《停念堂閑記》117

《停念堂閑記》117


「停念堂寄席」70
 

「何考えて生きてるの ?」9
 

本日も、「停念堂閑記」に、ようこそお越し下さいました。
厚く御礼申し上げます。
遠路はるばるかどうかは、存じませんが、本当に、よくいらっしゃいましたね。
遠路はるばるとは申せ、よもや「停念堂閑記」に徒歩でやって来られる御方は、おられないでしょうな。そんな御方がいらっしゃいましたら、是非是非お会いしたいもので御座いますが。
とにかく、徒歩で来ようが、泳いで来ようが、はたまた車でも、電車でも、新幹線でも、飛行機でも、ロケットでも、何であろうと構いませんが、要するに、いらして頂ければ、大歓迎で御座いますよ。
もっとも、ロケットで来られますとね、駐ロケット場など持ち合わせが御座いませんので、一つご勘弁のほどを。せいぜい、自転車ででも、お願いできれば、幸甚で御座います。
ところで、本当のところは、徒歩でも、ジョギングでも、マラソンでも、泳いでも、自転車でも、車でも、電車でも、新幹線でも、飛行機でも、ロケットでも、はたまたミサイルであろうと、実は、来ることが出来ないのですよ。
貴方だけに、こっそりとお教えしますね。たいして、難しくは御座いませんよ。ただね、必要欠くべからざるものがあるのですよ。
それは、パソコンかスマホなのですよ。それでね最近の作は、Googleまたはyahooのサイトから、「otakatsuyaのブログ」を検索すれば、《停念堂閑記》に辿りつけますから。これだけでいいのですよ。
一般の交通手段では、永久に辿り着けませんので、どうぞ、ご注意下さいませ。蛇足ながら。
辿り着いてくれさえすれば、大歓迎で御座いますよ。
とは申せ、大歓迎と言いましても、高価な美味しい料理でおもてなしをするわけでも、温泉に入って頂いて、とりあえず冷えたビールをグイーッとやって頂くわけでも、肩をお揉みするわけでも、お好みのスイーツをお楽しみ頂くわけでも、御座いません。
ついでに、お友達と連れ立って、ゴルフにご招待する訳でも御座いません。
粗茶の一杯すら出ませんよ。炉端焼き店にだって、行くわけでは御座いませ。ポイントだって付きませんから。
このような点は、まー、一言で申しますと、ケチですわ。いや、ドがついて、ドケチと言うべきですなー。
しかし、公金や裏金を使って、どうのこうのと言う事情は、一切御座いませんので、この点は公明正大で御座いますので、どうぞご安心下さいませ。
余計な話ですが、おもてなしのゴルフや炉端焼き店の費用は、やっぱり国民の税金が当てられるのでしょうね。(蛇足ながら、どこぞの総理が、どこぞの大統領を接待した時の事ですよ。そんな事、いちいち言われなくても、分かってますよね。)
いやいや、招待者側の負担、ポケットマネーに決まってる、てですか。
いやいや、割り勘、割り勘ですよ。当たり前の事でしょう。ウイン ウイン てやつですだよ。
 
強いて、幾分カッコ付けて申し上げますと、心の問題とでも言いましょうかね。
おヒマなお方、心を込めて、大歓迎で御座います、と言う次第なのですよ。
まだ明けやらずの暗い内から、パッチリと目が覚めてしまいまして、サー今日一日、どのように過ごすか。と言う難題の下に日々をお過ごしの方々も多々いらっしゃられるのではないでしょうか。
これをしなければ、と言う特別なすべき用事も無く、何処へ顔を出しても、たいして歓迎されるわけでもなく、しかし、なんとか今日一日を過ごさなくてはならない、と言う御事情のお方、このような同朋の御方々を心より大歓迎するのが、「停念堂閑記」なのですよ。
 
話は、毎度の代わり映えのしない、アホくさい、バカバカしい、クダラないと言う三拍子を兼ね備えた、行き当たりバッタリのアホくさい、バカバカしい、クダラない話で御座います。深刻にならないところが、取り得ですよ。
夜、眠れなくなったりしませんからね。
もー、すぐに忘れちゃっても、なんら問題は御座いませんよ。
 
なんちゅったって、目的がヒマ潰しですからね。
お互いに、持て余しているヒマを、適当に、好い加減に、なんとか、あの手、この手で潰さなくては、ダメなのですよ。大して関係のない余計なことを交えたりしましてね。
しかしですね。これは、これで、ケッコウ手間隙かかるのですよ。
手間隙かからなかったら、ヒマ潰しにならないだろうって、ですか。
至極、ご尤もなご意見で御座います。同感、同感で御座いますよ。
張り切って、手間隙を惜しまず、たっぷり手間隙をかけて、連日のヒマと言う強敵に挑むことに致しましょう。
打倒、閑、ひま、ヒマーッ!
A A O!  エイエイ、オー!
ヒマ潰しとは、申せ、些か次元の低い、掛け声ですなー。
 
  
では、参ります。 

さて、本日は、「何考えて生きてるの ?」と言うことをテーマとして、ヒマ潰しのそれはそれは、とってもクダラナイ、取って置きの無駄話をやってみたいと、思うのですだよ。
とは言え、最初にお断り致しておかなくてはなりませんが、たいした話では御座いませんよ。例のごとく。所詮ヒマ潰しの無駄話ですからね。その点を四六四九お願い致しますよ。

さてと、人それぞれ何考えて生きていようと、大きなお世話と言うものでしような。
他人に、とやかく言われる筋合いのものでは、御座いませんよ。
しかし、ですよ。ここは、ヒマ潰しの場ですからね。これをネタに、色々と、そのー、ヒマ潰しをね。何とかしようと言う魂胆なのですだよ。

分かっているから、さっさと進めろ、ってですか。
それでは、行かせて頂きます。


さて、以前から、若干気にかかっている事があるのですだよ。
それは、ですね。「言葉による表現」についてなのですよ。
「言葉による表現について」と言いましてもね。
まー、その色々なので御座いますよ。
しかし、ここでの話は、その場での思い付きによる、行き当りばったりを特徴としておりますので、体系的なものでは一切御座いません。
出たとこ任せと言うものですだよ。

このところテレビでは、19号台風に関わる事柄が、連日話題の中心になってますなー。
極めて広範囲な地域で、未曾有の被害が出まして、驚いておりますが、被害を受けられた方々には、何と申し上げてら良いものやら、適切な言葉もございません。


この被害の状況の報道において、濁流に流されている野菜の状況を見て、テレビのリポーターさんが、「沢山の〈キャベツ達〉が、流されております」と報じているのに遭遇いたしました。
ここで〈達〉と来るか、と言った感じでしたね。
当該リポーターの方は、多分地方局の20代後半か、30代前半位の年齢のアナウンサーのようにお見受けいたしましたが、現在は、〈キャベツ達〉と言うのが、アナウンサーの発する表現として一般化しているのでしょうかね。
言葉は、生き物で、時代の推移に伴い、変化するのは止むを得ないと思いますが、「キャベツ達」と言う表現が、テレビ電波に乗って、ニュースとして発せられるような事態になっているのですかねー。
キャベツ達、レタス達、大根達、ホーレン草達、はたまたジャガイモ達となるのでしょうかねー。
複数形にしたいのなら、「沢山のキャベツが」とか「多数のキャベツが」とか、もっと相応しい表現がありそうですが。
やっぱり、「キャベツ達」が、今風の最適な表現なのですかねー?

それから、道路の舗装部分の下部が濁流にけづり取られて、陥没してしまっており、アスファルトの部分が落ち込んでいる映像が放映されている時に、リポーターさんが、「アスファルトがメクリ上がっております」と表現したのですよ。
どう見ても、舗装部分のアスファルトが、陥没した部分に落ち込んでいる状態なのですよ。
そもそも「メクリ上がる」と言う状況はですな・・・。

失礼さんでござんした。わざわざご説明申し上げる必要はござんせんな。その通り、捲(めくり)り上がる事で御ざんす。

事態に相応しい表現をするように、心掛けましょうね。

また、映像では、幹がせいぜい10センチ程の細い植木の倒れているの様が映し出されているのですが、「大木が吹き倒されています」とやっているリポーターもいましたし、さらに、映像では、中程から折れている電柱が映し出されているのに、「根元から折れています」とやっているリポーターもいましたよ。

強烈な被害現場に接した時は、必要以上に、大袈裟な表現になってしまいがちなのでしょうか。
はたまた、大きなショックを受けた事により、軽い言語障害に見舞われるのでしょうか。
それとも、単なる未熟さ故の所産なのでしょうかね。
とにかく、何とも違和感を覚える表現に、度々遭遇する次第なのであります。

事態に、より相応しい表現をするように、心掛けましょうね。

 

話は変わりますが、なかなか溶け込みにくく、違和感を感ずるのが、料理の先生の表現なのですよ。
料理においては、なかなか不思議と思える表現が、かつてより、横行しがちのように感じてますなー。
例えば、吸い物を、ご丁寧に、「御御御付け(おみおつけ)」と「御」の字の三階建になさる事が、一般的になってたりするのですよ。
何でも可でも「御」の字をくっつければ、良いと言うものではないと思うのですが、何処でも彼処でも、とにかく頻繁にやられると、次第に慣れっこにはなるのですが。やっぱり、違和感はあるのですよ。

まー、丁寧に表現する場合に、「御・お」をくっつけるのが、一般的に行われますが、特に、「御料理」に関わる事柄には、やたらと「御・お」の字が、くっつけらているように感じますなー。
材料にも、お肉、お魚、お野菜などのようにね。
調味料にも、お砂糖、お醤油、お味噌、お酢のようにね。
また、料理名にもね。お刺身、お煮付け、お蕎麦、おウドンやお漬物などのようにね。

ところが、これが「おラーメン」、「おカレーライス」とは、なかなか行かないのですよ。ラーメンやカレーライスに対して、失礼と言うものですよ。
きっと、外国語系の名のものには、「御・お」を付けにくい事情があるのでしょうね。
例えば、洋食では、おハンバーグ、おビーフステーキ、おオムライス、おクリームコロッケ、おグラタン、おポークソテーなどなど、デザートに、「おアイスクリーム」や「おチョコレート」などは、あまり聞きませんな。
エッ、「おケーキ」は、有りそうですって。
指摘されれば、そうでごザーマスなー。

中華料理では、先出のおラーメンはじね、お麻婆豆腐、おチャーハン、おエビチリ、お小籠包、お北京ダック、お回鍋肉なども、あまり馴染みませんな。
「お餃子」は、ひょっとすれば、おザーマス系のお方には、有りかも知れませんな。
お酢スブタ」なんと言い出すと、メスブタはどうだ、なんて言う方向に行っちゃったりね。
食べ物ではないけれど、オスプレイと言うのが話題になったら、メスプレイが無いのは、男女平等の立場から、問題があるのではないか、と言ったご意見もね。

そんなご意見は、無いか!

ほんの眠気覚ましで御座います。ご海容の程を。

と言う次第で、洋食、中華料理などでは、あまり「御・お」は馴染みが薄いようですなー。
これが、和食になりますと、何処で、線引きすれば良いものか、難しいところも御座いますが、一般的には「御・お」が付けられているものは、例をあげるまでもなく、珍しく御座いませんな。
ところが、アッシの独偏(独断と偏見)では、「おスキヤキ」、「おチャンコ鍋」、はたまた秋田名物「おしょっつる鍋」、北海道名物「お石狩鍋」などは、あまり御目に掛かった事が御座いませんな。
また、日本料理の代表的なものとして、天麩羅が御座いますが、「お天麩羅」はどうですかね。あまり耳にはしない気がしますが、おザーマス系のお方の間では、お有りですかねー?
また、代表的な寿司は、「お寿司」で極めて一般的になってますなー。
しかし、お寿司の単品の呼称になると、ちょっと事情が異なりそうですよ。
「お鮪の握り」、「お大トロの握り」とはいきませんよ。ご丁寧に、「お大トロのお握り」になちゃっては、寿司のイメージが無くなっちゃいそうですなー。
ウニも美味いけどね。「おウニの軍艦巻き」も中々聞きませんよ。さらに、バカっ丁寧に、「おウニのお軍艦巻き」となると、かなりしっこいお味に聞こえますなー。
因に、今度寿司屋さんへ行ったら、「おイクラのお軍艦巻き」、お幾らですかー、なんてやってみれば。
今日は、持ち合わせがねーから、「おキュウリのおカッパ巻き」にしょう、なんて、とっても、小粋ですぜー、きっと。
生粋の江戸前のお寿司屋さんでは、やらない方がいいかもね。おちょくってるのかと、つまみ出されそうですなー。

それから、料理に関する事態とその表現について、気に掛かっている別の事があるのですだよ。
それは、言うならばテレビに出てらっしゃる料理の先生が、好んでお使いになられる表現なのですよ。
例えば、大根の調理に関して、短冊切りにする場合の表現を例にすると、通常普通には、例えば「大根を短冊に切ります。」となると思うのですよ。
ところが、テレビ出演のお先生方が全てそうだとは申しませんが、このところ「大根を短冊に切ってあげます。」と表現なさるお方を、しばしばお見受けする次第なのですよ。
皆様の中に、そのような事に気が着いたお方は、いらっしゃいませんか ?
大根を短冊に切る場合は、一般的にには、
「大根を短冊に切ります。」
ですよね。
これが、
「大根を短冊に切ってあげます。」
と表現するのは、丁寧に表現したいと言う理由に依るものなのでしょうかね。
例えば、
「大根を短冊に切ってあげます。」
と表現する場合は、まだ包丁を上手に使う事が出来ない子供が、大根の短冊切りを作らなくてはならない状況において、先生が、
『どれどれ、先生が「大根を短冊に切ってあげます。」』
と表現するのなら普通なのですよ。
これが、先生が調理の進行中に、ご自分が大根を切るに当たって、「大根を短冊に切ってあげます。」は、普通無いでしょう。
これは、丁寧な表現でも、何でも御座いませんよね。訳の分からない表現と言うべきですよ。きっと。
丁寧な表現は、丁寧にしなければならない対象、丁寧にした方が良い対象があって、その対象に向けて、丁寧にすると言う事ですよ。
しかし、料理の先生がよくおっしゃられる
「大根を短冊に切ってあげます。」
と言うシチュエイションにおいては、対象は、大根しかないのですよ。
大根に対して、何で御丁寧な表現をしなくては、ならないのでしょうかね。
これが万事、
「お野菜を、フライパンで、炒めてあげます。」
「お芋を、中火で煮てあげます。」
「お魚を、網の上で、焼いてあげます。」
てな、調子なので御座いますよ。

「〜をしてあげます」と言う表現は、今は、通常一般的には、丁寧な言い方をしたい時に、用いると効果的と思われている、表現なのでしょうね。
そこには、申し伝える対象に、おそらく丁寧に、親切に応対したいと言う意思が働いていると思われますなー。
だから、状況に応じて、私が手伝わなければ、危険な状況などと判断される場合に、「私が、やってあげますよ。」と言う表現になるのですよ。これは、親切心からの行為と認識できるでしょうね。

これが、シュチュエーションが幾分異なる場合などに、
「どれどれ、私がやってあげる。貴方は見ていなさい。」

となると、最近、特に嫌がられる「上から目線で」と言うヤツになってしまい、親切心は何ら感じられない状況となるのですだよ。
だから、「〜をしてあげます」と言う表現を使用する場合は、当然のこととして、シュチュエーションを考慮しなくては、なりませんな。
多くの場合は、言いかける対象が、人間ですよね。
これが、対象が大根だったり、人参だったり、ゴボウだったりすると、状況として、なんか可笑しくございませんか。
このように意思を持たない品物に対して、親切心を伝えたい、と言うような表現は、些か意味不明に陥ってしまうわけですね。
但し、物品に対して人格を持たせるような、比喩的な文学的な効果を狙った場面では、それなりの効果があると思われますがね。

何でも可でも、「御・お」を付ければ、敬意を払ったと言うことにはならないし、同様に「〜してあげる」とすれば、何時もかつも、丁寧に表現していることになるとは、限らないのですよ。


それから、ついでに一言。
何でも可でも、バカっ丁寧に表現すれば、良いと言う訳では御座いませんよ。
度が過ぎると、かえって相手に不快を与える、失礼なことにもなり兼ねませんよ。
いわゆる慇懃無礼となり兼ねませんので、気をつけたいものです。

本日は、ヒマ潰しに、こんな事を考えたりしました。
それでは、今日は、これくらいで、止めに致します。
いやいや、止めさせていただく、と表現すべきでしょうかね。
少しは、ヒマ潰しのお役に立てたでしょうか。

それでは、またのお越しをお待ち申しあげます。

お後がよろしいようで