《停念堂閑記》131

《停念堂閑記》131

 

「停念堂寄席」78

 

国民皆兵  ?

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、間抜けな話です。いくぶん具体的に申しますと、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリの実にアホくさい、実にバカバカしい、実にクダラない、実に間抜けな話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

打倒、閑、暇、ひま、ヒマーッ!

A A O  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

 早い話が、いつもの半惚ジジーのボヤキですだよー。

  

さて、間抜けな話の開始です。今日は、「国民皆兵 ?」と言う事をネタにして、暫しの間、ヒマ潰しをしようと言う魂胆ですわ。

 

と言うのが、平和時における「停念堂閑記」の本筋なのですが、今時、世界中が「新コロ」(ここでは、「新型コロナウイルス」の略称とし、使用します。)と戦っている状態では、そんな事している場合では御座いませんので、幾分、真面目にやりたいと思います。

と構えましても、毛頭大したことをできる訳では御座いません。ただ、ほんのちょっとでも、と言う程度のことで御座います。

もとより、他人様に、アレコレ指図出来る立場では、毛頭御座いませんが、状況が状況で御座いますので、いらざるお世話ですが、思うところをほんの僅か書かせて頂く次第でございます。

どうぞ、表現に不快を感じられるところが多々あるか、と思われますが、なるべく分かり易くと言う愚かな配慮からですので、どうぞご海容のほどをお願い申し上げます。

 

 

さて、みなさん。

今日も、「新コロ」と戦ってますか ?

予想だにしていなかった、とんでもない強敵が突然出現して、今や、世界中が国を挙げて、この目に見にくい敵と戦わなくては、ならなくなってしまいましたね。

地域的な規模においては、もはや第二次世界大戦の比ではなくなってしまいましたね。

世界各地で、この目に見えにくい敵と、一人一人が戦わなくてはならなくなってしまいましたね。

言ってしまえば、人類皆兵となって、「新コロ」と戦っている状況です。

 

 

ところで、日本は、果敢に戦ってますでしょうか。

今や、「新コロ」の総攻撃を受けている真っ最中です。

「新コロ」爆弾が、時・所構わず、飛び交っています。国民は家防空壕に閉じこもって、被弾を避けようと、必死に耐え忍のばなくてはならない状況です。

国民皆兵」となって、得体の知れない「新コロ」と戦っているでしょうか。

「新コロ」との戦いは、まさに、国民一人一人と「新コロ」の戦いが基本となっています。

政府や地方自治体からお願いされて、頼まれたからやると言う性質のものでは御座いません。

国民一人一人が、「新コロ」に立ち向かわなければならないのです。

戦法の第一は、他人と接触しない事です。接触の場を作らない、と言う事です。

「新コロ」に感染するか、感染させるかを防ぐのは、他人と接触するか、しないかにかかっています。

 

ところで、「新コロ」と直接対決出来るのは、医療と治療薬です。

一般の兵士は、実は、各自が持つ自己の外出したいと言う欲求と、いや、ここは外出をしてはならないと言う抑制の心の対決と言う事なのですよ。

外出したいと言う欲求は、色々な弁解がましい論理でやって来ます。

例えば、自分一人ぐらい外出したからといって、大勢に影響を及ぼす訳ではないよ。とか、ちょっとだけだから、とか、これに類する自己に都合の良い理由を探す訳です。このホンの僅かの心の動きとの戦いなのです。

 

このホンの僅かの行動判断で、天地の大差が発生する事態もあります。

例えば、駅のホームに電車が入って来た時、前にいた人が、フラッとしたのを見て、咄嗟に10センチほど引っ張って、ホームに落ちるのを防いだ、となれば、人命救助の表彰状ものです。

これが、ホームですれ違いざまに、迂闊に10センチ程押してしまったために、押された人がホームに落ちて死亡してしまった。となると、こちらは殺人の扱いとなるのですよ。行為としては、ホンの10センチの差なのです。この差の判断で、天地の違いが出るのですよ。

だから、ここは一番、是非とも、ちょっとなら外出しても大丈夫と言う判断と、果敢に戦って勝たなくてはならない状況と認識した方が、良いと思うのですよ。

お釈迦様がおしゃったかどうかは、直接聞いたことは御座いませんが、ここ当面は、欲望を捨て去る事に最大の努力をしましょう。ここ一ヶ月ほどが、勝負です。

僅かの欲求に負けて、ダラダラと長期にわたって、「新コロ」の攻撃を受けるのはたまりませんから。短期決戦の方が、断然好結果が得られると信じるほか御座いませんね。

まー、分かり良く言えば、いわゆる不要不急の場合は、外出しない様に、とする行政のあまい呼び掛けとの戦いです。要するに、有要緊急の事態をいかに無くするかが、勝敗の分かれ目となっているのです。

国民一人一人が、この事態をよくよく自覚しなければ、「新コロ」に勝つことは難しい状況にあります。

国民一人一人の僅か10センチの行動判断にかかっている、と言うことですね。心して、臨まなくてはなりませんね。

 

よもや、戦いを逃れて、脱走兵になろうとしてはいませんよね。

エッ、脱走して、パチンコへ行くってですか?

エッ、脱走して、居酒屋で一杯ってですか?

エッ、仲よし知人とレストランで食事して、桜の花見ですか?

エッ、「新コロ」対策会議をサボって、選挙区の人との会合ですって。

 

これでは、「新コロ」と戦えませんな。

しっかりと、自覚してもらわなくては。

しつっこく繰り返し訴えます。

 

「新コロ」との戦いは、まさに、国民一人一人と「新コロ」の戦いが基本となっています。

政府や地方自治体からお願いされて、頼まれてやると言う性質のものでは御座いません。

国民一人一人が、「新コロ」に立ち向かわなければならないのです。

国民一人一人が、この事態をよくよく自覚しなければ、「新コロ」に勝つことは難しい状況にあります。

国民一人一人の行動にかかっている、と言うことですね。心して、臨まなくてはなりませんね。

 

各人色々と事情がおありでしょうが、当面、個人の事情をとやかく言ってないで、今はとにかく控えに控えて、他人との接触を避けましょう。

これが、個人レベルでできる最強の戦法です。

アレコレ理由を探して、責任・事情を他人のせいにして、出歩るいていては、「新コロ」に勝てない事態なのですよ。

未来永劫にと言う訳では御座いません。取り敢えず、このひと月の間、頑張ってみましょう。脱走しないで。

それから、万が一止むを得ない事情で外出する場合は、マスクを着用し、無闇にあれこれに触れず、帰宅したならば、まず、手洗い、ウガイをきちんとしましょう。戦法の基本中の基本です。

そして、家から出ないように、外から施錠しましょう。

 

?  これは無茶か。

まー、これくらい頑張ってみようと言う事ですよ。

 

とにかく、パチンコであろうと、雀荘であろうと、居酒屋であろうと、理美容院であろうと、クラブであろうと、メイド喫茶であろうと、キャバクラであろうと、あれは良い、これはダメなんぞと、そんな業種選別は、どっちかと言うと、どうでもいいのですよ。

要は、他人と接触するな、させるな、と言うことなのですよ。

また、「三密」を守ることは、それはそれで大事なことですが、「三密」遵守だけでは、もはや手ぬるい事態です。

要は、万難を廃して、他人との接触を避ける、と言うことが、「新コロ」をうつしたり、うつされたりすることを防ぐ、最も大事な戦い方です。

こうなれば、もー、当分の間、家から一歩も出ないから、覚悟しとけよ!

 

エッ、誰に言っているのかって。

決まっているでしょう。敵の「新コロ」ですよ。

なかばヤケクソですよ。

ヤケクソでも、なんでも良いから、家から出ないぞー。

防空壕に閉じこもって、「新コロ」と戦うぞ。

もー、一歩たりとも、出てやらないから。

見ておれよ。「新コロ」め。

うつれるものなら、うつってみろってんだ。

 

ってなものですなー。

庶民にできることは、残念ながら、こんくらいなものです。

 

国民の皆さん、「国民皆兵」の時です。一人一人が自覚して、戦う時です。

とにかく、辛抱、我慢の時のようです。

ヤケクソでもいいので、家防空壕に閉じ籠って、辛抱、我慢をしましょう。

 

その時、辛抱、我慢が限界に来たら、あとは、しょうがないから、「停念堂閑記」で、ヒマ潰しをしましょう。

こんな時に、役立つ? とは、想定外でした。

 

それでは、本日は、これで止めといたします。

お粗末様で御座いました。

またのお越しをお待ち申し上げます。

 

お後がよろしいようで

《停念堂閑記》130

《停念堂閑記》130

 

「停念堂寄席」76

 

「キュウコウ」

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、間抜けな話です。いくぶん具体的に申しますと、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない、間抜けな話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

打倒、閑、暇、ひま、ヒマーッ!

A A O  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

 早い話が、いつもの半惚ジジーのボヤキですだよー。

 

  

さて、間抜けな話の開始です。今日は、「キュウコウ」と言う事をネタにして、暫しの間、ヒマ潰しをしようと言う魂胆ですわ。

 

みなさん。

「キュウコウ」と聞いて、一番に、何を思い起こしますか。

私ゃーですね。やっぱり、鉄道の「急行列車」ですかね。

私ゃー、自慢じゃー御座んせんが、北海道ののどかな農村で生まれやしたよ。

第二次世界大戦の真っ只中だったようですよ。

全然、自己の記憶に御座いませんが。

日本の分が相当悪くなって来た最中だったようです。

全然、自己の記憶に御座いませんが。

 

家から旧国鉄の一番最寄りの、後に駅と呼ばれる所まで、およそ1里、4キロの距離でしたよ。

何時の事か、記憶に御座いませんが、一番最寄りの後に駅と呼ばれるようになる所は、小さい頃は、信号所とか、停車場と呼ばれていたようです。

 

ご存知のように、鉄道路線で分岐器(ポイント)や信号設備が設けられていて、運転扱いは行われますが、旅客や貨物の取扱いを行わない所が、信号所とか停車場と呼ばれている所ですね。

 

小さい頃、最寄りの駅が、信号所とか停車場と呼ばれていたことは、記憶に御座いますよ。

とは言うものの、明確なものでは御座いません。

と申しますのは、大人達が、そのように呼んでいたのを時々聞いたことがある、と言う程度の記憶です。

多分、昭和256年頃かなー、と言う気がしますが、定かでは御座いません。

何時、信号所・停車場と呼ばれていた所が、駅と呼ばれる事になったのかは、はっきりした記憶は御座いませんが、戦後間もない頃かなー、と勝手に推測しています。要するに、それ以前のことは、記憶にはっきりしないのですよ。

ようやく、記憶があるのは、その頃以後のことなのですよ。

と言いますのは、駅と呼ばれるようになっても、それまでの習慣で、旅客の乗り降りが行われる場所になっても、信号所とか停車場と言う呼称は、近所の人々の間には、しばらく残っていたのではなかろうかと推測されるのですよ。

 

それでどうした、と来られますと、これはちょっと弱るのですよ。

何が、と言うと、信号所・停車場と呼ばれていたからどうなのだ、と言われても、そのー、それだけの事でしてね。

まー、前との関連を模索すれば、そんな田舎に育ったよー、と言うことぐらいで、要は、私の育った最寄りの旧国鉄駅のある鉄道には、急行は走っていなかった、と言うことですだよ。

だから、子供の頃は、急行とか特急なんて知りませんでしたよ。そうそう、準急と言うのがありましたね。

これが、オラー東京の大学さ行くってんで、18の時に東京さ出て来ただよ。

この時、生まれて初めて特急というのに乗っただよ。

特急はつかり常磐線経由で上野駅行き。

とにかく東京さやって来ましただ。

そのうち、用事ができて、京王帝都電鉄に乗る羽目になっただよ。新宿駅で乗り換えて、京王線のホームへ行くと、なんと、特急と言う看板を掲げた電車がやって来ただよ。これは、てっきり、特急券を買わなくては、乗れないと思っただよ。

ところが、特急料金を払わなくても、乗れると言うだよ。びっくりこいたねー。さすが、東京だなー、とおったまげただよ。

 

それで、どうした、と来られると、これがまた、弱るのですだよ。どうしてか、と言うと、ただこれだけの話だからですだよ。特記するとすれば、特急に乗ったはいいだが、降りる予定の駅に停車せず、通過。幾つか先きの駅まで行かなくてはならない羽目になっただよ。

要するに、行かなくても良い先きの駅まで行っちまって、戻らなくてはならなくなっちまっただよ。そこで、また、特急に乗っちまったら、またまた、目的の駅に止まらないだよ。通過。一日中やっても、埒が開かねーだよ。

 

慣れない、特急に乗ると、かえって、時間がかかることを覚えただよ。しかし、これは特急の話で、急行ではねーですだよ。後で、急行というのも走っていることを知っただよ。これも、急行料金は、不要。

京王電鉄では、ここの話に関わる、「キュウコウ」急行も、走っております。もちろん、各駅停車もあるよー。

以上、「キュウコウ」に関わり、思いついたことであります。ご粗末様。

 

まー、このように「キュウコウ」と聞いて、鉄道の「急行列車」を思い出した方もおられるかとも思いますが、以上は、ヒマ潰しの間抜け話で御座います。

 

「キュウコウ」と聞けば、こっちの「休講」も思いつきますなー。

東京の大学さやって来まして、まず、初めの大学説明会(この頃は、ガイダンスと言っていましたが、いつの頃にか、オリエンテーションと言われる事が多くなってましたよ。)で、なんたって大学と言う所は、授業と言うものがありますから、休みの日以外は、まずは大学に出かけて行くわけですわ。そしたら、大学に着いたなら、まず一番最初に、掲示板を見るように、と教わりましたね。大学から、学生に連絡がある場合、掲示を出すので、とにかく大学に来たら、掲示板を見るように、とのことでしたね。誰々君、至急学費を納めるように、なんて、掲示が出るのですよ。

そのような掲示の中で、頻繁に出るのが、「休講」の掲示でしたよ。先生も色々とご都合があのでしょうね。〇〇先生、〇〇日、〇〇曜日、〇〇時限、〇〇授業休講、なんて掲示が出るのですよ。

担当の先生が、予め休まなくてはならない事情のある場合は、前の週の授業の終わり、来週は休講にします、と言ってくれるのですが、緊急の事情が生じた時などには、休講の掲示が出されるのですよ。

私ゃー、この掲示、好きでしたよ。歓迎でしたね。やったー、「急行」に乗って、どこかへ行こうか。

「休講」は、なんだか儲かった気がしましたね。よっしゃー、パチンコへ、とはならなかったけれど、大抵は、神田の古本屋街をぶらついたりする事が多かったですね。

たまに、「自主休講」がありましたね。ただし、これは掲示されませんでしたよ。勝手にサボっただけですから。

そうそう、「休講」で、忘れられない事がありますよ。

誰とは書きませんが、とある先生は、担当の最初の授業時に、この授業は、確か10回以上出席しないと、単位を出しません、と断言されましたね。

よし、では10回確保すれば、後はテストで60点以上取れば、単位はゲット。と言う事で、計画を立てまして、なんとか10回以上の出席は可能としてあったのですが、色々事情が御座いまして、ちょうど10回ギリギリで、出席は大丈夫、と言う状況になっていたのですよ。

そしたら、世の中、何が起こるかわかりませんよ。なんとなんと、彼の先生、予告なしに、最後の授業を休講にしちゃったでは御座いませんか。この「休講」の掲示で、この科目の単位は、パー、と言う事で、次年に、もう一度履修し直しましたね。大学時代に、単位を落っことしたのは、この1科目だけでしたので、五十数年後の今でも、良く記憶してますだよ。

 

ところで、「キュウコウ」の「休講」がどうかしたのかと、言われますと、面目次第も御座いません。ただ、こんな間抜けたことを思い出しただけ、と言う事で御座います。失敬。

 

次の「キュウコウ」は、「休校」ですよ。

そうです。目下、話題の「休校」で御座います。
この「休校」も、私ゃー好きでしたね。

休校の時は、とりあえず、学校が休みなんだから「急行」に乗って、旅へ行こう。失礼。これはさっきやりましたよね。

よく、ウイークデーなのに、小学生や中学生や高校生が、街中に出歩いてたりすると、メディアの人が、カメラとマイクを持って、駆けつけて、今日は、ウイークデーなのに、学校へ行かないの、なんて持ちかけたりしますよね。

この応対で、最も多いのは、決まって、今日は開校記念日で、休校なの、と来ますなー。

開校記念日は良いですよね。

私の子供の頃は、休校になっても、田舎の事ゆえ、公園も、遊園地も、なーんにね御座いませんでしたし、はたまた、コンビニはあるわけ有りませんでしたから、コンビニの前で、タムロすることなど、できっこ有りませんでしたよ。

休校だからと言って、家にいようものなら、たちまち農作業の手伝いをさせられますから、その前にさっさと逃げなくては、と言う状況でして、結局のところ、行き着けるところは、学校でしたね。

そんな事情で、行く所のない連中が、何となく学校に集まって来るのですよ。

今と違って、当時の我が方の学校は、管理がさほど厳しくなかったので、どっからでも、校舎の中に入れましたね。

だから、こっそりとではなく、ごく当たり前のように、体育館に入り込んで、バスケをしたり、校庭で、ソフトボールをしたりしてましたね。

休日出勤の先生も、特に、注意をすることもなく、一緒に楽しむ事が、多かったと思いますね。

田舎の学校は、そうした機能も持っていたのでしょうね。

田舎は、のんびりしていましたよ。

さて、いま話題の「休校」は、「新コロ」(ここでは、新型コロナウイルスの略で使います。)対策の一つとして、学校を休みにしている、と言うやつですだよ。

東京都では、高校はゴールデンウィーク明けまで、休校となるとすか。エライことですねー。

休校の時は、やっぱり、「急行」で、どっかへ・・・。これはもう前でやったっちゅーの。失敬。

この休講の良し悪しは、半惚ジジーは、到底判断がつきませんが、影響は大きいでしょうね。

大前提としては、「新コロ」から、都民の生命を守らなくてはならない、と言う目的がありますからね。こちらが最優先ですよね。何が何でも、行政の都合で塩梅されることなく、最優先して貰わなくてはなりませんよ。

それとは別に、「休校」するとなると、どうなるのですかね。

生徒が、学校に行かないと言うことですよね。

となりますと、例えば、一月間、学校を休んだ、と言う事と同じ扱いになるのでしょうかね。

例えば、学校で学習して、高校の場合、一般的には3年間で卒業と言う建前ですよね。聞き及んでいるところでは、数字ははっきりと覚えていませんが、長期にわたって、出席しなかった場合は、進級・卒業できないようですね。所定の時間を出席しなくてはならない、と言う規定があるはずですよね。

この「新コロ」関係の「休校」は、どのように処置されるのでしょうかね。

まさか、この際は、止むを得ないで、終わるのではないでしょうね。

何らかの事情で休校が発生した場合は、多くの場合は、夏休みを短縮したりして、現場では対処していますね。

しかし、23日ならばともかくとして、この度の「新コロ」休校は、結構、長期間ですよ。夏休みに、振替たりしたら、夏休み無くなってしまいますよ。

中には、授業をオンラインで行なっている学校もあるとか。この場合の授業は、通常の場合の授業と同等の扱いになるのでしょうかね。

オンライン授業をしていない学校もありますから、この扱いはどうなるのでしょうね。

文科省は、何もかも、地方自治体に丸投げして、全国統一的な指示を出すつもりはないのでしょうかね。

医療も崩壊なら、教育もと言う事でしょうか。

医療の崩壊は生命に関わるし、教育の崩壊は、日本の将来に重大な不安を残すし、どうするつもりですか ?

安倍内閣総理大臣。

 

つまらぬ事を言っているうちに、緊急事態宣言が発出されました。

が、しかし、救命と経済混乱を天秤に掛けて、ウダウダ長期戦に持ち込もうと言う魂胆でしょうか ?

安倍内閣総理大臣。

政府が、経済重視政策で、ダラダラしている限り、国民の外出の足は止まりません。

と言う事は、新型コロナウイルスの感染は、止まらないと言う事です。

こんなどっちつかずをやっている限り、国民の覚悟は固まりませんね。

ここは、何が何でも、新型コロナウイルス撃退に専念すべきでしょ。

混乱した経済は、後で努力して復興する手立ては御座いますが、国民の命を奪ってしまっては、一貫のお終いです。

救命と経済混乱を天秤に掛けて、ダラダラと言うのは、間違ってますよ。

安倍総理大臣。

新型コロナウイルス撃退に、あらゆる手を絞り出しましょう。

 

エッ、もう打つ手なしですか?

投了でしょうか。

 

 

本日も、ダラダラとつまらぬことに、お付き合いさせてしまいまして、申し訳ございません。

緊急事態宣言には、何にも取り立てた協力も自粛もしておりません。

この時期は、毎年、花粉に悩まされております。

よって、外出をしないと言うのが常日頃の普通の状態ですから。

でも今年は、一層外出を自粛しています。

 

 

少しは、ヒマ潰しになったでしょうか。

お疲れ様で御座いました。

それでは、またのお越しをお待ちいたしております。

 

お後がよろしいようで

《停念堂閑記》129

《停念堂閑記》129

 

「日比憐休独偏記」38

 

「緊急提言!」

 

本日は、四の五の申しません。

他人に対して、とやかく言える立場でない事は、重々心得ていると思っている半惚のジジーですが、甚だ勝手では御座いますが、敢えて緊急の提言をさせて頂きます。

 

新型コロナウイルス対策について

 

1      国民の皆さん、新型コロナウイルス流行を防止するのは、国民の皆さん個々肩に掛かっています。まずは、このことを、キッチリと自覚しましょう

他人事ではなく、自分自身の事と認識しましょう。

 

2     国民の皆さん、今は健康でも、すでに自分は保菌者である可能性、 すぐ に保者となる存在である、と言うことをキッチリと、自覚しましょう。

健康者は、とかく自分が保菌者・患者になる事を、実感しずらいものです。どんな健康な人でも、明日は我が身、と言う自覚を持ちましょう。 

 

3     上記12の自覚の元に、自分で新型コロナウイルス感染防止に役立つ事を徹底しましょう。 

例えば、

外出をしないようにしましょう。不要不急の意味を拡大解釈せずに、とにかく、感染が治るまで、外出を極力しないようにしましょう。

手洗いを徹底しましょう。

マスクを使用するようにしましょう。ただし、マスクをしていれば、万OK ないことを自覚しましょう。

とやかく条件をつけず、人に接触したり、接近することを、極力しないようにしましょう。

各人、それぞれの事情がおありの事と思いますが、極力努力しましょう。

 

4     行政に携わる皆さん、その他、社会のリーダー的存在にある方々、新型コロナウイルス関係のことは、本当に、大変な事態となっている事を、キッチリと覚しましょう。自覚したら、それぞれ出来得る事を考え出して、直ちに実行しましよう。

 

5     行政は、直ちに、新型コロナウイルス対策についての基本姿勢を糺しましょう。

国民の生命の保証に、基本を据えましょう。

国民の生命と、行政の都合を天秤にかける手法を、直ちに改めましょう。

 

6     行政は、医療の崩壊が危機的だと叫んでいますが、実情は、既に崩壊してしまっている実情を自覚しましょう。

行政の失敗が、病人が、既に病院に行けない事にしてしまった実情を、率直に自覚しましょう。

体調を崩しても、今は、病院で受け付けてくれない事態なのですよ。この一事から見ても、日本の医療は、政府の失敗によって、既に、基本的な部分から、崩壊してしまっている現実を自覚しましょう。

 

7      行政は、国民全員を対象に、新型コロナウイルスの検疫を受けられる体制を整えましょう。

 

8      行政は、非保菌者と保菌者の区別ができて、初めて、感染対策が、始められる、と言う論理を早く認識しましょう。

行政は、ここが、新型コロナウイルス対策のスタート点である事を、直ちに認 識しましょう。

 

9     行政は、 保菌者が、非保菌者に新型コロナウイルス菌を感染させない対策を、直ちに実施しましょう。

まずは、検疫を実施して、両者を隔離することが、基本である事を認識しましょう。

 

10    検疫で陽性か陰性か判明したら、まず、隔離する対策を実施しましょう。

すぐに、陽性者を収容する設備を整えましょう。現状の設備で間に合わせることに固執せず、直ちに、収容設備の拡張を実施しましょう。

 

11   陽性者を症状により、3段階に区分して、個別に隔離して、収容しましょう。

A    軽傷  すぐに、自宅に帰したりせず、しばらく、専用の施設に収容し、子を見ましょう。陰性に転じてから、なお、一定期間を置いてから、隔離を解きましょう。 

B    中傷  隔離施設に収容し、症状を見て、いつでも、入院治療に入れる態勢を維持しょう。

C    重症  専門の病院に入院させて、全力で、治療に当たりましょう。

 

12     政府行政は、直ちに、治療のための人員(医師等医療スタッフ)、場所、器具等を整備・確保しましょう。

 

13    政府行政は、直ちに、予防薬、治療薬の開発に全力を投入しましょう。

 

14    行政に携わる方、本気度が、あまり伝わってきません。熱意を持って、本気で取り組みましょう。

行政は、各方面の研究者・専門家、感染防止・治療の最前線で戦っている方々の意見を、直ちに聞き入れましょう。机上の空論では、間に合わない事態である事を、早く認識しましょう。

 

15   政府は、国会議員の報酬を減じ、国庫の支出を少しでも食い止める対策に、直ちに着手しよう。

 

まだまだ御座いますが、さしずめ、思いつきざまの事柄を、緊急提言いたします。トウシロウが、全く余計なことをとお思いでしょうが、どうぞ、ご海容の程を、お願いいたします。以上

 

  追伸  

安倍総理は、各戸にマスクを2枚ずつ配って、新型コロナウイルスの感染を防げると、本当に思っているのでしょうか。政治的センスを疑うよりほか御座いません。

だったら、せめて、マスクとその配布の経費は、国会議員の報酬を減じて充当してはどうでしょうか。

そもそも、新型コロナウイルス対策を、西村経済再生相の併任、要するに片手間にやらせようと言うのは、安倍総理は、一体どう言う感覚の持ち主なのでしょうか。国民の生命より、経済政策優先になるのは、火を見るより明らかですね。

国民を愚弄するのも、いい加減にして欲しい。もう、愚策の限界を超えています。

既に、政権は、末期を通り越して、機能崩壊の状態に見えます。

今後、幅広く各方面に発生する様々な困難な事態に対して、適切に対処できるのでしょうか。早急に、対策を講じておかなくては、今年の後半期は、真っ暗闇です。

おそらく、経済大混乱に加え、大きな自然災害も発生するでしょうし・・・・。

ただただ目先のことだけ、と言うのではなく、広い視野から対策を講じて欲しいものです。蛇足ながら。

 

《停念堂閑記》128

《停念堂閑記》128

 

「停念堂寄席」75

 

「お願い致します!」

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、間抜けな話です。いくぶん具体的に申しますと、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない、間抜けな話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

打倒、閑、暇、ひま、ヒマーッ!

A A O  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

 早い話が、いつもの半惚ジジーのボヤキですだよー。

 

  

さて、間抜けな話の開始です。今日は、「お願い致します!」と言う事をネタにして、暫しの間、ヒマ潰しをしようと言う魂胆ですわ。

 

日常、お願いしたり、お願いされたりと言う事は、しばしば御座いますなー。

まー、日常茶飯事ですなー。

特に、家族や親しい知合いの間では、頼みごと、頼まれごとは、頻繁に生じますなー。

ごく当たり前の事で、取り上げるに値しない事ですよ。

ところが、つい先日、都知事が都民に向けて、「お願い致します。」とやったのですよ。選挙運動ではなくてですよ。

 

あのー、私ごとで甚だ恐縮で御座いますが、私は、申す迄もなく、都知事と家族では御座いませんし、親戚筋でも御座いません。また、親しい知人の関係でも御座いません。一度も面会した事はなく、会話を交わしたことなど全く御座いませんよ。

私は、都知事さんの顔は存じ上げておりますが、知事さんの方は、小生の存在など、サラサラご存知御座いませんよ。

だから、当然、何かを、お願いされたりすることは、まー、起こり得ない状況ですよ。

 

都知事との関係はと言いますと、私は一応都民ですので、都知事と都民と言う関係が発生してますなー。これ以外の関係は、一切御座いませんよ。

この関係を頼りになされたのでしょうか。

都知事から「お願い致します」とやられちゃったのですだよ。ただし、テレビを通してですがね。お願いされたのは、私だけでは御座いませんよ。都民全体です。当たり前です。

ただし、弱ったねー。どうも。いきなり、お願いされちゃって。

 

何かと言いますと、もうお察しがついていますよね。

「不要不急」の外出を自粛するように、お願いされちゃったのですよ。新型コロナウイルスの感染を防止するためにですだよ。

 

こんなお願いをされてしまったら、どうすれば良いのでしょう。

要するに、無闇に、出歩くな、ちゅー、おねげーだよ。

お言葉ですが、私ゃー、出歩くことはメッタに御座いませんよ。だから、おねげーされる謂れは、元よりさらさら御座いませんよ。私に、そんな事願っても、なんの意味も御座いませんから。キッパリ、断言!

 

とにかく、毎日、家に引き篭もってますだよ。まー、自分で言うのはなんですが、引き篭もりのプロですだよ。

引き篭もって、何してるんだ ? って、ですか。

決まってるでは御座いませんか。PCのキーを叩いているのですだよ。蛇足ながら、PCが肩を凝らしているから、その解消のために叩いてあげているのでは御座いませんよ。肩凝りで、叩いて欲しいのは、こっちの方ですから。引き篭もって、毎日毎日、「停念堂閑記」を書いているのですよ。これで、結構、根気が必要なのですだよ。まー、頼まれてしている訳ではありませんが、他に、適当なヒマ潰しがないもので。芸がないねー。トホホホホー。

 

さて、お願いされてもですよ。何が「不要」で、何が「不急」なのかが、ハッキリとしねーだよ。

他人にとっては、「不要不急」かもしれねーだが、私にとっては、「有要緊急」かもしれねーだよ。誰が、これを決めるだよ。いちいち、都庁へ伺いを立てるのケー。こう言うのを、世に屁理屈と申します。

 

要するに、これは、都知事から都民へ発せられた要請ですから、指令でも、命令でもなく、まー、お願いと言うようなこと、となるだよな。

となると、「不要不急」は、要請された都民、各個々の判断を待つよりない、と言うことになるだよ。

そうすると、桜の花見はどーなる?  桜の花見、まさに今がその時で、これを逃すと、来年まで1年間も待たなくてはならないのですだよ。

 

ところで、以下には、新型コロナウイルスを「新コロ」と略称することにします。半ボケジジーの我儘です。PCのキーを叩くのに、間違えてばかりいる実情です。それで、少しでも叩く数が少ない方が楽なのですよ。と言う次第で、甚だ横着で申し訳御座いませんが、どうぞご了解下さいませ。

「新コロ」は、新型コロナウイルスの省略形です。

 

しかも、来年の今頃、まだ、「新コロ」が蔓延っていて、またまた、「不要不急」の外出の自粛をお願いされちゃうかも知れないのですだよ。

そんなことになったら、桜の花見は、再来年を待たなければならなくなっちゃうのですだよ。

私ゃー、何を隠そう、れっきとした後期高齢者の認定を受けている存在ですだよ。

まー、そのザクッバランに言っちゃえば、何時、お迎えが来ても、拒絶できない年頃にあるのですだよ。

このような事情にあるだが、再来年まで、誰がお迎えを拒絶してくれるのですかい。

都知事さん、貴方が矢面に立って、お迎えを拒絶してくれると言うのですかえ。聞く耳持たねーでやんしょ。

何の保証も、御座いませんだよ。

ここにおいて、桜の花見は「不要不急」の存在ですかっちゅーの。蛇足ながら、屁理屈の続きであります。

ひょっとして、こっちとらー、人生の締めくくりとなる最後の花見となるかも知れないのですだよ。

ダイゴの花見ではねーだよ。サイゴの花見だよ。

エッ、突然、意味不明のこと、言うなって、ですか。

意味はありますよ。単なるダジャレですだよ。ヒマ潰しのダジャレで御座います。

どこが、ダジャレなのか、わからねーってですか。

あたしゃー、かなりヒマを持て余してはおりますだが、このダジャレの解説をするほど、ヒマじゃー御座いませんよ。

悪しからず。自分で、調べて下さいね。

 

とにかく、今時、桜の花見をしたくて、したくてたまらない人たちが、ワンサカいらっしゃいますよ。

これは、桜の花見に限ったことでは御座いませんよ。

今の日本人は、何が何でも多くの人が大勢集まるイベントに参加するのが、大好きですから。もう、ちょっとやそっとでは、止まりませんよ。病気、しかも重症ですだよ。

これが、日本の実情ではねーかなー、と感ずる今日この頃ですだよ。

 

さて、このような現実のところに、「不要不急」の外出自粛を、都知事から、お願い致します、と言われちゃったのですが。どうしたもんだベー。

まー、せっかくのおねげーだから、土・日の二日は、とりあえず自粛してみるベーか。

と言ったあたりが、標準ではねーだろうかーね、ちゅうところでねーだべか。

 

さて、問題は、「新コロ」の感染防止のために、都知事が、何で不要不急の外出自粛を、都民におねげーしなければならないのか、ちゅーことだよ。

そんな事は、おねげーして、やって貰うべきものではねーのでは、ちゅーことさ。

 

分かり良く言えば、「新コロ」の流行で困るのは、日本的に言えば、国民一人一人、東京都的に言えば、都民一人一人、と言うことではねーの。

だから、感染防止のために、不要不急の外出自粛は、国民や都民一人一人が自覚してやらなくてはならないことなのですだよ。ここが、最も大事なところですだよ。

それを、都知事がいちいちお願いして、やってもらおうなんて言うのは、おかしいことですだよ。

だから、都が「新コロ」感染防止を積極的に行いたいと言うのならば、「不要不急」の外出自粛を都民にお願いすると言うのではなく、自粛の励行を都民に訴えれば良いのですだよ。

頼み、お願いしてやって頂くと言う性格のものではないのですだよ。

 

都民の皆さん、「新コロ」の感染防止のために、不要不急の外出を自粛するように。出歩くことをしないように。

 

と強く訴えれば良いのですだよ。

 

これは、本来、都知事がお願いしなければならない性格のものではないし、都民の方だって、お願いされたから、しぶしぶやると言う性格のものでもないのだから。

人と言うものは、往々にして、お願いされると、仕方ない、やってやるかなどと、本来自分からやらなければならないことをも、他人事に協力てやるような積りになるところがあるのではないでしょうか。

 

これでは、「新コロ」の流行を抑えることなどできませんよ。

都民個々人が自覚して、自発的に防止する行為をとるようにならなければ。あるいは、させなければ。

だから、都は、都民を自覚させるように仕向けていく必要があるけれど、お願いしながら「新コロ」の流行を防止しよう、なんてことはやり方が間違ってますだよ。

お願いするのではなく、都民に実行を訴えて、自発的に行う方向へ導かなくてはなりませんよ。自発的にするように、指導しなくてはならないのですだよ。

「新コロ」の感染を拡大するのも、抑制するのも、都民の自覚に関わるところが、大きいのですだよ。

 

言っちゃー何ですが、これに類する事柄が、何時も気に掛かっているのですだよ。

と言うのはですね、行政の仕方と言いますか、手法と言いますかか、何でも、お願いする手法をとりがちでは御座いませんか、と言うことですよ。

下手に出た方が、行政の目的とすることを達成しやすいと思っているのではないのかなー。

これは、姑息な計らいと言うものですよ。行政が、やるべきことをやるのに、分かり良く言えば、オベッカ使うことはないのですよ。やるべきことは、粛々と、きちんとやればいいのですよ。

 

「新コロ」の対策は、都民の顔色を伺って、お願いしていたりすると、目的を達成なんぞできませんぞよ。

本当は、命令して半ば強制しなければ、目的に近づくことも、できないのではないか、と思われますだよ。

現行法のもとでは、命令して、強制することが、難しい状態にあるのでしょうが、これはあくまでも、法制の仕組みであって、事と次第によっては、都民の生命に関わる場合、行政はその責任によって、その場における最上の方法を実行すべきですよ。

後の責任を意識してばかりでは、助かる命も助けることができないのは自明です。

行政の立場は、平常時は、法制どおりにやっていれば、こと済むのでしょうが、場合によっては、緊急を要する時は、ただただ法制通りでは、救える生命を救えない場合もあるわけですだよ。

行政には、そのような緊急時の適切な判断が必要とされますね。

例えば、もう堤防が破壊しかけているのに、それに気づかない近隣の住人に、避難をお願いしますでは、もう手遅れになるのですよ。

消防に頼んで、ちゃっちゃと避難させなくては、生命を救うことが、できないのですだよ。

これは、緊急事がやって来てしまってからでは、間に合いませんので、平常時から危機意識を持って、あらかじめ準備しておく必要がありますね。

要するに、緊急時の行政の心構え、覚悟が必要とされるのですよ。

どうしても、法制が必要ならば、法律を用意しておかなくてはなりませんね。

しかし、日本の行政は、転ばぬ先の杖を用意することは、まず、御座いませんね。転んだ後の、すがり付きたい杖探しをするばかりですなー。

 

東京都が、「不要不急」の外出の自粛をお願い致します、なんて言う、手ぬるい、のんびりした施策をとっているならば、「新コロ」は、ときならず、爆発的流行の事態となりかねませんなー、と心配されますのだよ。

だいたい「不要不急」なんて、生ぬるいことで、都民個々の判断に任せるような手法では、「新コロ」は防げませんよ。

「不要不急」の外出自粛なんて、おねげーしていないで、率直に、外出してはダメですと、訴え、諭さなくてはならないのですよ。

所詮、お願いでは、聞いてもらえないことが、絶えませんよ。

分かり良く、極端な例を出しますと、例え法律があっても、人殺しはダメですと、ずーっと叫ばれてきていますが、人殺しは絶えないでしょ。

例え法律があったって、守らない人はいるのですよ。

 

だから、ギリギリの瀬戸際なんです、お願いします、なんてお題目的に唱えていても、およそ埒は開かないのでは、と思いますだよ。

 

 

今が、ギリギリの瀬戸際だ、と判断しているのならば、今、思い切った施策を出さなければ、手遅れなのですだよ。

ギリギリの瀬戸際を過ぎてから、何か手をうとうとしても、最早津波は止められないだよ。

 

今すぐ、時期を切って、断固たる思い切った手法を断行しなければ、だらだらとしていては、今の事態を悪化させるばかりのように思えますだよ。この状況を、続けられるのは、たまったものでは御座いませんよ。

 

一方、都民側は、何時も行政のお客様の気分でいては、緊急の時には、自己の生命を守れない場合があることをきつく自覚する必要が御座いますね。基本的には、自己の生命は、自己で守らなくては、どうにもならない場合があるわけです。

なんでもかでも、事あるごとに、行政に負んぶに抱っこを期待しても、うまくはいきませんよ。自分のことは、自分でしなくては。これが基本ですだよ。

以前、商売をしている側の姿勢として、お客様は神様です、と言う流行語がありましたね。

都民は、ひょっとしたら、この神様側の存在と思い込んでいる人が多いのではないのでしょうか。

都は、都民を神様だなどとは全く思っていませんから。

命令調では、上から目線でと、たちまち反発されてしまう現状なので、表現としては、下からお願いします、という手法を取っているだけのことですよ。きっと。

 

こんなことをやっていたのでは、「新コロ」を退治することは、極めて難しい状況ですね。

 

問題は、国の施策ですが、これは常に後手後手手法ですから、ドロペッタに転んでドロドロになってからの、すがり付きたい杖探しですから、どうにもならないのですよ。

ところが、都知事は、北海道知事や大阪府知事とは違い、国と共に、てなコトを公言してしまいましたから、これでは、もー・・・・・ですね。

 

ところが、このような政府が良くて、国民有権者は、このような政府を形成する代議士先生を、国政選挙で選出し続けているのですから、まー、なんとも、どーも、と言う他ないのですが。

 

本当に、何とか、お願い致しますよ。

 

半惚ジジーの小言は、止まらなくなってしまうのですよ。

本日も、すっかり、お疲れ気味で、ウンザリなされた事でしょうね。

しかし、申すまでもなく、ここでの半惚ジジーの小言が、全てでは御座いません。ほんの社会の狭い一側面であることは、言うまでも御座いません。

 

現代人の好きなもっともっと面白い、楽しい側面もいっぱいあることでしょう。

 

本日は、これで止めにします。

 

最後に、なお、しつこく、

 

本当に、何とか、お願い致しますよ。

 

懲りず、またのお越しを

 

お願い致します。

 

お後がよろしいようで。

《停念堂閑記》127

《停念堂閑記》127

 

「日比憐休独偏記」36

 

「不要不急」

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、間抜けな話です。いくぶん具体的に申しますと、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない、間抜けな話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

打倒、閑、暇、ひま、ヒマーッ!

A A O  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

 早い話が、いつもの半ボケジジーのボヤキですよー。

 

  

さて、間抜けな話の開始です。今日は、「不要不急」と言う事をネタにして、暫しの間、ヒマ潰しをしようと言う魂胆ですわ。

 

さて、昨年暮れからずーっと世の話題のトップに君臨しているのが、言わずと知れた新型コロナウイルスのことですね。得体の知れない菌との戦いは、今や世界的となり、ニッチモサッチモ行かない、事態となってしまいましたね。

最早、世界各国、各地域で、ひたすら、予防薬と治療薬の1日も早い出現を待つ状況と言って良いでしょうね。

とにかく、全く終点が見えていない現状ですから、新薬の出現による終息を待つ以外にどうしようにも、どうにもできない、最悪の事態に陥ってしまいましたね。

 

日本では、政府、行政の対策は、後手後手になりながらも、色々と手を打って、なんとかしようと苦慮している状況ですね。

しかし、東京での爆発的流行が、間近に見え出して、目下この対策に懸命ですね。

東京は、とにかく、何についても、極めて複雑な大都会ですから、打つ手が大変困難な状況と言うより御座いませんな。

特に、2020東京オリバラを間近に控えていましたので、これとの絡みで、新型コロナウイルス対策が、大きく遅れをとってしまった感は歪めませんな。

ようやく、オリバラが1年程延期と言うところに落ち着いたので、漸く新型コロナ対策が活発な様相がみられる様になりましたね。

日本政府、東京都、東京2020オリパラ組織委員会などのオリパラピックと新型コロナウイルスに対する基本的な姿勢に曖昧なところがあって、対策がイマイチもたついていた感が拭い去れませんね。

分かり易く言えば、新型コロナウイルス対策に関わる人命救助と2020東京オリパラピックの開催に関わる問題の解決を天秤に載っけて、さあどうする、と言う事態で、取るべき判断が、人命救助最優先に踏み切れなかった、と言う事ですね。

これが、オリパラが1年程延期と言う結論を得て後、漸く人命救助が、本格的に始動しはじめた感が御座いますな。

都知事からの「不要不急」の外出自粛の要請が、しきりとなってますね。

また、安倍総理の会見では、新型コロナウイルス対策は、長期戦とする見通しが明らかにされましたね。

すなわち、これは「不要不急」外出自粛の要請作戦を、だらだら長々とやる、と言う事ですなー。

一国民としては、こりゃー、参ったね。の一言ですね。

出口、終点を設定しない、ダラダラの「不要不急」外出自粛要請の展開声明は、こりゃー、参りましたよ。

言うまでもなく、「不要不急」の外出自粛を以って、これからの日常とせよ、と言う事でしょうから、今の日本国民にとって、この状況の維持が可能でしようかね。

会社に出かけての仕事はどうなる?   

子供の学校はどうなる? 

 幼児の保育所に預けるのはどうなる? 

 病人の入院・通院はどうなる?  

年寄の介護はどうなる? 

旅行はどうなる?  

会合はどうなる? 

等々、皆んな日々「不要不急」外出自粛の連日と言う ことになるのですか?

半ボケジジーの直感では、この長期作戦は、善悪の評価は別として、現実的には、長くは持たないのではないかなー、と感じたのですが。

皆さんはどう感じましたか。

エッ、何にも感じなかった? 

 それはそれでヤバイのではないのかなー?

 

そもそも、新型コロナウイルスの感染拡大防止のための「不要不急」の外出自粛の要請は、要請であって、強制、命令ではないのですよ。

要するに、自粛をお願いします。と言う事なのですから、何が何でも従わなければならない性格のものでは御座いませんね。

根本的には、ここが最も難しいところなのですね。

精々23日なら我慢しよう、となるかも知れませんが、安倍総理のおっしゃる「長期」と言うのが、どれほどの期間を想定しているのかは、全く伝わってきませんが、終息を前提としている場合は、何年か先と言うことに他なりませんね。

とすれば、その間ズーッと「不要不急」の外出自粛と言う事でしょうか。気が遠くなってしまいますね。

これでは、誰も守らなくなってしまいますよ。

と言うことは、ウイルスの拡散が止まらない、と言うことですよ。

よしんば、守っって「不要不急」の外出を自粛して、家に閉じこもっていたとすると、どうなります?

例えば、経済事情は、極度に、極度に、落ち込んできますよね。

たとえば、10万円の支給を受けて、何日もちます。

終息する迄だとするのならば、それまで10万円を支給し続けてくれるのですか?  まさかね。

おそらく、「不要不急」の外出自粛などと言うことは、長期にわたって可能な政策では御座いませんね。

最初から、無理ですよ。

だいたい、今の日本人は、人が大勢集まるイベントに、参加することが、断然、大好きなのですから。長期にわたるその自粛なんて言うことは、無理、無理の無理ですよ。

さらに、このような自粛の要請は、結局のところ、国民個人に対する要請ですね。

だから、分かり良く言ってしまえば、「不要不急」の内容は、個人の判断に任されているわけです。

この個人の判断は、当然のこととして、個々人により別々です。

例えば、長屋の熊さんは、桜の花見が大好きで、例年何があろうと、桜見物最優先で過ごしてきた経緯が御座います。これが、熊さんも年をとって、来年の桜まで持つか、となると、今年の桜が最後か、てなことになりますと、これは、桜見物に、行かないわけには参らないのですよ。

これに類する事情は、至る所、至る事で発生します。

だから「「不要不急」の外出自粛なんと言うことは、最初から限界があると思われます。

政府が、自粛を要請すれば、国民がすぐに、いつまでもそれに従うと思っているのであれば、それは、相当なノーテンキと言われても仕方ございませんね。

国民は、すぐに飽きてしまいますよ。1回外出して、特に問題が発生しなければ、すぐに、また、外出するようになりますよ。間違い御座いませんね。

そして、そもそも、要請という仕組みは、国、地方行政体が要請するというもので、その成果はこの要請を受けた個々人が、どうしたかによりますね。

と言うことは、国、地方行政体は要請するだけで、その結果は要請を受けた個人の責任ということなのです。

すなわち、この要請に対する結果の責任は、国、地方行政体にはないのです。これの要請を受けた個々人がその結果の責任を問われる、と言うことなのですね。国、地方行政体にとって、都合の良いやり方なのですよ。言ってしまえば、ちょっと、ずるくは御座いませんか、と言いたくなったりするのですよ。

 

そして、よもや「不要不急」の外出自粛要請だけで、新型コロナウイルスの拡散が防止できるとは、お思いでは御座いませんでしょうね、と言いたいのですよ。

今となっては、東京都の場合は、多分手の施しようがないのでしょうね。

東京を封鎖し、新型コロナウイルスの出入りをシャットアウト出来るとは、なかなか想像ができませんね。

 

すでに、誰が保菌者で誰が非保菌者か区別がつかない状態でしょうからね。自分が保菌者で、他人にうつす可能性があるのかどうかも分からないのですから。

この状態では、感染の拡大は止まりませんよね。結局、終息は見えず、いつまで続くのか分からない状況が続くのですよね。

新薬が出来て、終息に向かえば、そんな良いことは御座いませんね。今は、それを願うばかりですね。

それまでは、出口の見えない、何とも暗い状況が続くのでしょうか。

だとすると、情勢としては、最悪の場合は、都民の大半の人が、もはや保菌者であり、非保菌者との区別がつかない状況が、平常という事態になるのでしょうか。

このようになってしまえば、「不要不急」の外出自粛なんて、意味がなくなってしますますね。

早い話が、日常生活を普通にやるほか御座いませんね。

だとすれば、あとは、重症者をいかに救出するかにかかってきますね。これに全力で取り組むより御座いませんね。

十分な入院設備を整えること、十分な医師、看護師など医療スタッフを確保することが、最大の問題ですね。

政府は、こんなストーリを描けているでしょうか。

最悪は、このようになると予測されますからね。

すなわち、新型コロナウイルスも風邪のような存在で、重症化すれば、入院して治療を受ける、と言うことが、平時の出来事となるのでしょうね。

 

とにかく、今は、特効薬の出現に期待するより御座いませんね。

 

と言うことで、本日の半ボケジジーの間抜けなボヤキは、これで止めることにします。

 

相も変わらぬ間抜けな馬鹿馬鹿しい話で、申し訳ございません。が、幾分のヒマ潰しにはなったでしょうか。

 

それでは、どうもお疲れ様で御座いました。

どうぞ、またのお越しをお待ち申しあげます。

 

お後がよろしいようで。

《停念堂閑記》126

《停念堂閑記》126

 

「日比憐休独偏記」35

 

「到来! 我慢の時代 ?

 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、間抜けな話です。いくぶん具体的に申しますと、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない、間抜けな話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。

定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

打倒、閑、暇、ひま、ヒマーッ!

A A O  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

 早い話が、いつもの半ボケジジーのボヤキですよー。

 

  

さて、間抜けな話の開始です。今日は、「到来! 我慢の時代 ?」と言う事をネタにして、暫しの間、ヒマ潰しをしようと言う魂胆ですわ。

 

今や世界的な問題と化した新型コロナウイルスの流行は、得体の知れない菌との戦いで、ニッチモサッチモ行かない、事態となっていますね。

世界各国、各地域では、それぞれのやれる範囲で、精一杯流行を食い止める対策に懸命ですね。

また、患者さんの救命に懸命ですが、なかなか流行を止める事態とはならない現実ですね。

ひたすら、予防薬と治療薬の1日も早い出現を待つ状況でしょうか。

とにかく、影響が大きすぎて、どうなるのか、近未来が見えなくなっている状況で、人々は、不安と不満に悩まされている状況ですね。

なんと言っても、終点が全く見えていない現状ですから、どうしようにも、どうにもできない、最悪の事態に陥ってしまいましたね。

 

日本では、この新型コロナウイルスの流行によって、色々各方面に思わしく無い事態が既に発生したり、発生する予測がしきりですね。

その一つに、2020東京オリパラピックの開催に関わる問題が、色々と取りざたされていますね。

新型コロナウイルス対策だけで、目一杯と言うところに、オリパラピック問題が重なって、もー、重篤ですね。どの様に切り抜けるのか、半ボケジジーには、とんと見当すらつき兼ねますなー。

 

コロナウイルスにつては、第一の課題は、国民の生命を新型コロナウイルスからどう守るか、と言うことですね。

対策は、感染者をいち早く見出し、治療の必要な場合は、入院させて、現在出来うる治療をする、という他は無いのでしょうね。

このためには、まずは、検疫を徹底することでしょうね。これで、感染者を把握する事が、治療への第一歩ですからね。

しかし、ここに、異論が入りますね。

すなわち、(a)検疫の態勢が整っていない。希望者が全て検疫できる態勢が整っていない。検疫器具が足りない。検疫に関わる人員が足りない。

あるいは、検疫は症状の出ている人だけやればよく、疑わしいと言う様な人には、やる必要がない。

そして、(b)行政的判断がこれに加わっている。すなわち、検疫を広範囲に広めれば、患者数が増加する。また、要治療者数も増加する。そうすると、入院させる設備が不足する。治療にあたる医師が不足する。これが進むと、医療崩壊の事態となる。

この事態を防ぐには、検疫を適度に抑える必要がある。

と言う様な事情があって、現時点では、検疫が抑えられている状況の様に見えますね。

と言う事で、最も基本的な感染者の把握が、適切に行われていないのが、現状ですね。

 

しかし、建前的には、(1)感染者を的確に把握する。(2)要治療者は入院させて、治療する。これ以外に、国民の生命を守る適切な方法はないのですよ。

だから、(a)については、検疫器具、検疫員を増加させる事が、まず、行われなくてはなりませんね。

(b)については、診察の場所、入院させる設備、診療にあたる医師・看護師等を増加させるより適切な方法は御座いませんね。

だから、行政は、この方向に最大限の努力をしなくてはならないと思いますね。

これが、行政の本筋の様に、半ボケジジーは、思うのですが、行政のは違いますね。

医療の現場に混乱を生じさせては、医療崩壊につながるとして、医療の現状況、すなわち、現在において、確保された病床数に見合わせた検疫しか行わない方向の施策をとっている様に見えますね。

病床数の増加に向けた施策をとるべきの様に思われるのですが。どうでしょうか。

まー、分かり良く言えば、病院での混乱を心配して、患者さんの来院を制限している、と言う様に見えるのですよ。

これは、医療の本筋では、御座いませんね。

行政は、より多数の検疫を実施し、感染者の実態を把握し、より多数の病床、より多数の医師・看護師等の医療スタッフの確保に向かって、全力を投入してほしい、と思うのですよ。医療の設備に合わせた検疫しかしない、と言うのではなくてね。

 

特に、今となっては、より多数の検疫を実施し、感染者の実態を把握することを徹底して欲しいと思うのですよ。国民の生命を守ると言う最も基本的な目的を達成させるたるには、感染者の実態を把握する事が、欠くべからざることと思うのですよ。

現在、最も心配されることは、検疫がキチンと行われていないために、自分が感染者なのか非感染者なのかさえ、分からないのですよ。

感染者でありながら自覚できていない場合は、通常、健常者として振る舞いますから、これによる感染の拡大が止められないのですよ。だから、感染者が自分は保菌者であり、他者を感染させる存在なのだ、と言う自覚をキチンとしてもらわないと、感染の拡大は止まりませんよね。

ここが、感染拡大抑制のスタート点ですよ。これを徹底しない限り、感染を止めることはできない、と思うのですよ。

しかし、政府、行政は、これをやろうとはしませんね。これをやらない限り、ダラダラと何時迄も、感染は続く可能性が高いですよね。ポイントとなるケジメを的確にしないと、終息は見えませんよね。

この度の新型コロナウイルスの対策に限らず、森友学園問題にしても、加計学園問題にしても、桜を見る会の問題にしても、総理、政府のやり方は、ポイントとなる点を解決せず、ただただ、あれこれ訳の分からないことをして、あやふやの内に幕引きとする手法ばかり重ねてきているわけでですよ。

しかし、新型コロナウイルスの問題は、国民の生命に直結している問題ですので、やってもらわなければならないことは、徹底的にやってもらわなくてはならないのですよ。手抜きは許されませんよね。

 

とにかく、政府は、検疫の実施を徹底させ、感染者を的確に把握し、診察、入院、治療に向けての態勢を確保することに、全力を尽くすべきです。

 

これまでの様な中途半端な誤魔化しでは、国民の生命を守ることはできませんよ。
オリパラピックだって、例え1年程延期したとて、今の様な状態では、開催できる保障は何もございませんよ。来年の今頃までに、新型コロナウイルスの流行がおさまり、世界各国のアスリート達が、皆体調が整い、また、世界中の人たちが皆健康になって、東京へオリパラを観に来れる状況を想像できますか???

例えば、来年の今頃迄に、その状況が整ってない場合、今の事態と変わり御座いませんよ。とすると、来年の夏の開催だってできる見込みは御座いませんよ。

某テレビ番組の聞き齧りでは、ワクチンだって、完成まで、1年半は必要とか。今年の1月を起点とした場合でも、ワクチンの完成は、来年の6月を待たなくてはならない計算となりますよ。それが、世界各国で使用可能になるには、各国の事情に応じた時間が必要とされますから、ワクチンが行き渡るのは、何時になるのでしょうね。

ワクチンだけではダメですね。治療薬の開発だって、何時のことになるのでしょうか。トウシロウのお粗末な推測では、目下、マウスを実験台に、新薬の開発中でしょうか。これが、うまいこと特効薬が見つかって、人体実験を経て、人々の治療に使われる様になるまで、1年ほど待てば可能なのでしょうか ?

目下のところ、朗報は私の様なトウシロウのところには、全く伝わってはきませんなー。

この様な状態では、来年のオリパラピックの開催だって、何の保証もありませんよね。

夏の高校野球大会だって、プロ野球だって、Jリーグのサッカーだって、その他諸々、まともな形で、安倍総理の好きな表現を借りれば、完全な形でやれる日は、何時のことか、全く見当がつきませんよ。

すでに、国民は、ただただ、自然終息を待たなくてはならないのでしょうか。まさに、「我慢の時代」到来と言うことですね。

もうかなりの手遅れでしょうが、丁寧な検疫を実施して、感染者の実態を把握し、速やかに適切な治療を実施できる態勢を、1日も早く手当てして貰いたいものですね。

 

次に、新型コロナウイルスの大流行による経済の落ち込みが恐ろしい状況を見せ始めていますね。

半ボケジジーの脳みそでは、この先の見当がトント立ちませんね。

兎に角、現在、生産の部門が止まり気味である。伴って、運輸の部門が止まってしまう。伴って、販売の部門も不振に陥ってしまう。結局、国民の収入の減退、そして、生活苦が否応なしに訪れる、見通しを回避できない状況になってきましたね。

こう言った経済活動全般の不振につながる心配が、本格的に現実化の一途を辿り始めていますね。

これは、間違いなく「 我慢の時代 」の到来と言うことでしょうね。

例えば、

会社の経営が不振に陥る。

社員の給与が減額される。

生活が苦しくなる。

最悪の場合は、倒産する。

職を失うことになる。

収入がなくなる。

たちまち、生活ができなくなる。
国による援助も期待できなくなってくる。

結局は、国民の「我慢の時代」がやって来る、と言う道筋が、明白になって来た気がするのですよ。

 

加えて、国民の大多数は、我慢することに、全く慣れていない。我慢は、ひたすら苦痛以外の何物でもない、国民の大多数は、その様な人達だと思われます。

結局、国民の多くは、どうすべきかを判断できない状態に陥ってしまうのではないか。

と言う悲観的な見方が、どうしても、支配的になってしまうのですよ。

 

すなわち、経済状態は極めて悪化する可能性が高いですよね。

とういことは、国民は、否応なしに、日常生活にも、不便が発生することになるわけですね。結果、何かにつけて、我慢を強いられる事態となりますね。

この事態に、国民は、耐えられますか、と言う事ですね。

ここが、最大の問題ですね。

不肖の独偏(独断と偏見)ですが、結論的な事を言ってしまえば、今の人は、我慢が大嫌いですよね。

それは、独偏では、現在に直結している近過去における教育の結果であろうと、勝手に思っているのですよ。

すなわち、私どもが経験した極度の我慢は、先の大戦後、1950年代になり経済が上向きになるまでの期間でしたね。

兎に角、望み起こらば、まずは我慢の時代でしたな。我慢すれば、エライと褒められた、我慢は美徳の時代でしたな。

この時期に育った、大雑把に言って、現在70歳より上の方々は、概ね「我慢の時代」を経験していますので、我慢の仕方も知ってはいるのですよ。

しかし、近年の贅沢にすっかり慣れてしまって、我慢の頑張りが効くかどうかは、幾分疑わしくなってますがね・・・・。

 

戦後の国民のひたすらの努力により、1950年代に入り、「神武景気」(195412月から19576月)を経て、さらに「岩戸景気」(19587月から196112月)を迎え、消費は美徳などと、我慢とは程遠い、浮かれた好景気に見舞われましたな。

この時期に生まれた方々は、概ね現在60歳代ですね。

まー、景気の良い時代にお生まれになられて、日常生活で、それ以前の様に、我慢が第一と言う状況ではなくなっていたのですね。

すでに、我慢は、美徳の時代では無くなっていた訳で、何かにつけて、自由が最優先と言う時代になっていたのですね。

だから、社会の傾向としては、我慢せずに、自分のしたいことに向かって、伸び伸びと活動する、と言う方向になっていたのですね。

と言うことは、今60歳代のお方々は、決して全部とは申しませんが、どちらかと言うと、我慢が苦手と言う傾向がお強いと思われるのですよ。半ボケジジーの独偏としてはですね。

 

そして、この様な時代には、教育観も随分変化を遂げ、我慢を教えることは、すっかり姿を消し、もっぱら、子供には、したい事をさせ、制約を加えず、自由に伸び伸びとやらせ、その才能を伸ばす、と言う方向へ、大きく進展して行きましたね。

この様な方々のお子さんが、概ね多くは現在30歳代以下と言う年齢でしょうか。

ですから、もーすっかり我慢からは脱出して、中には、自分のしたい放題へと歩んでする方々が、随分多くなっているのでは、と思われますね。

と言うことは、現在社会の中心で活動しておられる方々は、我慢から遠い存在の方々かと想像されるのですね。

ですから、この様な方々は、我慢がまー大嫌いと言う傾向が強いのでは、と半ボケジジーは想像するのですよ。

だから、いくら都知事が連日、不要不急の場合を除いて、出歩かず家にいて下さいと言ってみても、一向に出歩く人は減少しませんね。

家に、じっとしていることなんて、我慢できないのですよ。

兎に角、いまの人たちは、人の大勢集まるイベントが大好きですから、桜の花見なども大好きで、それへの参加の自粛なんか、苦痛で、苦痛で仕方ないのですよ。

我慢と言う育てられ方、教育を受けてませんから、急に我慢を強いられても受け入れることが、基本的に無理なのですよ。

 

これから、新型コロナウイルスの流行は、予防薬、治療薬が開発されて、広く各地に供給されて、その効果が現れるまで、現状の様なだらだらとした我慢の状態が継続するよりないのでしょうね。

結局、経済が大きく落ち込み、社会生活は、我慢を強いられる事態となりそうですね。落ち込みますなー。

すなわち、「 我慢の時代」が否応なしに到来しますなー。

ところが、ほとんどの日本人は、我慢なんて大嫌いな、苦手な人々なのですよ。

耐えるよりないのですが、どうなって、しまうのですかね。相当やばいよ!

 

と半ボケジジーは、取り越し苦労?をしているのですよ。

と言うことで、半ボケジジーの小言、愚痴は終わりがありませんので、ここらで、本日のボヤキを止めにいたします。どうも、毎度、お粗末様でした。

お疲れ様でした。また、どうぞ。

 

お後がよろしい様で。

《停念堂閑記》125

《停念堂閑記》125

 

「停念堂寄席」74

 

「今風のリーダー達」

 

本日も、「停念堂閑記」にようこそお越し下さいました。厚く御礼申し上げます。 

せっかくお越し下さいましたが、ここでの話は、相も変わらぬ、毎度の代わり映えのしない、間抜けな話です。いくぶん具体的に申しますと、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない、間抜けな話で御座います。

深刻にならないところが、取り得ですよ。

夜、眠れなくなったりしませんからね。

もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。

 

なんちゅったって、目的が年寄りのヒマ潰しですからね。

定年後の御同輩、きっと、持て余しているのでは。

毎日のヒマを。

お互いに、持て余しているヒマを、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ならないのですよ。

しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。

手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。

至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。

と言うことで、本日も張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。

打倒、閑、暇、ひま、ヒマーッ!

A A O  エイエイ、オー!

ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。

 早い話が、いつもの半ボケジジーのボヤキですよー。

 

  

さて、間抜けな話の開始です。今日は、「今風のリーダー達」と言う事をネタにして、暫しの間、ヒマ潰しをしようと言う魂胆ですわ。

 

 

今日は、結論を先に言っておきたいと思います。

そうすると、あとは小生得意の思い付きざまを、ダラダラと書いて、ヒマ潰しになれば、大成功となりますので、今日はこれで行くことにします。

 

ここで言う、リーダー達とは、具体的に言えば、日本を牽引する役職についている人達を指しています。

内閣総理大臣をはじめ政府閣僚の面々、および与党、野党を含めた国会議員の先生、加えて、地方議員の先生、更に、国および地方の公務員のお偉方、経済界のお偉方、そして、テレビによく出演なさっておられる当該局の解説者とその筋の専門家の方々と言うあたりの方達であります。

概ね、このあたりの方々をリーダーと言わせてもらいます。

これらの方々全てとは申しませんが、これらの方々の行動は、例えば、テレビを通じて、しょっちゅう国民の前に現れますので、目に付く存在なのですよ。

そのような方々を「今風のリーダー達」と呼ばせていただきます。

 

このような人達、もちろん全員とは申しませんが、その特徴の一つは、物事についての根幹となる部分についての思慮が不足しているのではないか、と思われるところが感じられるのです。

別の表現をすれば、分かりやすく言えば、基礎をきちんと考慮せずに、目先の利益に飛び付く傾向が強く感じられる、と言うことです。これが、ここで言う「今風のリーダー達」の一特質と言えるのではないのか、と言うことです。

 

次には、目先の利益に飛びついて、失敗した場合に、その責任から、とにかく、逃げ去ることを以って、宗としているようだ、と言うことです。

最も顕著なのは、国会における質疑応答であります。旗色が悪くなると、噛み合わない答弁を繰り返すし、すぐに記憶をなくすし、想定外に逃げるし、他人のせいにするし、その責任逃れは、実に見苦しい限りですね。

責任を取らない、と言う事が、ここで言う「今風のリーダー達」の一特質と言えるでしょうね。

とにかく、自分の失策の責任をとると言うことは、まず、御座いませんな。のらりくらりと、逃げ回り、はぐらかす。稀に、どうにもならなくなったら、直ぐに前言を取り下げるし、謝罪めいたことを口走ったとしても、その失策についての反省はなく、同じ事をすぐに繰り返しますから、なんとも言いようが御座いませんね。

 

まずは、今日の結論は、物事において、根幹となる基礎の部分を考慮せず、目先の利益に飛び付く。それと、失策に対する責任から徹底的に逃げ去る傾向が強い、と言うことが、「今風のリーダー達」の目に付く特質と言えるのではないか、と言う事であります。

 

と言う事で、以下には、これに関わると思われることを、半ボケジジーのボヤキ風に、ダラダラと行きます。

 

さて、今や、世はあげて、世界的な流行の新型コロナウイルスの話題で持ちきりでんなー。

テレビでは、このところ連日、一日中、新型コロナウイルスの話題ばっかりで、そろそろ辟易している方々もおいではないでっしゃろーか。そろそろ勘弁してくだせー、っちゅうところではないでっしゃろーか。

何だか、これまでにない、訳の分からない、得体の知れないヤツが現れよって、あれよ、あれよと言う間に、ナンや、ナンやと、世界中が、大混乱になってしまいましたなー。

どこの国でも、目には見えない得体の知れないヤツには、常日頃大して危機感を持てず、備えが極めて不十分と言うことのようで、フイを突かれると、もー、どうにもならなくなるようですだな。

例えば、ミサイル、戦闘機、戦車、戦艦などは、形がハッキリとしていて、見た目に、これは兵器や、とすぐに認識できますわなー。こんなもの並べて、戦争する気かー、と心配になりますわなー。

これが、核兵器となると、ちょっと様子が変わりますぜー。核弾道弾、ミサイルに設備されたのを見せられると、こんなものどうするつもりや。まさか、・・・か。何をする気やー、と驚きますわなー。

核弾道弾の形を見せられただけで、その怖さが認識されますなー。

しかし、それが万が一使用された場合のいわゆる放射線については、全く目には見えまへんで。ただただ恐ろしい結果を生み出すだけの代物でんなー。こんな目に見えないオッカナイものはありませんで。

責任問題では、事済みませんから。

もはや誰も手出しできなくなってしまいますから。

また、化学兵器についても、日本ではオームによるサリン事件で、どのような事になるのかの具体的な被害の様子が分ったけれど、これも、サリンガスは、目に見えないから、一般人は、対処のしようも御座いませんよ。

さらに、いわゆる生物兵器となると、国際法(ジュネーブ議定書)で使用が禁止となっているとは言え、仮に使用された場合は、実際にその時の、その事態が目の当たりに現れるまで、その実態はとなると、全くチンプンカンプンでんな。とてつもなく、厄介な恐ろしいものであろうと言う想像がつくけれど、具体的にどうなるのか、と言うことについては、実感が持てない、弱さが御座いますな。

 

このような非常事態が、この度の新型コロナウイルスの流行と言う形で、我々の眼前に、突然、現れたわけですなー。

もー、世界中が、大混乱に陥った状態となってますね。

とにかく、今は、一日一刻も早く、予防薬と治療薬の開発を待っている状況です。

予防薬と治療薬の開発関係者の皆様は、まさに必死になって、取り組んでおられることとお察しいたします。この事態を救えるのは、あなた達しかおりませんので、厳しい日々をお送りの事と思われますが、兎に角、頑張って頂きたいと、願うより御座いません。

この謂わば、世界大戦のような状況を治めるには、予防薬と治療薬の開発に携わっておられる方々に期待する以外に無いようです。虫のいい事を言うばかりで、申し訳御座いませんが、どうぞ、頑張って下さいませ。

 

 

さて、この度の新型コロナウイルスとなりますと、どれほどの威力を持つものなのか、感染した場合、どうやったら治るのか、よくは分かっておりませんなー。

とにかく、今心配されている事は、驚くほど感染力の強いヤツだ、と言う事ですな。たちまち、全世界に広がってしまいましたからねー。

問題は、その人体に与える威力がどのようか、と言うことが関心の的ですな。感染の広がりに伴い、死亡者数も多く報道されるようになってきてますなー。

ウイルスに関する専門家と言われている方々が、毎日テレビに出演されて、それぞれの見解を述べておられますなー。

大まかに見ますと、かなり緩めに見る方と、そうではなく、かなり慎重に、厳しく見る方とに分かれているようですな。

例えば、新型コロナウイルスについて、感染したとしても約80%以上は自力免疫力で治る。従来のカゼ程度のものだ。死亡率を見ても、インフルエンザと比べると、随分と低い。大騒ぎしなくて良い。と言うような趣旨のことをおっしやっておられる方がおられますなー。

対して、軽く見てはいけない。未だ、未知の部分の多いウイルスだ。感染力が極めて強いし、体内の潜伏期間も、30日近くの例も見られるし、また、一度陰性の検疫結果を得ても、再燃と見られる事例も、報告されている。まだまだ、未知の部分が残されており、世界的な感染拡大の状態を見ても、決して油断ならない。と言う様な、見解を強調される方も見られますなー。

マスクの効用についても、新型コロナウイルスは、極めて微細であるために、市販の使い捨てマスクでは、防ぐのに何の役にも立たない。

と言うご意見の方と、いや、そうでもない。マスクの使用を勧めたい、とおっしゃられる方もおられますなー。

また、政府の対応は、成功しているとする立場の方もおられますが、政府の対応は、その初期から甚だまずかった、とおっしゃられる方もおられますなー。

テレビのワイドショーは、今のところ連日この話題で持つきりです。

このところ、流石に、飽きてきたのでは?  と感じられる場面もあるように思われますなー。関心は、関連するオリ・パラピックの開催の可否に関わる話題に、移って行ってるなー、と感じたりするのですよ。

また、関連して、経済の落込みが顕著となってきているので、この先どうなるのか、これをどう立て直すか、と言う問題が注目されて来ていますなー。

これからのワイドショーの話題は、専らこちらの方へ移っていくのであろーなー、と言う感じを受けますだよ。

穿った見方をすれば、テレビのワイドショーで、新型コロナウイルスの話題が、取り上げらなくなったら、その時期が新型コロナウイルスの収束の時期かなー、なんて思ったりしましてね。日本社会の関心は、専らテレビに誘導されがちですからなー。

 

とは言え、新型コロナウイルス症の大流行と言う大きな社会問題が発生した場合には、国民としては、その問題の解決のための政府をはじめ、医療関係者などによる対策が、適切であるか否かを、ちゃんと見ておかなくてはなりませんなー。

例えば、一般論として、大きな社会問題が発生した場合は、まずは、その問題の本質、実体を把握する必要がありますね。

次いで、その問題の解決すべき方向を的確に把握しなくてはなりませんね。

すなわち、当該問題の実体と、問題解決の目的を明確に設定すると言う事ですよ。

そして、この基本的な目的の達成のために、どのような手段、方法が有効かを対策する、と言う方向に進むことになりますね。

仮に、今般の新型コロナウイルスの問題についてみると、まずは、その問題の発生時に、その本質、実体を把握しなければならない事態だったのですね。

この点については、中国武漢で、新型のコロナウイルスに感染した患者の発生が明らかとなった。この新型コロナウイルスは、未だ得体の知れないものだ。従来使用されて来た抗生物質では、回復の効果が見られない、などと言う基本的な実体が、把握されましたね。

この事態に接して、例えば、日本政府は、この得体の知れない新型コロナウイルスが、日本にやって来た場合に、どう対処しなければならないか、と言う問題意識を明確にしなくてなりませんでしたね。

そして、その問題の解決すべき方向を的確に把握しなくてはなりませんでしたね。

この時の日本政府の対応は、まずは、この得体の知れない新型のウイルスから、日本国民の生命を守らなくてはならない、と言う明確な目的を設定する必要が生じましたよね。以後は、この基本的な目的をどのように達成するか、これが課題となるわけですね。

ここが、新型コロナウイルス対策の、出発点となるべき事だったと思われますね。

ところが、政府がとった最初の対策が、この新型コロナウイルスが、日本国内に入ることを食い止めなければならない、というところに基本を置いたものでしたね。いわゆる水際作戦であったのですよ。もちろん、政府が単独でこの対策に踏み切ったのではなく、いわゆるこの筋の事に詳しいウイルスの専門家の意見を聞いて、政府としての判断に踏み切った、と言う事なのでしょうね。

すなわち、対策の大元となる部分の議論が十分に行われない状況で、具体的な対策に乗り出してしまった、と言う事なのですね。

すなわち、根幹を見極めず、枝葉の対策に走った、と言う事で、日本の歴代の政府では、この手法が、何かにつけて、ごく一般的な手法とされて来た、経緯があるようで、今回の新型コロナウイルス対策も、この路線で行われ出した、と言う事でしょうね。

一つの結論としては、これが、今回の「停念堂閑記」のテーマに掲げた、「今風のリーダー達」の判断、と言うことになるのですね。

しつっこく言い足せば、根幹を見極めず、枝葉の対策に走る、要するに、目先の利益に飛びつく、と言うことです。

今回の新型コロナウイルス対策は、大流行している武漢湖北省からの渡来者を入国の段階で、チェックすれば事足りる、と踏んだわけですね。この水際の検疫が、この対策の基本に据えられて、これから他の対策へと派生する構図となったのですね。

ここでの判断が、「今風のリーダー達」、ここでは、すなわち総理、政府と相談を受けたウイルスの専門家達の判断が、ことの展開を左右する実に大切な判断であったのですよ。

ここで、慎重に熟考して、とるべき方向を見極め判断すべきだったのでは無いでしょうか。

ところが、「今風のリーダー達」は、見事に誤ってしまいましたなー。

すなわち、洞察力の欠如と言いますか、軽率といいますか、得体の知れない新型のウイルスについての判断が、極めて緩く、慎重を欠くものであった、と言うほか御座いませんな。

本来ならば、前に述べましたように、未知なるものに対面した時には、どのように対処すべきか熟考の上、根幹を見極めなくてはなりませんよね。

まず、この得体の知れない新型コロナウイルスから国民の生命を守らなくてはならない、と言うところに基本が置かれなくてはならないと思われますねー。

さすれば、どう対処しなければならないか、と言うことが次の課題となりますねー。

まずは、この新型コロナウイルスの正体を明らかにすべく、対策を講ずる必要がありますね。要するに、政府としては、この種の研究の専門機関に、このウイルスの正体解明に大至急取り組むべき要請を行うとともに、その人員と経費の措置をすぐに行うことが必要でしたね。

そして、一方で、この新型ウイルスが日本に入ってくる事を遮断しなくてはならない、と言うことが対策されなくてはなりませんね。

まず、海外から来日した人の入国に、どう対処するのかを考えなくてはなりませんな。

 

A 全面的に、入国を拒否する。

 → 出発地へ戻す。

B 出発地により、限定的に、入国を拒否する。

 → 限定地からの渡来者は、出発地へ戻す。

 → 限定地以外からの渡来者は、入国許可、検疫を行   

  ない、その結果により対処するなどの措置をとる。

C 入国のための検疫を、実施する。

 a 検疫の結果、陰性の場合

    (a) 入国を許可し、国内の移動を可とする。

    (b) 入国を許可するが、指定滞在所における、特定

   期間の待機を課する。

   →  特定期間待機中の再検疫の結果により対処す

    る。

   → 陰性の場合は、国内の移動を可とする。必要

    により、追跡調査の協力を願う。

   → 陽性の場合は、その症状により、対処する。    

   → 重篤の場合は、指定の医療機関で、治療す 

    る。

   → 重篤でない場合は、指定滞在所における、特

    定期間の待機を課し、待機中の再検疫の結果

    により対処する。

 b 検疫の結果、陽性の場合

    (a) 入国を拒否し、出発地へ戻す。

    (b) 指定滞在所における、特定期間の待機を課する。

   →  特定期間待機中の再検疫の結果により対処す

    る。

   → 陰性の場合は、更に、指定滞在所における特    

    定期間の待機を課する。   

   →  指定期間待機中の再検疫の結果により対処す

    る。

   → 陰性の場合は入国を許可し、国内の移動を可

    とする。

   → 陽性の場合は、その症状により、対処する。    

   → 重篤の場合は、指定の医療機関で治療する。 

   → 重篤でない場合は、指定滞在所における、特

    定期間の待機を課し、待機中の再検疫の結果

    により対処する。

 

例えば、以上が、新型コロナウイルス国内侵入を抑制する、いわゆる水際対策の基本と思われますね。問題は、外国、外域を全面的に対象とするか、特定外国、特定外域を対象とするかの見極めが、極めて重要となり、以後の展開に大きく影響することになりますね。

 

この点について、この度の政府の判断は、極めてまずかった、と言う結果が出ましたね。

すなわち、政府の施策は、中国武漢湖北省からの渡来者に限定して、入国の際、検疫を課する、と言う極めて緩いものであったのですね。

 

時に、中国では、旧正月春節にあたり、多数の中国人が既に来日しており、この内、武漢湖北省から来た人以外は、入国時の検疫チェックを免れていたのですよ。

武漢湖北省から来た人だけの入国時のチェックが、基本とされましたので、これ以外から来日した人達は、平時と同様の日本国内旅行をすることになったのですな。

このことによって、彼らを乗せた観光バスの運転手やタクシーの運転手、ガイドさんが手始めに感染し、その後も感染者の数が増加していったのですね。

それでも、しばらくの間、政府は武漢湖北省から来た人達だけのチェックにこだわりましたね。感染状況の悪化に対面しても、出発点の方針から脱する事が、できなかったのですな。

これが、「今風のリーダー達」なのですよ。危機管理意識が極めて希薄としか、評しようが御座いませんな。危機についての洞察力が、極めて欠如しているのですね。

 

それから、いつも感ずることは、責任に関することですね。誰しも、失敗した時には、なるべく責任を追及されたくないでしょうね。人間、誰しもそのように思いがちですよね。

しかし、日本全体を牽引していく立場の人は、その責任を強く持ち、国民のために尽くす覚悟が必要であろうと、思うのですよ。

そして、そのために最大の努力をしたが、結果的に、実をあげられなかった。そう言う場合もあるでしょう。このような時に、まずは、責任問題が浮上しますね。当然のことですね。

この問題に対する場合、事実に即して、率直な反省が必要であろうと思うのですよ。

ところが、「今風のリーダー達」は、この事態で、いかに責任を回避するかに、懸命になる傾向が、極めて強く感じられるのですね。

まずは、事実を有耶無耶にすることに努めますな。兎に角、事実についての動かぬ物証がない限り、その事実を一切認めようとしませんな。

事象は、様々な側面を持っていまして、物証がある場合と、物証が無い場合が御座いますな。

物証が無い場合とは、人間の心の内部に関わる事柄です。レントゲン検査をしても、身体の物的部分については、影が出たりしますが、心までは見ることができないのです。嘘発見器なるものを用いても、真の心の中を見とることはできせんな。

当たり前です。心は物では御座いませんので、物としての証拠を捉えることができませんな。

そこで、このような事柄が問題になると、その点については、そのような事実はない、それに関する記憶がない、そんな事を想定していなかった、と言うように、のらりくらりとはぐらかし、責任からひたすら遠ざかろうとすることになるのですねる。

近年では、森友学園加計学園の一件などに見られる関係者の多くの言い逃れが、未だ、記憶に新たですな。

その事態に関わりを持つ人が存在し、その事態が起きているのに、その関係者は、私は関係ない、関係した事を示す証拠はない、記憶がない、などと惚けてしまうのですね。

ここに、「今風のリーダー達」の一つの特質を見る事ができますねー。

 

今や、日本の将来は大変なことに直面しているのでは、と強く感じています。

この国を牽引している立場にある人の責任は、稀にない重大なものとなっていますね。

この局面に、どのように立ち向かうかは、目先のバラマキによる選挙対策をしている場合では御座いませんな。根幹をしっかりと見つめた、しっかりした熟考を重ねてしっかりした目的を据えて、責任を持って、進んでもらいたいものです。

 

今日は、このような事をボヤいて、半ボケジジーの暇つぶしをしてみました。

毎回代わり映えのし無い、分かりきったつまらない話を繰り返すばかりで、恐縮で御座います。

半ボケジジーの限界でんなー。

 

 

想像を絶する困窮する事態にならないように、半ボケジジーは願うばかりです。

 

どうもお疲れ様で、御座いました。

またのお越しを、お待ち申し上げます。

 

お後がよろしいようで。