してお役にも立てず、と応対したら、これが何を上から目線で偉そうに、と言う事態になると言うのですよ。

じゃあどうすれば良いかと言うと、有難うと言われたら、有難うと応対すべき、と言う事らしいのですだよ。これで、平等、対等が保たれる、と言うことのようなのですよ。

メディアでは、これが一般的となっているいるように感じらる今日この頃なのですよ。このような場面の応対に気を着けて、テレビを見てみて下さいよ。何かを頼まれて、協力した側の人が、どうも有難うと謝辞の挨拶を述べるのは、何とも違和感を催す半惚ジジーなのですよ。

例えば、時節柄、「新コロ」の話題で、テレビ局の要請で、ご多忙の中、時間をやりくりして番組に出演してくれた、「新コロ」に詳しい医師に、番組の終わりに、司会者がどうも有り難う御座いましたと、謝辞を述べると、要請されて招かれた医師は、決まって有り難う御座いました、と応答するこの頃なのですよ。

出演した医師は、きっと、有り難い心境では無いはずなのですよ。多分迷惑な事情にある場合もあると思うのですよ。

迷惑をかけられた側が、どうも有り難うと言わなければならない道理があるのですかね。

今は、極めて一般的に見られる光景ですが。

 

従来の常識が通らなくなっている現実の一例です。

他にも色々多数見られますなー。時の遷り変りにより、人も代わり、いや変わりか、それに伴い事態の認識も変わり、常識も変わる、と言う事なのでしょうなー。

脇道の半惚ジジーのボヤキで御座います。

 

話を本題に戻します。

他人に何かを伝えるのは、なかなか厄介な現状ですよ。

要するに、他人に何かを伝える場合には、具体的に、シッコク、クドったらしく、何度も何度も、繰り返し、繰り返さないとダメのようなのですよ。

これが、いわゆる丁寧にと言う手法のようですなー。

しかし、何度も繰り返すうちに、オオカミ少年になっちゃうし。弱ったもんですだよ。

 

「新コロ」に関しては、現在の感染急増に関係しているのは、行政の推し進めた、いわゆるゴートゥー 何チャラだと言う見方が強くあるようです。

ゴートゥー 何チャラにより、人の動きが活発化した。これが「新コロ」感染者数の急増を招いたのではないのか、と言う見方で御座いますなー。

これに対して、菅総理は、ゴートゥー 何チャラによって実に多数の人々が移動したが、この動いた人達の中で、「新コロ」に感染した人は、ほんの僅かで、ゴートゥー 何チャラが、「新コロ」感染急増を招いた事実はない。と言う判断を、繰り返し述べましたな。

この菅総理の判断が、言ってしまえば、何とも評しようが無い御粗末極まりないタワゴトと言うより言い様が御座いませんな。

基本的に前安倍総理の政策を継承すると言っていましたから、ゴートゥー 何チャラも引き継いでいるのでしょうな。

漸く前安倍総理が辞めてくれたかとホッとしたのも束の間、今度は菅内閣。やれやれ今度もスカか、と諦めなくてはならないような状況ですな。

何度でも言いますが、「新コロ」の感染は、人から人へ、人を媒体として感染していくのですよ。「新コロ」についての最も基礎的な知識ですよ。だから、感染を抑制するには、人と人との接触を抑制するより無いのですよ。

今時の常識人は、誰でもが知っていることと思いきや、これが何とも怪しい状況でんな。

そもそもゴートゥー 何チャラは、分かり良く言えば、大いに動き回れ、旅に出歩け、遊びまわれ、且つ飲み食いに励め、これをやってくれた人には、税金から援助金を支給するぞ、と言う政策ですよ。

「新コロ」の感染を抑えなくては、と言う真っ最中に、何や、何や、もはや、常識もへったくれもあったものですか。

前安倍政権チャー、何だったのだ。さらに、これを踏襲する管政権チャー、何なのだ。スカじゃー。と言いたくなる気持ちをご理解頂けるでしょうか。

ゴートゥー 何チャラは、「新コロ」の感染急増に、何ら影響していない、と言うのですよ。

政府が、国民の皆さんよ、皆んな歩き回れ、旅に出ろ、遊びまわれ、飲み食いに励め、金は出してやる、と言うのだから、多くの国民は、すっかり浮き足立ってしまい、舞い上がってしまったのですだよ。もちろん、批判的ご意見をお持ちの方も、いますよ。しかし、大方の雰囲気は、浮き足立っているのでは?

国民の大半は、面白い所を歩き回り、美味いものを食べ歩くのが、大好きなのですよ。これが、多分、今や多くの人々の生き甲斐と言って良いのでしょうね。

だけど、春からの「新コロ」対策で、兎に角自粛を強いられていたところに、ゴートゥー 何チャラだ、行け行けゴーゴーの政府のお墨付きが発せられ、地方行政もこれに倣って、何チャラ ポイントだ、クーポンの発行だとか、後押ししたたわけですよ。

行楽地は、紅葉の見頃じゃー、ライトアップじゃー、連休だなどと蜜蜜蜜状態の出来ですだよ。立派な「新コロ」感染急増のシチュエーションが作られたのですよ。

出歩き、飲み食い歩きする、絶好の口実が降って湧いたのですら。

それを、ゴートゥー 何チャラは、「新コロ」の感染急増に、何ら影響していない、と菅総理が言い切っていたのですから。この感覚、判断は、一体全体何なのです。呆れ返ってトックリ返りますだよ。

繰り返しますが、人が動けば、「新コロ」の感染が増加するの。これ常識中の常識ですだよ。

さらに、ゴートゥー 何チャラは、「新コロ」の感染急増に、何ら影響していない、と言い切っておきながら、それに対する世間の批判、風当たりが強くなると、今度は、たちまち、ゴートゥー 何チャラは、地域を限定するとやら、一時停止するとやら、延期するとやら、何とかかんとか、シヤーシャーと言い出す始末なのですよ。

もー、場当たり主義の何ものでも御座いませんな。もー、目先の状況によって、いくら「新コロ」とは言え、こうコロコロ変わられてはね。

 

ゴートゥー 何チャラは、落ち込んだ経済復活の切り札のように、言われていますが。

なんか、チャウンやないのかなー。何て感じたりもしているのですよ。

今や、日本経済は、観光・飲食業だけで回っているのでしょうかねー。

そーかなー。 

車、電化製品、機械類、道具類をはじめとする諸々の生産、流通、販売などが、日本経済の核心を支えているのではないのですか。

分かり易い事を言えば、基本的には、衣食住を支える経済活動が、必須です。

このうち、例えば食に関連しては、コメ、麦など主食に関わる食品の確保は、なくてはなりませんよ。農産物、畜産物、海産物などの必要量は、絶対になくてはなりませんなー。

これらことに関する企業は、ちゃんと営業して貰わないと、国民の生活が持ちませんよ。企業キットしっかりやっているのでしょうね。

 

ところで、いささか? ものすごくかなー?  乱暴な事と思われてしまうでしょうが、そのあたりを独偏で申しますと、酒を飲んでドンチャン騒ぎをする場所が、かつて好景気で浮かれてた時代のように、「新コロ」傘下では、こんなに多数存在できるのでしょうか?  

よくは分かりませんが、「新コロ」の傘下では、酒を飲んでドンチャン騒ぎをする場所は、自然淘汰されて、それなりの数に収まるのであろうと思われます。これまでの好景気の時と同じようには、なかなか参らないのだろうと思うのですよ。

このような状況の中、やむなく倒産を余儀なくされる場合も出てくるでしょう。また、方向転換を余儀なくされる場合もあるでしょう。

このような状況に、行政が何をしなくてはならないのか、ここが基本なのではないでしょうか。

思いつきで恐縮ですが、酒を飲んでドンチャン騒ぎをする場所は、「新コロ」の傘下では、これまでと同様には維持できない。では、どうするか?  酒を飲んでドンチャン騒ぎをする場所に、「新コロ」の感染防止の設備を徹底して整えさせる援助をして、必要数の維持を図るとか、酒を飲んでドンチャン騒ぎをする場所から方向転換して、別の「新コロ」の傘下でやって行ける職種に進むのであれば、積極的にその援助をするとか、「新コロ」の傘下で生き延びるための方策を考えるよりないのではないのか、と思うのですよ。何も、今までの状況に復することばかり考えて、一時凌ぎに現ナマをばら撒くよりは、将来を見据えた「新コロ」傘下でやって行ける方策を考えるべきでしょー。ちゃいまっか!

 

とにかく、酒を飲んでドンチャン騒ぎをする場所が、あたかも日本経済の生命を牛耳っている状態のように認識していいのだろうか、と言うことなのですよ。

ね。相当乱暴な見方のように感ずるでしょー?

 

ちょっと、このあたりの事にも、思慮を及ぼす事も大事ではないのかなー、と感じたりするのですよ。

勘違いなさらないで下さいよ。酒を飲んでドンチャン騒ぎをする場所が不要だ、無くなってしまえば良い、と言っているわけでは、毛頭御座いませんよ。

酒を飲んでドンチャン騒ぎをするのが生き甲斐、いわゆる夜の街に行く事が何よりの楽しみ、そのために気が進まない嫌な仕事も、我慢してやっているのさ、と言う存在のお方も、大勢おられる事でしょう。それを悪いと言っているのでは御座いませんよ。それはそれで結構ですよ。

しかし、それがあたかも日本経済を動かす原動力のように認識している政府行政の認識と施策を疑っているのですよ。

そのような施策が、明確に現れたのが、ゴートゥー 何チャラだと感ずるのですよ。

経済の活性化を企図して、ゴートゥー 何チャラを大々的に実施する。分かり良く言えば、大いに動き回れ、旅に出歩け、遊びまわれ、且つ飲み食いに励め、これをやってくれた人には、税金から援助金を支給するぞ、と言うのですよ。

一方で、「新コロ」の感染を食い止め無くてはならない、そのためには、出歩きは自粛せよ、と繰り返し、繰り返し言っているのですよ。

おかしく、ありませんか。一体政府は、国民にどうせよと言っているのでしょうか。

その上、菅総理が、ゴートゥー 何チャラは、「新コロ」の感染急増に、何ら影響していないと、言い切ったのは、何だったのだ。

マスクの着用、手洗いの励行、三密の回避などで、「新コロ」対策は、万全と思っているのでしょうか。

安倍さんのあやふやな嘘っぽい発言には、辟易していましたが、またまたか?  政治家っちゃー、所詮およそこんなものですかいな。と感じなくてはならないのですだよ。

三宅久之氏が、ご存命であれば、きっと “ポンスケ” の連発ではないでしょうか。今や、そんな豪胆な評論家は見られなくなってしまいましたなー。皆んな、ソンタク、ソンタクでっか。時節柄、ソンタクロースばかりデッカー!

 

尤も、こんな政治家を選出したのは、国民有権者なのだから、この点をも忘れてはなりませんなー。

行政の諸愚の根源がこの辺りにあるのでは御座いませんか?  と言いたくもなってきたりしましてね。

こんな事書いたら、きっと、総スカン食っちゃうのでしょうなー。でも、誰も「停念堂閑記」など見てくれないだろーから、セーフかな。

近所の選挙用?のポスター数が、このところ「新コロ」同様、急増しているところからすると、国政選挙も、そう遠くでは無いかも知れませんし、何とかならないものですかねー。

やっぱり、神頼み以外に手がないのでしようか。

イケ神様(池上彰さんをもじったつもりでーす)何とかなりませんか。

 

半惚ジジーの小言、愚痴はなかなか終点が御座いません。

今日は、ここで止めます。

どうもお疲れ様で、御座いました。

こりずに、またのお越しをお待ち申し上げます。

 

お後がよろしいようで。

《停念堂閑記》133

《停念堂閑記》133

 

「停念堂寄席」81

 

「もうアゴを出しちゃったのかな ?

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、間抜けな話です。いくぶん具体的に申しますと、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない、要するに間抜けな話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

打倒、閑、暇、ひま、ヒマーッ!

A A O  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

 早い話が、いつもの半惚ジジーのボヤキですだよー。

  

さて、間抜けな話の開始です。

暫しの間、ヒマ潰しをしましょう。

と言うのが、平和時における「停念堂閑記」の本筋なのですが、今の世界中が「新コロ」(ここでは、「新型コロナウイルス」の略称とし、使用します。)と戦っている状態では、流石にそんな事している場合では御座いませんので、幾分、真面目にやりたいと思います。

と構えましても、大したことをできる訳では毛頭御座いません。ただ、ほんのちょっとでも、と言う程度のことで御座います。

もとより、他人様に、アレコレ言える立場では、毛頭御座いませんが、状況が状況で御座いますので、いらざるお世話ですが、思うところをほんの僅か書かせて頂く次第でございます。

どうぞ、表現に不快を感じられるところが多々あるか、と思われますが、なるべく分かり易くと言う愚かな配慮からですので、何卒ご海容の程をお願い申し上げます。

 

 

ところで、日本は ?

今や、「新コロ」の総攻撃を受けている真っ最中です。

「新コロ」弾が、時・所構わず、飛び交っておりまして、庶民は家防空壕に閉じこもって、必死に耐え忍のばなくてはならない状況です。

国民皆兵」となって、「新コロ」と戦わなくてはならない状況です。

皆さん、果敢に戦っていますか ?

「新コロ」との戦いは、まさに、国民一人一人と「新コロ」の戦いが基本となっています。

政府や地方自治体からお願いされて、頼まれたからやると言う性質のものでは御座いません。

この点を、ちゃんと自覚しなけれなりません。

国民一人一人が、「新コロ」に立ち向かわなければならないのです。

国民一人一人が、この事態をよくよく自覚しなければ、「新コロ」感染を防ぐことは難しい状況にあります。

しつこいようですが、国民一人一人の自覚にかかっている、と言うことですね。

心して、臨まなくてはなりませんね。

 

しかし、人間一人一人色々と事情を抱えて生きていますから、現実的には、その事情と「新コロ」との戦いと言う局面が現れますな。

すなわち、「新コロ」感染の防止は、とにかく人と人との接触の機会を無くする、と言う事に尽きるのですが、そのような観点から、例えば営業を自粛しなくてはならなくなったお店は、利益が落ち込んだり、さらに損出が大きくなって、生活そのものが潰れてしまう、明日の生活に困る、と言う事態になる心配があるのですね。

分かり良く言えば、「新コロ」対策の推進と明日の生活維持の二者択一と言う局面で、さー、どっちにするか、と迫られるわけです。

この選択を迫られたら、それはそれは困りますなー。

前に言ったように、「新コロ」感染の防止は、他人に言われたからやらなくてはならない、と言うことではなく、本来一人一人の自覚の元にやらなくてはならない事ですね。

すなわち、自己の判断で、この際、接触の場を無くした方が、「新コロ」対策として相応しいと判断して、お店の営業を休むことにした。そうすると、たちまち営業利益がなくなってしまい、生活が困窮してしまう、と言う事態ですね。

そもそも、最初に「新コロ」を発生させた奴が明らかであれば、そいつに損害賠償等の責任を取らせれば良い、と言う論理が成立するかも知れませんが、どこで発生して、誰がこのような状態になるまで広めたのか、と言う事が明白になっいない状況では、責任の追及対象が分からないのですよね。

結局は、責任の追及が出来ない事態なのです。

 

また、考え方によっては、「新コロ」は、自然災害のようなものだ、と認識すると、基本的には、損害賠償等の要求の持って行き場がないのですよ。

しかし、自然災害でも場合によっては、行政が被災者に支援する、と言う事が行われて来た経緯があります。

この視点からすれば、この度の「新コロ」について、政府は、どうするのだ、と言う問題があります。

 

今、行政は、「新コロ」の感染を防止するために、色々と対策を講じていますが、その一つとして、感染を増長する可能性があると判断したお店に、営業自粛の要請をしているわけです。

それで、その要請に協力した結果、経営・生活が極めて困難になっている現実が発生している訳で、目先の対策として、どのように援助すべきかが課題となった訳です。

そこで、具体的に問題とされ出したのが、分かり良く言ってしまえば、政府がとった「新コロ」感染防止策のせいで、損害が発生したので、その補償をせよ、と認識する人々が出てきて、さー、どうしたものか、と言う現状のように見えますね。

また、他方では、行政の進める「新コロ」感染防止対策を効果的に進めるためには、これによって損害を被る人に補償をしなくては、協力を得られないのではないのか、と言う配慮をする人もいるわけですな。

 

そこで、この場合の対策を考えなくてはなりませんが、実情としては、困窮者に明日の生活維持対策を施す以外に、手っ取り早い救済の方策がないのではないのか、と言う事になるのですよね。

具体的には、明日の生活維持が困難になる人を、経済的に、誰が、どの様に援助するのか、と言う事になるわけです。

 

例えば、日本国民にとって、甚だ不幸な事例があります。

第二次世界大戦東京大空襲の時などは、被災者に、国 = 行政からの援助は、何もなかったのですね。行政には、既に、援助する力が皆無だったのですね。と言うか、戦時体制の下では、そもそもその様な発想自体無かったのでしょうね。

だから、家を焼かれた人に対する再建の援助金などあるはずはなかったし、商売ができなくなった人にも、何の援助も無かったのですよ。

どころか、その日の食に困窮している人にも、何等手を差し伸べられることはなかったのですよ。

国民は、ひたすら我慢をするよりなかったのですよ。

結局は、沢山の人が、死んでいったのです。

 

では、現在、「新コロ」対策に関わり、本来「新コロ」対策は、国民一人一人の責任においてしなければならないものであるから、それによって発生する損害は、個人が負担すべきだ、として個人に諦めてもらうよりない事態だ、と言う考えがあるかも知れませんね。

 

また、行政に協力させられて、そのために明日の生活維持が困難になったのであるが、それも仕方のないことだ、協力者に対して、諦めて、全て我慢しなければならないのだ、とする考え方もあるかも知れませんね。

 

しかし、現在は、そのような社会情勢ではない、と考える人もいるわけです。どちらかと言えば、こちらが現在の大勢でしょうね。先の大戦中とは、社会の事情が全く違っていますからね。

 

そこで、大まかに言って、困っている人に援助しなくてはならないが、この時に、重要なのは、どの様な理由で、誰が、誰に対して、どの様にして、援助するかを明確にしておかなくてはならないと言う事ですね。

 

この点を明確にしておかないと、実際に、援助を実施する段階で、社会の現状はすごく複雑ですから、色々な状況が現れますので、その時に、どう対処するのか、その基本的な基準を明確に持っていなければ、現実に対応できなくることが想定されるのです。間違いなく、難しい事態が発生するでしょう。

 

例えば、個人が、その判断で、どのようにして援助するかは、自由ですが、行政が援助するとなると、分かりきった事ですが、税金を使用して、援助すると言う事になるわけです。

税金を使うとなると、その目的・方法を明確にしておかなくてはなりませんな。あったりまえのことです。

この点を明確にせずに、闇雲に目先の補償に走ると、とやかく問題が発生してくるのですよ。

 

そこで、まず最初に、そもそも損害補償をしなくても良いのか、あるいは、本来はしなくても良いのだが、現状を鑑みて、損害補償をした方が良いのか、あるいは、本来損害賠償をしなくてはならないものなのか、と言う基礎的な問題をクリアーしておく必要があるように思われるのですよ。

 

このあたりの問題を、すっきりさせておかなくては、たとえ損害賠償をするにしても、また、しないにしても、損害賠償をする方も、される方も、納得がいかない状況になってしまう恐れが生ずるのではないのかと思われるのですよ。

 

半惚ジジーの独偏(独断と偏見)では、現状は、初めは、テレビで、国民に10万円支給すれば良い、とする政治的意見がある、と言うような報道がありましたね。

何のために、誰が、誰に、どうやってと言うような具体的な内容は、全く分からないまま、10万円支給すれば良い、と言う意見のあることが、テレビで流されていましたね。

 

これが引き金になったのかどうかの事情は詳しく知る由も御座いませんが、政府がこの問題を取り上げて、何処でどうなったのかよくは知りませんが、半惚ジジーに伝わって来たところでは、政府が必要な条件を設定して、それに合う人には、30万円を上限として支給するようにした、と言うようなことでしたよ。

詳しい具体的な内容・経緯は、きちんと認識はできませんでしたね。

とにかく、政府が設定した条件に合う人には、30万円を上限として支給する、と言う方向で、政府の意見がまとまったようだ、と言うことが、伝わって来ましたね。

また、これは、その直前に国会で成立させた補正予算外で行うものだ、と言うことが、伝わって来ましたね。

何を目的としたものかについては、「緊急経済対策」であり、「新コロ」流行により、収入が減少した一定基準以下の人への支援と言うような事でしたかね。

 

この支援金給付の目的は、「緊急経済対策」としているから、「新コロ」の流行によって生じた経済の冷え込みに対する、政策の一つとして行うものだ、と言うのが政府の立場とみられますね。

すなわち、砕いて言えば、「新コロ」の流行によって、低所得層が経済的に困窮している。そこで、政府の方で設定した条件に合う低所得者に、現金で30万円を上限として支給する。このようにすれば、低所得者の助けになるし、支給した30万円が生活費として使用されて、市場に出回ることになるので、経済活性化政策上も望ましい、と言うような判断に基づくものと理解されましたね。

 

ところが、この支給が政府で決められてすぐに、設定された条件では、手続きが極めて複雑で、支給されるまで随分時間がかかる。すなわち、今現在困っている人に、直ぐに支給してあげなくては意味がないのに、実際に支給するまでに時間がかかりすぎる、スピードに欠けると言う批判が出て来ましたね。

また、支給する対象が狭いとか何とかと言うような意見が湧き上がって来たようでしたね。

 

こんな状況で、色々ガヤガヤ騒がれている内に、突然、総理が、条件つきの30万円の給付はチャラにして、国民一律に一人当たり10万円を支給するようにしたい、と言い出しましたね。

そして、これは、先に成立させていた補正予算の内でやる事にする。と言い出したのですね。

すなわち、一度国会で決めた補正予算を破棄し、組み替えが必要になった、と言う、前例のない、かなり大きな変更という内容ですね。

そして、条件つき30万円の目的は、何だか明白を欠くところが御座いましたが、主に、低所得者への援助と言う意味合いがあったもののように感じていましたね。すなわち、このような税金の使い方は、妥当である、と言う世論が強かったように思われましたね。

 

ところが、今度の10万円支給は、国民一人当て、一律10万円の支給、と言うことで、低所得者への援助と言う意味合いが、何処かへ吹っ飛んじゃったのですよ。

 

すなわち、支給の目的が、全く違ったものになっているのですよ。支給をすると言う目的の最も基礎部分が変わっちゃったのですね。政策の発想が、コロッと変わっちゃったのですよ。

 

すなわち、この点についての安倍総理の説明では、

 

「ほとんどの国民の皆様が外出を自粛しなければならない。どうなるかという不安のなかにある。ここは国民みんなでこの状況を乗り越えて行くということにおいては、一律10万円をすべての国民の皆様にお配りするのが正しいという判断になった」

 

と言うのですよ。

なんやら、分かりにくい総理のご説明ですが、独偏(独断と偏見)で強いて分かり良く言えば、最も苦しい状況にある低所得者への援助よりも、「新コロ」感染防止のために、我慢して外出を自粛し、不安の中にいる国民に、この窮地を乗り越えるために、一律10万円を配るのがより正しいことだ、と言うことですよね。

 

これは、安倍総理の記者会見で出た、総理自身の声ですが、なんだかゴタゴタしている中、与野党の国会議員の先生方が、寄ってたかってこのような判断に至った、と言う結論で、安倍総理も、結局は、低所得者への30万円給付を撤回し、全国民へ一律10万円を給付することに、賛同したと言うことです。

 

なんだかよく理解できませんが、この全国民への一律10万円の給付の目的は、結局は、「新コロ」感染防止のために、外出を自粛し、どうなるか分からない不安に耐えている国民に対して、この事態を乗り越えるために配る金だと言うのですから、なんと言ったら良いのか、選ぶ言葉に窮しますが、要するに、うんと分かり良く言えば、不安に耐え忍んでいる国民に、一度徴収した税金、あるいは新しく発行する赤字国債から 1人に付き、10万円ずつ配りますよ、と言う事ですね。

 

さすれば、これは、例えば慰労金あるいは慰謝料とでも言うべき性格のもの、と理解すれば良いのでしようかね。

この施策の意味するところが、今一つ分かりませんね。こんな施策は、すなわち、国民が不安に落ち込んでいるから、その窮地を乗り越えさすために、一人当たり一律10万円を支給するのだ、と言う政策は、これまで見たことがありません。生活に窮しているから、その救済のために現金を支給する、損害を被っているので、その補償の意味で、現金を支給する、と言うようなことであれば、分かりいいのですが。

そうではないのですよね。

すなわち、精神的に苦しい思いをしているので、その謂わば慰労とか慰謝とでも言うような意味合いで、現金を給付すると言うことなのですよ。

 

こんな何だか訳の分からない目的で、国費をばらまいて良いのでしょうかね。

実際に、「新コロ」のせいで、生活が窮地に追い込まれてしまった人々は、なにはともあれ、現金がもらえれば助かりますね。

この点については、国民の多くは、とやかくは申さないと思われますね。

しかし、より多数を占めると思われるサラリーマンの世帯では、そう早急に現金がなくては、明日の生活に困る、という状況ではないのでは、とも思われますよね。

しかし、多くの国民は、貰えないよりは、貰える方が良い、と言う立場でしょうから、何だか儲かったような気になるのですよね。

 

「新コロ」対策に関わる国民への給付金の発想は、最初は、落ち込んでいる経済の活性化の一助とする目的で、「緊急経済対策」として出て来たように言われていましたね。

要するに、国民に金を与えて、これを使わせることにより、冷えた経済を活性化させる狙いで始められた、と言うことですよ。誤解であったら、御免なさい。

さらに、経済の冷え込みで低所得者の生活が、極めて困難な事態になっているので、その救済の意味が込められた、と言うように理解されて来ていて、条件付きでこの救済的な意味が強い目的で、一旦は、30万円給付に落ち着いたかに見えたのですが、これがその様に決めた当の政府与党や野党からも、一律10万円給付へと変更の圧力がかかって、総理はあっさりとそれに乗り換えた、と言う事態のようですね。

 

モー、ナンやナンやですよ。

いくら「新コロ」絡みとは申せ、こうコロコロと変わられてはね。ホンマに定まらない総理でんなー。

 

だいたいにおいて、

 

「ほとんどの国民の皆様が外出を自粛しなければならない。どうなるかという不安のなかにある。ここは国民みんなでこの状況を乗り越えて行くということにおいては、一律10万円をすべての国民の皆様にお配りするのが正しいという判断になった」

 

と言う言い草は、一体、どう言う魂胆なんでしょうな。

経済対策とか、低所得者救済対策とかなら、話はわかりますよ。

国民は、外出を自粛し、行く末の不安の中にある。この状況を乗り越えるために、一律10万円をすべての国民配るのが正しいという判断だ、と言うのですよ。

意味が分かりますか。これに、大雑把な計算で、日本の人口約12,500万人×10万円の国費を使う、と言うのですよ。

必要な時、必要な所へ、適切な理由で国費を使うのは、当たり前の事で、おかしな話だと言っている訳では御座いませんよ。

しかし、何だか訳の分からない目的のために、こんな莫大な国費を使っていいのかねー。

 

もう少し、国民がなるほどと言う目的の設定が出来ないものですかねー。

 

本当のところは、「新コロ」について、これまで打った政府の対策は、すべて後手後手で、端的に言えば、失敗続きで、思うように「新コロ」の感染を防げなかった。ために、こんなに広がってしまった。その罪滅ぼしに、迷惑をかけてしまった国民に、慰謝料として、10万円を配布することにした、とでも、本当のところを言った方が、国民としては納得できますよ。この是非はともかくとしてですね。

 

国費を使うからには、その目的を明確に設定してもらわないとね。

こんな訳の分からない理由を掲げて、国費をばらまかれても、すっきりしないのですよ。

また、バラマキを実施し始めると、この実施の段階で、おそらく色々な問題が発生すると思われますが、その時に、適切な目的を設定してないと、対処する拠り所がないのですよ。

結局は、ばらまいてから、その目的をとってつけるようなやり方をすることになるのでしょうね。

その結果は、わかってますよね。

安倍総理お得意の、いい加減な言い訳と嘘で誤魔化しをしなくてはならない事態となるのですよ。

記憶にある近時では、森友にせよ、加計にせよ、桜を見る会にせよ、いい加減に誤魔化し続けて来たのではないのか、と言う疑惑が続いていますからね。

 

さらに、安倍総理が、国民に一律10万円を配布すると言ったら、すぐさま、麻生副総理が、欲しいと手を挙げた奴だけに配るのだ。欲しくない奴には、配らない。

こう言うことを公言するのですよ。

何も麻生さんの財布から、お恵みを頂く、と言う事では御座いませんよ。どんな感覚をお持ちなのでしょうかねー。

 

もー、この政府は、一体どうなっちゃっているのだ ?

何でも、言い放題か ?

もはや、政府としての体をなしておらず、とっくのとーに、崩壊してますなー。

この先、どーなるのだ。

 

ここではもっぱら国民に対する現金の配布について見てきましたが、他に、企業に対する補償など、その他種々の支援金と言うのか、助成金と言うのか、援助金と言うのか、様々な要するに金銭の支給がなされるようですなー。

これも、結局は国費を使う訳だから、目的を、明確にしてもらわないと、いけません。

何やら、訳の分からないバラマキが行われたのではたまりませんよ。

必要なところに金を出すのであれば、納得できますから、筋の通った政策でなくてはなりませんよね。

 

これからどんどん企業の倒産も増加するでしょうね。このことは、ストレートに失業者が増加し、今日の生活にも窮する人が、沢山出ると言うことです。

想像を絶する事態が、現実となるかも知れませんね。

この時に、いい加減な政策をやられたのでは、たまったものではこざいません。

いつもいつも一律10万円を支給できる、大金持ちのお国様が、存在している訳ではございません。

要するに、まともな政策をお願いしたい、と言う事ですよ。

 

気にかかるのは、安倍総理のマスク顔を見ると、もうすっかりアゴを出していることです。

 

本日も、ダラダラとつまらぬことを書き連ねまして、恐縮です。お付き合いくだされ、随分お疲れのことでしょう。半惚ジジーも、かなりまいっておりますので、これくらいで止めにします。

 

懲りずに、またのお越しをお待ちいたしております。

 

お後がよろしいようで